スプレーエイジ

柳澤仲次

小説

6,506文字

生きた証を残そう――青春真っ只中の「俺」とリョースケとショーヘイ。スプレー缶を握った彼らが夜の公園に刻む、スィートソング。

ショーヘイと仲良くなったのは、高校二年の夏だった。

その頃、俺は日々退屈に喘いでいた。小学校からずっと一緒に遊んでいたリョースケという親友がいたのだが、高校に入ってすぐに、リョースケは部活が忙しくなり、一緒に遊べなくなってしまった。部活はやっておらず、かといって勉学に励んでいたわけでもなかった俺は、たちまち退屈になってしまった。彼女でもいれば、退屈しないのだろうが、これといってイケメンでもなく、運動もしていなかった俺に彼女ができるわけがなかった。

もちろん、リョースケ以外にも友達と呼べる人間はいたし、そいつらと遊べばいいのだが、彼以外の人間と遊んでも、如何せん面白くなかった。面白くない、と言うよりは、満たされないと言った方が適切だろうか。

勘違いされたくないので、先に言っておくが、俺はゲイじゃない。もちろん、女の子が大好きだ。ただ、単純に、リョースケ以外の人間と遊んでも楽しくなかった。

そんな俺の前に現れたのが、ショーヘイだった。ショーヘイとは、中学のときに同じクラスだったのだが、部活も異なり、これといって知り合う機会もなかった俺たちは、あまり仲良くなることなく、中学卒業をむかえた。そして、彼はM高校へ進学し、俺はS高校へ進学した。高校も異なる俺たちがなぜ中学卒業後に仲良くなったのか? それは、同窓会がキッカケだった。

高校二年の夏、ショーヘイも俺と同じく退屈していた。彼は高校で野球部に入ったのだが、ひょんなことから先輩を殴り、退部になってしまったのだった。先輩を殴るなんて、もの凄く勇気のあるやつだと思った。普通にひくくらい、彼には筋肉がある。全力で彼に殴られた先輩は、奥歯が四本折れたそうだ。

俺とショーヘイの共通点は、退屈しているということ以外にもあった。彼も俺と同じく、アコースティックギターを弾くことが好きで、今となってはネオフォークの伝説である、『ジューク』の曲が好きだったのだ。それから、彼は、俺にもリョースケにも劣らず、スケベだった。俺はスケベなやつが好きだ。スケベだということを、大っぴろげているやつが、人間らしくて好きだ。他にもいくつか共通点はあったが、とにかく、彼と同窓会で久し振りに会い、話してみて、俺は、気が合うと思ったのだ。

それから、何度か一緒に遊ぶようになり、俺は気付いた。彼はリョースケに似ている。彼と遊ぶことは刺激的だった。

トートロジーになるが、俺はゲイではない。女の子が大大大好きだ。

それから、ギターが好きだった俺たちは、退屈を吹き飛ばすように音楽を始めたんだ。

最初は『ジューク』や『スピッツ』の曲をコピーして、茅野駅や上諏訪駅で路上演奏していた。地元、富士見でも、よく歌った。

そのうちに、自分たちで曲を作るようになり、二人だけの音楽ユニットも結成した。

ショーヘイとギターを弾いたり、深夜徘徊をしたり、バイクに二人乗りしたりすることは楽しかった。家が割と近いこともあって、ほとんど毎日、彼と遊んでいた。

俺とショーヘイがよく行ったのは、富士見の丸山公園という、人気のない、墓地に囲まれた公園だった。夏でも寒いくらいに涼しくて、避暑地として有名な地元でも、さらに一段と涼しかった。夏休みの間、いくつもの朝日をその公園で彼と共に見た。

 

「丸山公園に、俺たちの『生きた証』を残さないか?」

ショーヘイが電話でそう言ってきたのは、夏も終わりに近づいた日のことだった。

「証? 『生きた証』を残すってなんだよ?」

俺は茫然として答えた。

「スプレーでさ、『俺たちのマーク』を描くんだよ。どう? 面白いだろ?」

『俺たちのマーク』というのは、俺とショーヘイが組んだ音楽ユニットのマークのことだ。そのマークでTシャツを作ったりした。

その時、俺は、くだらないと思った。そんなもの、どうせすぐに消されてしまう。それに途中で警官に見つかれば、面倒なことになる。富士見には警官がとても少なかったが、人気がなく、不良連中がよく溜まっている丸山公園には、かなりの頻度で警官が巡回に来るのだった。

そんなくだらないことをするのは御免だ。くだらないことにワクワクできるのが、子どもの条件だとしたら、その時の俺はもはや、子どもではなかった。

「いやだよ。面倒くさい」

「いいじゃんか。きっと楽しいぜ? はい、決まりね。じゃあ、今夜、丸山公園に夜集合ってことで。スプレーは俺が持っていくから。よろしく!」

ショーヘイは、無理に話をまとめると、電話を切った。

俺が、いやだ、と言ったのには、くだらなくて面倒だと思ったこと以外にも理由があった。それは、ショーヘイが口にした『生きた証』という言葉だ。その頃の俺は、生きることの意味に絶望していた。『生きることに絶望していた』なんて言うと格好つけているように思えるが、本当に絶望していた。絶望というか、悩んでいたんだと思う。将来、どのように生きればいいのか、という、若者特有のモラトリアムというやつだろう。俺の通っていた高校は、二年になると理系・文系にわかれるシステムだった。俺は人生で初めて、将来のために勉強しているということを意識し始めていたのだ。自分で、将来のために選択するという、人生の岐路に立っていたのだ。来年になれば、もう大学受験だ。大学に入れば、人生が決まるも同然だと思い込んでいた。現実には、大学なんかで人生は決まらないのかもしれないが、その時の俺は、本気で、大学で人生が決まると信じていたのだった。少なくとも、大きな選択が近付いていることに、悩んでいた。そんな自分の将来を考える上で、俺にはとてつもない疑問が浮かんだ。すなわち、なぜ人は生きるのか、という疑問である。そんなこと、考えても仕方ないことだ。哲学の域だろう。悩みなんてレベルではない。だが、俺は、そんなこと考えても仕方ないと割り切れるほど、馬鹿でもなかったし、賢くもなかった。どうせ、人はいつか必ず死ぬ。総理大臣になろうが、ホームレスになろうが、いつかは死ぬ。俺は死後の世界を信じていない。死んだら人は終わりだ。だとしたら、精一杯生きることに意味なんかあるのか? 結局死ぬのに、なんで努力して生きるんだ? 生きた証? そんなもの残せるわけがない。そんな風に思っていた。

それでも、俺はその日の夜、丸山公園に行った。あの時は、なんとなく行ったつもりだったが、今思えば、心のどこかで、『生きることに意味はある。生きた証は残せる』と思いたかったのかもしれない。

少しずつ、朝日の予感が強まっていく空を見ながら、俺は丸山公園に行った。約束の時間、午前三時半。夜と朝のちょうど間だった。秋の匂いが感じられるようになった外は、少し肌寒くて、俺はジャージを羽織って行った。墓地に囲まれた公園には、呼吸するように風が吹いていて、遠くから車の走行音が聞こえてくるほどに静かだった。

「来ないかと思ったよ」

ショーヘイは先に着いていた。

「じゃあ、早速やろうか」

スプレー缶を鞄から取り出したショーヘイは笑顔でそう言った。

「ああ」

眠いこともあり、俺はテンションが低かった。ショーヘイの笑顔が誰かに似ていると思ったが、誰に似ているのかはわからなかった。「警官が来たときに備えて、逃げる準備しとけよ」

俺たちは、まずどこに描くのか話し合った。ショーヘイは、一番目立つ、公園入り口の階段に描きたいと言ったが、そんな所に描いたら、すぐに消されてしまうと俺は反論した。俺は一番人が通らない、公衆トイレの裏にしようと言ったが、今度はショーヘイが、そんな所に残しても仕方ないと反論してきた。

そんな議論をしているうちに、一時間が経ってしまい、もう空が青紫色に明るんできてしまった。焦った俺たちは、両方に描けばいいという結論に達し、二人で別れて描くことにした。俺は公衆トイレの裏、ショーヘイは階段。それぞれ向って走り出した。

「警官が来たら、お互い個人行動で逃げるってことで。どっちかが捕まっても怨みっこなしだぜ」

そう言うと、俺は公衆トイレに向かった。

公衆トイレの裏は、腐った落ち葉が溜まり、湿っていて臭かった。明るんできた空の色とは対照的に、そこは仄暗くて気持ち悪かった。おまけに、変な虫が蠢いている。とてもスプレーを吹き付けられるような場所じゃなかった。こんな処に、『生きた証』が残ったところでどうなる? 残ればどこでもいいのか? 大切なのは、いつまで残るかなのか? そんな疑問が脳裏を過った。

大切なのは、いつまで残るかなのか? どこに残るかなのか?

「めんどくせえな!」

俺はそう独りごちると、公衆トイレの前の段に腰かけて、セブンスターに火を点けた。

口から煙を吐くたびに、もう帰ろう思った。こんなに面倒なことする意味がない。帰って寝よう。そう思ったが、しかし、ここで帰ったら何か大切なものを失くしてしまいそうで怖かった。

結局、悩んだ末に俺は、ショーヘイのいるであろう階段に向かった。

俺が階段に着くと、ショーヘイは、既に大半を描き終わっていて、その見事な色使いに、俺は魅せられた。彼は元々、手先が器用で、絵も上手かったので、そのくらいは当たり前なのに、俺はなぜか、必要以上に感動してしまった。

「どうしたんだよ? 警官来たのか?」

驚いて、彼が俺に訊ねた。

「いや、俺もここに描いていいかな? やっぱり便所の裏は汚いからいやだ」

「そうだろ? だから言ったじゃん。便所の裏なんて描いても意味ねえよ。じゃあさ、外枠塗ってくれるか?」

ショーヘイの言うとおりだ。重要なのは、いつまで残るか、じゃない。どこに残るか、だ。いや、どこに残したいか、だ。俺はそう思ったからこそ、帰らずに階段まで来たんだ。

ショーヘイと一緒に、一番目立つ所にスプレーしたいと思ったんだ。

俺は夢中でスプレーを階段の壁に吹き付けた。細かい霧となった青色が、ショーヘイの描いたものの周囲を縁取っていく。俺は夢中になって続けた。コンクリートは思った以上に凸凹がひどくて、簡単には塗りつぶせなかった。何度も何度も、重ね塗りをする。こんなことをして、なんの意味があるのか、なんてことは考えなかった。考える暇がなかった。もう空には朝日の産声が響いていて、眩しいほどの光が満ちていたからだ。いち早く終わらせて帰らねば、と思った。

「できた!」

俺たちは同時に声を上げた。少し離れた所から見ると、それは朝日の輝きを纏って鮮やかだった。コンクリートを覆うそれは、どこまでも膨張していくように見えたが、俺はただ、眺めることしかできなかった。

「じゃあ、写メ撮って帰ろうぜ。早く帰って寝たいよ」

時計を見ると、もう、六時になってしまっていた。携帯電話で写真を撮った俺たちは、すぐにその場を後にした。

初めは、くだらないと思っていたが、スプレーで落書きをすることは楽しかった。夢中になっていた俺は、家に着いてから初めて、汗びっしょりになっていたことに気付いたのだった。

部屋に入ると、俺はすぐに布団に入った。少年のように、携帯電話で撮影した写メを何度も見ては、ずっとドキドキしていた。

携帯電話をしまって目を閉じたとき、ショーヘイの笑顔が誰に似ていたのかわかった。スプレー缶を持ったときに彼が見せた笑顔は、リョースケに似ていたのだ。くだらないことをするときのリョースケの笑顔に似ていた。いや、俺とリョースケの笑顔だった。生きる意味など考えずに、ただ毎日を楽しんでいた頃の俺自身の笑顔に似ていたのだと思った。

別に、生きる意味を考えることが、間違っているとか、不健康だとは思わない。むしろ、考えて生きていかないといけないのだとすら思う。だが、俺はあの頃に戻りたいと思った。ただ、何も考えずに毎日笑って生きていける頃に戻りたいと思った。あの頃に戻りたいと、今でも俺は思う。リョースケといたずらをして、ただ笑っていたあの頃に。

布団の中でそんなことを思っていた俺は、なぜかわからないが、少しだけ、泣いたのだった。

 

スプレーした日の次の週末、俺とショーヘイはギターを持って丸山公園に行った。あの日以来、一度も行っていなかったので、二人とも不安だった。もしかしたら、もう既に消されてしまっているかもしれない。

「もし、まだ残っていたら、今日はあの前で歌おうぜ」

俺はギターを握りしめると言った。

「いいよ。今日は何歌う?」

「今日は、『ステレオタイプ』歌おう。あれが残っていたら、それを歌うって決めていたんだ」

「いいね。『ステレオタイプ』だな」

俺たちは不安や緊張から、徐々に歩くスピードが速くなっていた。丸山公園入り口にたどり着いた時には、ほとんど全力疾走に近かった。

汗が全身から噴き出すのを感じながら、俺は階段を駆け上がった。ショーヘイの方が速くて、俺は遅れをとっていた。夕日が沈み、外灯が点き始めた公園はマゼンタに落ち着いていたが、その景色とは裏腹に、俺は逸る気持ちを抑えることができなかった。

「おい! あるぞ!」

そうショーヘイが叫んだ。俺も急いで彼に追いついた。

「本当だ! まだ残ってるよ!」

そこには確かに、『俺たちのマーク』が残っていた。夜が混じったマゼンタの中、浮かび上がるように、そこにはそれがあった。よくわからないままに、俺は全身が鳥肌で躍動するのを感じ、同時に、目の前が霞んでしまった。

「マジで嬉しいんだけど! 絶対に消されてると思った! なんかこういう時に『ステレオタイプ』歌うっていいよな」

そう言って、ショーヘイはギターのケースを開けると準備を始めた。公園にチューニングの音が響く。秋の気配が其処ら中に溢れていて、その匂いとギターの音が絡まっていく様が何とも心地よかった。

俺もすぐにギターの準備を始めた。

外灯の光が強さを増し、公園を人工の光が満たすようになる中で、俺たちはギターをかき鳴らした。そして歌った。『ステレオタイプ』を。

 

できないことはやらないことだって

本当は気づいていた

努力する前に言い訳を考える

そんな自分にさよならを言いたい

無理だなんて

飛べないなんて

自分のルールなんて作って

やろうとしないだけで

終わらせて口笛吹いていた

僕のことを置き去りに

君は鳥になってしまった

 

無駄だなんて

飛べないなんて

勝手に思い込んでいて

選択をしたくないだけなのに

満足げに笑うふりをしていた

僕の見えないところまで

君は飛んで行ってしまった

 

あの時、俺は理解した。俺は、『生きることに絶望していた』のではく、『生きることを怖がっていた』のだと。将来に対する迷いは、恐怖から生じていたんだ。選択する、選択せざるを得ないということに恐怖を感じていたんだ。『いつかは死ぬんだから、頑張って生きることなんて無意味だ』と思っていたが、それは、『精一杯生きたいけど、選択していくことが怖い』という思いの裏返しだったんだと理解した。

でも、怖がっているだけでは何も始まらない。将来を決めなくてはならない。時間は待ってくれないのだから。

何かを選択することは恐怖だ。なぜなら、それは、同時に他の選択肢を破棄することと同義だからだ。可能性を狭めていくこととイコールだからだ。

だが、選択しなければ、可能性は可能性のままだ。実現しない。何かを実現させるためには、可能性を狭めていく必要がある。

だから、俺たちは選択しなければならない。

 

それから、俺は自分なりの『生きた証』を残すために、小説を書き始めたんだ。今でもこうして文章を書いている。

ショーヘイは、高校卒業後、スプレーアートにはまり、東京の専門学校に行った。今では本格的にスプレーで芸術を作っている。彼なら、コンクリートジャングルの東京を、カラフルに塗りつぶしてくれるだろう。

 

俺とショーヘイが残した、『生きた証』は今でも丸山公園に残っている。

2008年8月3日公開

© 2008 柳澤仲次

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"スプレーエイジ"へのコメント 1

  • ゲスト | 2008-08-04 02:59

    p.12・13の「マゼンタ」って何ですか?
    あと、明るい文章でいいねとは思いますが、
    なぜこれが「破滅派」に掲載されるのかが理解できません。
    生きていると決して納得できない出来事(たとえば家族、友人の死)があるものです。
    ご都合主義なはなしをされても、ただ困ってほほえんでしまう人たちがいるんです。
    なぜ落書きは消されなかったのでしょうか?
    落書きが消されなかった事で、二人以外の誰か別の人と交わらず終わったことで閉塞してしまったこの小説の世界を、ひどく悲しいものだと思いました。

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