十六歳

柳澤仲次

小説

9,064文字

エロ本の自販機へとひた走る、「俺」とリョースケの十六歳。あのとき吸った煙草の味は、けっして忘れないだろう――どうでもいいことが、一番眩しかったりする。青春を暖かく描いた群像喜劇。

十六歳だった。

今から思い返せば、その頃が一番幸せだったのかもしれない。幸せの定義なんて考えたこともないから、本当に一番幸せだったのかと訊かれたら困ってしまうが、とにかく、その頃が、人生で一番楽しかったことは確かだ。

その当時、俺には、リョースケという親友がいた。彼とは、物心がついたときからずっと一緒だった。所謂、竹馬の友というやつだ。何をするにも、いつも一緒にいたと思う。保育園、小学校、中学校と、同じクラスだった俺たちは、高校に行って初めて分かれた。俺は、地元の有名な進学校であるS高校に通い、彼は、頭はよかったのだが、それ以上に運動神経が優れていたために、スポーツ推薦で、スポーツに力を入れているM高校に進んだ。彼の運動神経には驚かされる。彼は、スピードスケートをやっていたのだが、県内の大会では敵なしで、全中で全国三位に入るほどだった。一番驚いたのは、いつか、俺の家で二人で缶チューハイを浴びるほど飲んだときがあったのだが、その翌日、彼は大会に出なければならなかった。俺は、二日酔いでスポーツができるわけがないと思っていたが、彼は見事にその大会で優勝したのだ。まぎれもなく、彼は本物の天才だった。

「スピードスケートってさ、世界で一番速くなれるスポーツなんだよ。自分の力で速くなれるスポーツなら、スケートが一番だよ。考えてみろよ、陸上なら、どんなに頑張っても百メートルで八秒なんて無理だろ? スケートなら、百メートルを七秒で滑れるんだよ。最高のスポーツだ。スキーは斜面に頼ってるから自力で進んでいないし、F1とかは車だろ? 自力で進むスポーツの中では、スケートが一番速いんだよ。最高さ。俺は、誰よりも速い世界を自分の脚で体験したいんだよ。スケートは最高のスポーツだ」とリョースケはよく言っていた。

そんなリョースケと、高校は別々になったが、それでも俺たちは休日になると俺の部屋で一緒に遊んだ。俺の家は、昔、旅館をやっていて、そこで俺は祖母と二人暮らしをしていた。旅館だったために、使用していない部屋が十数部屋もあった。さらに、駅から徒歩十秒という、駅の真ん前に位置していたこともあって、高校のときは、友人たちが俺の家に来て、よく飲み会をしたものだ。おまけに、祖母しか大人がいなかったために、俺の家は遊ぶにはもってこいだった。

俺とリョースケは、土曜日になれば、決まって俺の部屋に集まり、缶チューハイと薄荷入りの煙草を味わっていた。そうやっていろいろな話をした。

学校のかわいい娘の話(どこのクラスの娘が一番かわいいのか話合った)、駅で見たかわいい娘の話(その娘のパンティーが何色だと思うかで五時間議論した)、かわいい娘が働いてるコンビニの話(話し終わったら、必ずそのコンビニに行った)、かわいいグラビアアイドルの話(自分の好きなアイドルがどれだけかわいいかを熱弁し合った)、かわいいミュージシャンの話(曲の善し悪しは、歌い手のかわいさで決まるという仮定を証明した)、かわいいアナウンサーの話(アナウンサーにとって重要なのは、声よりも顔だと合意した)、かわいいアダルトビデオ女優の話(やってるときのリアクションよりも、顔が重要だと結論が出た)。

同じ中学だったやつが童貞を捨てた話(そいつの彼女はヤリマンだと避難しまくった)、同じ中学だったやつが処女を捨てた話(昔好きだった娘だったために、リョースケは泣きながら畜生と叫んだ)、自分が童貞を捨てるときの相手は処女と非処女のどっちがいいかという話(二人とも童貞を捨てるときの相手は処女がいいと言った)。

クリトリスがどこにあるのかという話(経験者の話を元に議論した)、大陰唇と小陰唇のどっちを舐めたいかという話(二人とも小陰唇をセレクトした)、パイズリとフェラチオはどっちが気持ちいいのかという話(五分五分だろうという結論だった)、乳首の色は何色がベストかという話(ピンクは譲れねえと俺は叫んだ)、どの体位が一番やりたいかという話(俺は正常位を、リョースケは騎乗位を渇望した)。

そんな話ばかりだった。俺たちの話題に、哲学や政治、経済、国際情勢などが皆無だったことは言うまでもない。

いつからだろうか、俺たちは女性を人間として見られなくなっていた。『女性=ヴァギナ』となってしまった。目に映る女性が全員、メスになったのはいつからだろうか。手淫を始めた頃からだろうか、いや、初めて自慰をしたときからかもしれない、もしくはマスターベーションを始めてからだろう、あるいはオナニーを始めた頃からかもしれない。『女性=セックス』という方程式が頭から離れなくなったとき、俺たちは何か大切なものを失った気がする。何を失ったのかは、わからないが。

とにかく、俺たちは健全な十六歳だった。と思う。

そんな十六歳の思い出の中で、今でも忘れられない思い出がある。

鬱陶しいほどに暑い夏の夜のことだった。土曜日だった。いつも通り、俺とリョースケは、俺の部屋に集まって缶チューハイを飲んでいた。ガガガSPの曲を大音量で流して、相変わらず、エロい話しかしていなかった。俺は桂正和さんの『電影少女』という漫画を読み、彼は同じ桂正和さんの『アイズ』という漫画を読みながら話していた。そのときは、同じ中学だったやつが手マンをするときに間違えてアナルに指を突っ込んだとかいう話で盛り上がっていた。

「そいつもバカだよな、尻の穴とおまんこの穴の区別もつかねえなんてさ、さすがはT高校だよな」(T高校は偏差値が低すぎて有名だった。高校のくせに、英語の授業ではアルファベットを学んでいるという噂があった。また、T高校は女生徒の顔の偏差値も最低レベルで、T高校の女生徒のおっぱいを見るくらいなら、雌猫の放尿を見た方がまだ興奮すると言われていた。)

顔を猿のように真っ赤にして、リョースケは言った。彼は、あまり酒に強くなく、酔うとすぐに顔が赤くなるが、決して飲むことを止めなかった。

「そうだな、そのあと、おまんこに指入れたのかな? 指にクソつけたまま」

「はははっ、それは想像したくないっしょ?」

煙草の煙で、薄紫色に煙った部屋の中では、缶チューハイが泡をふいていた。

「たしかに、想像は絶対したくないよな。でもさ、それで彼女がスカトロに目覚めたりしたら笑えるな!」

そう言って、漫画を置くと俺は窓を開けた。外では、夜が街を支配していた。夜風が、熱気を保った煙草の煙をすぐに追い出してしまった。

田舎の夜空は星がよく見えて、「ちんこの形した正座とか探してみるか」と言って、リョースケも窓際に出てきた。耳を澄ますと、遠くから夜空の声がした。

「そうだ! 思い出した!」

しばらく黙って夜空を見ていたリョースケが、突然叫んだ。酔って、粘つくまばたきを繰り返している彼は興奮していた。

「突然なんだよ? どうした?」

俺は窓を閉め、煙草に火を点けると、ワクワクしてリョースケの話を聞いた。面白いことを思いついたとき、彼はいつも、思い出した! と言う癖があったのだ。

「いや、そう言えばさ、国道沿いにエロ本の自販機があるらしいんだよね」

「エロ本の自販機?」

そのとき、俺たちにとって、エロ本の自販機は未知の領域だった。俺もリョースケもまだ行ったことはなかったのだ。もちろん、だたエロ画像やエロ動画を見るだけなら、いくらでもインターネットを活用すれば済むが、俺たちは『エロ本の自販機』という、男のロマン以外の何ものでもない領域に憧れていたのだ。

「この前、友達に聞いたんだけどさ、行ってみない?」

リョースケは思いっきり白い歯を光らせて言った。その笑顔が俺は気に入っていた。エロ本の自販機に行くなんて、あまりにもバカげていることだったが、そのくだらなさが心地良かった。それに、俺は根っからのスケベだった。

「もちろん!」

缶チューハイを飲み干して、スケベな俺は、もちろん即答した。

「でも、たまにF高校のやつらが、あそこにたむろってるらしいからな。カツアゲされたやつもいるって言っていたし。それでも行く気ある?」(F高校は、T高校に負けず劣らず偏差値の低い高校で、大抵、そこに行くやつはゾウリムシと同じくらいの頭脳しかないと言われていた。どこでもそうだが、脳ミソの小さいやつほど、群がってチンピラの真似をしたがるものだ。F高校もそれにもれず、脳ミソの小ささを表すように荒れていた。F高校のやつらにカツアゲされた俺の友人は多い。また、脳ミソの小さい人間ほど、所構わず交尾をしたがるもので、F高校の部室はどこも、やり場と化しており、俺たちはよく、夜中にF高校の部室棟を探検しては、部室内でやっているカップルを見つけ、見つけ次第、ネズミ花火を窓から部室に投げ入れてやった。いくらスケベな俺たちでも、セックスする場所くらいは選ぶのに、厚顔無恥なやつらの交尾は、本当に場所を選んでいなかった。あんな汚い部室で交尾できる神経は、まさに理解不能だった。)

生粋のスケベを自称している俺が、カツアゲに対する恐怖くらいで、男の聖地を諦められる訳が無かった。

「もちろん!」

煙草を消して、スケベな俺は、当たり前だが即答した。

「ナカなら、そう言うと思った!」(俺はリョースケに、『ナカ』と呼ばれていた。『なかつぐ』と言う名前だからだ。フルネームで呼ばれたことはあまりなかった。)

リョースケは、俺と同じく理解していた。『本当に価値のある快楽には、リスクが伴う』ということを。『快楽は、大きければ大きいほど、より大きなリスクを伴うものだ』と理解していたのだった。そこが、彼の中で一番好きなところだった。安全を求めて、快楽を手放したり、安定を欲して、自由を手放すやつらが、一番嫌いだった。カツアゲにびびって、聖地への旅を断念するわけがない。カツアゲというリスクが伴うことで、むしろ快楽は増すのだ。リスクを避けて、安全に生きるなんてくだらない。

横断歩道を渡るくらいなら、いっそのこと車に轢かれた方がましだと思っていたのだ。

準備を整え、俺たちは早速、深夜の街に繰り出した。目的地は、国道の先。そこまでは歩いて行くことにして、ブラブラとスニーカーを動かした。

「言ってなかったけど、俺さ、国の強化選手に選ばれたんだよね」

外では、羽虫が群がる街灯が、アスファルトを淡くオレンジ色に染めていた。暑くて、じっとりと背中で汗が流れる夜だった。夏の匂いがした。駅前の時計は、午前二時を示していたが、全く眠くなかった。むしろ、酔っているはずなのに、頭はすっきりしていた。そんな国道まで歩いている途中で、リョースケは「強化選手に選ばれたんだよね」と平然と言ったのだった。

「すげえじゃん! どういうことすんの?」

俺は、これから行く聖地を思い描いて興奮していた。二人とも、歩くスピードが徐々に速まっていた。リョースケも興奮していたのだ。だが、妄想も、股間も膨らんでいるはずなのに、どこか、彼は遠くを見て、寂しそうに「強化選手に選ばれた」と言ったのだった。そんな彼の表情が、俺をなぜか不安にさせた。不安というものは、いつだって自分の力ではどうにもできないであろう状況に付きまとうものだ。そして、不安は基本的に嫌な予感を元に生じるのだが、大抵、そういう嫌な予感というものは的中してしまう。だから、俺は不安になることが嫌いだった。

「うん、なんかカルガリーに行ったり、合宿したりするらしいんだ」

「カルガリーってカナダの? すげえじゃん! 全部ただで行けるんだろ? 国の強化選手ってことは、国が合宿費とか出してくれるんだよな?」

「そう、そうなんだけど……」

ポケットに手を突っ込みながら、少し下を向いたリョースケは、落ち着いた声で言った。

「だから、多分、ナカと会う時間もなくなっちゃうんだ……。これから、強化合宿とかで、学校の授業も公欠でほとんど出なくてよくなるから、あんまり、こっちにいられないんだよね……」

それは、『俺たちが一緒に遊べなくなる』という意味だった。

「そうか……」

俺は、いまいち理解することができなかった。ずっと一緒に、こうして遊んでいられると思っていた。ずっと一緒に、酒を飲んで下ネタで笑っていられると思っていた。こんなに楽しい時間が、突然、当たり前のように終わりを告げられたなんて、理解したくなかったのかもしれない。

このとき、俺は、初めて、『ずっと続くと思えるくらい楽しいときほど、すぐに終わる』ということを知ったのだった。

「そうなんだ……」

リョースケは、さっきと同じ、寂しそうな表情をしていたが、しかし、それは絶望感や脱力感から来るものではなく、希望感とでもいうべき、未来に対する喜びから生じているものだと思った。一緒に遊べなくなることを、悲しんではいるが、どこかで、強化選手に選ばれたことを誇っている雰囲気もあった。俺は、そんな彼の雰囲気が気にくわなかった。

「リョースケなら大丈夫だろ、強化合宿に行って、さっさとオリンピック出ちゃえよ」

熱気を纏った夜風が頬を撫でてくるのが煩わしかった。街は眠っていて、ぼんやりと光っていたが、その綺麗な夜景とは裏腹に、俺の体内で、不気味な黒くて固い物体が徐々に成長していくような気がした。それは、リョースケと遊べなくなることに対する不満ではなく、彼に対する嫉妬心や猜疑心、そう、親友に対する憎悪のような感情だった。本来ならば、彼を祝福し、喜ぶのが当たり前なのに、それができなかった。強化選手に選ばれ、将来有望なリョースケ。その一方で、何もない俺。そんな状況で、心から彼を賞賛する純粋な心を、もはや俺は持っていなかったのかもしれない。彼に嫉妬し、彼を素直に祝ってあげられない自分の汚い心に腹が立った。

とにかく、自分でもわけがわからないくらいに、俺は親友を妬んでいた。

それから、必死にリョースケへの嫉妬心を隠しながら、俺はエロ本の自販機まで歩いて行った。

『途中、巡回していた警官に捕まり、酔っていることがばれ、家に帰されそうになったため、俺たちは持っていたバタフライナイフで警官を斬りつけ、命からがら国道を横断し、俺たちにとっての聖地エルサレムである、エロ本の自販機を目指して走った』なんていうドラマは全くなく、何事もなく俺たちはエルサレムにたどり着いた。

そこは、トタンで作られた、いかにも安っぽい小屋のような所だった。入り口が二つあり、その小屋の中に入ると、『モザイク無し!』や『現役女子○生使用パンティー~ホカホカ~』と書かれた看板や張り紙が無数にあり、自販機は、『コンドーム、ローターなどを売る自販機』と『モザイク無しの本を売る自販機』と『体操着やパンティーを売る自販機』と『エロビデオを売る自販機』の四台が設置されていた。その自販機を眺め、俺たちは「すげーマジすげー」と阿呆のように連呼したのだった。股間の大砲(実際には大砲などという代物ではなく、ただの水鉄砲なのだが)をビンビンにした俺の頭の中には、すでにさっきまで感じていた嫉妬心はなく、ただただ女の裸しかなかった。

「おい、見てみろよ、これなんかマジやばいよ、血出てるし」

リョースケは顔をさっきよりも真っ赤にして、パトカーの回転灯のように眼をギラギラさせていた。その傍らで、餌を求める鳩のようにうなずく俺は、必死に股間を押さえ、ただ「すげー」としか言ってなかった。

俺たちは、目の前に広がっている素晴らしい光景に圧倒されていた。その景勝たるや、日本三景を遥かに凌いでいて、何を買うか、どれがすごいか、長い時間話し合ったが、もはや、初めて黒船を見たときの浦賀の民よりも取り乱していた俺たちに、結論は出せなかった。

それから、どれくらい時間が経ったのか覚えていないが、俺たちの興奮を冷ましたのは、太い、大きな声だった。自販機に見とれていると、不意に耳元で声がしたのだ。

「おい、お前たち、いくつだ?」

今でも鮮明に思い出せる。顔をエロさで輝かせていた俺たちが、反射のようにビクっとなって振り向くと、そこには、パンチパーマで、パジャマのような灰色の服を着た、五十代くらいのオッサンが立っていた。オッサンは、マリオに負けず劣らずの立派な髭を生やしていて、ひどく臭い煙草を吸っていた。見るからに、やばそうだった。本物のパンチパーマの人なんて、友人のおばあちゃん以外、初めて見た。しかも、おばあちゃんのように、「あら、ナカちゃんじゃないの。元気してる? お菓子あげようか?」などと言うタイプの人間とは到底思えない。

俺たちは、当然だが、ものすごく慌てた。慌てたなんてもんじゃなかった。一気に体から血の気がひいた。全身の血液が、尻の穴から全部出てしまったのではないかというほど、血の気がひいた。あそこまで慌てたのは、友人に「オナニーしすぎると死ぬらしいよ」と言われたとき以来だった。自販機に張られている写真の娘のおまんこよりもグチャグチャになってしまった頭を必死に使って、状況を飲み込もうとしたが、ますます混乱するだけだった。

「じゅ、十八歳っす」

とっさにリョースケが叫んだ。「そうっす。十八歳っす」と俺も続いて叫んだが(実際には、慌てすぎて、「ちゅ、ちゅうはちっつ」みたいに言ってしまった)、叫びながら、このオッサンは誰だ

何が起こっているんだ? このオッサンは何をする気なんだ? と考えていた。

「そうか……、なるほど」

オッサンは、くわえていた煙草を踏んで消すと、不気味に笑った。その笑い方があまりにも気持ち悪くて、俺の全身に鳥肌が走った。生臭い魚を丸飲みしたかのような気持ち悪さで、俺は少しゲロってしまい、すぐにゲロを飲み込むと、酸っぱい臭みが鼻に抜けた。

「はい、十八歳っす」

このオッサンは、自販機を管理している人だ、そうに違いない、年齢確認しているんだ、そう考えて、俺は言った。とりあえず、F高校のやつらじゃないんだから、カツアゲはされないだろうし、警官でもないから大丈夫だろう、そう考えて、一旦は落ち着きを取り戻そうと努めた。たしかに、リスクのない快楽は嫌いだが、本当にカツアゲされるなんて絶対に嫌だった。だが、次にオッサンが言った言葉が、俺たちをさらに驚かせた。

「とりあえず、いくら持ってる? 持ってるだけ出せや」

オッサンは不適な笑みを浮かべて言った。

「え?」

俺たちの混乱は頂点に達した。オッサンの言葉が理解できなかった。フランス語とか、ドイツ語とか、異国の言葉を聞いているような違和感があり、それと同時に、認めたくない最悪の状況が現前したのだという諦観も感じた。

「早くしろよ、早く出せ!」

オッサンの怒鳴り声が小屋に響いた。でも、俺たちの頭の中には、全く響かなかった。意味がわからなかった。いや、意味を理解したくなかった。俺のビンビンの大砲(実際には、ただの水鉄砲)が萎えていくのと同じ早さで、混乱が全身に広がっていった。

『俺たちは、カツアゲされている』そんな文字が頭にちらついた。

俺たちは、カツアゲされている、おれたちは、かつあげされている、オレタチハ、カツアゲサレテイル、オレタチハ、カツアゲサレテイル、オレタチハ、……。頭の中が、どんどん『カツアゲ』で埋まっていった。

そんな中、俺の頭の片隅に、来る途中でリョースケに感じていた嫉妬心が、なぜか湧き上がってきた。カツアゲの恐怖心の奥に、なぜか彼に対する嫉妬心が顔を出したのだった。わけがわからず、俺は叫んだ。

「うわあっ」

そう叫んだあと、俺はリョースケに何も言わずに小屋を飛び出した。オッサンが塞いでいる入り口とは反対にある入り口から、俺は走って逃げ出した。とにかく、走った。半分泣いていた。いや、むしろ思いっきり泣いていた。でも、それは恐怖から流れた涙じゃなく、自分に対する悔しさから流れた涙だったと思う。親友を置き去りにしてでも逃げたいと思ってしまった自分が情けなかった。夜は明けかけていて、空が薄く紫色に輝いていた。そんな中、俺はとにかく走り続けた。親友を置き去りにして、走り続けた。彼を裏切ってしまったような罪悪感と、さっきまで感じていた嫉妬心を晴らしてやったような爽快感の両方を感じたが、脚は止まらなかった。どこに向かっているかもわからずに、ただ、逃げた。『カツアゲは嫌だ』と思いながら走っていたが、一方で『リョースケは将来有望だっていうのに、なんで俺はちがうんだ、俺は何なんだ、俺って誰だ、俺には何ができるんだ、どうして彼だけがすごいんだ、俺は何もすごくない、俺は生きてる意味があるのか』とそんな思いも頭を駆け巡っていた。『リョースケなんかオッサンに捕まってカツアゲされればいいんだ、俺は逃げてやる、俺はカツアゲなんかごめんだ』そう思っていた。

気付いたら、朝日が顔を出していた。空の奥には、もう、夜空の声がなかった。俺は立ち止まると、涙を拭って、息を整えた。全身から汗が噴き出していたが、ポケットに手を突っ込んで煙草を取り出し、それに火を点けた。肺が目一杯動いて、息が乱れた。朝の色が、街全体を優しく包んでいる中、俺は夏のくせに妙に涼しい風が顔に当たるのを感じながら、肺一杯に煙を吸い込んだ。その煙草の味は、今までで一番不味かった。俺が吸いたかった煙草の味はこんなにも不味かったのかと、混乱が収まりつつある頭で考えた。

逃げている途中で、何かを落としてしまった気がしたが、何を落としたのかすら、忘れてしまった。俺は、逃げてくる中で、何を落としたのだろうか?

逃げ切ったという安心を感じ始めるのと同時に、朝日を見つめた。眩しすぎて、眼の奥が痛かった。落ち着いて考えてみても、やっぱり、何を落としたのかわからなかった。

これが、今でも忘れられない十六歳の一番の思い出だ。

あの後、リョースケに聞いた話では、彼もすぐに自販機から逃げ出して、無事だったらしい。そして、友人に聞いたところ、あのオッサンは自販機に寄ってくる高校生や中学生をよくカツアゲしていることで有名らしかった。

あれから何年も経ち、俺は、高校を卒業して、作家を目指すようになり、今でもこうして小説を書いている。リョースケは、高校卒業後、有名な私立の大学に推薦で合格し、今はオリンピックを目指して本気でスケートをしている。彼なら、必ず、オリンピックに出られるだろう。

あのときの煙草の味を忘れたことはない。

あの不味い煙草を肺に満たしたとき、俺は、もはや子どもではなかったのだろう。

2008年3月17日公開

© 2008 柳澤仲次

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"十六歳"へのコメント 1

  • ゲスト | 2010-08-15 20:23

     十六歳だからといって何が始まるわけでもなく、本当のことを書いても意味はなく、最後になんとかまとめようとしてもなんともならないと思われます。下品な言葉を書いたところで、必要性も効果もないように見えました。

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