御曹司強盗殺人事件、被疑者死亡の件につき

立春

小説

5,150文字

いかがお過ごしでしょうか。大切な身体でございますから、秋の夜風にお気を付け下さい。学の無い故、失礼がありましたら、申し訳ありませ ん。それでも手紙を出した故は、お姉さまのお身体に障る事かも知れませんが、お知らせしなければならないことがあるからです。

拝啓 千代様

 

春分の頃、いかがお過ごしでしょうか。大切な身体でございますから、秋の夜風にお気を付け下さい。

学の無い故、失礼がありましたら、申し訳ありません。それでも手紙を出した故は、お姉さまのお身体に障る事かも知れませんが、お知らせしなければならないことがあるからです。

 

先日、弟の清さんが亡くなりました。この手紙が届く頃には、もう既に葬式は終わっている事と思います。それならば、手紙を書く必要はないと不思議に思われるでしょうが、清さんのことをお伝えしなければならないので、こうしてしたためさせていただきました。

まず、清さんは後悔していなかったことをお伝えいたします。それは、最後まで傍らに居て、彼の深い所も知っている私が保証致します。

彼に首を括った故につきましては、何度もこうして手紙を書こうかと悩みましたが、筆を取らせていただきました。どうぞ、彼の事を誤解しないでください、それだけが、一番心配です。

そもそも、私が誰かと疑問に思っていることでしょう。私は、彼がこの町に来た時に出逢い、今まで共に暮らしていました。お姉さまのことは、彼から一番お聞きしております。

彼がこの町に来た理由は、私も本当の所知らないのですが、或は、お姉さまならお知りになられているかもしれません。身一つでこの田舎の町に現れて、桜並木の川沿いにある船小屋で、一人眠っておりました。次の日もその次の日も眠っており、私は死んでいるのかと思いまして、「もしもし、」と声を掛けました。彼はふっと目を開き、私をじっと睨むように見ますので、「何をしているのですか」ともう一度声を掛けました。そうしますと、何と言ったと思いますか。

「生きる事を止めてみた」

そう平然と言うのです。それがどうにも面白く感じ、腹を抱えて笑ってしまいました。勿論、清さんは気真面目な方ですから、そんな私に腹を立てて、身体を起こし抗議しようとするのですが、本当に生きる事を止めていたようでして、空腹で動けなくなって居たのです。それでまた面白くなって仕舞い、「生きているじゃないですか」とからかってしまいました。もっと怒るのかと思っていましたが、彼は額に手を当てて、「確かに君の言う通りだ」と笑ってくれました。彼は笑う時、目を伏せ人の顔を見ないようにしていました。変わった癖だと思いましたが、彼の今までの生活を聞きますとそうしなければならなかったことが分かりました。もしかしたら、お姉さまには彼がこのような奇行に至った事を不思議にお思いかもしれませんね。けれど、私が知って居るのは、今まで生きてきた彼より、このような奇行を平然と行う清さんです。どうぞ、幻滅なさらないでください、それを彼は恐れていましたから。

彼が生きている事を認め、腹が減ったと言いましたから、私は清さんを家に招きました。きっと、彼が暮らしてきた家に比べればあまりに質素で、木造の隙間風が入る小さな家でございます。玄関の屋根は雨が降るといつも雨漏りをしてしまうような、汚らしい家でございました。そのような所に暮らしている私でありましたから、清さんは憐れに思って、食事を戴かないと申しました。それで私は、「家はぼろですが、貧しい訳ではありません。ただ、何事にも不精なもので、必要に迫られなければ修理をしないのですよ」と答えました。そうしますと、やっと彼は卓について、私と昼食を食べて下さいました。ほうれん草のおひたしと沢庵、それにご飯と味噌汁という具合で質素なものでありましたが、彼は何度も美味いとおっしゃってくださいました。

人とご飯を食べるのは久方ぶりでしたので、「船小屋で暮らすのなら、ここで寝泊まりして下さい」と申し上げますと、彼は僅かに涙を浮かべて、「ありがとうございます」と礼を言うのです。彼は生きようとする間は、実に礼儀正しく品行方正、勤勉でありました。私はあまり学がありませんでしたから、彼の薦めで本を読み、知見が広がったように思います。

彼は本当に働き者でありました。暇があれば家の修理をして、畑の仕事を手伝って下さいました。一人で暮らしていた私には、本当に幸せな時間でございました。

季節が二つ三つ過ぎた頃でした。彼が初めてお姉さまと正一さまのこと、ご家族のことを話してくださいました。清さんは、本当にお姉さまの千代さまと正一さまの事を愛しておられました。正一さまは清さんの家庭教師で、今まで彼の周囲に居た人たちと違って、清さんのことを見て下さるお人だったと窺っております。千代さまは生まれる前から一緒に育ってきた間柄で、何をするにも二人で一つのものを分けあい、千代さまは清さんが叱られてしまう時はいつも庇ってくれる芯の強い優しい方だとおっしゃっておりました。お二人の事を語られる清さんは、目を細め、自らの愛児を抱く母のような幸福の笑みを浮かべて居られました。そのようにお二人を愛していらっしゃるのなら、どうして今、ここに来たのでしょうかと、つい尋ねてしまった事があります。

「二人が好きで、好きだから、逃げることしか出来なかった」

その時、彼は泣いてしまうのではないかと思いました。私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのでしょう。けれど、彼は私を責めず、自分を只管に責め立てているようでした。好きだから、逃げることしか出来ない。その理由が、今の私なら分かります。

彼の想いを全て聞きました。想いだけです、そこに込めた、祈るような気持ちを私は知る事は出来ませんでした。

「気持ち悪いですか?」

最後に清さんが私に聞きました。彼は、大切な人に嫌われてしまうことを極端に恐れていたようです。

「清さん、私は不義の子ですが、気味が悪かったでしょうか」

そう聞き返しますと、清さんは少し驚いた顔をしておりました。それは当然のことで、きっとお姉さまも同じように驚きのことと思います。私は不義の子でございますから、驚かれる事よりも蔑まれ、軽蔑されることに慣れておりましたから、その反応だけでも嬉しかったのです。清さんは、私に触れながら、「君は、君だ」と笑って下さいました。ですから私も、「私の知っている清さんは、誠実な方です。どの様なことがあったとしても、どうして、その様に思う事があるでしょうか」とお応えいたしまた。清さんは本当に、誠実で優しい方です。隣町の市へ行って私が石を投げられても、さっと庇って下さるような方です。私の様なものにまで、善意を下さるお人です。ですから、どうか、お姉さまも清さんをお許しください。

 

人と言いますのは、たった一人の悪意によっても、狂ってしまうものなのです。私がどれ程彼を慕って居ようと、千代様と正一様も清様を愛して居る事が分かっていましても、一人の悪意に挫けてしまうものなのです。

寒い冬の頃でした。清さんに家の修繕を手伝って戴いたおかげで、隙間風も無く、火鉢で充分暖をとれることが当たり前になっていました。一人では無く、清さんと共に暮らす事が日常に感じられる程、私は己惚れてしまっていたのです。私の家が汚らわしいものだと言う事も忘れていたのですが、それを思い出させる女性が唐突にこの家に尋ねてきました。

「もしもし、どなたかいらっしゃいますか、」

声だけで、その女性がこの辺りの娘とは違う育ちの良いお嬢さんだと分かりました。戸を開けて確認しますと、やはり気品のある妙齢の女性であり、この家を忌み嫌う様に眉を顰めて居りました。その反応は至極真っ当なものでしたが、清さんと暮らしている事でそれが当然であることを忘れていたのです。

「外はお寒いでしょうから、どうぞ、中にお入りください」

この様な場所に、真っ当な女性を招く事は大変失礼な事ですから、苛立っていた彼女を更に煽ることになってしまいました。

「この様な場所に私が入る訳が無いでしょう。それより、清さんは何処ですか」

私はてっきり、この方が清さんのお姉さまだと思って居りました。ですが、すぐに奥から清さんが現れて、彼女を見るなり顔を歪ませ、「如何して此処に君が居るのだ」と語尾を荒げておっしゃったのは、お姉さまにこのような汚らわしい場所にいることを知られたく無かったのだと思い、打ちひしがれていました。

「清さん、如何してこの様な所に居るのですか。皆が貴方の事を、」女性の言葉を遮り、清さんは一言、「帰ってくれ。」とおっしゃいました。折角来ていただいたお姉さまを吹雪の中に追い払うのは、この家が穢れていようとあんまりに思って、私は口を挟んではいけなかったのに、「清さん、外は吹雪です。お姉様も、汚らしい家ですが、雪が治まるまで暖をとっていかれませんか」と不躾に呼び入れようとしてしまいました。

「貴方は口を出さないでください。私はこの様な場所に居るつもりはありません。清さん、一緒にお帰り下さい」

清さんは立腹したまま、「彼女は姉さんではありません。この家を汚らわしいと思うような、浅慮な人に君の優しさを分け与える必要はありません」とおっしゃって下さったのです。軽蔑される事が当然であったのですけれど、彼は誠に善意に満ちた方でありました。

女性は、「今日はもう帰ります」と酷く憤慨して雪の中、去って行かれました。彼女が去ってから、清さんは部屋に戻り頭を抱え、私に「申し訳なかった」と謝られました。当然、彼が謝る故はありません。私はそう申し上げようと思ったのですが、それよりも先ず愚かな好奇心が湧いてしまったのです。彼女は誰なのか聞きますと、清さんは哀しい目をして「婚約者」であると教えて下さいました。私は婚約者ならば、このように汚らわしい家に、一時でも長く居させたくない筈だと納得いたしました。

彼女は次の日にも尋ねましたが、清さんは会おうとなさいませんでした。それでも彼女は諦めずに、家にいらっしゃいました。これ程愛情を注がれているのですから、清さんも少し心苦しく思っているようでしたが、どういう訳かお会いになさろうとはしませんでした。

痺れを切らしたのでしょう、彼女はとうとう家に足を踏み入れ、清さんに相対しました。私はこの時、身分の高いお嬢様が家に入る事が無いように、止めさせるべきだったのです。

どうぞお姉さま、忘れないでください。清さんはお二人を愛して居られるのです。ですから、どうか、私の書く言葉に、胸を痛める事がありませんようにお願いします。傷つけたいわけではないのです、清さんがお二人を愛して居られる強い思いをお伝えしたいだけなのです。

「清さん、千代さんは正一さんとご結婚なさったのはご存知ですよね。もう子どもの敬慕はお辞めください」

彼女が開口一番おっしゃられますと、清さんは目の色を変えられました。怒り心頭に発した筈ですが、けして声を荒げる事も手を出すこともありませんでした。

「こんな所にいらっしゃるから、何時まで経っても汚らわしい思想に捉われるんです」

「清さんは穢れていません」

また、口を挟んでしまいました。それが余計に火を点けてしまったのでしょう。此処から先は、恨み骨髄に徹し、文字にすることが出来ません。私の様なものが、越権の感情を抱くことはいけないのでしょう。けれど、たった一人の悪意によって、失われてしまうこともあるのでございます。

 

清さんは正一様も千代様も愛しておられます。お二人の間に子どもがお生まれになることを知って、その子どもにも愛しさを感じて居られるのです。それでも、清さんは、あまりにもお二人を愛し過ぎたのです。それが、矛先を失った嫉妬と思慕に、狂われてしまいました。お二人を祝福されておりました、けれど、それに耐える糸が切れてしまったのです。

「生きる事を止めてみようと思います」

清さんはそうおっしゃいました。ですから、私は「生きているじゃありませんか」と同じことを返したのです。彼は笑って、「そうですね」とおっしゃいました。

家に帰った時、清さんは首を括っておりました。遺書も残せず、それほどまでに強い思いを抱いて逝ってしまったのです。一人の悪意の所為だけではありません。それは切掛けに過ぎず、あまりにも清さんが純粋であったが故に、耐える事が出来無かったのです。それでも、私の怒りの炎は消えませんでした。一人の悪意によって失われることがあるように、一人の善意に殉ずることもあるのです。

 

もうすぐ、桜の季節が来ます。けれど、まだまだ寒い日が続くことでしょう。私はもう桜を見る事は無いでしょうが、清さんの愛されたお二人の人生に、幸多からんことをお祈り申し上げます。

2011年1月13日公開

© 2011 立春

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