香港の武侠小説家・ジャーナリストとして知られる金庸が、10月30日に無くなった。94歳だった。

金 庸(きんよう、本名 査良鏞、1924~2018)は、中華民国(現在は中華人民共和国)の浙江省出身。当初は外交官を志望していたものの、中央政治大学在学中に不正に抗議して退学となり、ジャーナリストへ転身する。中国語圏でも有数の歴史ある新聞「大公報」に採用され頭角を現し始めた。その後、大公報の娯楽紙面である新晩報の一部編集担当となり、1955年に初の小説である武侠小説「書剣恩仇録」を発表し、これを皮切りに次々と作品を発表、人気作家となった。

武侠小説とは、勧善懲悪と武術描写を軸に描写された中国発の娯楽小説のことである。低俗に見られがちだった武侠小説であったが、金庸の豊富な教養で裏打ちされ中国史と絡められた作品群は武侠小説を歴史文学と呼べるものまで高めた。金庸の作品の普及ぶりはすさまじく、「中国人のいる所に金庸もいる」と言われるほど中国語圏では普及した作家となり、映画化やゲーム化も数多くされており、金庸の作品のみを研究する「金学」も登場している。日本でも徳間書店より金庸武侠小説集として翻訳出版されている。

同時に金庸はジャーナリストとしても才覚を発揮し、1959年に「明報」を立ち上げて独立するなど香港における報道界の重鎮となった。1972年にはそれまで15作掻き続けてきた武侠小説の断筆宣言を行い、以後は報道や政治的な活動において活躍した。香港返還を控えた一時は共産党政府の推薦により香港基本法起草委員会の委員を務めたが、天安門事件の際に抗議して辞任している。その長年の多岐に渡る功績により、イギリス政府から「O.B.E.」を、フランス政府からはレジオンドヌール勲章・フランス芸術文化勲章を授与されている。