小栗虫太郎(1901年3月14日~1946年2月10日)による『黒死館殺人事件』は、夢野久作『ドグラ・マグラ』、中井英夫『虚無への供物』と共に、「三大奇書」のひとつとして名高い推理小説である。雑誌『新青年』1934年4月号~12月号に連載され、1935年5月に新潮社より単行本が刊行、その後も多くの出版社から若干の異同を加えつつ繰り返し再版されている。

「本のフェス」で入手した高志書房版『黒死館殺人事件』

本作は医学・薬学・心理学・紋章学・暗号学等々、怒濤のようなペダントリーを虚実織り交ぜながら繰り広げている点を特徴としている。ルビだらけの特殊な専門用語の多用や、登場人物の謎めいた行動や言動から、造語や捏造、誤用、ルビ間違い、展開の矛盾などを指摘されるも、戦争による混乱と作者の早逝により、多くの疑問点を残したまま現在に至っている。

 

江戸川乱歩や甲賀三郎には絶賛される一方、そのミステリーの枠を超えた難解さは、坂口安吾の『推理小説論』において「小栗虫太郎などはヴァン・ダインの一番悪い部分の模倣」と、一蹴されるなど、賛否相半ばした評価を受けながら、唯一無二のゴシック・ロマンスとして未だなお愛読され続けている。

 

本書は初出誌である『新青年』連載版を初めて単行本化したもので、「新青年の顔」松野一夫による初出時の挿絵も全て収録。「素天堂」こと山口雄也氏によって、世田谷文学館所蔵の小栗虫太郎自身の手稿と照合した上で本文を検討・校訂、夥しい衒学趣味に2000項目もの註釈を付し、その全容を明らかにせんとする「黒死館殺人事件大辞典」とでもいうべき大作となる模様で、その出来がとても楽しみである。

 

「奇書」という言葉ほど魅力的な響きもそれほど多くはないだろう。だからこそ僕たちは『ヴォイニッチ手稿』に魅了されたのだ。その中身が解読されると、大した内容じゃなかったねと、たちまちその神秘性は失われた。そしてまた、そんなはずはないと異論を唱える者が必ず現れる。分からないからこそ面白いという楽しみ方は、間違いなく存在するのである。『竹取物語』もしかり。本書によって幻惑の霧を取り払われ、丸裸となった『黒死館殺人事件』は、どのような評価を新たに与えられるのか。本当に単なるペダンチックなだけの代物であるならば、「奇書」の地位から転落することもありうるのではないだろうか。

 

「奇書」は「奇書」であるが故に「奇書」なのである。と、最後にそれっぽいことを言っておけば意味は貴方が考えてくれることだろう。注釈をよろしく。