私がライクしているミュージックは、米国南部関連のバンドは別格として(曲で、南部にコンクリートの文明が訪れる前に、俺は他界するよと書いて飛行機事故で奇しくも他界)概ねは1970年代、これも抜きにして私自身、幼少時代の1980年代中期から1990年代前期までの米国ハードロックである。青春時代はグランジ? ニルヴァーナ? 居たなあ、である。
とかく、そのハードロック分野は現在、過小評価が著しい。言いたい事は判る。ライヴ中にドラムがジェットコースターに乗って叩いていたり、とにかくラスト、楽器やアンプを破壊して馬鹿だ……など。判る、判るが貴方、ジェットコースターに乗りながらドラム、叩けますか? 楽器や機材は基本、バンドの手出しな故、貴方、毎晩、壊せますか? になる。所謂、観客は馬鹿を観に来ていて彼等もそれを演じていた訳である。プロ意識、これぞ馬鹿の。
次に演奏が下手だ、に対して。
或るバンドは下衆な雑誌に「コイツ等、アンプの後ろで別人が弾いているんじゃねえか?」と書かれ、次に出したアルバムでプロデューサー名義で「この作品にはバンドメンバー以外、誰も参加していません」のクレジットがあった。ドッグ・イート・ドッグ。然し実際、私がライヴに行った他の或るバンドは確かに「俺が弾いている?」レヴェルのグダグダてあった。モンキー・ビジネス。判る、確かにその意見も判るのだけれども、彼等はアルコールやグルーピーの相手をスタアとしてやる仕事が有る為、練習する時間が無いのである。致し方ない訳だ。
なら、そうしたスタンスを変えれば? になる。
これは論外で、彼等の作品は、ほぼ八割、毎晩パーティーしようぜ! なのだが、実際に彼等、売れるまで「一時期、公園の便所に住んでいた」 「一年振りくらいにチキンを食べた時、旨すぎて気絶した」等の暮らしらしい。パーティーしたいのは当然である。これは諸々なアーティストを比較すれば判るのだがブルジョアほど深刻な曲にする。そうして、成功してブルジョアになった馬鹿共も、小難しくして「次作はのテーマはエネミーだ」とか語り出し売れなくなる訳だ。下手なジレンマに陥る。
私が好きな逸話は、モトリークルーのニッキーが「こどもの頃、ベースを弾きたくてギターを盗み、それを売ってベースを手に入れた」である。最初からベースを盗めよ! となるが要は、そこが選ばれている人のマインドである。魅力。私が猫と暮らしていた時、大音量で、その世間から云われる馬鹿なパーティーロックを流したら大興奮してヴィジョンに被りついた。猫も本来、捨てられて公園に居た身だから判る訳である。この馬鹿達、労苦してパーティーしたいんだ、と。なお、その猫は乙女な故、POISON(日本の曲で非ず。米国のバンド)を映し流せば狂気していた。事実として。トーク・ダーティー・トゥ・ミー。
後、cinderellaなるバンドがあるが、3作目、4作目は素晴らしいブルージーなロックである。だが然し、そのバンド名から判るように、初期にパーティー路線で売れちゃった為、イメージ的に新規の5作目が出せないなる弊害もある。全部、デビューをアシストしたボンジョヴィの所為にして恨もう。
繰り返すと、全世界のパーティーロック好きな諸君。誇りを持てば良い訳である。博識ぶる奴に何か言われても、公園の便所に住んたことかありますか? ベース引く為にギター盗みますか? 音を嫌うと云う猫が最大音量のパーティーロックに大興奮しますか? それが全てである。
追記・オアシスが来年、ライヴをやるらしい。メロディセンスは良いし何よりライヴ中に殴り合いをしていた、なる旧いロックなる感性はライクである。実際、3曲しか識らないが、セックスジャパンの2曲を上廻っている故、動向には注視したい。
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