二つの世界

合評会2022年03月応募作品

わく

小説

5,209文字

文字数オーバーです。技量の至らぬ故です。
構成についても、二つの世界が入り混じる感じにしたかったのですが、これまた技量の至らぬ故です。
文章も、もう少し読みやすくなるよう、後で手直しをしたいです。
(言い訳です)

ラジオ英会話(私のころは『基礎英語』ってタイトルでした)とか中学の英語の教科書の男女の関係には、現実との間の絶妙な浮遊感があるなあと思ったのがきっかけで書きました。

小山田は東京の芸人たちの中では有名な人間だったが、あまりにも過激な芸しか持ち合わせていなかったので、決して家族団欒のなかで安心して見ることのできるテレビ番組には出演しなかった。昭和四十年代から、一緒に夜の怪しげな店に出入りして営業していたほかの芸人たちは、テレビの興隆に合わせてスタイルを変化させていったが、彼は自分の才能とその限界を弁えていたので、アンダーグラウンドな世界に留まった。テレビに進出して、出世するのもいれば落ちぶれるのもいたけれど、小山田の収入は還暦を迎えるまで、世の中の平均収入を少し超える程度で推移した。無駄遣いもせず、仕事での経費もさほどかからなかった。金がかかるとすれば歳をとってからの薬代くらいだった。彼の十八番になっている芸は、ステージでちょっとした小話を続けながら、服を淡々と脱ぎ、なんの刺激もなしに淡々と勃起し、なんの刺激もなしに淡々と射精することだった。五十を過ぎてからは肉体的な辛さもまし、ちょうど日本でも認可されるようになったバイアグラ等の薬を使いはじめたが、引退前に初めての税務調査が入ったときには、これらの薬代は正式に業務の必要経費として認められた。授業料免除の特待生として私大の英文科を卒業した彼が繰り出す小話は、品が良く、きれいなスーツを着て出てくると留学経験のある紳士にも見えたので、そのギャップの大きさがさらに芸を際立たせた。

もともと彼は芸人になる気など全くなかったのだが、運動部が幅を利かせている大学寮に入り、戦前から受け継がれているような理不尽な上下関係のなかで、才能を見出された。共同浴場に入ったあと、先輩に自分の持っている服を全て隠されても、全裸のまま何事もなかったように食堂で夕飯をとったし、自慰の最中に無理矢理扉を開けられても、先輩たちを睨みつけながら最後まで完遂した。初めは無言で抵抗をしているつもりだったが、先輩たちはあまりに笑いこけるし、寮の外からも友人たちを呼んで自分のことを見せる始末だったので、そのうちに皆を驚かせて楽しませてやろうという気持ちに彼の心は変わっていった。学校を卒業したら出版社に入るつもりだったが、二年生のとき、先輩の挑発にのって、全裸で寮の外に出たところを警官につかまってしまったのがきっかけで退学になった。好物の饅頭を盗んだ先輩が、彼の風呂上りにそれを見せつけて、外にまで逃げようとしたときは、彼にだって分かってはいた。外まで追いかけてはいけないし、追いかけるなら服を着なければならないことなど。けれど、その時の彼はもう野次馬たちを少しでも楽しませたいという気持ちのほうが勝っていた。退学をして行き場のない彼を救ったのが芸人の世界だった。もちろん、親にも郷里の友人にも言えるようなことではなかったが、彼の芸はアンダーグラウンドではうけて、収入もひとりで暮らすには十分だった。

もはや出版社に入る気も転職する気もなかったのだが、彼はせっかく大学まで勉強した英語を忘れないようにとラジオ英会話を聞くことが日課になっていた。はじめは大人向けの番組を聴くだけだったが、そのうち中学生向けの番組も聴くようになった。テキストもなしに聞き流すにはその程度のレベルがちょうどよかったし、仲の良い男女の友達同士が会話を繰り広げるのに耳を傾けるのは心地よくもあった。思春期を過ぎて、付き合いをはじめているわけでもないのに、二人だけで気軽にどこかへ出かけることのできる関係。それも性的な関心を全くなしに。不純異性交遊とは真逆の純粋異性交遊と言ってもいい、まさしく純粋な関係。中学生向けのラジオ英会話の男女の関係に気づいたとき、小山田は自分にもそんな、誰にでも公明正大に示せる、邪な思いなど一切ない異性の友情関係があったことに思いついた。小中学校の同級生の仲村瑞枝とは、高校生の頃に文通をしていた。大学に入る前は、お互い別の大学とはいえ、どちらも英文科に入学することになったので、喫茶店で将来の夢を語り合った。それからは年賀状を出しあう程度の付き合いだったが、数年に一度、節目節目には会った。

彼女がイギリスの大学院へ留学することになったとき、横浜のギリシャ料理店で二人は食事をした。彼は仕事で使うのとはまた別に上等なスーツを一着だけ用意していた。その一着を身につけて、仕事は芸能関係でマネジメントをしていると彼は適当な話をした。彼女のほうは、英語の音声学、音韻学というものをこれから学ぶのだということだった。彼女が大学入学前に話していたようにジェイン・オースティンとかヴァージニア・ウルフとかイギリスの女性小説家の研究でもするものと勝手に思い込んでいたので、彼は面食らった。彼女は大学の間にすっかり大人になって、彼がとても理解できない分野に進んでいた。とはいえ、芸人仲間にも知的な人間はいたものの、それとはまったく別の世界の人間とつながりを持てることが彼には嬉しかった。

仲村が日本に帰ってきて、大学の非常勤講師になったとき、結婚についての話題が出た。二人とも結婚相手などおらず、三十歳を過ぎたからそんな話をしたまでで、お互いを意識したことは全くなかった。ただ、それでも彼は自分の職業のことは知られたくだけはないと思っていた。この頃、深夜ラジオで彼のことを話題にする芸人がいたせいで彼は冷や汗をかいたことがあった。芸名をつける余裕もなく、本名でデビューしてしまった彼は、両親がなにかの間違いで深夜ラジオを聴いてないか不安になったものだった。それから郷里の友人たちのことも思い浮かんだが、仲村以外とはもはや誰とも会うこともなかった。仮に仲村が聞いたとしても、同姓同名の別人だと思うはずだと考えても、なんとなく落ち着くことはなかった。

四十代後半になり、仲村は彼が通っていた私大の教授になった。彼女が教授に就任したお祝いに、フレンチレストランに出かけたとき、もう二人ともとっくに一般的に婚期とされる年齢を過ぎていたから、そんな話についてはどちらも考えることすらなかった。彼は大学の、現在の様子を聞いて不思議な感慨に浸るだけだった。もうとっくに寮は取り壊されて、教室が何十個も入るビルに建て替わっているのだそうで、彼が警官に捕まった通りには定食屋がようやく残っているだけのようだった。もう何十年も前だし、この話をしたって別に悪くもないんじゃないか、とそんな思いが彼の頭を一瞬かすめたが、それは一瞬だった。そんな話は二人の関係にも、フレンチレストランの雰囲気にも全くそぐわなかった。どうして、彼女は、よりによってあの大学の教授になってしまったんだろう、あんな思い出と彼女は無縁であるべきだったのに。彼はそう思って、大学の思い出話は二度と彼女としないことにした。

仲村が六十五歳で定年退職となると、急に二人の関係に進展が見られた。彼女がひとりでは不安だし寂しいので、一緒に老人ホーム入らないかと彼に提案したのだった。軽度とはいえ、リウマチの症状がある彼女は早めにホームに入りたいようだった。薬に頼りながらもまだ仕事を続けていた彼は、老人ホームなんて八十歳以上の『老人』が入るものだと思っていたが、世間から見れば自分たちは立派な『老人』に変わりないのだろうと考えなおした。何十年も高円寺の風呂なしアパートに住んでいた彼からすると、老人ホームの施設はお城のように贅沢にも見えたが、質素な生活をしていたおかげで、入居金も払うことができた。彼は簡単に、長年の芸人生活から引退した。

二人の入居している姿を見た人は、ほとんどが夫婦だと思うだろうと彼は考えていた。確かに、二人がお茶をしている姿はどこからどう見ても長年連れ添った夫婦のようだった。しかし、彼女には長年連れ添った夫婦のように見える相方となる男が、ほかに何人もいるのは、彼の意外だった。彼女が、小山田と同じように入居を誘ったものもいれば、入居後に仲良くなったものもいた。元指揮者という男もいれば、輸入業を引退した金持ちもいたし、リヨン出身というフランス人もいた。彼らが、彼女とお茶をしている姿を遠目に見るとき、小山田にはめまいがした。自分が、もうひとつの世界だと思って大切にしてきたものが価値を失って崩れていくような気がした。彼女に恋愛感情を抱いていたのか? 男たちに嫉妬しているのか? と自問してみたが、いくら考えてもその答えは否だった。ラジオ英会話にしか存在せず、現実世界ではたったひとつの特別なものだと思っていたの純粋無私な友情関係は、ごくごくありふれたものに過ぎなかったという、ただ、その失望が大きかっただけのことだった。夫婦のように見えながら、決して性的な関係ではない、知的で模範的な関係は彼女にとっては、当然のもので、小山田ひとりのためのものではなかった。

しかし、小山田が老人ホームで孤立したわけではなかった。彼は、E・M・フォースターの著作を読んでいるという元指揮者と議論をしたし、輸入業をしていた男とはアメリカ株の話をしたし、リヨン出身の男とは、日本語と英語を混ぜ合わせながらジョークで笑いあうことすらあった。今度はこの知的な世界が彼の主戦場となってしまい、休息の場所はかつての芸人仲間との語らいに変わった。

「指揮者は、今度のホームの演芸会でベートーヴェンのピアノソナタを弾くんだってよ。笑えるだろ?」

芸人仲間のうちでそう話す、彼は少しも笑っていなかった。

「お前も笑わせてやれよ」

芸人仲間のほうは、タバコふかしながら、にやにや笑っていた。何気なく言われた言葉だったが、小山田の心にはしっかりと残った。自分の人生のすべての問題に片をつける方法として、自殺を選ぶ人間もいるが、たしかにこいつの言う通り、おれの場合はそんなやり方も選べるじゃないかと、妙に納得したのだった。

老人ホームの演芸会に出演するとは言ったたものの、当日まで彼は悩んでいた。しかし、元指揮者が演奏するベートーヴェンのピアノソナタを老人ホームにあるホールの後方で聴いていると、彼は力強く鼓舞されて悩みは立ち消えた。ベートーヴェンのように、おれは全人生を肯定しなければならない。ピアノソナタ第29番最後の第4楽章が輝かしく鳴り響くなか、彼は自室に戻って久々にスーツを着る決心をした。片手で簡単に脱げる設計をしてある仕事用のスーツを。「スーツは経費にならない」と言っていたはずの税務署員が、彼の実演した脱ぎっぷりに感嘆して、経費認定をしたスーツは、引退しても、どうしても捨てる気ににならなかったのだった。

小ホールに戻ると、もう指揮者の演奏は終わっていて、これまた入居者で民放のアナウンサーだった司会の女性が品のいい声で話をしていた。

「ちょうど、小山田さんがやって参りました。小山田さんは芸能関係での知遇が多いとのことで、興味深いお話をしてくださるそうです。では盛大な拍手をお願いします」

入居者の家族、まだ年端もいかない孫世代までやってきているホールには拍手喝采が響き渡った。小山田ははじめて仕事場にたったときのような緊張感を味わった。一年ぶりにもつマイクスタンドは懐かしかった。

「マッカーサー元帥はフィリピンから脱出するときに『I SHALL RETURN』とおっしゃいましたが、この意味をご存じの方はおられるでしょうか? SHALLという助動詞は皆さん、学校で習っているかと思いますが…」

いかにも生真面目なインテリと言った感じで話をはじめることこそが最大のコツだった。その話を続けながら、着ているものは脱ぎ棄てていく。観衆の開かれた目がだんだんと大きくなっていき、最後には口までぽっかり開く。

「コーンパイプというのはマッカーサー元帥の象徴みたいなものですが、あれを自然と吸うにはずいぶんと熟練した技術が必要なそうで…」

そんな話をしたころには、悲鳴があがっていた。まるで火事でも起きたかのように、子供を出口に急かす親の姿も見受けられた。彼の話が終わったときに、残っているのは怖いもの見たさの男性入居者くらいだった。そして彼は突然、心配になった。果たしてこれを芸として認めてくれるものがどれだけいるのだろうか、頭のイカれた老人の迷惑行為としてしか映らないのではないのだろうかと。小ホールは静まり返ったままだった。いつもなら冷静に話を続けながら服をきて、オチをつける彼も服を着たのを忘れたままだった。そこへ、静寂を切り裂くように一人の女性が立ち上がって拍手をした。仲村瑞枝だった。彼女は泣き笑いしながら、ひとりで拍手していた。何に泣いているのかわからなかったけど、彼もそれを見るとぼんやり涙があふれてきた。自分がこれから、一体どうやって生きていき、どうやって死ねばいいのか、不明瞭になっていくのと同じように視界がぼんやりとしていった。

 

 

2022年3月21日公開

© 2022 わく

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


4.0 (9件の評価)

破滅チャートとは

"二つの世界"へのコメント 11

  • ゲスト | 2022-03-22 22:44

    退会したユーザーのコメントは表示されません。
    ※管理者と投稿者には表示されます。

  • 投稿者 | 2022-03-24 23:57

    わくさんの意図された効果なのかわかりませんが(毎回そんなこと言ってるようですが)、なんとも言えないシュールな味わいで、心に引っかかる作品でした。
    「技量の至らぬ故」と思ったように書けなかったように仰っていますが、自分は特に気になりませんでした。むしろわくさんは色々細かいことを気にしなくても、自分の書きたいように書くだけで普通に良いものが書けてしまう人なのではないか、と思えてきました。わくさんご自身はそれよりも一段上の境地を目指しておられるのだと思いますが、それは案外粗削りな部分を直すとかそれぐらいのことで達成してしまえるのではないかという気がします。

  • 投稿者 | 2022-03-25 21:09

    良かったー。ラスト。
    良かったー。って思った。思いました。
    本当によかったー。破滅派だし、これこのままっていうのもあるぞ。あり得るぞ。って思いながら読んでました。だけど、良かった。本当に良かった。

  • 投稿者 | 2022-03-26 20:11

    わくさんは勃起ネタが多いなあ。それなのにいやらしさがないのです。こうなると小山田と同様一つの芸風ですね。
    色恋や性欲がからまない男女の関係って実は世の中にけっこうあるんだけど、ドラマや小説のネタにはならないのですね。どんなに淡い関係でも必ず恋愛感情を入れようとするんだけど、今回はそういうのがなくて清々しく読めました。

    爆笑王とか喜劇王を始めとして過激な芸を持ち味にする芸人って、大人しい内省的な人柄の方が多いと聞きます。小山田という人も実際に会ってみると春風のような穏やかな人物なのだろうと想像します。
    仲村瑞枝さんは本当は知っていたのでしょうね。でも小山田の人柄ゆえに彼の職業はどうでも良かったのだと思いました。

  • 投稿者 | 2022-03-27 05:11

    中高英語教科書のスキットに現れる男女関係と現実の男女関係をリンクさせる壮大な試みは買います。できれば中編以上の長さで読みたい物語ですね。是非機会があればやって頂きたい。
    男(小山田)は子供のまま大人になり、老人になってしまった。というか男は何もしなけば子供のままであり、大人にはなれないんですよね。
    対して女(中村)は大人になろうとしなくてもなってしまう(おそらく外的な力もあって、ならざるを得ない)。でもどこかに置き忘れていた子供の部分が心の片隅にくすぶっていたんだと思います。だからこそのラストの喝采と涙、燃えさしに一気に火がついてしまったんでしょうか。

  • 投稿者 | 2022-03-27 20:55

    平坦な文体で淡々と変なことを書く本作(というより、わく氏)の文章は、小山田の芸風とパラレルな関係にある。あと、マッチョなことが書いてあるわけでもないのになんか毎回話が男くさいのも、わく氏が小山田と似たような境遇で育ってきたからなのか、ひょっとしたら小山田の特殊能力もあながちフィクションではないのか、などと勝手に作者と主人公を重ねて読んでしまった。「二つの世界が入り混じる」ってのがどんな感じになるのかあまりピンとこなかったが、仲村瑞枝があくまで男性目線を通した不可解な他者として描かれているので、彼女が何を考えてハーレムを作ったのかなど彼女側の物語ももっと知りたいと思った。ちなみに仲村は沖縄によくある名字(中村も多少はいるけど「人でなしの中村」などと呼ばれる)なので、親近感がわく。わくだけに。

  • 投稿者 | 2022-03-27 22:54

    皆さん仰ってますが、淡々とした語り口での勃起ネタは定番になりつつあり、私も好きです。
    小山田と仲村瑞枝に関しては特に外見的な描写があるわけではないのに、人物像が見えてくる感じがしました。
    当初意図した構成ではどうなっていたのかも気になりますね。

  • 投稿者 | 2022-03-28 11:55

    私もラストにほっとしました。
    淡々といやらしさのない勃起が独特ですね。確かに小山田の芸風≒わくさんの作風?と思います。
    「ラジオ英会話」というお題からの連想で出てきたヒロインが良かったです。

  • 編集者 | 2022-03-28 14:02

    まさかラジオ英会話で射精ネタが三作も出てくるということに驚いています。二つの世界というのは、仲村の世界と小山田の世界なのかな、と勝手に想像してしまったので、やはり仲村視点の物語があってほしかったと思いました。プラトニックな愛の世界を下ネタのユーモラスを交えて語るというのは独特だと思うので、このまま行ってほしいです。

  • 投稿者 | 2022-03-28 16:40

    そろそろ前期高齢者の仲間入りをする自分にとっては、今後の人生を考えるにあたって実に参考になる話でした。素晴らしかったので星5進呈。

  • 編集者 | 2022-03-28 17:54

    人生まだまだこれからだ。英語を肉体言語として表現する小山田に感動した。俺も拍手したい。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る