ハンナは空の目の下 (十七)

ハンナは空の目の下(第18話)

尾見怜

小説

7,174文字

よくわからんことが多すぎるときは脳が逝ってるので検索せずに忘れるにかぎる

しかしながら、ざまあみさらせ。
次の日フィルは二日酔いの頭を抱え暗く狭い女子トイレの個室の中で母国アメリカのことを考えていた彼は蒔岡リュウゾウの訃報およびそれがもたらすネット上の混乱を確認し、頭痛とよろこびを同時に味わっていた。うまくいった。ハンナちゃんが本当にうまくやってくれたわ。恋する乙女は強い。わははは。昨日の飲みは最高に楽しかったし。しかし故郷に早く帰りたいものだなぁ。いや、ちょくちょく帰ってはいるんだけど、日本に居るとすぐ帰りたくなる。なんつうか、やっぱ茅ヶ崎は文化的にホームじゃない。ロサンゼルス・ウェストコースト、サンタバーバラ、ママの手料理、乾いた空気と太陽、愛すべき妻と子。とにかくなにもかもが広くて余裕がある。茅ヶ崎はサンタモニカと気候的にすこし似てる部分はあるが、でも地元がいちばんおちつくよね。蒔岡リュウゾウという公務員の暗殺が成功した今、このタイミングで大規模なデモを仕掛ければ必ず何かが変わるはずだ。マルテをシンボルにして民衆の力で民主革命をおこすのだ。打倒蒔岡の黒幕は俺だ。歴史に名が残るかもしれない。んふふふふふ。フィルは歴史上で起きたさまざまな革命のことを考えると、疼痛のような快楽を感じた。大量の怒った人間たち、勇敢な感じの歌、投石、火炎瓶、顔を真っ青にしてあわあわする権力者のみなさん……たまらなく興奮する。バリあがる。普段やっている半端なライブとは違う、本物のイベントだ。政治的活動、これはおれの天職なのだ。
このように女子便所で悦に入っているフィルという男は、四〇年前に斜陽国家アメリカ合衆国、カリフォルニア州サンタモニカに生まれた。日本人の血がちょっと混じっているいわゆるアジア系アメリカ人。なにごともそつなくこなす男であったがマザコンのキモ男でもあった。ジョージ・ルーカスと同じ南カリフォルニア大学(USC)を卒業し、映画制作会社で働いた。若いころにはいまや何万本も粗製乱造されているアメコミ映画も一本監督したこともあった。日本で蒔岡が民主政を廃止した時、彼はまだ米国にいた。結婚し、映画を撮ったりベースを弾いたり大麻やったり人間味あふれるハッピーかつエレガンスな生活をしていた。後に映画監督の才能が無いとなんとなく悟り、スピリチュアルな直観に従ってオリンピックの誘致などを成功させたこともある由緒ある多国籍PR企業に転職した。その時フィルは二八歳だった。
当時の日本はネットのインフルエンサーがリードする言論と、思想も教養も無いタレント政治家がもたらす衆愚政治、そしてマクロからミクロのレベルの多様な制度疲労によって大混乱からの大転落に陥っていた。そんな中、ある男が民主政治の廃止とナッシュ均衡を基礎理論につくられた行政システムAIによる統計を使用した徴税及び予算配分を主張した「パレート最適を利用した徴税と公共財配分」という論文と公務員大幅削減と代議制民主政の撤廃を盛り込んだ新行政・立法システムのグランドデザインを発表した。具体的に言えば人に頼らずにAIに頼った新しい行政システムを設計することのできるプログラマ、蒔岡リュウゾウが現れたのである。蒔岡はアホに振り回される政治に飽き飽きしていたインテリたちの支持を得て、ポピュリズムを是とする現行システムを徹底的に糾弾した。瞬く間に代議制民主政体を廃止、人間の根幹である知性を重視したエリート政治に移行した。なぜスムーズに移行できたかというと、ぶっちゃけがんがんに発展している中国共産党がそれじゃん、ということころが大きかった。結果、一部のエリートのみが参政権を持つ現政体が確立したのである。それは民主政よりも速く、正確で、バランスがよかった。だがそれを理解できる知能を持つ人間は少なかった。長年の民主政に固着した頭を持ってる人が騒いだ。だが蒔岡リュウゾウはその人たちに対して丁寧にSNSのダイレクトメッセージとかで対応して懐柔した。実はそれをやっているのもAIだったりしたのだが。当時の日本の政治は愚民政治には飽き飽き、かといって太平洋戦争で軍国主義でエリートにも絶望、というあちらを立てればこちらが立たず的なジレンマに陥っており、それを徹底した統計活用と柔軟なシステム化で解決したのが蒔岡だった。たったひとりの男が、現在のテクノロジーを最大限政治に活用する最適解を、理不尽なほど正確にたたきつけたのであった。一人の男が限界に来ていた日本の集団主義や官僚システムを、蟻の一穴で粉砕したのである。だって、これこれこうだから、こうじゃん。だからこれが自明じゃん。いうことはこうじゃん。だから民主主義ってだめじゃん。衆愚政治は避けられないじゃん。アリストテレスさんとかも言ってんじゃん。というように理にかなってはいるが非常に複雑な説得を蒔岡リュウゾウは熱心に行った。だが既存のシステムに居る人たちは全く理解できなかった。多少わかる人たちもいて、これってこういうことですか? と訊くと、蒔岡リュウゾウは救われたような気持ちになって、その人と仲良くなり、丁寧に教えた。ああなるほどね、となる人もいたし、いや、やっぱわかんないわ、と正直に言う人もいたし、ああ、なるほどね、とわかったふりをする人もいた。
アジア諸国とフランスなどの一部のヨーロッパ諸国家がAIを中心としたプログラマーによる貴族政治に回帰していくなか、フィルの母国であるアメリカ合衆国だけは頑なに民主主義を捨てなかった。そもそも彼らアメリカ人が民主主義から離れられないのも当然であった。アメリカという国の成り立ちを考えると無理もない。その変化だけは受け入れられなかったのである。もはや大差をつけられている中国・インドをはじめとした新興国家群はすべて優秀なプログラマによるAI政治に移行していた。
民主主義国、特にアメリカ・イギリスなどの元覇権国は、レガシーシステムと化した民主主義を他国に押しつけて、国際社会における多数派にもどりたがっていた。少なくとも戻らなければならない、と考える人間が少なからず居て、たちの悪いことにお金持ちであった。その思想は抽象から具現化され、誰かの業務や達成目標となる。業務ならば予算があり、計画され、外注業者に発注される。そこにバックボーンである思想そのものは丁寧に切り落とされ、表面的、具体的な数値目標だけが残る。発注と受託が繰り返されたのち、下流の者は難しいことを考えず、結果のみに一喜一憂するという動物的だがそのぶん強烈な快楽を貪るのだった。フィルはその膨大な徒労の一端にいた。彼の所属する多国籍PR企業はターゲットとなる国の大企業に顧問として入り込み、各国の再民主化運動を陰で進めていた。啓蒙思想ってなんかやだよね。
そんな中、いまから十年前、フィルというパイズリでしか射精できない変態だが親想いの三十路男は、日本を最度民主化するべく来日した。彼はあまり意識していないが、商流の一番上である米国連邦政府の意向で動いていた。お金もたんまりと貰っていたので、何かしない訳にはいかなかった。だが日本の市民団体を支援してもまったく成果は上がらなかった。
蒔岡リュウゾウが作った行政システムは既存の官僚のシステムより優秀だった。完全雇用、極端に進んだ少子高齢化に対応した社会保障、プライマリーバランスの是正、貧困、地方格差の是正など、既存の優秀な官僚たちがいくら考えてもしがらみによって何日かけても実行できなかった施策を、ミリセカンドのスピードでうちまくっているのである。しかも彼らは霞が関の住人よりも眠らずに働き続けた。クオリティの差は歴然であった。フィルは母国とはレベルの違う日本行政の政治決断の速さに驚いた。だがフィルはAIがきらいであった。あれは熱狂とは無縁だ。統計や計算を根拠にされるとぐうの音も出ないじゃないか。冷たい感じでなんかやだ。人間らしさがやっぱりほしいよね、ヒューマニズムというか。やっぱ機械じゃ政治は無理なんだよね。
フィルは定期的に本国に召還され、上長に目標達成度とKPIを提出しなければならなかった。彼の評価指標は「独裁国家日本に民主主義を再インストールする」というもので、現状の進捗的に言うと、五%ほどである。
正直ぜんぜんだめ。やばいのである。
男というものはある程度歳食っておじさんになると、プライドが肥大化するのか初心を忘れるのか、怒られるのがめっちゃいやになる。彼もまた怒られたくなかった。アメリカに居る上長の評価を下げたくなかった。なので考えた。まず日本の大企業にPR顧問として入り込む。そして自己顕示欲の強いバカを雇用して、魅力的なコンテンツを作る。そいつらに民主主義を啓蒙して、そいつらが大衆を煽動すればいいんじゃね、と。どうしても市民団体ではダサい感じが抜けきらない。今の時代思想でもイケてる感じがないと人気が出ないのだ。そう考えると、米人特有のノリの軽さで遠江重工にマーケティング・ブランディング顧問として入り込み、広報二課の担当部長兼任として若者のネット有名人を広告塔を仕立て上げた。フィルは遠江で得た自分の部署にアホだが若者を中心に影響力のあるインフルエンサーを集めて、彼らの膨大なアウトプットに少しずつ民主化運動のプロバガンダを仕込んだのである。だがそれはあまりうまくいかなかった。アホなりに彼らにも考えがあったり、アーティスト気取りで機嫌をとるのがめんどいなど、コストに対して実益が少ない。そんな中出会ったのが河合マルテであった。怠惰でろくでもない男だが、その分思想もプライドも無く、フィルの言う通りなんでもやった。フィルと最初に出会った当時、河合マルテは当時只の顔がいい大学生にすぎず、かなり頭が悪かった。多少音楽の好みが一緒だったし、ネットで顔出ししていないがツイッターなどで多少知名度があった。フィルとしてはマルテを忠実な部下として信頼し、次第に手段を選ばない非正規活動をするようになっていった。
広報二課を茅ヶ崎へ移転、分社化してトップとなった。マルテは次点として、顔が良くて頭の悪いYouTuberやブロガーなどを集めて遠江の広報活動にかこつけて民主化運動を推進していくことにした。「#独裁政治をぶっこわす」をくっつけてアウトプットをとにかくやりまくった。世論誘導のために工作アカウント業者にも発注した。
フィルとしては日本に優秀な人間が居てしまうとまずい。現システムの根拠である蒔岡リュウゾウに対し、こいつ邪魔だから死なす、と考えた。そこで彼の自宅をドローンで爆撃するという暴挙に出た。遠江航空のエンジニアが作ったドローンをわざわざレゴブロックで作り、在日米軍経由で入手したコンポジションフォー、ラズペリーパイにジャイロセンサー含めた各種センサー。フィルとマルテは渋谷ソラマチという高層ビルの屋上から、蒔岡邸にドローンを飛ばした。蒔岡リュウゾウの位置情報を犬用健康管理アプリに仕込み、犬に餌を上げるために庭に出た瞬間を狙う。
結果、彼らが爆殺したのは蒔岡リュウゾウの細君だった。暗殺は失敗である。その日以来、蒔岡リュウゾウは蒔岡邸から出ることは無かった。ただ、蒔岡家の領地であれば爆弾を落としても何も警察が捜査しないのをいいことに、定期的に爆弾を嫌がらせとして落とすことにした。
またフィルはマルテを蒔岡の下人として送り込んだ。情報収集、隙をみて暗殺が目的であった。だが無能だったのですぐジョルジから首になった。彼が手に入れてきたのは、蒔岡のお嬢であるハンナの情報と、彼女の髪の毛である。
マルテは融通がきかず普通に無能だったが、なあなあな温い人間関係を築くことに関しては魔術的な才能を持っていた。フィルに対しても、時々生意気を言ったり、おごってくださいよーなんて甘えてみたり、上司キラー的な部下特有のかわいらしさを自覚的に装っていた。結果フィルは無意識の中にあった若干のホモセクシャルを開拓し、なんじゃこいつは、ういやつだ、とおもいこの日本人を重用した。本国に妻子ある身ながら、戦国武将のように稚児的なポジションにマルテを据えた。
そんなゆるい感じで始まったフィルの蒔岡家への破壊工作であったが、空の眼による公務員たちの自殺が後を押した。次々と公務員の資格を持つ者達が自殺し、こんな精神的に軟弱なやつらに政治を任せておけない、という機運がSNS、文壇、音楽業界中心に盛り上がっていったのである。これはフィルにとってチャンスである。
河合マルテはフィルの命によって米国の軍関係の医療機関にぶち込まれた。日本に帰って来た時は、彼は顔と声がすっかりと変わっていた。蒔岡ハンナの髪の毛から採取したDNAや、ブログで公開している好きな映画俳優から推測する遺伝子レベルで求めるような顔と声。そしてフェロモン。マルテはそのデータを基に、蒔岡ハンナが最も惹かれる外見と匂いを持つ男性として生まれ変わった。フィルは公務員の娘であり学校に通う為外をぶらぶらする時間の多い蒔岡ハンナを、蒔岡家唯一のセキュリティホールであると見定め、そこを攻撃するためのマルウェアとして河合マルテの外見をリプログラミングしたのである。俳優や声優志望の若者が声や顔を変えるのはハリウッドではもはや常識であった。本人の同意もあった。
「別に顔と声変えるくらいどうでもいいです。今よりモテるようになればむしろ得だし。蒔岡ハンナを惚れさせればいいんでしょ?」
「そう。できる?」
「ぜんぜんわかんないっすー」
「まあ為せば成るのだよマルテ君。がんばろうじゃないか。ポジティブに。朗らかに」
「はーい」
同時にマルテを神輿として、若い女性向けのバンドを組んだりして、プロバガンダを仕込んだ音楽活動を始めた。反権力的な言動とロックは相性が良く、ちょっとした人気が出た。正直楽曲とかサウンドは海外のバンドのまるパクリだが、新曲を出すたびに何百万DLされるようになった。熱狂的なファンの中に、ハンナと同じクラスの味噌山という女がいることも後に分かった。
当時フィルは日本の風俗におけるピンクサロンのシステムに感銘を受けていた。週一で通っていた。ハマっていた。彼のブラウザのお気に入りはピンサロの各店舗のサイトだらけで、いい新人が入ると店長から直で連絡が来るほどの上客であった。アメリカのハイスクールにはない、女子生徒の制服という概念に執着したフィルは、行きつけのピンサロでフーコと出会い、彼が求めた理想のパイズリにであった。陰茎の根元部分から先までを押し当て挟み、プルプルと上下に動くたっぷりとした乳房に、フィルはキャヴァーン・クラブで初めてビートルズを聴いたブライアン・エプスタインのように感動し、その日のうちに店に大金を払い彼女を自らの愛人兼社員とした。回想以上。

今現在、フィルの仕事は最終段階に入りつつあった。本国からの支援金もたんまり受け取り、巨大なデモイベントを仕掛ける。当主が死んだ蒔岡家に対し、独裁反対、行政権を民衆に変換せよ、という名目で十万人規模のデモ行進、音楽イベントを仕掛ける。蒔岡家の周囲及び代々木公園からスクランブル交差点のメインステージ、渋谷周辺を巻き込んだ大規模でピースフルなイベントだ。どうせならフジロックみたいな感じで、渋谷駅前や109の前でステージを作っていろんなバンドに演奏させるなんていいな。海外のメディアもたくさん招待して、独裁の温床である蒔岡家を全世界的なアウェイにぶちこんでやる。蒔岡家という仮想敵を用意して、シンプルな二項対立の快楽を提供する。右翼と左翼でも、資本主義と共産主義でもマンUとマンCでもなんでもいいが、結局バカにとってはこれが一番おもしろくて熱狂するのだ。この世の大半はエンターテイメント。もっとも快楽をもたらす構造が優先する。

そしてマルテ達はハンナが暮らす学校から出ていった。ハンナはひとり置いて行かれた。カラスの親子さえ居なかった。あのジジイに殺されたのかもしれない。
その後蒔岡家にはさまざまな種類の嫌がらせが始まった。落書きだけですんでいたのが、ゴミや汚物を投げ込むもの、火炎瓶、ロケット花火、ドローンがガラスにぶつかってくる、殺人予告、騒音。蒔岡はすべて不問とした。

ハンナはひとり茅ヶ崎に居た。エーコもマルテもフィルもみんないなくなった。
間接的とはいえ人をぶっ殺してしまってその罪悪感をどうしよう、ということを考えて震えていた。たびたび「あれ」が起きて現実か幻想か定まらぬ日々を送った。
ハンナはジョルジに渡された河合マルテのカルテを翻訳しながら悶絶した。オーダーはハンナのDNAが示す好みの顔と声、好きな俳優であるブラッド・ピットのハイブリッド。ハンナを誘惑するための手術。そしてまんまとひっかかった自分。すべてはフィルとマルテが義父を殺害する為であった。
きっつう。マジできつい。河合マルテ。あんた酷いよ。酷い。酷い。なぜこんないやらしいヘビのような人間ができるのか。人ではない。鬼だ。サイコだ。あたしを利用するために近づいたってことか。というかDNAで好みの顔とか声を調べて。整形して声と匂いまで変えて。お義父さん殺すために。あたしは本当に頭が悪い色ボケのねえちゃんじゃなか。
そしてエーコの一件。あれもよくわからん。かつらをかぶってフーコとしてふるまっていたという事か。あたしを寄ってたかって騙して。なんなんだここにいる連中は。ともあれ自分は嘘をつかれていたことは確かである。そして今用済みとばかりに置いて行かれている。
ハンナはだれもいない体育館でひとり放心していた。もうここには居たくない。
真実をマルテに問いたださなければ。

2021年6月7日公開

作品集『ハンナは空の目の下』第18話 (全24話)

© 2021 尾見怜

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