“Part of the beauty of me is that I’m very rich.”
―Donald J. Trump
デスティニーさんとの出会いは運命的だった。それは九月上旬の曇天の昼下がりのことさ。僕はアラハビーチの遊歩道の縁石に腰を下ろしてお金に対する無償の愛について考えていたのだけれど、そんな僕の足もとに(唐突に!)鍔広の黒い帽子が転がって来たんだ。まあ、何かが足もとに転がって来るときは多くの場合で唐突さ。その何かが幸運にせよ、不運にせよ。
僕はお金に対する無償の愛について考えるのをやめて、その人懐っこい帽子を拾い上げた。そして砂浜のほうに目をやった。すると、こちらに向かって必死の形相で走ってくる女性の姿が目に飛び込んできた。そう。そうなんだ。砂浜に足を取られて僕のもとまでなかなか到着しなかったその女性が帽子の主人——デスティニーさんだ。
「その子、私の頭が気に入らないみたい」
デスティニーさんは僕のもとまでやって来ると、僕が拾い上げた自身の帽子を指差しながらそう言った。彼女は肩で息をしていたんだけど、でも崩した相好を築き直すようなことは一切しなかった。つまり彼女は僕にずっと笑顔を見せてくれていたってわけ。
うん、もちろんさ。もちろん僕は恋に落ちた。デスティニーさんは服装こそハンバーグラーみたいだったけど、腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪には艶があるし、背格好はすらっとしているし、目元は涼しげだし、ファミリーレストランのようないい香りがしていたし、それに何より、彼女の両頬にはえくぼにキャップをするかのようなほくろがついていた。ほくろでえくぼにキャップするその頬の慎ましさだけでも僕を手懐けるのには十分だった。
僕はデスティニーさんのその比類ない両頬に打ち負かされ、自己紹介せずにいられなかった。荻堂亜男という名であること、二十歳だということ、沖縄国際大学に通っていること(当月下旬の夏休み明けから休学することは言わなかったけど)、生まれも育ちも北谷町だということなど、とにかく交際経験のないチェリーボーイであること以外すべて彼女に話したんだ。一方のデスティニーさんは雅号と思われるその名前と画家をしていることだけしか教えてくれなかった。でもそれは当然さ。知り合ったばかりの男に対して女性が素性を明かすわけないじゃないか。
「脳味噌から鳩が飛び出してますね」
自己紹介を済ませたあと、デスティニーさんは僕に向かってそう言った。したがって僕は遊歩道の縁石の上に置いていた本を取った。脳味噌から白い鳩が飛び出したイラストが表紙に描かれてある本さ。
「『神は0.5人いる』というタイトルの脳科学の本です」と僕はその本の表紙を見せながらデスティニーさんに言った。「自分という独裁者の存在を命の限り黙認してしまうメカニズムについて脳科学的見地から迫った本ですね」
デスティニーさんは小難しそうな本を読んでいる僕に感心している様子だった。が、白状すると、僕はその本をまだ一頁も読んでいなかった。持っていたら知的に見えそうな表紙の本を本屋で買い、それを傍らに置いてビーチの遊歩道の縁石に座っていただけなんだ、僕は。あ、そう言えばつい最近、その本について分かったことがある。その本は脳科学の本じゃなかったんだ。「神は0.5人いる」という本は、世界的に活躍する手品師[注1]の自叙伝だった。表紙に描かれていたイラストは、そっちの意味だった。
まあそんなことはさておいて、僕はデスティニーさんにこんな質問をしてみたんだ。
「どういった絵をお描きになっているんですか? たとえば脳味噌から白い鳩が飛び出す絵といったような、前衛的なスタイルですか?」
「後衛か前衛かで言うと前者ではありません」とデスティニーさん。「あ、ちょっとややこしかったですね。前衛的なスタイルだと思います。水彩画で、題材は人物とか豚とか、ありきたりなものばかりなのですが」
「いいですね、豚。僕は動物の中で豚が一番好きなんです。もちろん『食材として』という意味ですが」
デスティニーさんは僕のその発言を聞いて笑みをこぼしていた。無論両頬のくぼみはほくろでしっかりキャップされていたけど、でもデスティニーさんのその微笑みはさっきまでのそれとは違う、まったく別の種類のものだった。そしてデスティニーさんは言った。
「実は私、荻堂さんとお会いするのはこれが初めてじゃないんです」
つづく
[脚注]
1.手品師
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