二十一時で一日目の作業時間が終わった。
二十二時には会場のビルが閉鎖されるから、急いで撤収しなければならない。
今日できたところまでを運営にメールして、ぼくらの作業は終りとなる。
二十一時に書き上がったものはまだ作家の手元にしかないので、ぼくは夕方の段階の原稿を添付して送りつけた。
澤作品はほとんど赤字が入っていないが、米田作品は修正前なので真っ赤に染まっている、
消費カロリーに差はあるが、進捗は同等だ。
米田作品はまだ作業はあるが、方針がはっきり決まっているため、時間が読みやすい。
今夜のうちに校正を終えて、明日の午前中に修正をやきればそれで完成できるだろう。
脚注も三十個以上書き上げてくれた。一万字の作品につけるには十分すぎる量だ。
あとは修正をすべて反映させればいい感じに仕上がるだろう。
こちらはまだいい。
先が見えないのは、むしろ澤作品の方だった。
途中経過を見せてもらっているが、なにしろミスがない。
文章自体も破綻したところがないので、手の入れようがない。
物語の進捗は今のところ大丈夫そうなのだが、ストーリー曲線がまだ見えてこないところがあり、このペースでいいのか若干の不安を残した。
それと、ぼくがまだ澤作品について熟知はしていないということも不安要素であった。
質は見えているが、全体の形が見えていないのだ。
そのまま主人公は旅行を終えることができるし、逆に、どのような事件も盛り込むことができる。
非常にニュートラルな状態で、アクセルを踏むでもなく、ブレーキをかけるでもなく、ただ爽快にクルマは走り続ける。
不安がないので、風景がよく見える。小説のあるべき姿といえよう。
確かに世の中には、ヘタウマとかクセのある文体を好む向きもあるし、それはそれでアリなのはわかっている。
しかし、洗練された文章、クセのない文体が織りなす「見通しの良さ」は、小説本来の風味を楽しむには重要な性能であると思う。
そういう意味で澤俊之は、そつがなく、上手い。物語の世界に読者を引き込む力は、あたま一つ抜けていると思う。
訓練で得られるようなものではないので、この男は元々そういう才があるのだろう。
文才という狭い部分のことではなく、コントロール力というか、確固たるエゴイズムというか、五感で獲たものを理路整然と整理して消化し、自らの部品として使用できる。そういう類の器用さだ。
もっとも、欠点のない人間は存在しないので、きっとなんらかの面白要素は隠しているとは思うのだが、少なくとも作家の能力は非常に高い。
明日の残り時間で、定刻通りの目的地にたどり着くだろう。そういうことができる人物であると、俺の中の波野發作が言っていた。
ひとまず解散ということで荷物をまとめた。
澤俊之は自宅へ戻るという。家で続きを書くかどうかはわからない。
ゆっくり休んで明日に備えてもらうのがいいのか、このテンションを維持して継続したほうがいいのか、迷う。
そういう点では付き合いの浅さが露呈し、とくに何かをアドバイスすることなく別れてしまった。
不安はないが、何も手を打たなかったのはぼくの怠慢だろうとは思う。
米田淳一は馬喰町のブルートレインホテルに泊まるという。鉄道好き(いやマニア)ならではの宿チョイスだ。
そしてぼくもそこに泊まることになっていた。これは偶然ではない。
彼とは普段から同じチャットにいるのだが、そこでどこに泊まるのかを公言しており、ぼくはそれを見ていたのだ。
ぼくは小岩・篠崎なので帰ろうと思えば自宅に帰れる。朝も問題ない。
だがしかし、ぼくのようなタイプは一旦リセットすると、いろいろ止まってしまう。作業をできるだけ継続しないと、パフォーマンスの維持はできないのである。
だからどこかに泊まるつもりではあったのだが、どうせならということで米田淳一をストーキングして同じ宿を予約していたのである。
もちろん彼には内緒だった。ウェーハハハ。
同じ方向にずっとついていく俺はホテルの前でようやくカミングアウト(タネ明かし)をし、隣のベッド(これは予想外)で眠ることとなった。
彼の直後に予約したので、隣になっちまったようだ。
シャワーを浴び、寝台車そっくりに作られたベッドに潜り込む。
ナイトスタンドの明かりで脚注の原稿の校正をはじめた。ひと通り赤く染め上げたところで、そこそこの深夜となっていた。
隣のベッドではとくに物音がしないので米田淳一はもう眠りについたのかと思っていたが、チャットに入ると喜々として状況報告をしていた。
なんだ起きているのかと、カーテン越しに赤字ゲラを押し付けた。
チャットで悲鳴が聞こえた。
明日の貴様の作業はその修正で終わるわ!
ぼくはニヤニヤとしながらナイトスタンドを消す。
とはいえ寝付けないのでスマホをいじりだした。そういえばと思い、他のチームの動向を探ることにした。
これまでそんな余裕はなかったが、一段落して周りが見えるようになったのだろうか。
書きかけの原稿を読む気にはならなかったので、ゆるりとプロットのシートをチラ見して回った。
ふと、とある作家のプロットシートで手が止まった。
ノベルジャムで作られたプロットや下書き原稿は、CC(クリエイティブコモンズ)で公開になると聞いていた。
つまり著作権を気にすることなく、再配布ができたりするアレだ(細かいことは割愛だ!)。
というより、「公開」なのが問題だ。誰でも見れる。誰が見るかわからない。
見つけたプロットには、映画のポスターの画像が貼り込まれていた。
これはまずい、ということですぐに運営に連絡して削除させた。
昨日の今日で処理したのでとくに問題にはならないはずだ。他所から指摘される前に見つけられてよかった。
当該の作家自身は、あくまで内部資料であるという前提でプロットシートを作ったと思うので、ここに罪はない。
チェックポイントで提出を求められた担当編集が、そのときにブレーキを踏めたはずだが、提出=公開という認識が明確でなかったと思われるので、軽度の過失であるといえる。
運営はおそらく、各提出物の内容までは細かくチェックできていないはずだ(チェックしてこれだともっと問題)。
結果的にたいした問題ではなかったのだけど、繰り返されないためにもあえて言わせてもらおう。
みんなもうちょいセンシティブになってもいいんでないかい?
著作権の本でベストセラーを生み出した理事長の肝煎りのノベルジャムでカジュアルな著作権侵害事案発生なんてのは、ちょっとばかりキマリが悪いんじゃないかと思う。
鷹野さんが誰かアンチっぽい輩に「どの口で言ってんだ」なんてイジられることのないように、我々みんなで意識を高めていきたいと切に願う次第である。
ていうか次誰かやったらぶっ飛ばすよ。
目を覚ますとそこそこ早朝だった。二度寝するとちと怖いので、喫茶室に移動してパンをかじりながら目覚まし&暇つぶしにネットを巡回することにした。
あちこち見て回ると、どうやらノベルジャムに参加できなかった人と、参加しようともしなかった人の間で、「裏ノベルジャム」なる催しが行われているようだ。
よし俺もやろう。ヒマなので。
発作的にカクヨムに短編をしつらえ、ハッシュダグを添えて公開した。一時間ぐらい経っていた。
書いてる間にのそのそと米田淳一が起きてきたが、それは起きてきたのではなく、ベッドから移動してきただけだ。
彼はノベルジャムとブルトレホテルのダブルの興奮のあまり一睡もできなかったらしい。もともと睡眠障害を抱えているそうだが、これではそうとうな重症ではないか。聞けばその前も寝てないそうだ。地獄のミサワの寝てない自慢をそのまま地で行ってるようだが、今日の夜まで保つのだろうか。
とにかく昼の完成まで起きててくれればあとは寝ようが死のうがどうでもいい。骨は拾ってやろう。
こうして、しっかり眠れた俺と、まったく寝ていない米田淳一は、馬喰町のホテルを後にし、再び市ヶ谷の戦場へ舞い戻った。
さあ審判の日だ。
つづく
"初日のおわり。夜のはじまり。そして審判の朝"へのコメント 0件