(8章の3)
田んぼの向こう、遠くに稜線がある。しかし黒い雲と繋がり、稜線との境目がなかなか判別できない。凝視して、多少薄く見えるところから雲だと、かろうじて分かる程度。雲は昼間に見るあやふやなものとは違い、このいっとき、地上の僅かな光を呑み込む幕のようだ。
わたしは山にかかる夕暮れの雲が、とにかく大嫌いだった。仕事帰り、車窓から見ると、鳥肌が立った。もしかしたら今頃、あの山の中に人がいるかもしれない。道に迷い、これはヤバいと焦りながらうろついているかもしれない。こんなところで夜を迎えないといけないのかと、鼓動を速めていることだろう。そんな思いがわき上がってきてしまう。夕暮れの曇り空は視覚的にも異様で、負の想像を掻き立てやすい心境にさせる。
電柱に、柵に、杭に、橋の欄干。昭和四十年代という設定のため、ほとんどが木造だ。これらすべて、わたしの短い人生のなかで材質を変えることになる。
人が平均寿命を生きたとしても、第二次大戦以前であれば、現在ほど劇的な変化には遭わなかったはずだ。しかし昭和40年代に生まれれば、たとえ早死にしたとしても社会の大きな変化に遭遇することになる。伝達手段に移動手段、材料や部品、衣食住。どれもが、劇的に進化した。
それを見られただけで儲けものじゃないか。そう自分を納得させようともした。激動の時代をすごせたんだ。他の時代を生きた人間より、いろんなことを味わい、楽しめたんだ、と。しかしやはり、いざ死ぬ段になるとそうは考えられない。世の中の変化など目撃しなくてもいいから、80年、90年と、少しでも長く生きていたい。せめて同時代に生きる人々と同じ程度に。身も蓋もないが、そう思ってしまう。
わたしは通りの反対に病院を見つけ、その木造建築の頼りなさに、ギョッとしてしばらく見つめる。
最初、町医者だと思ったが、近付いてみると総合病院だった。
これが、この時代の一般的な総合病院なのだろうか。わたしは唖然とする。もちろん山奥の田舎のことで、この時代といえども都心ではもっと近代的な建物であったはずだ。しかしそれは都会に暮らす人間だけのことで、全国的に見れば、目の前に建つオンボロ建築物の方が一般的だっただろう。
「これじゃあ、日雇い労働者の寮だよ」
わたしはため息とともに呟く。わたしのたった一世代前は、こんなところにせっせと通って治療していたのだ。
いったい昭和40年代前半の医療というのは、どうだったのだろう。大病を患ったとき、どれくらい治癒し、どの程度で匙を投げられたのだろうか。この時代というのは、がんに対する治療法がまだなかったはずだ。つまり、がん告知イコール死の宣告だった。
では、この時代の平均寿命というのは、何歳だったのだろう。わたしは調べてみようとポケットに手を入れ携帯電話を探したが、この時代のこと、当然携帯電話というものがあるわけはない。わたしは夢に入って初めて、不便さを感じた。
それにしても、この世界に来てだいぶ時間が経ったというのに、この程度の不便さしか感じないのが意外だった。あの現実世界での、物の豊かな便利な生活とはなんだったのだろう。なくて不便、できなくて不便など、単なる思い込みなのかもしれない。あの平成の世に溢れている品々は、あってもなくてもいいものなのかもしれない。
考えてみるに、わたしにとってはこの時代も現実の世界もすい臓がんの治療法がないことには変わりがなく、生存するという根本に関しては、世の進歩にちっとも恩恵を受けていないということだ。
この時代はわたしのすごした時代に比べ、がんになりにくかったということはあるかもしれない。まず平均寿命が短く、がんになる前に死んでしまう者ばかりだ。そして口に入れる物が国産で手作りとくる。栄養価は乏しいものの、化学的に合成された添加物が少なく、わけの分からない刺激を取り込むことはなかった。むしろ血圧測定器も普及していない時代のこと、脳梗塞や脳溢血の方が怖い病気だったことだろう。
わたしはこの世界に来て、一度も雨に降られていないのに気付き、「雨よ、降れ」と念じる。すると、えんじ色の空がみるみるどす黒い雲に覆われていく。あの、気持ちをざわざわと波立たせる雲だ。そして夏の夕方特有の、大粒の雨がぽたっ、ぽたっ、と落ちてきた。埃のにおいが辺りに立ち込める。わたしは木造家屋の軒下に、小走りで避難する。雨に打たれたっていいのだが、しかし避難する。雨宿りというやつを体験したかったからだ。
この時代はトタン屋根が多く、空が渋ると雨音が実に騒がしい。タンタン、トントン、カンカン……。リズミカルな音が八方から響くことになる。
顎を上げて空を見上げる。暗くてよく分からないが、目の前すぐのところで雨が現れ、下に落ちてゆくように見える。なんだかフッと、心が軽くなった。「雨よ降れ」と念じて雨を降らせられるなんて、それこそまるで神様じゃないか。全知全能、というやつだ。
しかし、残念ながら神ではない。その証拠に、「ガンよ、治れ」と念じたって治るわけではない。全知全能は、高い金を払ったこの3日間に限ったことなのだ。そしてわたしが目覚めるとともに、この小さな世界は永遠に消滅する。
雨を実感したくて、わたしは軒下から出て、空に向かって大きく口を開ける。
まだ小さかった頃、何度かやった行為だ。その度に、親に怒られた。雨には空気中のゴミが入っているからと。しかしこの世界では、そんなものに注意する必要はない。
舌に雨粒が当たるのを感じる。人間の体の中で、最も神経が敏感な部分。ポタッ、ポタッ、と雨の大きな粒が、しっかりと感じられる。
それから雨は、すぐにやんだ。それはもちろん、「雨はもういいや」とわたしが念じたからだが、あれほどの降りが一瞬で上がり、雲が切れていく様が、夏の夕立ちそのもので、臨場感があった。
未舗装なので道全体がぬかるみ、水溜りだらけとなっている。わたしは避ける必要もなく、ジャブジャブと踏み込んでいく。気になったら、「乾け」と念じれば済むことだ。
家の軒下に傘が乾してあった。黒いこうもり傘。この時代にビニール傘はなく、こうもりと言うだけで傘だと通じた。
入道雲が去り、赤い空が広がる。せっかく雨がやんだのだから、晴れ渡る青空というものも見てみたいという気になる。ようは夕日ばかり見て、少し飽きてきたのだ。
なるほど、3日という期限は飽きの問題もあったのかもしれない。美人は3日で飽きるというが、心から欲している場面や景色も、3日辺りで飽きるということなのかもしれない。自分の欲していない景色を設定していたら、ブスは3日で慣れるではないが、ずっと飽きがこなかったかもしれない。しかし最後にすごす場所ゆえ、欲していない場面設定などできる相談ではなかった。
夕日が家並みを赤く染めていた。薄いわたしの影も、電灯の下に入ったときだけ、はっきりと映る。蒸し暑い中、素地の粗いハンカチで額の汗を拭きながら歩いていく。
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