この冬、僕は太郎になった

今野和人

小説

4,670文字

腹が立って書いただけなので、クオリティは低いです。

 ある朝、少年が洗面所に行くと、鏡にいかつい老人の顔が映った。驚くと、驚いた老人の顔に変わる。顔を手のひらでなぞると、老人の顔に手のひらが這っている。これが自分の顔か? そんな訳がないと思いつつ、急に何だ男前じゃないかと思い直し、リビングに堂々と出た。その顔は少年の自我を奪った。 

 すると少年の母親が悲鳴をあげた。なんだこの女は。この俺を見て、失礼じゃないか。 

 「麻生、太郎……」 

 父親が少年に指を差している。とっさに少年は凄む。 

 「俺に指差すとは大した度胸だな」 

 「その嫌な感じ……本物だ」 

 父親は圧倒されたような表情を浮かべ、少年は満足する。そして気づく。そうだ、俺は麻生太郎だ。 

 「ニュースは本当だったんだ」 

 少年、以下太郎は朝日のニュースなら本当なわけないがと思いつつ、どんなニュースか聞いた。 

 「女性差別をした男が翌朝起きると麻生太郎になっているって。数日前から全国で。でもそれは、中高年の男に限られるはずじゃ」 

 バカな話だと太郎は吐き捨てる。と言いつつ、いくら文学に造詣がない太郎でも朝起きると虫だかになる有名な小説があったかなと思い出したが、なぜ漫画で描かない、すべての物語は漫画で描けよという怒りに意識は流された。ちなみに、漫画化はされている。 

 母親は恐怖と心配がないまぜになった表情で聞いてきた。 

 「昨日、女の子を悪く言ってない? 差別的なこととか」 

 「ああ?」 

 一瞬、太郎は思い出した。昨日、小学校からの帰り道、友達とバスで我こそ王なりと騒いでいると、前に座っていた中年の女性が、静かにしなさい、迷惑です、公共の場所ですよと太郎に向かって注意した。当然のように太郎は「なんでお前なんかに注意されなきゃいけねーんだよ、おばさん」と言って、仲間と笑った。女性は上川大臣のように自分の出世および目的達成のためには太郎の発言を許容し、男性社会でのし上がるためにはハラスメントを耐えなければいけないというげんなりさせるメッセージを全身で体現する俗物ではなく(断言するのはためらいもあるが、彼女はどのような声もありがたがるらしいので)後進のことも考えられる高貴な人物だったため、誰が言うかに関係はない旨、公共の場で迷惑なのだから声のボリュームを慎む旨を必死で伝えたが、太郎はへらへら笑い、おばさん黙れよと全く意に介さなかったのだ。 

 しかし、太郎にとってその出来事は差別でも女性蔑視でもなく鮮やかに論破してやったという新雪を踏むように晴れやかな想い出なので、差別なんかするかと母親に一喝した。さすが太郎。インフルエンサーのようにたゆまぬ自己肯定。他者の尊厳を蹂躙し自分の過去を捻じ曲げるその手付きは一流の歴史修正主義者を思わせた。 

 ちなみに、麻生太郎本人は俺に似たなら良いじゃないか、いっそ日本中の男が俺になれば戦争でも負けないと息巻いているらしい。が、それはともかくこちらの太郎はさっさと飯の用意をしろと不機嫌になった。 

 母親が白米と味噌汁と目玉焼きとベーコンというメニューを並べるのを太郎は見るとたちまち 

 「中流家庭じゃないか」と激昂した。俺は麻生家だぞ、あの麻生家の長男太郎だぞ。麻生財閥だぞ。戦中、朝鮮人や連合国捕虜も強制労働させていた麻生鉱業のだぞ。そんな臭い飯は食えたもんじゃないと言い、太郎は学校に向かおうとする。だが、太郎愛用のロングコートもハットも見当たらない。 

 「俺の衣装はどこだ!」 

 当然、両親は翌朝愛息が麻生太郎になると思っていないので用意してなかった。父親は事態をいまだ受け入れられず、母親は我が子を返してと叫んだ。 

 が、太郎は女性の声や庶民の叫びを積極的に無視することを無上の喜びとしているので、ニヤニヤしながら部屋に置いてあったダウンを羽織ると、短パンで家を出た。 

  

 太郎がバスに乗りいつものように一番うしろの中央にでんと足を開いて座っていると、乗客が次々に驚いたり笑ったりし、いそいそとスマホを向け始めた。太郎が、やめろ、ばかもんと叫んでも、マジ太郎だしと女子中学生は笑い、女子高生は有害な男性性の煮こごり、もしくはこんもり積もった人糞の塊を見るような顔つきをしている。太郎の目にはやはり女性はどうしようもなく低劣に映り、国会議員の大半が男でよかったと心から思った。実際は男性のほうが積極的に笑っていたのだが、認知バイアスというものであろう。 

 そして、太郎が学校近くの駅で降りようとランドセルを背負うと、スマホの群れが支持率低下の原因を言わせたがる報道陣のように迫り(国民は恥ずかしさのあまり集合的な記憶喪失に陥っているので驚かないで聞いてほしいのだが……かつて麻生太郎は総理大臣だったことがある。これは笑わそうと思って言った冗談ではない。まったくリアリティのない下手な嘘に聞こえるだろうが、さすがにその記録は自民党だろうと消去も改ざんもできなかった。1年足らずで終わり民主党に政権を明け渡したのに当人は恥じた様子を見せないのが不思議でならないが)、やめろやめろと太郎は手をぶんぶん振り回す。なんとか降りると、その刹那乗客の一人からかわいそうという言葉が太郎の耳に届く。なにがかわいそうだ、俺だぞ、麻生太郎だぞと太郎は言い返すも、その声を拒否するように扉はしまった。 

 学校に着くと、1〜2年生の中には太郎の姿を見て泣き出す子もいたが、太郎は泣くな! 男だろ! と怒鳴った。太郎は怒鳴るのが得意だ、大好きだ。そして、太郎が自身のクラス、5年1組に入ると騒がしかった教室の物音がピタリと消えた。太郎は、気持ちよかった。みな、俺を恐れている。そうあるべきだ。日頃からナチスについて学んでいる太郎だからできる規律。 

 太郎は自分の席に着くと、誰に話すでもなく、しかし最近の小学校はガキが少ねえなあ。少子化が問題なんだろうが、やっぱ女の社会進出と関係がある気がしてならない。いっそ女は小学校しか通えないというのはどうだと太郎一流のジョークを放った。だが、太郎にとって不思議なことに誰も笑わない。むしろ女子は不愉快な顔をしている。残念なことに、太郎は何でも笑うお付きの存在や権力勾配で笑わざるを得ないという環境を忘れていた。最も太郎に権力勾配といったところでよくわからないかもしれない。笑ってもらったことしかないので。 

 教師が入ってくるなり、太郎を二度見する。 

 「麻生、太郎?」 

 太郎は出席をとられたと思い、いや違った、国会で議長に呼ばれたと思い、前に出てきて低いトーンでこう言った。 

 「はい。まあ、麻生太郎くんと呼ぶべきだと思いますがね。えー、まだまだ寒いですが、これは温暖化が進めばいずれ解決すると思います」 

 太郎は、決まったと思った。イギリスに留学した俺ならではの小粋なジョーク。さっと踵を返し、席に着く。しかし、またしても教室が静寂で包まれた。少し間を置いて、ていうか何で前出てしゃべってんのと背の高い女子が言うと、確かにと笑いが起きた。太郎は顔を真っ赤にして、Shut Upとイギリス留学で身につけた自慢の発音で叫んだが、これもなんで英語で言うのと高身長女子にかぶせられて、太郎は笑われた。太郎は面倒なフリーの記者の質問を避けるときよろしく、不愉快を全面に押し出して教室をあとにした。 

  

 太郎は廊下を歩きながら、今後は上川みたいな扱いやすいわきまえてる女を持ち上げ、アイヌやLGBTQを敵視排斥することでしか惨めな自分の不全感を補償できない連中から支持を集める使い勝手のいい女は放置して岸田の人気を下げ、それ以外の俺にたてつく女は排除しなければならないと考えを強固にした。常に俺が評価する側だ、いいか、ビクビクしろよ、俺に嫌われたら逮捕もされるんだぞ。そうだ、そう男同士で話して盛り上がろう。今から麻生派の議員を集めて銀座で飲もう。派閥万歳。こういうときのために派閥はある。むしろそれ以外はない。とりあえず国会に行けば誰かつかまるだろうと思い、タクシーを止めようと思ったが、危ない、なぜ俺がタクシーを止めなきゃいけない。俺だぞ、麻生太郎だぞ。われこそ特権階級なり。歩いたらそこにタクシーが用意されていなくてはならない。そこでモップで清掃をしている学校の用務員に声をかける。 

 「おい、タクシーがないぞ」 

 「はい?」 

 「国会に行くんだ。タクシーを呼べ」 

 「あ、麻生太郎?」 

 「お前さ、麻生太郎さんだろ」 

 「あれ、今流行りの病気?」 

 「病気ってなんだ、病気なわけないだろ」 

 「でも、朝起きたら太郎になっちゃった」 

 「なっちゃったじゃない。なれたんだよ」 

 「……でもあれか、麻生太郎本人じゃないんだもんね」 

 「何言っている、いいからタクシーを呼べよ」 

 突然、用務員はモップを振り回すと、太郎の顔にばさっとこすりつけた。太郎は大量のほこりに咳き込み、何するんだバカと言うと用務員はさっと近づきためらうことなく太郎の腹に蹴り込んだ。あっけなく倒れる太郎。かつての麻生政権のように。用務員は容赦なく太郎に蹴りこむ。腹立つんだよ、お前みたいなクズ、なんで許されてんだよ。続いて、用務員はモップの柄を太郎の頭めがけて何度も振り下ろす。太郎は腕で防除しながら俺が死んだら日本は終わるぞと必死に叫ぶが、用務員は痙攣したように笑い、太郎の首根っこを掴むと水が入ったバケツにその頭をねじねじと押し込んだ。図々しいな。おい、ほらほら、差別しろ、死ぬまで人を差別しろよ。お前がやったことで覚えてるのなんか差別しかないんだよ。太郎はこんな下級国民にこの俺が、麻生太郎様が殺されるなんてといざ大好きな戦闘になったらあっという間に負けてさっさと人生をあきらめていると、突然バケツは倒され、太郎は再び息ができるようになった。水道局は民営化され国民は苦しくなるが。 

 太郎が身体を起こすと、数人の大人に用務員は取り押さえられ、視界から消え去るところだった。太郎は死刑にしろと息も絶え絶え言う。すると、太郎のそばに太郎曰くそんなに美しいとは言えない女が来てこのようなことを言った。 

 麻生さん。私はあなたの思想、発言、態度に反対しています。正直、あなたの友になることは難しいでしょう。しかし、国会議員だからではなく、ましてやあなたが財閥出身の男性だからではなく、あなたが意見を言う権利は守りたいと思っています。ましてや発言によって命がないがしろにされてはいけない。暴力が吹き荒れる野蛮な時代を回帰させてはならない。ただ、公の場の発言には責任や他者の権利への侵害の危険性が伴いますから、発言いかんによっては容赦なく批判させていただきます。そうした批判、自分の利害関係にない者たちの批判に耳を傾ける必要が最低限あるのではないでしょうか。この国が民主主義社会だというのなら。そういえば、昔の思想家がいいましたよね。「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」と。 

 太郎は息を整えると女性の顔を見て言った。 

「女が俺に意見するな」 

 女性は辺りに誰もいないのを確認すると太郎の顔をグーで思い切り殴って倒し、その場をあとにした。 

同じような舌禍により殴られてのびた太郎たちが今、全国の路上に大勢放置されている。邪魔だ。ところで、麻生太郎本人はといえば権力に守られて一切制裁されず、今日も彼は差別をそこら中で撒き散らしている。罪悪感のない人生は楽だ。恥じらいのない人生は楽だ。財閥に生まれついたが教養を積まない人生は楽だ。幼児のような全能感で生きる人生は楽だ。新聞が批判を呼びそうだと批判を避けてくれる人生は楽だ。麻生太郎の人生は楽だ。実に楽で醜悪な人生だ。

2024年2月10日公開

© 2024 今野和人

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