海老とストレート・ネック

合評会2023年11月応募作品

諏訪靖彦

小説

3,540文字

2023年11月合評会参加作品。お題は「海老とストレート・ネック」

『海老とストレート・ネック』

 

病院の待合室で名前を呼ばれ看護師の案内で診察室に通されると、初老の男性医師が診療机の横に座っていた。私はビジネスバッグを床に置き「よろしくおねがいします」と言って医師の対面に置かれた丸椅子に腰を下ろす。医師は私に軽く会釈をしてからシャーカステンに貼られたレントゲン写真に目を移した。

「やはり金子さんはストレートネックのようですね」

朝起きると首が回らなかった。借金をしているといった慣用句的な意味ではなく、痛みで首が動かせなかった。寝違えたようだと会社に連絡して午前休をもらい近所の整形外科にやってきた。

「寝違えではないんですか?」

「頚椎の炎症からくる寝違えに違いないのですが、寝違える原因にストレートネックが関係しているんですよ。この部分を見てもらえますか?」

医師はレントゲン写真の頚椎部分を指さした。

「通常、頚椎は湾曲して頭を支えているのですが、金子さんの場合は頚椎がまっすぐになっています。この状態では頭の重さを緩衝することができず、頚椎に負担が掛かってしまうんですよ。頚椎の炎症はそのうち治りますが、ストレートネックを治すには日ごろから頚椎がまっすぐにならないように、湾曲した状態を意識する必要があります。パソコンを前のめりで使わないとかスマホを高い位置で使うとかですね」

「わかりました、なるべく意識するようにします」

医師は「そうなさってください」と言ってから私の首元を見つめる。

「ところで、首元の腫れはいつからですか?」

意外なことを言われた。私は両手を首元に当てる。すると手のひらにすっぽりと収まる程大きな膨らみを感じた。かなり腫れているようだ。

「腫れているみたいですね。朝顔を洗ったときには気づきませんでした。寝違えからくる腫れでしょうか?」

「いえ、頚椎の炎症で耳の下が腫れることはありません。金子さん、朝食は何を食べましたか?」

「首が動かせないので、カップヌードルで済ませました」

「味は?」

「えっと、普通のです。ゴールドで縁取りされて中心にカップヌードルと赤字で書かれている、オリジナル味っていうやつかな」

医師は「ふむ」と鼻を鳴らす。

「カップヌードルに入っていた海老が原因かもしれないですね。甲殻類アレルギーではよく耳下腺、所謂おたふく風邪で膨れる場所が腫れるんですよ」

自分は食べ物のアレルギーとは無縁だと思っていた。海鮮丼では海老を最後に取っておくくらい好きだし、エビフライも大好物だ。

「今まで海老を食べて首元が腫れたことなどありませんが」

「食物アレルギーは突然罹ることがあるんですよ。朝食べてから腫れるまで時間がかかってるようなので症状は軽いと思います。一日二日で腫れも引くでしょう」

首元が腫れる程度ならたまには海老を食べてもいいだろうなと思いながら頷くと、医師はカルテになにやら書き込んでから顔を上げた。

「紹介状を書きますから、救急車でアレルギー科のある総合病院まで行ってください。腫れが引くまで入院することになると思います」

「え?」

「ここは整形外科なのでアレルギーの治療はできません。こちらで救急車を手配しますから、それに乗ってください」

急を要する病状なのだろうか。いや先ほど医師は軽いアレルギー症状だと言っていた。実際首元が腫れているだけで寝違えによる首の痛み以外に症状はない。

「さっき先生はアレルギー症状は軽いって言いましたよね? たとえすぐにアレルギー科を受診しなければいけない状況だったとしても救急車なんて呼ばなくても一人で歩いて行けます。ここから総合病院まで一キロもないですから」

「その状態で外に出るつもりですか?」

「ええ、首は痛いですけど歩けないわけじゃないです」

「いや、痛みとかではなく、そのチンコのような顔でこのクリニックの出入り口から外に出るんですか?」

「は?」

「ですから、金子さんのチンコのような顔で外に出られると困ると言っているんです」

この医師は何を言っているのだろうか。聞き間違いでなければ医師は私の顔をチンコのような顔と言った。比喩的、いや暗喩的な何かだろうか? いや、例えそうであてっても、医師が患者の顔をチンコと言うのは絶対におかしい。

「私の顔とチンコに何の関係があるんですか?」

医師は大きくため息をついてから診察机に置かれた手鏡を手に取り私に向ける。

「よく見てください。金子さんの顔はチンコです。耳下腺の腫れによって二つの大きなタマがぶら下がり、ストレートネックと相まって前傾姿勢で勃起しています。チンコ以外の何物でもありません。金子さんはチンコフェイスです。チンフェです」

いくら何でも自分の顔がチンコのはずがないと思いながら医師から向けられた鏡を見て納得した。ああ、これは確かにチンコだ。前日に美容院でカットしたマッシュヘアは中央で分けているし、ツーブロックの境目はカリそのものだ。首元の二つの玉の間の顎髭がまるで陰毛のように見える。

「金子さんがこのままの状態で外に出られると、このクリニックで治療するとチンコにされると思われかねない。そんなことになったらグーグルマップ上で恒心教クリニックと名付けられてしまいます」

「いや、あの、えっと、髪を濡らすとかワックスを使って髪型を変えればチンコに見えないようにできるのではないでしょうか?」

「金子さんはツーブロック・マッシュです。それはもうベースがチンコってことです。髪を濡らしたぐらいではどうにもなりません。水で髪を濡らせばテラテラとしたチンコになりますし、ワックスで髪を固めたとしてもちょっと変わったチンコになるだけです」

「でも、うつむいて歩けばチンコには見えないでしょ?」

「寝違えているのに首を動かせますか?」

私が言葉を詰まらせると、医師は私の左手の薬指にはめられた指輪を見つめる。

「金子さんはお子さんがいますか?」

「ええ、五歳の娘がいます」

「例えば休日の午後、娘さんと手を繋いで公園から家に帰る道すがら「今日の晩御飯はカレーライスだよ」「やったあ、でも、にんじんはパパに上げるね」「こら、にんじんも食べないと大きくならないぞ」「えー」なんて話しながら歩いていると、前方から首から上がチンコの人が歩いてきたらあなたはどうしますか?」

随分と飛躍した例えだが、娘と歩いているときにそんな人間に遭遇したら取るべき行動は一つだ。

「娘の目を手のひらで覆うと思います」

「そうです、今のあなたは娘さんに見せられない外見なんですよ。横に並んで歩いていたら娘さんの目を覆うことが出来るかもしれませんが、娘さんが金子さんの前を歩いていた場合、首から上がチンコの人が向かってくるのを見て、娘さんは戦慄し立ち尽くしてしまうでしょう。金子さんのチンコフェイスは娘さんにトラウマを植え付けてしまう可能性があるんです。ですからここから一人で外には出ずに救急車を使って移動してください」

娘を引き合いに出されると反論することができない。娘は私の全てだ。とうの昔に妻への愛情はなくなったが、かつて妻と娘へ等分に注いでいた愛情を今は全て娘に注いでいる。妻とは形式上の夫婦を保ってはいるが、別居してから娘は妻が引き取り養育している。週に一度、娘に会えることだけを楽しみに生きているといってもいい。そんな愛おしい娘が、道すがら首から上がチンコの人と出会うようなことは絶対にあってはならない。想像するだけで怒りがこみあげてくる。そして、その怒りの矛先は自分自身だ。

「金子さん、いいですね、救急車を呼びますよ」

医師に「お願いします」と言いかけたとき、脳裏に一つの考えが浮かんだ。

「私は紫外線に弱いので普段からサングラスを持ち歩いているんですよ。サングラスを掛ければ流石に私の顔がチンコに見えることはないと思います」

私は床に置いたビジネスバッグから黒いスクエア型のサングラスを取り出して顔に掛ける。そしてサングラスの中心を中指でクイッと上げて得意げに医師を見た。医師はやれやれといった表情でまた大きなため息を付く。

「金子さんのチンコフェイスはサングラスを掛けた程度でどうにかなるものではありません。むしろサングラスを掛けたことによりチンコがよりいやらしくなりました」

医師は再び鏡を私に向けた。鏡に映った私の顔はエロ漫画でカリの部分に墨を入れ中途半端に修正されたチンコだった。医師の言う通りサングラスを掛けたことにより猥褻度が増してしまった――

 

 

諏訪靖彦はノートパソコンの蓋を閉じて「ふー」と大きく息を吐く。そしてノートパソコンを掴み取ると思い切り壁に投げつけた。

「海老とストレート・ネックなんてテーマでまともな小説が書けるわけねーだろ!」

 

 

2023年11月19日公開

© 2023 諏訪靖彦

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"海老とストレート・ネック"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2023-11-24 16:34

    医師が突然、チンコと言いだして面白かったです。おっ、って思いました。来たなっていう感じでした。
    ただ、その医師がまた突然に、娘との会話劇みたいな事を始めた時は、ちょっと怖かったです。どうしたんだこの医師って思いました。
    目の前で急に一人二役で父と娘と演じてどうしたんだこの医師って思いました。

  • 投稿者 | 2023-11-25 10:23

    最初は「おっいい感じの正統派小説だな」と思って読み始めたらチンコのような顔から一気に横滑りしていって別の意味でいい感じになりました。最後のメタパートはなくても良かったかも知れません。

  • 投稿者 | 2023-11-25 13:56

    大笑いしました。締切ギリギリまでネタが思いつかないと聞いていましたが、追い詰められて面白い話が爆誕しましたね。絵を描いてほしかった。
    TKGさんと同じく金子さんより医者のキャラが気になりました。真面目な顔で話をしているのにだんだんよく分かんないことを言い出すし。おかげさまで「恒心教」というワードも覚えました。もう少しやり取りを続けてほしかったです。

  • 投稿者 | 2023-11-26 17:29

    エビを前面に押し出すには、シーフードヌードルとかでいいのではないでしょうか?とも思いました。
    救急車のらされるのは突飛ですが面白いですね。
    この終わりもいいと思います!

  • 編集者 | 2023-11-26 21:31

    下ネタですね、いいと思います。ひとつ気になったのは、金子さんのマッシュルームセンター分け、ツーブロックの髪型はまんまわたしですね。この点は合評会で聞くしかないようですね。

  • 投稿者 | 2023-11-27 17:21

    今日イチ最高に笑わせていただきました。星6付けたかったんですがそのシステムではないので断念しました。

  • 投稿者 | 2023-11-27 18:17

     会話劇が続き、医師がそんな露骨なもの言いをするかと思っていたら、オチに至って納得。
     ただし、実は作中作だったというオチは先人がさんざん使い回してきた手法だということを心得たい。
     パソコンは小説を書く者にとって相棒。大切にしてやってほしい。

  • 投稿者 | 2023-11-27 18:27

    最高に破滅しています!
    一体何を読まされているのかと困惑しつつもニヤニヤしてしまいました。映像化希望です!

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