みそ汁・オブ・ザ・デッド

草葉ミノタケ

小説

2,374文字

第5回ブンゲイファイトクラブ予選出場作品です。見事に連続予選敗退記録タイを更新しました。お約束どおりお晒しいたします。オチだけでも覚えて帰ってください。

ニュース番組もまともに放送されなくなってきて、いよいよ首都はその機能を喪失したようだ。ゾンビガスは大きな河を越えられない。荒川と江戸川、中川に囲まれたこの「孤島」であればまだいくらかの時間は残されているだろう。直接ゾンビどもがぞろぞろと渡ってくれば「世界の終わり」が始まるが、すでに東京と千葉からの橋はすべて砲撃で落とされたし、荒川や江戸川を渡る地下トンネルは存在しないから、当面このエリアは大丈夫だと区の広報は言っていた。

大阪の梅田で始まったバイオハザードはまたたくまに近畿地方以西を滅ぼし、その勢いで大量のゾンビが新幹線で東進し、翌日には新横浜までがゾンビ化した。都知事のとっさの判断で神奈川から東京へ流入するすべての交通機関が止められたため、ゾンビの進軍は多摩川を境に一旦停止した。だが、多摩川を迂回して西の山岳部から攻め込む死の軍勢に対し、首都防衛戦力の大半を集中させた結果、川崎の地下トンネルが手薄となって一気に湾岸エリアを制圧された。それから三日ほどで山手線内はすっかり死人の街となり、都知事は近衛部隊を率いて東退を繰り返した。一度は隅田川をフロントラインとして侵攻を食い止めることに成功したかに思えたが、結局また地下道経由での侵入を許し墨田区と江東区が陥落。さらなる撤退を余儀なくされた。都知事は荒川放水路を東京の最終防衛ラインと設定し、船堀タワーを仮設新都心として防衛拠点を構築、生き残った都議会議員と対ゾンビ施策の協議を続けていた。東京駅が陥落した時点で、埼玉はもちろん上越、東北各方面は箱根以西と同じく新幹線を使われて数日で一気に滅ぼされた。政府はいち早く函館に遷都し、急ぎ青函トンネルを封鎖して北海道全域を守っているが、ゾンビが横須賀からフェリーで海を渡って千葉にゾンビが蔓延した前例があるので、決して万全とは言えない。トンネルもフェリー航路もないこの江戸川区だけが、人類最後の希望なのかもしれなかった。

騒動の発端はドライオキシン246という特殊なガスだ。死体を活性化させる効果があるのだが、元は軍事用に開発されたものだ。殺された兵士をさらに戦わせるという倫理的に難のあるものだったが、戦略上は極めて有用ということで実用化され、実際に戦場で使用された。しかし、のちに国連で使用も製造も禁止され、厳重に封印された。使われた現場が相当に凄惨だったのだろう。それがどうして大阪で流出したのかは不明だが、梅田地下街が壊滅したのを発端にいよいよ日本は終わりかけている。ガスを吸い込んだ死体は動き出し無差別に人間を襲い、殺す。ゾンビガスは体内で再生産され、呼気で放出される。殺された死体がそのガスで蘇り、ゾンビ軍団の仲間入りをするというメカニズムだ。

家の外が騒がしいので、カーテンの隙間から覗いてみると、近所の消防団の連中が法被を着て一目散に逃げていくのが見えた。その後ろからは例のゾンビが手足をバタつかせて追っていく。そうか。ゾンビが河を渡ったか。この街ももう終わりなのだな。俺は近所付き合いもないし、知り合いもいないのでどうしようもない。俺もこのままこの家で死ぬしかないのだと覚悟を決めた。仕事もなければ貯蓄もない。この家は母親の名義だし、その母の年金だけが唯一の収入源である。ハチマルゴーマルだなどと世間では言っているが、就職氷河期で社会からつまはじきにされた俺のような負け組団塊ジュニアに生きる道などどこにもなかったのだ。ゾンビガスで社会が終わっていくとき、自分の心配よりも滅んでいく世間にざまあみろという気持ちが大きかった。このところX/Twitterの書き込みも一気に減ってきた。のんきにしているのは道民ぐらいで、あとの地方から発せられるのは悲鳴と怨嗟の言葉ばかりだ。あとは俺と同じく恨みつらみを垂れ流すだけの迷惑野郎ばかりが人類の生き残りである。半年前に母親が死んだ。死因はわからない。朝食をいつまでも用意しないので寝室に怒鳴り込んだらもう死体になっていた。俺はそのまま布団を被せ、窓とドアに目張りして放置した。数週間は部屋に近寄れば腐臭がしたが、俺の居間まではほとんど届かなかった。俺の鼻が馬鹿になっていたからかもしれないが、今日まで近所にバレることもなくやり過ごしてきた。母親も友人知人が少なく、引きこもりの独身無職の息子と二人暮らしの貧乏老女ということで、誰も関わろうとしてこなかいからだろう。町会も抜けてしまえば社会との接点は皆無だ。もう腐臭は出ていないようなので、先週から近所に怪しまれないように定期的に窓を明けて換気をするようにしていた。このまま何年か母親を生きていることにしたまま年金だけもらい続けていくべきだと思っていたが、社会自体が終わったのでは意味がない。残念だ。

不意に、いい匂いがしてきた。リズミカルに木を叩く音も聞こえる。半年ぶりの音だ。俺はおそるおそる部屋を出て、階下の台所へ向かう。途中で玄関のバリケードを確認するが、破られてはいない。音はやはり台所から聞こえるようだ。珠のれんの隙間からのぞいてみると、薄暗い中で人影が立っている。果たしてそれは母親だった。

「おかっ」思わず声が出て慌てて口を抑えたが、母親だったものは俺に気づいて振り返った。顔の半分は白骨が露出していて、残りの干からびた肉がこびりついたところに、しぼんだ眼球の成れの果てがぶら下がっていた。俺は悲鳴を挙げたかったが声は出なかった。

白骨は生前と同じ動きで戸棚から汁椀を取り出し、鍋からおたまでみそ汁をよそって、食卓に並べた。俺は半年ぶりのおふくろの味を堪能した。みそ汁は出汁が効いていて美味かった。母親だったものはグガアなどと咆哮をあげ、泣きながらみそ汁をすする俺の頭にかじりついてきたが、入れ歯が入っていないので痛くはなかった。

2023年11月4日公開

© 2023 草葉ミノタケ

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"みそ汁・オブ・ザ・デッド"へのコメント 1

  • 投稿者 | 2023-11-04 16:46

    母のみそ汁って良いですよね。独特ですよね。ザ・我が家の味。頭にゾンビは付けたくないですが、飲みたくなりました。
    梅田の地下街で働いてるので、最初に陥落してて笑いました。

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