無知あるいは他人事

浅間のん子

小説

2,073文字

罪な傍観者としての自分、あるいは人間というものに気付くと世界はより一層醜く見える…

あの俳優が死んだ。教室を出たら急に田辺のやつは僕の肩に乱暴に絡んできて興奮気味に教えてきた。田辺のクラスはいつも僕のクラスよりホームルームが先に終わるからあいつは僕のことを待ち構えていた。僕は最初信じられなかった。あの俳優は新作のテレビシリーズの主演をやっていた筈だ。何回分撮りためてあるんだろう。代わりは誰がやるんだろう。いや、それよりあの俳優が死んだのには驚いた。年もそんなにいっている訳ではないのに残念だ。柏木はいつものように階段をぼんやりと歩いている。僕らはやつを追い越してドタバタと階段を駆け降りて下駄箱へ。

校門を出て駅まで田辺と僕ともう二人で駄弁りながら歩く。信号待ちをしていると後ろから藤田が追いついた。
「あの俳優死んだらしいよ。」
「さっきからずっとその話してる。」

藤田の後ろに柏木が見える。いつもあいつは何を考えているのか判らない。今日は尚更そんな気がする。まあそんなことはどうでもいい。信号は青になった。中本とは公園のところで別れる。あいつの家はこんなに学校から近いから朝始業に遅刻する心配はないのだろうと思うと羨ましい。

改札は階段の上にある。僕らは階段を上る。僕はふと後ろを振り向いた。僕らから七メートルくらいの距離を保ちながら歩いてきた柏木の後ろに五人組が見える。柏木が階段の真ん中あたりに来た時五人組のうちの二人が柏木に近づいていく。リュックサックのポケットに入っている水筒をそっと抜きそのまま離した。水筒は階段の下へ転がっていく。
「ごめんぶつかっちゃった。拾いたいところだけど俺たち急いでるから自分で拾ってね。」

五人組は嗤いながら階段を駆け上がって僕たちを追い越していく。柏木は振り返って階段を降りていく。階段を上りきった僕らは階段の陰に入りかけている柏木を横目に改札へ歩いていく。
「結局あの俳優の死因はよく判らないのか…。」

田辺はそう言いながら改札機にカードを翳す。
「じゃあまた明日。」

僕以外の三人は僕とはプラットホームが反対だ。僕は静かな階段を一人で降りる。後ろに人の気配を感じた。振り返ると柏木が僕とは反対の階段を降りようとしているところだった。柏木とは同じ方面だが乗車する場所が違うからお互いにホーム上や電車の中で会うことはない。柏木のリュックサックのメッシュのポケットに挟まれた凹んだ水筒が見える。

長椅子にもたれると眠くなってきた。ピッ。誰かがボタンを押す。自販機がガコンと言う。プシュッ。誰かがステイオンタブを持ち上げる。鳩が足元をウロチョロする。僕はとにかく眠くなってきていた。早く家へ帰ってあの俳優が死んだことを伝えなければ。でも誰に。帰ったって親はまだ会社じゃないか。ああ眠い。早く帰って横になりたい。

電光掲示板によれば電車はあと七分で来る。僕はポケットからスマホを取り出してネットニュースを読み始める。くだらない。こんなニュースしかないのか。それから汚い歯の広告は二度と見せるな。だめだ。こんな短くて簡単な文章を読むこともできないくらい眠い。でもあと七分のところを寝てしまっては目の前に電車が止まっても気づかずに逃してしまうかもしれない。頭が休む代わりに元気になっているアソコをズボンの上から肘でぐいと押す。

やっと電車が来た。この電車に乗れば二十五分は眠っていられる。扉が開くと僕は急いで端の席に行き荷物を棚に載せ席の横側にもたれる。

このシートに座った直後に目を閉じて寝始めてしまったからどれくらい時間が経ったか判らない。でもきっと一瞬だろう。さっき警報と放送が聞こえたような気がしたが気のせいだろうか。僕は目を開ける。まだ電車は発車していなかった。周りを見ても少し乗客が増えたような感じがするだけで乗ったときと大して違いはない。また瞼が重くなってきた。自分の鼻息しか聞こえない。

足音で目が覚めた。周りを見ると乗客が降りはじめている。どういうことだ。駅名はさっきのままじゃないか。発車していないということか。頭がはっきりしてくると放送が流れていることに気付いた。
「人身事故のためこの電車運転を見合わせます。お客様にはご迷惑をおかけ致しますが、反対方面の電車をご利用頂き迂回して頂きますようお願い致します。」

人身事故か。電車の前の方で誰か飛び込んだのか。こんな身近で起きるとはびっくりだな。それにしても全く困っちゃうなあ。反対方面の電車でも帰れることには帰れるが、大分遠回りな上に混んでいて席に座れないから寝ることができない。立って寝るという芸当はまだ身に付いていない。効果があまりないことは分かってはいるものの、僕は仕方なく自販機のブラックコーヒーを買い反対ホームへ階段を上り下りする。あの俳優のことがまた気になり出した。病気? 自殺? 他殺なんてまさかね。なんでそんなことも判らないんだろう。随分変わった死に方だったんだろうな。

夜になって親も帰ってきた。僕は親にあの俳優が死んだことを伝えた。今夜はぐっすり寝るとしよう。翌朝教室へ入ろうとすると田辺が寄ってきた。
「柏木昨日駅で飛び込んで死んだってよ。」

2023年5月21日公開

© 2023 浅間のん子

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