Impossible Love

澁澤青蓮

小説

4,359文字

死体愛好家の話。SSで書いたものをもう少し膨らませてみました。グロテスクな描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

1.

 

テラスで煙草を吹かす。緩く紫煙が流れていくのをぼんやりとで追いながら、遠くから響く教会の鐘の音を聴いていた。今や陽は沈みかけていた。日中は心地よかった風も冷たく、肌を撫でる度に体温を奪った。肌寒さに肩を竦めて襯衣シャツに染みついた百合の香気に意識が数時間前と引き戻される。

久しぶりに顔を合せた友人は柩の中で静かに凪いだ、安らかな表情かおをしていた。嘘のような光景に涙も出なかった。

――ごめん。

困惑に眉尻を下げて何処か寂しそうに微笑む友人の顔がありありと思い出される。あの時、もう二度と逢わないと予感したが、真逆再会が彼の葬儀になるとは思いもしなかった。しかもこんなにも早く死が彼を連れて去ってしまうこともまるで予期していなかった。葬儀の場で死因は事故死と聞いたがそれらしい目立った外傷は見られなかった。

凶報を受けた最初、彼の葬儀に参列することには消極的だった。生前、あまり良い別れ方をしなかったせいで躊躇いの方が大きかった。このままやり過ごしてしまえば漸く終わりにできるという打算もあった。だが拭い切れない一抹の未練もあった。長い逡巡した末、喪服に袖を通したのだった。

彼は決して長いとは云えない生涯を終えた。このまま永遠の眠りに就いて柩の中で、冷たい土の中で朽ちていくのだろう。

眸を閉じても、彼がどんな声で笑っていたのか上手く思い出せない。

咥えた煙草の灰が落ちて風に攫われ落ちる。煙を吐き出しながら塒へと帰ってゆく鴉が茜空を影絵となって羽搏はばたいていくのを無感動に眺めた。

 

**********

 

やあ、いらっしゃい。最近顔を見なかったね。仕事が忙しかったの?……へえ、それは大変だったね。……いつものね。はいよ。――葬式と云えば。さっき他の常連さんとも話してしたんだけど、このご時世に墓荒しってねえ。ちょっと前の新聞にも載ってただろ? 気味悪いったらありゃしない。どうやら死体も無くなっているそうだし。一体何の目的で盗んだのか理解に苦しむよ。ああ? そう、新たな墓荒しがねえ……これで何件目だ? 三件、四件……もっとかな? 何だって? 何処でそれを?……ふうん、そりゃ本当だったらぞっとするね。まあ、こういう仕事をしていると色々な噂も耳にするが、でも流石にそれはないんじゃないかな。否、実際はどうか知らんが。解剖のために死体を盗んだっていう方がまだ解かる気がする。……ふん、なるほどねえ。確かに、世の中にはいろんな奴がいるからねえ。だが俺にはまるで理解できないよ。おお怖い怖い。あ、いらっしゃいませ……、

 

2.

 

ただいまちょっと遅くなったごめんね今夕食の用意をするからね。外套を脱いで掛けるとキッチンに立つ。作り置きしたスープを温め、冷蔵から野菜を取り出し、サラダを作る。麺麭に腿肉ハムと切った乾酪チーズを添えて食卓に並べる。準備が整うと寝室から彼を連れて来、椅子に座らせて対面で食事を摂った。そうしながら今日の出来事を語る。一日の時間の中で一番楽しい一時であり、彼も熱心に話に聞き入っている様子だった。と、明るい電燈の下で見る彼の膚にふと翳りが見えて鋭く心臓が跳ねた。ねえもしかして調子悪い? 後で躰も診てあげるよああそうだ花も買ってきたんだったそうそう君の好きな白いダリアそれも部屋に飾ろう。食事の後片付けをし、花瓶に花を活けて彼を寝室へと連れて行く。寝台ベッドに坐らせて注意深く彼の顔を覗き込む。目許や頬に薄らと靄のようにしみが浮き出ている。そっと触れてみると熟し切った果実の柔らかさがあった。指先に伝わる感触が酷く切なかった。続いて彼の服を脱がせる。露わになった裸体を仔細に調べていく。膚の上を走る幾つもの赫い筋――縫合の痕が痛々しく眸につく。肩の付け根、肘、大腿部付け根、膝、足首、胸や腹部、背中にも縫痕があった。それらのひとつひとつに指を滑らせながら腐敗している部分がないか確認していくと、左腕の接合部分から腐色が広がっているのを見つけた。早めに処置をしなければ。朝晩はもう肌寒いくらいだが、日中はまだ暖かい陽気だ。防腐処理を施しているとはいえ、どうしても肉体の傷みは避けられない。いっそのこと大型の冷凍庫にでも、と考えたこともあったが、それでは彼が可哀想だ。暗くて冷たいところに閉じ込めるなんて。それでは柩の中と変わらない。後で綺麗な腕を持ってくるよ。緩く抱き締め、睫毛の影が落ちる頬に唇を落として服を着せる。大きな枕に彼の背を凭れさせて、その横に躰を横たえた。少しの間だけならと彼の膝の上に頭を乗せ、無造作に投げ出された冷たい手を握った。決して握り返されることのない手。つんとした薬品の匂いがした。こんなことになって怒っているかなでもあんな別れ方をしたから厭だったんだもうあれっきりだなんて君との関係は半ば諦めていたけれど報せを聞いて葬儀で久しぶりに君の顔を見たら堪らなかったまだ今でも……そう云ったら笑うかなねえ笑ってよどんなふうに君が笑ってたのか上手く思い出せないから腕を取り替えなくちゃね大丈夫ちゃんと綺麗にしてあげるから。力のない腕を擦って見上げる。伏せられたままの眸は何も見ることはなかった。

 

**********

 

折り畳み式のシャベルを隠し持って真夜中の墓地を彷徨う。幸い今夜は満月で明るく、明かり要らずだ。あおぐろい影を引き摺りながら真新しい墓を探す。と、墓地の隅に建てられた墓石が眸についた。刻まれた年数を確認してみるとそれほど齢嵩ではない人物のもので、彼のためには丁度良さそうであった。が、蓋を開けてみるまでは判らない。微かな期待を胸に持参したシャベルで土を掘り返し、墓を暴く。重たい柩の蓋を開けるのもひとりでは骨が折れる作業ではあったが、これも彼のためだと思えば何でもなかった。蓋を開けてみれば死化粧を施した女が現れた。暗くてよく判らないが三十代くらいだろうか。左腕を見てみる。すらりとした腕に華奢な指が揃っている。今回はこれにしよう。背負っていた鞄から鋸を取り出して肩の付け根から切断した。最初の頃は慣れなくて大分手古摺ったが、今では然程時間を要さずに作業を終えることができた。粘つく黒い血を拭って鋸と切断した腕を布に包んで鞄に入れる。柩に蓋をし、土で埋め、元通りに戻す頃には全身に汗をかいていた。軍手を外し、墓地を抜けて離れたところに止めてある車に乗り込り、一服してから発車させた。今日は運良く都合の良い部位が見つかったが毎回そうとは限らない。彼のためになるべく真新しく、若い人間の部位パーツを。今後、上手く死体で見つからなければ人を殺すしかない。赤信号になり車を停車させる。誰も通らない横断歩道。深く息を吐いてステアリングに頭を預けた。手足や胴体、膚の綻びならどうにかなる。問題はいつまで彼の頭部がもつかだ。頭部――顔だけは替えがきかないのだ。彼の美しい顔を脳裏に描く。防腐処理が追いつかず、少しずつ崩れていくだろう。その時自分は耐えられるのだろうか。信号が青に変わり、静かに車を発進させる。

 

3.

 

風呂を使って汚れと汗を流し切断してきた腕を清めた。時刻は既に午前三時を過ぎていた。しかしまだやらなければならない作業がある。一番重要な作業――愛の行為と呼んでいるものが。寝室に入りただいまを告げる。寝台の縁に腰掛け彼を抱き寄せて、待たせたね今新しい腕をつけてあげるからねと囁く。必要な道具を広げ、彼の襯衣を脱がして左腕の縫合糸をほどいていく。赫い糸は宛ら血管のように皮膚から飛び出し、無気力に垂れる。月光を吸ったような白磁の膚を這う赫い筋は彼の血脈であり、注いだ愛の証でもあった。防腐処理を施した新しい腕を縫い付ける。一針一針、丁寧に。情愛を込めて。つぷりつぷりと肉に針が刺さり、糸が皮膚の上を走って接合されていく。石膏の膚に真新しい赫色が眸に眩しい。さあできた新しい腕はどうだい気に入ってくれると良いんだけど女性の腕だけど良く似合ってるよ爪の形も綺麗だから爪化粧ネイルもしようか顔も綺麗になくちゃ。棚から化粧箱を取り出して蓋を開く。一瞬、触れるのを躊躇うほどの端正な顔に白粉を軽く叩いて薄紅色の頬紅を入れる。薄く広がっていたしみも隠れて見えなくなった。次に薔薇色の口紅を薄い唇に慎重にのせていく。口角を上げるように紅を引けば微笑んでいるようだ。うっとりと眸を閉じて幸せそうに微笑している――そうか彼はいつもこんなふうに笑っていたのかと不意に思い出された。最後の仕上げに爪化粧を施す。左右で手の形も大きさも違うが、どちらも均整が取れた美しい手だ。指先は彼が好きだった色に染めていく。濃色のそれは膚の色を際立たせ、電燈に艶やかに爪先が光った。全てが終わった頃には朝が近かった。まだ水気を多く含んだ左手を取る。綺麗な手の形、綺麗な指の形、綺麗な爪の形に口付けて頬擦りする。もう体温はないのに、こうすると微かに温もりが感じられる。眸を閉じて胸に耳を押し当てると鼓動が聴こえてくるように思う。ごめん、と云って君は拒絶したけれど。物云わぬ彼を柔く抱き締める。

「ずっと一緒にいよう。――愛してる」

 

4.

 

浴室の外が騒がしい。直にやって来る破滅の跫だ。

男は薄汚れた浴槽バスタブの中に力なく身を横たえ、縁に頭を乗せて無感動に黒黴が斑に生えた天井を見上げる。口寂しさを覚えて襯衣のポケットから煙草を取り出して咥え、ライターで火を着けて吸った。これで最後の一本だ。灰を落ちるに任せて紫煙を燻らせ、手に抱えた頭蓋骨を弄ぶ。薬品で漂白した頭蓋骨は真白だったが、口元の下顎骨は薔薇色の汚れが付着していた。

然程広くない浴槽の中には幾つもの人骨が散乱していた。上腕骨、尺骨、大腿骨、脛骨、大小様々な指骨、折れた胸骨、砕けた腓骨、女性のもの、男性のもの、誰とも知らぬ者達の骨、骨、骨。これらは男が全て墓から盗み、或いは人を殺めて手に入れた人体の部位だ。

男は煙を吐き出し、手にした頭蓋骨に話しかける。

「何処で間違ったんだろうね。只、ずっと一緒にいたかっただけなのに。結局君もこんなふうになってしまって」

必死に彼の躰を繕っていた過去が変に懐かしい。それほど遠い昔ではないのに。いつかこういう日が来ることを想像しなかった訳ではない。もっと遠くに逃げれば良かったのかと思うがそれも今更だ。今となっては全てが虚しい。

「もうすぐ此処にも奴らが踏み込んでくるだろう。そうしたら今度こそ君ともお別れだ。最後に接吻キスさせて」

虚ろな眼窩を見詰めて冷ややかな白骨に口付けた。手応えはなかった。

 

浴室のドアが開き、男の手に手錠がかけられるまであと三十二秒。

 

(了)

2023年2月9日公開

© 2023 澁澤青蓮

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"Impossible Love"へのコメント 1

  • ゲスト | 2023-02-10 19:52

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