ORENO Corporationがまた新しい事業を展開し始めたのかと思った人は、半分正解だ。残りの半分は、間違っている。
そいつは四年ほど前に俺が数人の仲間とともに立ち上げたスタートアップで、ようやく軌道に乗ったところだ。本家の「俺の」を凌ぐ勢いで急拡大しているのは、世界レベルのサービスをお手頃な価格と使いやすさで提供しているからで、その点では「俺の」とコンセプトは同じだ。
残りの間違っている半分は、俺とORENOとは何の関係もないってところだ。俺の会社はONORE Corporationといい、今のところやっている事業は「俺の世界遺産」だけである。ここまでギリギリ攻めてもORENOから商標権侵害で訴えられる危険性はない。なぜなら現行法上は事業内容または登記地が違えば「パクリ」とはされないからだ。
ORENOの定款に「世界遺産のサブスクサービス提供」とは書かれていないし、俺の会社は東京都中央区銀座などという一等地にはない。つまりORENOとONOREが消費者に誤認を生じさせ、もって俺が不当利得を得たとみなされるおそれはないわけだ。無罪。勝訴。
事業が軌道に乗ってプロフィットが出始めると、その甘い汁を少しでも吸ってやろうという寄生虫みたいな連中がわらわらと寄ってくる。まあそれはいい。資本主義社会で最もありふれた、かつ煩わしい通行税のようなものである。うざったいだけでほとんど実害はないから、放置および無視が唯一の正解だ。
ところが事の性質が個人的な恨みとなると話は違ってくる。
「社長、ちょっとよろしいですか」
クライアントサービス・ジェネラルマネジャーの元がTeamsで話しかけてきた。元のアイコンはシルバニアファミリーのショコラうさぎ(お母さん)画像である。
「コールセンターに変な電話がかかってきてるんですけど」
茶色いうさぎが妙に緊迫感を醸し出しながら、矢継ぎ早にチャットを重ねる。
「社長を出せと言って聞かないんです」
何かと思えばそんなことで、と俺は元をどやしてやった。そんなインシデントを上げてきたコールセンターの主任も、クライアントサービスの担当者も、お前もマイナス査定だ、と。
「でも、社長のお知り合いらしくて、電話を繋がないと社長のヤバい過去をマスコミに流すぞと脅してるそうなんです」
「じゃ元くんは夜な夜な娘が寝ている間に娘のシルバニアファミリーで遊び倒してるのをばらすぞという脅しに屈するのか。え?」
「屈しません。てか遊んでません」
茶色のうさぎが吐き出すテキストが涙声に見える。
「そいつは何コースの客だ? 松? 竹? 梅?」
「いえ、当社サービスは利用していないそうです」
つまりONOREに一円も落としていない奴からの恫喝電話を繋ごうとしているのか。全員まとめてクビにしてやる。
「その方は田辺様と名乗っていらっしゃいます」
俺の記憶にある田辺は二人だ。一人は父方の親戚で、故人である。だから死人からの電話じゃない限り、もう一人の田辺で間違いない。
「電話、出られますか?」
「なに、今繋がってんの?」
とことん呆れ果てた奴らだ、と舌打ちしながら俺は転送を受けた。
「久しぶりだな、社長」
スピーカーホンに出した田辺の声は自信ありげだった。
「どうした田辺、電話なら俺の携帯にかけてくればいいのに」
「コールセンターにかければ録音されるからな。無視されて、なかったことにされちゃかなわないんでね」
「何の用だ? 俺とお前はもう関係ない」
そうだ、今さら何の話があるというのだろう。田辺はONOREの共同創業者の一人で、主にプロダクトセールスを担当する執行役員だった。残念ながら事業拡大の過程で俺との意見の対立が増え、最後は一万株のストックオプションと引き換えに辞めてもらった。二年前の話である。
「言葉に気をつけた方がいいぞ」田辺は通話が録音されていることを俺にリマインドしつつ、続けた。「今日はONOREの重大なコンプライアンス違反について、社長の見解を問い質したくてね」
「何を言っているのか、分からないが」
俺の声に潜む緊張の色を読みとって、田辺がほくそ笑んだような気がした。
「『奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島』が世界自然遺産に登録される直前、島々のホテルを所有する企業そしてリゾート開発に関わる不動産業者やコンサル業者の株が相当量、取引されてるのがわかってね」
「で?」
喉がカラカラだった。それを意識させようというのか、田辺は故意に沈黙をつくって時間を引きのばした。
「なにも社長を破滅させようってわけじゃない。僕だってそれは望まないさ。ただ、ONOREの株を500ばかり、都合してくれないかという相談なんだ」
「たった500株でどうしようってんだ」
「断るならTOBをかけてもいいんだぜ」
俺は言葉に詰まった。敵対的TOBを仕掛けられたら大きく報道されるだろう。痛くもない腹をマスコミに探られる結果になるのは火を見るより明らかだ。
「それならいいが」俺は探るように言った。「500株でONOREは乗っ取れない」
田辺は変な笑い方をした。
「何がおかしい」
俺が持っている株と、現役員の株を合わせれば総発行株数の四分の三をゆうに超える。どうあがいたって、田辺が経営に口を出せはしない。
「社長もおめでたい人だな。こっちにあるのがストックオプションの一万株だけだと思ってるのか?」
頭の中が真っ白になる。
「現役員の保有株を調べてみな。全員だ」
俺はTeamsのウインドウに目を落とした。元のアイコンが、茶色いうさぎからデフォルトのイニシャルアイコンに変わっている。
「おい、何かの冗談か?」
チャットの返事が返ってこない。というか、俺のメッセージがサーバに届いていない。Teamsのセッションが切れている。Teamsだけじゃない。メールもファイル共有もすべて遮断されていた。
「システムダウンしてるぞ、おい」
社長室のドアを開け、外にいる秘書の唐木田に声をかける。が、唐木田は席にいなかった。
「無駄だよ、社長。秘書も、IT担当役員の島村も、もうこっちについてる」
勝ち誇ったような田辺の声が、スピーカーホンから響いてくる。これなら死人からの電話の方が、まだしもだった。
唐木田や島村、元、他の役員ともまったく連絡が取れない。もし彼らや取締役会のメンバーが持っている株がすべて田辺に渡り、追加で500株を奪われたら奴の持株比率は過半数になる計算だ。
「くそっ」
思わず拳でデスクを叩く。ケチの付き始めは田辺と訣別するきっかけになった、「俺の世界遺産」の商品設計だった。「世界遺産のサブスク」を標榜するサービスは月額1,980円で絵はがきやモニュメントへの記名権をエンタイトルする梅コースに始まり多彩なプランを用意していたのだが、 田辺はあくまでも主力たる梅コースの裾野を広げる戦略を推していた。一方で俺は世界遺産へのツアー招待を盛り込んだ富裕層向けの松コースで収益率を上げるよう主張した。両者の溝は埋まらず、結局俺が田辺を会社から追い出す形で決着をみたのだが、いざ正式サービスを開始してみると富裕層向け商品では思うように儲からないことが判ってきた。
俗称「裏コース」を始めたのはちょうど一年前で、これによって会社の収支は劇的に改善した。ONOREは仕事の性質上ユネスコの暫定リスト記載や正式登録に関する内部情報に接する機会が多くあった。その情報を売り渡して関連する株や債券を顧客に買わせ、大きな利益を生んでいたのである。
いわゆるインサイダー取引だ。
「どうだ、株を渡す気になったか?」
田辺は十分に俺の焦燥を醸成する時間をとった末、言った。俺はすっかり株を売り渡す気分になっていた。じっさい、そう告げるつもりで口を開いたが、なぜか急にどうにでもなれ、という気持ちになった。
「勝手にしろ、これ以上一株だってお前にくれてやるものか」
投げ捨てるように言い、電話を切った。やってしまった。もうお終いだ。告発をうけた東京地検特捜部がやってきて会社を家宅捜索するのだろうか。マスコミが自宅に押しかけてきて、俺の無様な姿を全国に晒すのだろうか。
この件が公になれば、ONOREが吹っ飛ぶどころか「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界遺産登録にも瑕がつくかも知れない。
その後は仕事などまったく手に付かず、破滅の刻をまんじりともせずに待った。だが、いくら待っても東京地検は現れないしマスコミも押しかけてこなかった。いつの間にかシステムは復旧し、唐木田も席に座っていた。元のアイコンもお母さんうさぎ画像に戻っていた。
翌日、沖縄で田辺が変死体となって発見された。色々と不自然な状況が捜査の過程で浮かび上がったけれど、警察は結局これを自殺と断定して捜査は打ち切られた。
あの日役員たちが本当に田辺について俺を裏切ろうとしたのか、それとも田辺のブラフだったのかは未だにわからない。本人たちは何事もなかったかのように仕事をしているし、俺も敢えて確かめようとはしなかった。
ただ、事件を境にひとつだけ変わったものがある。元のアイコンだ。ショコラうさぎの色が、真っ黒になっている。最初は画像キャッシュが壊れて色化けを起こしているのかと思ったが、どうやら元がアイコンを変更したらしい。最初はどういう意味があるのか分からなかったが、黒うさぎをじっと見ていたら、思い出した。元はたしか、奄美大島出身だったはずだ。俺はアイコンをクリックして元のプロフィールを開いた。
「一人娘と奄美大島を愛しています。娘やふるさとに害をなす者は、絶対に許しません」
俺はそっとプロフィールを閉じた。
新山翔太 投稿者 | 2022-07-20 01:03
最後の一言で思わずゾッとしました。
世界遺産というのはそもそも地球の景色の保存という一面もあるので、それをビジネスに利用した者も後々酷い目にあいそうな予感がします。
小林TKG 投稿者 | 2022-07-20 08:25
無罪。勝訴。の所の語感がいいです。間に。を入れたのがいいんじゃないかと思います。無罪。勝訴。
後はあれですね。社長の感じも好きになれないけど、田辺さんも好きになれないww。ただでもまあ、社長には、社長はこういうことがあったけども、でもなんかこれで心を入れ替えたりはしてほしくないなあ。なんかなんとなく。
ヨゴロウザ 投稿者 | 2022-07-21 00:22
最後の場面でたぶん社長も田辺に釘を刺されたように感じたのだと思いますが、こういう疑心暗鬼系といいますか、主人公だけでなく読んでる側にも登場人物がどういう考えで動いているのかわからない、しかも後味悪い終わり方をするような、そんな話をもう少し長い枚数で読んでみたいと思いました。
諏訪靖彦 投稿者 | 2022-07-22 05:38
上場していないとしても発行枚数をしっかり管理しないと、めんどくさいことになりますよね。私も友人と作った会社を離職するときに周りを取り込まれてしまい起業時に資本金として出した金額を持っている株券で割って譲渡というかたちで清算してしまいました。ああ、思い出したくない過去です笑
波野發作 投稿者 | 2022-07-23 07:36
この文字数でよくぞビジネスバトルものを構成してくれました。拍手を送りたい。文字数の煽りを受けて、打つ手なく散った田辺氏には合掌を禁じ得ない。
大猫 投稿者 | 2022-07-23 14:30
世界遺産のサブスクサービスにすごく関心が向いてしまって、説明があまりなかったのが残念です。梅コースを重視する田辺の会社乗っ取りを元くんが阻止したと言うことで良いのでしょうか。
この枚数できっちりオチを付けてきたのはさすがの沢雉さんですが、もう少しじっくり読みたかったです。
Fujiki 投稿者 | 2022-07-24 05:55
俺をもじって己にするなんてうまいな、と思っていたが、念のためググると実在の企業でさらにびっくりした。先月サイゼリヤデビューをしたばかりの田舎者には未知の世界がまだまだ広がっているようだ。あまり合評会に出てこないジャンルなので新鮮味があり、最後まで興味深く読めた。
松尾模糊 編集者 | 2022-07-24 14:14
企業買収というと、どうしても池井戸潤を思い浮かべて泥臭い古い会社が銀行とハゲタカに潰されるというイメージがあったので新鮮でした。ただ、大猫さんと同じで世界遺産のサブスクが興味深すぎてそちらのサービス内容が顧客をふくめて描かれている世界を空想して、物足りなさを感じてしまいました。
退会したユーザー ゲスト | 2022-07-24 14:31
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古戯都十全 投稿者 | 2022-07-24 21:23
世界遺産のサブスクというアイディアと、インサイダーネタでぐいぐい引っ張られました。
元は奄美大島の世界遺産登録に差し障りがあることを許さない立場で、かつインサイダー取引のうまみも享受するフィクサー的な最恐キャラとして理解していいのか、気になりました。
春風亭どれみ 投稿者 | 2022-07-24 21:25
アイコンがショコラうさぎから黒うさぎにかわっているところから醸し出される今風の不穏さというか、ここからまた大きな動きがあるぞ感が秀逸です。
コンソメパンチ 投稿者 | 2022-07-24 22:52
世界遺産のサブスクの発想が斬新でした。
文章もわかりやすくて素晴らしかったです。
Tonda 投稿者 | 2022-07-25 01:58
展開がスピーディーで面白かったです。
なんだか妙にリアルで、もしかして実際にこういう経験がおありなのでは?とかちょっと思ってしまいました。
諏訪真 投稿者 | 2022-07-25 14:56
多分、元からすると、主人公と田辺との商売闘争とか割とどうでもいい感だったかもしれず、もし仮に500株を提供してたら、主人公も一緒に海の藻屑になっていたのでは感がしました。
Juan.B 編集者 | 2022-07-25 18:51
面白かった。世界遺産と言うもの、世界経済との関わりを無視することはできない、ということか。
曾根崎十三 投稿者 | 2022-07-25 21:09
世界遺産のサブスクって何!?
となりましたが案外ありえそうな話だなーと思いました。入りがキャッチーで面白かったです。