モニュメント

応募作品

一希 零

小説

4,818文字

2021年9月合評会「ホロコースト」参加作。

駅前にある小さな広場の、下痢をした怪獣の糞を繋げて作ったチュロッキーのような現代アート風ベンチが、僕のお気に入りの場所だった。

コロナ禍のため自宅で仕事をしているのだが、昼休みの時間には必ず外へ出て、歩いて十分弱の最寄りの駅前まで足を運んでいた。駅に併設されたチェーン店のカフェでコーヒーとサンドイッチを購入すると、やたら座りにくい現代アート風ベンチに腰掛け、左手にスマホを持ちながら右手でコーヒーとサンドイッチを交互に持ち替え口元へと運んだ。

夏の日差しが容赦なく降り注ぐ中、僕の視線は左手が握る光る長方形の板に注がれていた。体内の水分はみるみる汗腺から放出され、ウレタンマスクの内側で汗が伝っていた。光る板の左上の小さな数字を確認し、残りの昼休みの時間を把握する。蝉の鳴き声とパラパラ歩く人々の動作音と電車の停車音と発車音と駅のアナウンスとが鼓膜を揺さぶり、獣に全身を舐め回されたかのように熱風が身体に纏わりつき、グレー色のウレタンマスクにいくつもの汗の玉が吸収され、まだらに黒く変色し始めた頃、僕は再び光る板の左上の数字を確認し、ゆっくり立ち上がった。

駅に隣接するビルの一階に新しいカフェができたことに気がついた。モルタル調の店内には、オーク材のテーブルやスツールが配置され、天井から大ぶりのエジソン電球が垂れていた。寂しそうに灯るエジソン電球の光を店外から眺めながら、以前観た芸術作品にこんな感じのがあったな、と思ったが、なかなか思い出せない。

自宅へ向かって歩きながら、少しずつ頭を仕事モードに切り替えてゆく。マンションに辿り着いた頃には、ウレタンマスクだけでなく、ティシャツも汗でぐっしょりと濡れていた。エントランスのドアが僕の背後で閉じる直前、どこかで風鈴がちりん、と鳴るのが聞こえた。そんな気がした。僕は思い出した。そうだ。クリスチャン・ボルタンスキーだ。

 

ボルタンスキー展に行きたい、と言い出したのは彼女だった。その頃の彼女は、ナチスとホロコーストに関するレポートに取り組んでおり、ヒトラーはなぜユダヤ人差別を行なったのか、強制収容所はどのような場所だったか、なぜ戦争末期まで虐殺を続けたのか、僕に語ってくれた。いずれにせよ、彼女はホロコーストからボルタンスキーに興味を持った。ナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺とその犠牲者のイメージは、ユダヤ系の父を持つボルタンスキーの出自と結びつき、彼の作品の重要なテーマだった。

よく晴れた夏の日だった。彼女が事前に購入したチケットを受け取り入場した。序盤に、ひたすら咳き込み、血反吐を吐き続ける男の映像作品があった。彼女はこの映像を見続けることが苦痛で、僕はもう少し観ていたくて、結局僕らは別々に展示を観ることにした。

ぼんやりとした白黒の肖像写真が電球に照らされた祭壇のようなもの、たくさんの肖像写真が張り巡らされた大きな壁、心臓の鼓動音に合わせ明滅する電球、衣類が積み上げられた山など、ひとつひとつの作品をゆっくり観てまわった。作品たちには一貫した雰囲気があった。この雰囲気こそ、このアーティストのセンスなのだろうかと感じた。

展示部屋を出て物販コーナーへ行くと、彼女は見知らぬ男性と会話をしていた。白地に濃紺のボーダー柄のティシャツを着て、ブラックのハーフパンツを履いていた。その日の僕とまるで同じ服装だった。男は僕より僅かに背が低く、やや筋肉質に見えた。彼らに少しずつ近づいてゆくと、「久しぶり」「一人じゃないよ」「変なの」と、そんな言葉が聞こえた。彼女が視界の端に僕を捉え、慌てたように男に手を振った。男は去っていった。僕は彼女の所へ歩を早めた。

「ちょっとね」彼女は言った。

「知り合い?」

「そんな感じ」

「同じ服だったから。僕と間違えたのかと思った」

「あはは」と彼女は笑った。「そうだね」

数カ月後、僕らは別れた。僕がマッチングアプリを使って何人かの女性と関係をもったことがバレたことが原因だった。彼女はヘアオイルで細く束になったアッシュグレーの髪の毛をふるふると揺らしながら泣いていた。「誰でも良かったんだね」と彼女は僕に言った。誰でも良かったのか、僕にはわからなかった。彼女の、いくつかの表情を、未だ明瞭に思い出すことができるが、マッチングアプリで出会った女性たちの顔を思い出すことはできない。

 

十九時五分、業務終了メールを上長に送信すると、ウーバーイーツで評価の高い店のカルボナーラとマルゲリータを注文し、シャワーを浴び、うすはりグラスに凍る寸前まで冷やしたプレモルを注いでいるとチャイムが鳴った。ソファに寝転がりながら、左手にグラスを、右手にピザを持ち、左右の手を交互に動かした。ピザがなくなると右手にフォークが握られた。

二十三区内の新築マンション十階のリビングルームには、BOSEのワイヤレススピーカーがビリーアイリッシュの新曲を小さな声で吐き出す以外に、僕の咀嚼音くらいしか音は存在しなかった。僕は一人だった。

学生時代、運良く就職活動に成功し、ビジネスソリューション関連の外資系大手ITサービス企業に新卒で働き始めた。同年代と比べ控えめに言ってそれなりに高い給料をもらえていた。大学受験で国立T大に落ち、滑り止めで合格した私立K大に進学することになった時は幾分落ち込んだ。将来の可能性が狭まったことにショックを受けたが、それも今となってはどうでもいいことだ。

スマホのBluetooth接続を、BOSEのワイヤレススピーカーからJBLのワイヤレスイヤフォンに繋ぎ変える。黒色のイヤフォンを両耳に装着し、エド・シーランの適当なアルバムを再生して家を出る。昼間駅前へと向かったのとは逆方向へ歩いてゆく。昼休みの散歩とこの夜の散歩が、僕の日課であり趣味だった。

五分ほど自宅の前の通りを南へ歩き、数度左右に道を曲がると遊歩道に辿り着く。全長七十メートルの、それほど大きくない遊歩道だが、犬の散歩やウォーキングに励む人がいた。遊歩道を二十メートルほど歩いた場所に立つ古い東屋には、一匹の猫がいた。東屋のベンチにダンボールと座布団が敷かれ、猫が身体を丸めて座っていた。誰が持ってきたのかわからない茶碗やタッパーが猫の前に置かれていた。僕はこの猫の前で歩みを止める。猫は無表情かつ無反応だった。スマホをポケットから取り出して写真を撮ったが、やはり無反応だった。

遊歩道が終わり再び通常の道を進むと、高架した高速道路に行き当たる。高速道路の下は広い歩道となっている。人の姿は殆ど無い。一人、スケボーの練習に励む青年がいた。それからもう一人、高架下の歩道の端の方に、男性がダンボールや座布団を敷き、黒いレインコートのようなものに包まり寝転がっていた。「あちら側」を向いて寝転んでいるため顔はわからない。キャップからはみ出した白髪混じりの長い後ろ髪を僕はちらりと見て、通り過ぎた。

高架下の歩道が駐輪場に変わる地点まで行くと、来た道を引き返した。帰りはホームレスの男性にも猫にも目をやることなく、左手にスマホを持って画面を眺めながら歩いた。かつて使用していたマッチングアプリの広告が、ツイッターのタイムラインに表示されていた。マッチングアプリの広告は僕のスマホに頻繁に現れた。ぴたりとしたキャミソールに豊かな胸の形がくっきりと浮き出た広告の女性がこちらを見つめていた。

マッチングアプリは暇つぶしのコンテンツとして優れていた。女性の写真が表示され、「ナシ」なら左へスワイプ、「アリ」なら右へスワイプする。次々に表示される女性の顔写真をなんとなく、機械的に、ポイントが無くなるまで左右にスッスッと人差指を動かし続ける。「アリ」のうちの何人かが、僕を「アリ」として選ぶとマッチングする。マッチングしたうちの数名とメッセージのやりとりをして、その中から順番にリアルで会う約束をする。実際に会って可愛ければホテルへ行く。確率の話だ。

 

ボルタンスキー展を観た後、僕と彼女はカフェへ行き感想を話した。彼女は肯定的な感想を語った。

「すごく良かったね」彼女は言った。

「来てよかったと思う」僕は返答する。

「廃墟みたいな、生と死が混ぜ合わさったみたいな、神秘的な空間だった」

「そうだね」

「ホロコーストとか、何があったかは勉強すればわかるんだけど、なんていうか、そこには色んな人たちがいて、私たちと同じような、普通の、色んな人がいて、そういう人たちがいたことの記憶や、そういう人たちがたくさん亡くなったことを、表現してるんだって思った。歴史だけじゃないんだ。過去の継承の仕方って」

「そうかもしれない」

「そうでもない感じ?」

「なんていうか、電球とブリキと、その並べ方のミニマルな感じが、ちょっと好きじゃなかっただけ」

「なにそれ」

「ごめん。自分でもよくわらかないんだ」

一九四四年、ボルタンスキーはパリで生まれた。パリ解放直後だった。父親は改宗ユダヤ人で、フランス人の母親と離婚したかのように偽装しながら、家の床下に隠れ住んでいた。戦後母親やその友人たちから、ホロコーストについて彼は聞かされた。ボルタンスキーはホロコーストを作品のテーマのひとつとしていたが、ボルタンスキーはホロコーストを「知らない」。

そこでは、工場で魚肉ソーセージを作るかの如く人々が殺された。一人一人の名前を失い数値化された匿名の「ユダヤ人」の大量死は、のちにその全体として「ホロコースト」と名指された。ボルタンスキーの作品が持つ神秘性という名の匿名性もまた、個が剥奪されミニマルなひとつの芸術作品にその身を奉じるかのごとくして、全体としての「モニュメント」となって僕の前に存在していた。ホロコーストの暴力装着とボルタンスキーの芸術作品が同じロジックでできているように思えて、僕は強い罪悪感にも似た嫌悪感を抱いた。僕はこの感想を彼女に話すことができなかった。彼女の「そういう人たち」という言葉が耳にこびりついた。カフェの天井からぶら下がるエジソン電球を見上げて、「ボルタンスキーっぽい」と僕は呟いた。

 

左手に握られた光る板に並ぶ言葉を視認する。メンタリストShoGo氏が、生活保護受給者やホームレスに対する差別的言動を発したとして大炎上していた。

「みんな命は大事って思ってるよ、人権もあるから形式上は大事。でもホームレスとかさ、いない方がいいじゃん。正直邪魔だし、プラスにならないし、臭いし、治安悪くなるしさ。いない方がいい。猫はでも、かわいいじゃんって思うけどね」

ツイッターには「凶悪な差別」「狂人」「一生許されない発言」「#ShoGo氏のチャンネル即時停止を求めます」といった文字列が次々に流れ、炎は勢いを増していった。文化人が「優生思想」について、単純な言葉でわかりやすく、感情的に語っていた。文化人のツイートは五万人にリツイートされ、八万人にいいねされていた。

ShoGo氏の言葉と、文化人の言葉と、僕はいずれも直視出来なかった。電気を消した暗い夜の寝室に、スマホは熱を持ちながら、ますます強く光を放っていた。静寂を煮詰めた空間に心臓の鼓動が鐘の音のように響いていた。左右に写真をスワイプするかのように機械的なリズムで鳴っていた。僕の心臓ではない気がした。僕以外の心臓の鼓動も、僕の心臓の鼓動も、きっと大して変わらないように思った。

僕は息を殺して、文化人のツイートをリツイートした。また明日、いつものように仕事をこなすのだ。いつものように下痢をした怪獣の糞を繋げて作ったチュロッキーのような現代アート風ベンチに座って、いつものようにサンドイッチを食べて、歩き、猫とホームレスの横を通り過ぎ、スマホを弄り、いつものように表示されるマッチングアプリの広告を幾度となく無視するいつもの自分を確認し、眠りに就いた。

2021年9月20日公開

© 2021 一希 零

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.3 (12件の評価)

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

---

"モニュメント"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2021-09-20 15:00

    よかったです。ちょっとびっくりした。こんな風にも書けるんだな、と。ギリギリのところで退廃に落ちないところが一番よかった。ボルタンスキーにしろ、Daigoのことを批判した文化人たちにしろ、結局、綺麗ごとになっちゃうんですよね。私は生活保護もらって生きてるけど、地獄ですよ。当人にしか分からない。穴を掘らされて、その穴に一列に並ばされて、死んだ方もそうだけど、一日に五千人銃殺したドイツの兵士だって、たまったもんじゃなくて、メンタル病んで、それであの毒ガスを使って殺すことにしたんだって。無知と想像力の欠如によって歴史は繰り返される。中国との海域に全先進国の軍艦が浮いている。

  • 投稿者 | 2021-09-21 15:10

    のっけの一文が良かったです。最高によかったです。渋い。で、何かには固執してるけど、何かは上の空。でも一つ一つの事を記録の様にこまかく描写している。なんかそんな印象でした。その感じが怖かったです。興味ないことも何もかもメモしてそう。パソコンとかのまわりに付箋いっぱい張ってそう。

  • 投稿者 | 2021-09-22 03:32

    ホロコーストそのものの「ミニマルな感じ」とボルタンスキーの「ミニマルな感じ」と「僕」の生活の「ミニマルな感じ」が重層的に丹念に描写されていて、素敵な掌編だなと感じました。ミニマルゆえの寂寥感が良かったです。

  • 投稿者 | 2021-09-23 09:26

    ホロコーストの当事者とは一体誰なのかという触れにくい命題に踏み込みつつ、マッチングアプリという現代の闇をうまく小道具にして、満たされない隙間、満足できないパートナーという個人の問題を静謐に浮かび上がらせているように感じる。ていうか一希さん最近見みないなと思ったらマッチングアプリにハマってたんすね。

  • 投稿者 | 2021-09-23 22:51

    昔の恩師が原爆投下直後の光景を描いた絵画にふれて、画家は原爆を糾弾するためにこれを描いたわけではなく、実はこの光景に美を見出していたのではないかと言ってたのを思い出しました。
    抑制のきいた端正な文章だと思いましたが(冒頭のぎょっとするような形容にさえ節度を感じます)、正直読後に浮かんできたのはボルタンスキーやただの情報としてホロコーストを扱う彼女に反発を覚えながらおそらく自分でもそんなに興味もなく、マッチングアプリで自分も人間の選別をしてる無実ではない僕をさりげなくアピール、某メンタリスト氏と彼への批判どちらにも与さない衆愚ではない僕、でもこうやって日常に埋没する僕のような人間がホロコースト容認する人間なんでしょうね……というような退屈なプチブルの人間像でした。そういう人間像を描くのが目的だったと思いますので成功作なのかもしれませんが、もうちょっと批評意識が欲しいように思いました。
    しかしこれは一希様の意図と異なる、ずいぶん間違った読みなのかもしれません。ご叱正ください。

  • 編集者 | 2021-09-25 20:37

    今回は「凡庸」さに注目した作品が多いと見える。しかしドイツの同盟国でもあった日本にいると、凡庸さの不気味な意味が増してくる。俺の親父が最近ネトウヨになってしまったので、個人的に尚更思う。
    特段主人公や登場人物に言いたい事はない。適当に飯食ってクソしてセックスして寿命を迎えれば良い。それも一つの在り方である。
    ただ、uber配達員にチップをあげて欲しい。そう言う機能があるから、それだけで凡庸に、主人公は人助けが出来る。それだけでいい。

  • 投稿者 | 2021-09-26 00:00

    出だしがちょっと装飾過剰に感じましたが、だんだんと一希さんらしいリズムが出てきて一気に読まされました。
    全体と個別、正しいこと間違ったこと、優越感劣等感、誰でもいい女とただ一人の女、恵まれた環境にホームレス、あれにもこれにも微妙に違和感があってしっくり来ないのに、帰属したり、判定したり、態度を表明したりせざるを得ない面倒さ、気だるさ、それと内心忸怩感。
    割り切れない中で日常を生きるしかないんだけど、結構しんどいなあと思いました。

  • 投稿者 | 2021-09-26 00:49

    一希さんはいつも清潔な散文を書くので、読んでいて安心する。今回も内容の陰惨さ(冒頭のうんこはグロテスクな日常の象徴?)にもかかわらず、文章が魅力的でひきこまれた。いろいろ頑張っているのが伝わってくる。

  • 投稿者 | 2021-09-26 14:57

    ボルタンスキーは最近亡くなったそうですね。マッチングアプリの様に次から次へと流れ出る情報の中に何か大切なものを見逃してしまっている気がすることがあります。意味を拾い上げない方が良かったなと思うこともあるので良し悪しですが。丁寧な筆致で読ませる力はいつも感心させられます。

  • 投稿者 | 2021-09-26 22:58

    ボルタンスキー展、行きたかったですね。行って多分元カノと同じように悦になって、そんな自分を愛していきたいです。と同時に、そういう自分に対する罪悪感や嫌悪感はこの語り手が代弁してくれているように感じました。被害者意識というものに人は簡単に感情移入しますが、加害性というところに対して本当に無頓着だなあというのは、昨今のSNS案件で特に感じます。そういった問題意識を現代的な生活の中にしっかり落とし込んでいて良いと思います。ビリーアイリッシュとエドシーランというところに世代差を感じました。

  • 投稿者 | 2021-09-27 00:21

    感情がゆらゆら揺れているような揺れていないような、炎上に反応したいようなそうでないような、個でいるのは楽だけども、どこまでも反応や答えを求めてくる社会に対し嫌悪感を抱く、そんな現代に生きる語り手の心象風景が丁寧に描かれていると思いました。
    個が剝奪された全体としてのモニュメント、という表現がうまいと思います。

  • 投稿者 | 2021-09-27 13:06

    淡々とぐったりしているなぁと思いました。冒頭の風変わりな入りで引き寄せられました。
    丁寧で、空気感が伝わってきて、良いです。
    すごく静かに厭世的で自分とは対極的だと思いました。こんな風な書き方もあるのだと感心しました。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る