仮名

応募作品

一希 零

小説

5,026文字

合評会2020年5月「不要不急」参加作。知らないカードを拾った場合、届け出ましょう。

テレビでコメンテーターが新型コロナウィルスについて自論を語っていた。今ひとつよくわからなかったがかっこいいことを言っているのに違いはなかったため、僕は彼の語りをスマホのメモ帳に起こし、コピーしてツイッターに貼り付け投稿した。僕のコロナ騒動に対する見解として投稿された76文字は一日経過した時点で14いいね、9リツイートを記録した。フォロワーが1500人の僕にとってそれは大した数字ではなかったが、アンチも特に湧かなかったし、とりあえず肯定的に受け入れられているようだったので満足した。またテレビにこのコメンテーターが出ていたら、コピーさせてもらおうと思った。きっと、今ひとつよくわからないがかっこいい感じの意見を発信してくれるに違いない。僕はそういう感じに見られたいのだ。誰に?誰かに。

 

リンと会うのは13時、渋谷駅のハチ公前、という予定だった。前日僕は体内の隅から隅までアルコールで洗い流すかのごとく酒を飲んだ。会社の先輩が連れて行ってくれたサイゼリヤで白ワインのボトルを頼み続けた。ワインという酒の厄介な点は酔いが少し遅れてやってくることにある。気づいたときには既に限界値を突破し意識を失うことの確定した未来のみが僕に残されていた。どこか、不明瞭な場所で、胃液がなくなるくらい吐き続けている瞬間のみ、おぼろげな記憶が刻まれ、それ以外は全て脳内からデリートされた。目を開けると知っている天井があって、吐瀉部に塗れたスーツとネクタイとワイシャツを着た僕がいた。シャワーを浴びてインスタントコーヒーを飲んで壁掛け時計を見ると今が12時40分であることを示していた。リンに遅刻する旨を伝え謝罪し、なんでも奢るから、とチープな言葉を送信してから、僕は財布が無いことに気がついた。

 

何者でもない僕は何者かになりたくて必死だったけれど、何者ではない故にどうすれば何者かになれるのかわからなかった。だから、何者かの地位を確立している誰かの真似をすることにした。僕は僕で、僕が僕という何者かになれればいいのに。何者かとして認められればいいのに。誰に?誰かに。彼女もその誰かのうちの一人だった。渋谷駅前の広場をふらふら歩いていると、リンの姿が視界に入った。いつもより髪型が綺麗に整っていた。午前中に美容院に行くと言っていたのを思い出した。緩く左手をあげながら彼女の名前を呼んだ。人の動く方向とほんの一瞬の音の断絶から、スクランブル交差点の信号が変わる気配を感じた。彼女はこちらに視線を向け歩みよってきた。僕は申し訳なさそうな表情かつ、微弱な笑みを混ぜた表情を顔面に構築し、ごめんね、と言った。そうすれば許してくれることを、僕はよく知っていた。

 

財布をなくしたことを彼女に伝え、僕らは渋谷駅前の交番へ入った。遺失物届けに僕はゆっくりと枠内に文字を書き込んだ。二日酔いの影響で、自分の家の住所を書くのもやっとだった。視界の最果てに、彼女の薬指の爪だけキラキラしているのが見えた。訊ねると、僕を待っている間、デパートのキャンペーンでやってもらったのだそうだ。遺失物届けを書き終えると速やかに交番を後にした。リンは、今日は私が全部出すよ、と言った。今日はナシにしよう。帰りましょう。と言われるのではないかと思っていたから、少し嬉しかった。僕らはパルコのカフェでサンドウィッチを食べた。リンの新しい弁当箱を一緒に探して渋谷中の雑貨屋へ行き、数えきれないほどの弁当箱を比較検討した。夜になって僕らはチェーンの鍋料理の店へ行き、食べ終えるとまたカフェに行った。僕は彼女に何かを語りたかった。時々彼女も話をしてくれた。彼女はフォートナイトにハマっているようだった。僕はゲームについてよく知らなかった。デススト、興味あるんだよね、と僕は適当に言った。それはツイッターでサブカル評論家が語っていたタイトルだった。僕らはカフェの閉店時間まで話していた。カフェが閉まると僕らは各々の家へ帰った。

 

警察から、財布が届いている旨の書かれた紙が届いていた。どうやら飲み会の日、帰りのタクシーに置き忘れてきたみたいで、運転手がそのまま警察に届けてくれたようだった。僕はすぐに警察へ行った。窓口で事情を伝えて郵送された紙を提示した。窓口の女性はああ、はい。ちょっと待ってくださいね、と言って一度離れ、僕の財布と思われる小汚いグレーの二つ折りの財布を手にして戻ってきた。財布を受け取る時に彼女から、その時のこと、覚えていますか?と聞かれたけれど、僕は何ひとつ覚えていなかった。どこのタクシー会社かも、どんな顔の運転手だったかも、僕はやはり何もわからなかった。降りる際に、汚しちゃったみたいですよ、気をつけてください、電話番号をタクシー会社の方へ教えても大丈夫ですか、と言われた。謝った方がいいですよ。と。僕はすべてに頷き、小声で謝っていた。誰に?誰かに。いつもと同じことだ。僕はあらゆる言葉に頷くし、いつだって謝っている。そういう振る舞いに慣れてしまった。あちらから、こちらへ、ダンボール箱に商品を詰めてベルトコンベアの上に載せるように。モニターには僕の作業スピードが計測され数値化されている。昔に比べ、僕はずっと早く作業をこなせるようになっていたが、いったいそれが何なのだろう。そういう感じだ。

 

家に帰って、財布の中身をざっと点検してみたが、抜かれているものは無さそうだった。警察の人が中身を全部出して確認し、再び戻したようで、カード類はすべて札入れの部分にまとめて入れられていた。神社のおみくじと未使用のコンドームだけは財布のポケット部分にそのまましまわれていた。おみくじとコンドーム以外をあるべき場所へと入れ直してゆくと、ひとつ、身に覚えの無いクレジットカードがあることに気がついた。有名なカード会社のカードだった。名前を見ると、KANATA TANAKAと書かれていた。その名前に聞き覚えは無かった。今回、僕は財布を落としたというより、タクシーに置き忘れてそのまま警察に届けられていたのだから、僕の財布に何かをすることができる人間は極めて限られている。最も考えられるのはタクシー運転手だ。しかし、中身を盗むならまだしも、新たに入れる人間などいるだろうか。あるいは、サイゼリヤで飲んだ際に誤って僕が、誰かが支払ったカードを自分の財布にしまったのだろうか。いずれにせよ、TANAKA KANATAという名前に聞き覚えは無い。タナカカナタ。一体誰だ?

 

タナカカナタという名前、知ってる?僕は電話でリンに聞いてみた。21時5分に通話は開始され、21時45分に僕はタナカカナタの話を語り始めた。彼女は知らない、と言った。次に僕は事のあらすじを語った。彼女は相槌すら打たず黙って聞いていた。あるいはまったく聞いていなかったのかもしれない。僕は無音に向かって自らの声を投げかけ続けた。一通り語り終え、エビスビールを仰ぎ、僕は彼女にどうだろう?と問うた。何が、どう、なのか、僕も彼女もわかるはずがなかった。それでも彼女はんー、んー、と考えるそぶりを音で示した。僕は目を閉じ、彼女が次に発する声に耳を澄ませた。彼女はふぅ、と息を漏らした。僕は無言で息を呑んだ。タナカカナタ、やっぱり知らないな。彼女は呟いた。僕はまるで古い倉庫の扉を開けたみたいに、息を吐き出した。僕はエビスビールをぐびぐびと飲んだ。エビスビールを飲む度に、僕は昔見たアニメを思い出した。僕はそのアニメが好きだったが、エビスビールを飲む母親気取りのあの女キャラクターが心底嫌いだった。

 

ツイッターに真実はないが、現実の断片はある。僕は自分にとって都合のいい現実の断片をかき集めてひとつのタイムラインを構築する。ツイッターでは検索などしてはいけない。タイムラインの外側へ行ってはならない。僕はただそのことのみを守り、粛々とツイート、リツイート、いいね、を繰り返していた。誰かに向けて。誰でもない、誰か達へ向けて。けれど、その日僕は自らのルールを破ってある名前を検索した。タナカカナタ。田中彼方、田中哉太、たなかかなた、Tanaka Kanata、いくつかのパターンで検索を試みた。それぞれの名ごとに、いくつかのアカウントが表示された。そのうち4割は鍵垢でそれ以上わからず、残りの6割についてもクレジットカードの持ち主、あるいはタクシー運転手に関係ありそうなアカウントは見当たらなかった。ツイッター上には外出自粛に関する言葉であふれていた。

 

最後にリンと会った日から一週間が経ち、世間は外出自粛のムードが強まっていた。誰が言い出したのか知らないが、不要不急という言葉がツイッターのトレンドとなっていた。僕も自らの不要不急について考えてみたが、不要不急でないことなど僕には何一つ存在しなかった。僕はカーテンの閉じた自室に引きこもり、一人がけの革張りのソファーに座って、よく知っている天井を見上げていた。警察の女性は僕の電話番号をタクシーの運転手に教えていたが、僕はタクシーの運転手の番号を知らない。タナカカナタの手がかりは、タクシーの運転手からいつかかかってくるかもしれない電話を待つしかなかった。僕は天井を見上げて、左手に沈黙を貫くスマホを握り締め、右手に変形した空のエビスビールの缶を握り締めた。壁掛け時計の針の音が僕の心音と重なり、ずれ、再び重なりかけて、もどかしい気持ちがした。電話はとうとうかかってこなかった。財布を警察から受け取って既に五日が経過していた。僕はなぜ「今日」電話が来るのではないか、と期待し、待っていたのだろう。身体から何かが離脱してゆく感覚を抱きながら、僕はシャワーを浴びて早めに眠りに就いた。

 

緊急事態宣言が発表された。会社は原則リモートワークとなった。それ以上に自粛を強要する空気がネット上に蔓延しており、僕はリンと会うことを当分の間控え、代わりに電話の回数を増やした。ある日の電話で彼女の元彼の話題が出た。一緒にオンラインでゲームをやろうという話になって、リンが、元彼はゲーム好きだったの。と言った。彼女が元彼の話をするのは珍しいことではないし、それくらいで僕も不機嫌になったりはしない。けれどその瞬間、僕にある予感が到来した。タナカカナタがリンの元彼なのではという妄想。意味がわからない。何もかも繋がらない。ただ、僕は一度だけリンのツイッターを見せてもらったことがあった。何かの名前があった気がしなくもない。彼女のフォロワーを見た記憶を僕は必死に辿った。けれど思い出せない。まったくありえないはずの予感にも関わらず、そうではないと否定することもできない。彼女が嘘をついているだけかもしれない。僕は彼女のことを何も知らない。知ろうとしていない。

僕は僕がどう見られるかしか、興味がない。

僕は財布を取り出し、タナカカナタのクレジットカードを探した。しかし何故か見つからない。きちんとしまっておいたはずだった。僕はいよいよパニックに陥った。謎のクレジットカード。自分でも気づかない間に忍び込まれ、侵され、気づいたときには消えている。まるでウィルスだ。僕は混乱し、取り乱していた。息は上がり、額には脂汗が浮かび、手足は痺れてきた。極めて危機的なのだ、不要不急以外の事態と言えるのではないか。不要不急ではないとして僕はどこへ行こうというのだろうか。僕に行く場所はない。僕はツイッターを開きタイムラインをスクロールした。僕は何かを探した。何も見つからなかった。僕が求める何かはそこにはなかった。何も応答してくれなかった。僕はツイッターを閉じ、LINEを立ち上げ、リンに電話をした。リンは出なかった。僕は何度もリンに電話をかけた。発信中の画面を見ながら僕は、リンがタナカカナタと交わっている様子を妄想した。タナカカナタのペニスは僕よりも一回り大きかった。タナカカナタの指使いは僕より下手そうに見えた。タナカカナタは全身を使ってリンを愛していた。リンは僕にだけ見せるはずの表情をタナカカナタに見せ、僕には一度も見せたことのない表情をタナカカナタに見せた。僕は何度も繰り返し響くコール音に酔ってきた。僕の頭上を覆うよく知る天井が無言で僕を見下ろしていた。

2020年5月17日公開

© 2020 一希 零

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"仮名"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2020-05-21 23:17

    不特定の誰かに向けられた虚栄心と、その虚しさを暴く自己分析が語り手の中に同居していて、小説的に面白い人物を的確に描き出していると感じた。文章も相変わらず冴えていて、いつまでも飽きずに読んでいられる。謎が一切解決することなく訪れる虚無感や、主人公が一人称で恋愛体験を語る時のドヤ感などには初期の村上春樹っぽさを感じた。

  • 投稿者 | 2020-05-22 19:52

    「誰に?誰かに。」のリフレインがよく効いていて、読んでいるこっちまで自分が何者なのかわからなくなるような「ゆらぎ」を感じさせてくれます。
    得体の知れないタナカカナタの存在が「僕」の中で大きくなるにつれ、「自分が周りからどう見られるか」ということにしか興味のなかった主人公の意識がようやく外界へ、それもいちばん身近であったはずの恋人リンに注がれるようになるさまは圧巻です。
    抑えた冷静な筆致で読者を巻き込み、そのまま主人公と一緒に置き去りにする。やられました。

  • ゲスト | 2020-05-22 22:46

    恋人にも淡白な淡々と書かれた主人公の心情が、見知らぬクレジットカードにより彼女への執着心が露わになる変化をとても面白く感じました。

  • 投稿者 | 2020-05-23 13:50

    「ツイッターに真実はないが、現実の断片はある」と考え、ツイッターで呟くことを生活の一部にしている主人公が、今まで守っていた検索をしないという掟を破ってまでタナカカナタを調べる行動を取ったところに、彼のタナカカナタに対する疑問の大きさが現れていると思いました。物語の終わり方が僕は好きです。

    • 投稿者 | 2020-05-25 18:56

      ツイッターに溺れながらも、同時に冷めた視点をツイッターに投げる僕に好感が持てます。自らルールを破った僕が駆られる妄想こそウイルスに思えてきます。

  • 投稿者 | 2020-05-23 16:40

    とても面白く読みました。
    TwitterやLINEの世界に住む主人公は、現実の人との関わりもオンラインの続きでしかなくて、そこでどう見られるかしか興味がなくて。財布を無くして戻って来るのもその中で予定調和的で行われていて。
    KANATA TANAKAが何なのか。正体の知れないウィルスみたいで、それは妄想ととても相性が良くて、ラストの焦燥に満ちた妄想描写がとてもリアルに思えてきます。

    ところでわたくしごとですが、田中彼方っていうペンネームの友人がいて、普段、「田中先輩」と呼んでいるのですが、つい作中ではその「田中先輩」が活躍しているかのように見えてしまいました。ほかの方よりもより一層現実感を持って読めたかもしれません。

  • 投稿者 | 2020-05-23 19:46

    「サイゼのデカンタで吐くまで飲むなよ、きったねえな」
    なんて、悪態をつけるのが、日常であり、そんな日常なんかに辟易している人と、気取っているくせに欲深いにアクティブマンが出口戦略に関して小競り合いをしているのが、今日この頃だなあと感じました。

    この主人公にとって、コピペした思想で数字を競う奇癖よりも、突然、物質として生活に闖入してきた一枚のカードの方が、アレルギー反応を起こす遺物なんだなあ、そして、それを当たり前のように受け入れている自分も刹那的な「今」の価値観に二度漬けソースのようにどっぷりとつかっているのだなあ。

  • 投稿者 | 2020-05-24 00:16

    タナカカナタの名前は出てるのに「僕」の名前が一回も出てこないの、自我のなさが暗に示されていて良い感じでした。リンちゃんは彼のなにがいいんだろうか。。。

  • 投稿者 | 2020-05-24 00:19

    最近Twitterから離れられてる一希さんらしい物語でした。上から読んでも下から読んでも的なクレカの名前は何者かになりたい何者でもない自分の暗喩だったりするのかしら。そして、まだ私たちは川越の居酒屋で待っています。

  • 投稿者 | 2020-05-24 03:46

    「僕」の語りには平静を装いながら綱渡りをしているような印象を受けました。終盤、謎のクレジットカードが消えたことにパニックしていますが、これがたとえば謎のポイントカードだった場合、同じようにパニックするのかなあと思いました。クレジットカードだったからこそパニックしたのかもしれません。

  • 編集者 | 2020-05-25 17:26

    匿名じゃないがかと言って知られた存在でもないタナカカナタの存在が、主人公に侵食してくる様子が、ネット時代の人間らしく良い描写だった。

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