11月下旬の日曜日。

一希 零

小説

3,039文字

意味はありません。

ぱちぱちと音を鳴らし風に煽られ小刻みに震えるように揺らめく白い炎の輪郭は橙色に縁取られて、さらに強い風が吹くと火の粉が蛍のように飛んでゆく様子を写し続けるモニターを眺めています。白い縁の24型のモニターの中心に白い炎がめらめらと靡き、丁寧に組まれた薪を包むように燃えています。時々人の手が映り込み、新たな薪がくべられます。辺りは真っ暗です。夜のある日、この世界の何処かの暗闇で白い炎が燃え続けています。モニターが映し出します。一時間が経過しました。丁寧に組まれた薪は姿を幾分変容させていました。木の枠組みの中で灯っていた火種は木を包むようになり、それはやがて木の上に立ち上がるようにして燃えていました。まるで木を踏み台にするようでした。炎は木をくれることで、存在を維持していました。あるいは炎とは存在と言えるのでしょうか。物体ではなく、それは現象と言うべきでしょうか。光もまた、存在というより現象と言うべきなのでしょうか。わかりません。わかる人にはいくらでもわかることなのだろうし、わかるべきことなのかもしれません。モニターに映し出された炎、というものの存在もまた、存在とは何か、という問いを突きつけているように思います。時々薪を投入する誰かの「手」の存在はどうでしょう。やはり、確証することはできません。そもそも存在するものひとつひとつをまとめて語ろうとするときのこの「存在」とは何のことなのでしょうか。存在が存在し、ありますがあります。白く縁取られたモニターは、白い壁と白い天井に囲まれた部屋の中にありました。二時間が経過しました。部屋は黒い支柱のスタンドライトの電球の明かりによってぼんやりと照らされていました。部屋の中心に置かれたスタンドライトは、部屋の四隅の方まで光を十分に届かせることはできていませんが、スタンドライトの下に座っている分には、十分な明かりを提供してくれました。スタンドライトの電球はちょっと長い時間点灯していると熱を帯びて、小さな太陽のように熱くなるのです。小さな太陽は白い壁と天井に囲まれた世界で唯一の灯りでした。あとは、白い縁のモニターの中で燃える炎があるのみです。白い壁と天井に囲まれた部屋の外を照らす太陽は既に黒いアスファルトの地平の下へ沈んでしまいました。何時間も前のことです。そして、三時間が経過しました。

白い棚の上に置かれたガリレオ温度計を見る限り、室内の気温は二十度くらいであることがわかります。ガリレオ温度計がどれほどの正確さなのかはわかりませんが、エアーコンディショナーによって適切な気温に調整された室内は、やや乾燥傾向にあることを除けば快適な環境にあるように思えました。快適な環境と二十度とに、因果関係あるいは相関関係があるのかはわかりません。疑っているのではなく、わからないのです。わかる人には自明なのかもしれません。ガリレオ温度計の仕組みだって、ほんとうはよくわからないのです。エアーコンディショナーの仕組みはもっとわかりません。エアーコンディショナーは時々大きな音をたてます。リモートコントローラーのボタンを押したわけでもないのに一定の時間が経つとまるでギアをチェンジするようにして吐き出す音の種類を変えるのです。あるいはほんとうにギアをチェンジしているのかもしれませんが、ほんとうのところ、ギアをチェンジする、ということが何をどう変えることなのかもわかっていません。ところでこの機械の名称はエアーコンディショナーであっているのでしょうか。名称、名前それ自体は存在するのでしょうか。いえ、存在の存在すら、わかっていないのでした。

四時間が経過しました。ぱちぱちと燃える炎の音の向こう側で軽やかな虫の鳴き声が聞こえます。虫の姿は見えませんが、その鳴き声が聞こえるということから、暗闇の中にはきっと虫が生息しているに違いないでしょう。モニターには暗闇と白い炎とが映し出されたままです。白い炎は形を変えました。木々の間の炎は橙色に灯り、その上部にそびえるように燃える炎は俄然白い光を放っていました。ぱちぱちという音も響かせ方が変化していました。木々が砕け散るような音がぱちぱち、ぱちぱちという音の間に挿入されました。複数の小さな炎が木々を燃やしていた状態は最初の一、二時間のみで、今は一つの大きな炎、まるで立派なお城のような形の炎がカーテンの如く揺らめいているのです。炎を眺めていると何かを思い出せるような気がします。「わたし」は何もわからないことを確認するたびに、何をわかっているのかを確認しているようでした。

何ひとつわからない「あなた」は、何かを理解しているような気でいます。あなたは何かしらを知っていると思っています。あなたは何かを経験し記憶し理解していると思っています。あなたは何もわからないと思っていません。あなたはゆらゆら揺れぱちぱち燃える白い炎を眺めているつもりだけれど、それはモニターに映し出されたものから想起したに過ぎません。あなたはモニターを眺めています。「あなた」はモニターに映し出される記号の組み合わせから意味を立ち上げ何かを感じようと思っていますが、何ひとつ知ることはありません。意味はないのです。白い壁と白い天井に囲まれています。暗闇が外の世界に蔓延っています。白い小さな太陽の下に座っています。エアーコンディショナーが時々大きな音を吐き出します。何時間か経ちました。何時間かはわかりません。白い壁と白い天井に囲まれた部屋に、時計は一つもありません。モニターに時間を表示させることはできるのかもしれませんが、やり方を知らないのでできません。その時ふと、虫の鳴き声が止みました。すぐに虫は鳴き始めました。「あなた」とはきっと「わたし」のことでもあるのでしょう。あなたはモニターを眺め、わたしもまたモニターを眺めています。誰も本当のものも観ていないのです。

「あなた」は「わたし」であり「わたし」は「あなた」であるとすれば、人は少しずつ他人と同じであり、けれど他人とはあくまで他人であるがゆえに少しずつ異なるということでもあるのでしょう。とするならば、「わたし」という人間にもざまざまなレイヤーもしくは領域があると考えられるでしょう。わたしとあなたが共有する領域はわたしのうちの何パーセントでしょうか。わたしとあなたは何パーセント異なるのでしょうか。あなたと対立するわたしがいてあなたと矛盾する誰かがいてわたしと矛盾する誰かがいる、なんてきれいに分類することはできるのでしょうか。モニターのスピーカーから伝わってくる焚き火の音は少しずつ小さくなってゆきました。目を瞑ると瞼の裏側に淡い橙色の炎がぼう、と浮かび揺らぎ、四方へ拡散してゆき中心に窪みができてゆっくりと沈んでゆくように思いました。その中にあなたはいるのでしょうか。それはわたしの中のあなたでしかないのでしょうか。わたしは静かに、まるで忘却の河へ辿る眠りに就くかのように沈んでゆくのです。その先で、わたしはあなたと出会い、別れるのでしょうか。わたしは再び一人になるのでしょうか。最初から、白い壁に囲まれモニターに映る焚き火を眺めるわたしだけがいるのでした。焚き火の炎は既にとても小さくなっていて、赤い火の粉が僅かに黒炭と化した薪の上に佇んでいるのでした。

そして一日が終わりました。
わたしは一人モニターを眺め、あなたもまた、一人モニターを眺めています。

2019年12月1日公開

© 2019 一希 零

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

著者

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


5.0 (1件の評価)

破滅チャートとは

"11月下旬の日曜日。"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る