初めてのサボタージュ

依存神経

小説

5,205文字

田舎の自称進学校の糞真面目な高校生が初めて学校をサボる短編です

学校を、サボった。

みんなが納得するような事情はない。いじめ被害者ではないし、健康体。朝食はご飯を二杯平らげた。

学校の最寄り駅のバス停から降りた途端、快晴の空が目に入ったのだ。

雲一つない空。突如「こんな日に教室で肩を並べて机上のプリントに向き合うのはバカ」だと思えてきた。

七月末の北海道の夏は理想的だ。ここ旭川も三十二度を超えるくらいには暑いのだけども、カラっとしている。ジメジメした嫌な感じはない。

修学旅行の行先は京都だった。外なのにサウナに閉じ込められたようで、立っているだけで汗が噴き出す。アイロンで巻いた髪の毛がほどける。最ッ悪。かわいいが崩れる。

ここは旭川四条通の停留所。朝十時。今日は夏期講習で、十時半までに学校に到着すればいい。一応名ばかりは受験生なので、早めに到着しようかな、なんて余裕をもって家を出た。

でも、突然気が変わった。

そもそも、世間は夏休みだ。うちの学校は、三日前に終業式があったのに、夏休み一日目から講習が開かれる。同級生には、それを誇る者がいる。学校の講習や塾の講習でスケジュールが埋まることに安心感と充足感を得るのだろう。

先生たちは「夏休みが勝負」と言う。それと同時に「受験は団体戦」とも言う。

夏期講習は古典読解の講座を一コマだけ申し込んだ。同級生の大半は一時間半の講座を三コマ受講し、朝から十六時頃まで学校に居残る。そして、さらに十九時頃まで自習をする者も多い。

職員室に近くにはだだっ広い書道教室がある。「書道教室で受験勉強をすると難関校合格」と言い伝えられている。風通しが悪く、夏は汗でベタベタ、冬は極寒で劣悪な環境。壁には、筆で「鍛錬」と書かれた半紙が掲示される。黄色く変色している。すがるものがない私たちはこの言い伝えに従う。故に、長期休暇なのに、毎年書道教室は三年生ですし詰となる。

長期休暇の講習は、受講生皆のステップアップが目的だ。先生としては、なるべく多くの子の成績が上がれば最高だろう。でも、私は私の成績だけ上がればそれで良い。あと、切磋琢磨以前に競いたくない。

数か月前、春休みの講習の希望調査を空欄で提出した。即座に三者面談が開かれた。

「学校じゃなくて家で勉強するので」

「絶対に怠けるし、同じ目的の人と勉強することで張り合いがあるのよ。レイナさんも一緒に頑張りましょうよ」

「そうよ、先生の話を聞きなさい」

母親と担任のユカ先生が私を説得する。任意の講習を拒否しただけで、こんなに問い詰められるものなのか。張り合いのために講習会に出るべきなのだろうか。

「とにかく嫌です」

強情を張った。先生もこれ以上強く言えず、春期講習は受講を免れた。しかし、四六時中「他の人は頑張っているのに私だけ」という罪悪感に苛まれて、講習会が開かれている時間は気が気でなかった。結局、大して勉強をするわけでもなく、ソワソワしながら部屋の漫画と小説を読み散らす日々となった。

結局、私は心根が真面目なのだ。だから、休もうとしても休み切れない。なので、この夏は午前中の一コマだけ適当に受講することにした。一コマのみ受講の生徒は自分のクラスにはいない。でも、今回は面談が開かれなかった。担任としては一つでも受講すれば建前上良いのだろう。母親も受験に本腰を入れたと安心しているようであった。0と1の差は大きい。

私が受けるのは、先生が穏やかな古典の講座。怒鳴る先生は煩くて嫌。でも、行きたくなくなった。

昨日は講習会の一日目だった。教室に入った途端、胃液が喉元まで上る。

うちの高校は進学校なので、ほぼ全員が大学受験を目標とする。とはいえ、田舎の公立校なので半数近くが同じ志望校だ。ということは、「わー!同じ教室!神!」なんて感動を漏らしながら抱き着き合うあの子とあの子もライバル同士。誰かが落ちちゃったらどうなるんだろう。内心「ザマアみろ」って見下すのかな。下劣だ。それなら、私は孤軍奮闘を選ぶ。

私にも仲良くしてくれる子はいる。でも、なるべく同じ講座は選ばないようにする。ライバルだって意識したら、蹴落としたくなるかもしれない。勝負事は燃えてしまうから。

そんなことはしたくない。でも、してしまう、と思う。勝負事を背負った自分の倫理観が信用ならない。目を逸らし続けたい。

なので、サボった。

本当のことを言うと、学校の前を二~三往復した。根は真面目なの。こんなこと初めてだし。

正門の前で、親友のみっちゃんを遠目に確認すると、植え込みにサッと隠れた。避けたはずだったのに、昨日の教室で見かけた。無理。逃げ出しちゃおう。

出かけの際にお母さんから受け取った昼食代の千円札は手の中で皺くちゃだ。そもそも、私は午前の一コマしか受講しないから昼食代は不要なのだけれど、もらえるものはもらっておいた。

お母さんはお弁当を作りたがる。けれど、私はコンビニ飯が好き。だって、普段はお母さんが用意したごはんを食べるし、寄り道もしない。だから、自分で自分のために食べ物を選ぶのは貴重で特別。おにぎりとパンを一緒に食べてもいいし、ケーキだけにしてもいい。

あとは、手作り弁当を食べると責任が生じる。お弁当を食べるからには、講習会を頑張って成果を出さないと罰当たりだ。直接言われたわけじゃないけど、そうなのだ。期待に添えるだろうか。私には母のお弁当を食べる覚悟がない。

学校のすぐ横のコンビニに立ち寄る。今日は、ゆで卵とスポーツドリンクとポテトチップスを食べる。絶対に人に見られたくないから少し離れた公園で食べる。

十分程歩くと、駅前から延びる歩行者天国の商店街の入り口に到着した。この土地では駅前のこの一帯を「街」と呼ぶ。旭川市では一番栄えているからだろうか。

いつもは本屋しか行かないけれど、今日は洋服を選ぼうと思う。みんなが勉強をしている間に気ままにショッピングなんて、悪い子みたい。模範的なサボりだ。

胸が高鳴る。心臓が破裂しそう。

ここら辺で一番大きな商業施設に入店する。この店は、地下に道産食品を使ったアイスクリームやポテトなんかのフードコートがあり、他のフロアには楽器店、書店、文具店、洋服店などのテナントが何十件も入っている。六階まである建物で、だいたいのものは揃う。若者向けのイオンモールのような感じだ。

今日の財布にはあと九千円入っているのをコンビニで確認しておいてある。スカート一枚くらいは買えるだろう。

エスカレーターでティーン向けの洋服を取り扱う三階を目指す。普段、素通りしていたファッションエリアを初めて散策するのだ。

ピンクでフリルまみれのお姫様みたいな服、浜辺を歩くヒロインのような白のロングワンピース、エネルギッシュなサロペット、ラッパーの人みたいなダボっとした服……。

早速、情報量が多い。眩暈がする。

選択肢が多すぎて、自分がどれを欲しているのか決めれなくなった。そうか、私は自分の服を自由に選んだことがない。

私服校の高校に入学後、お母さんが気を利かせて二か月に一度くらい、服のカタログを手渡してくれるようになった。二~三着好きな商品を選ぶ。そうすると、数日後には家にその服が届く。

高校一年生の冬、肩が大きく開いているニットをまとい、赤のタンクトップを見せるように重ね着する同年代のモデルの写真に惹かれた。モデルの女の子はアップにしたお団子で、上目遣いで挑発的な目をしていた。目の周りは黒く縁取りがされていた。

その服に✓を入れておいたのだが、手渡されたのは別のページに掲載されていた、まさに「T」字のシャツだった。何の模様や柄もなく、薄ピンク色の分厚くてつまらないシャツ。何も質問しなかったが「不正解」だったのだろう。

それ以降、私は模範的な高校生として正解を手繰る。シンプルで肌の露出が少ない服、肩回りからブラの線が出ないようなデザイン、スカートの丈は膝より長いもの。世のお母さんが満足する安心感(ダサさ)。試験に加えて、服選びでも正答を狙っていたのだ。煩わしい校則のない私服校なのに、自主的に校則らしきものを練り上げ遵守してしまう。

三階に到着した途端、圧倒された。「私の周りの同級生はこういう服を難なく着ているのだな」と悔しくなった。情けなくなった。

それでも意地があるので、一軒一軒周到に巡り、時には試着もした。でも、どれが似合うのかピンと来ないし、自分が好きなジャンルすらわからない。そして、どれも気恥ずかしい。演習不足だ。

他の子は当たり前に好きな服があって、当然のように選び、十代を謳歌するのだろう。羨望。バスの中で古文の単語を暗記していた今朝の自分が浮かび、矮小に思えてきた。居心地が悪い。昨日、講習会に出たときのように胃がムカムカする。私はここに相応しくない。

次第に顔が熱を帯び、目がカッカとしてきた。即座に天井を仰ぐも間に合わず。目からダクダクと液体が溢れる。頬を伝う。呼吸が乱れる。

最低な気分だ。

顔を手で覆い、化粧室に駆け込む。ジャバジャバと洗顔した。手水に顔を埋め、「ううううう」と呻く。金魚柄のタオルハンカチで顔を拭い、深く息を吸う。鏡に映る自分は、目が赤い。派手なラベンダーの芳香剤が鼻孔を刺激する。ラベンダーを吐き出し、吸って、吐き出し、を繰り返すと落ち着いてきた。

もう、ゆで卵もポテトチップスも食べる気がしないし見たくもない。袋ごと屑入れに投げ込んだ。私はせいぜい真面目に受験生をやるのが相応なのだ。肩を落として一階の出口に向かう。

自動ドアまであと数歩というところ。突然、青色の輝きが目に入った。口紅だ。

青。それも真っ青。赤やピンク、オレンジじゃない。真っ青。赤い目を見開いて、その場から動けなくなった。

売り場に十種類並べられた商品は、全部青なのだけれど、マッド、メタリック、透明、ラメ入り等、一つ一つ雰囲気が違う。

「こちらのルージュ、お気に入りですか?」

細身で栗色のボブヘア、猫目の女性に声をかけられた。唇は艶めいた桃色であった。

「化粧とかしたことないけど、青色の口紅?紅?ルージュってあるんだって驚いて」

「あら、そうなのですね。塗ると透明なピンクになるものもありますよ。せっかくだし、試してみませんか?」

「じゃあ……」

人に会いたくないし、メイクはわからないのだけど、ヤケクソな気分だったので素直に応答した。

「初めてでしたら、こちらの塗るとほんのり桃色になるもの……」

「いやっ!」

「……こういう感じに青くしたい、デス」

思わず声を張り上げてしまった。無意識に、売り場の看板でアンニュイな表情を浮かべる外国人モデルを指さす。プッと店員さんが軽く吹き出した。

「かしこまりました。こちらへお越しください。お客様ですと、こちらのお色を気に入ってくださると思いますわ」

一本のルージュのテスターを抜き取った店員さんは、売り場横の小さなカウンターに私を案内する。

「せっかくの初めてなので、特別に。せっかくなら塗り終わってから鏡で対面しましょうか」

すると、店員さんが手際よく細筆で私の唇を縁取っていく。くすぐったい。口紅って塗り絵みたいに筆で塗るのか。グリグリ塗って「ンパッ」って唇を鳴らすのかと思ってた。

そして、下唇中央をヌラヌラとした感触が走る。あっという間に上唇も同様の感触。

「あら、エキゾチックよ!」

店員がキュポッとリップの蓋をはめ、私に鏡を手渡す。自分の容姿を「エキゾチック」と人から言われるのは初めてだ。不安が募る。

鏡の中には、世界史の資料集に掲載されてもおかしくない中東のお姫様のような自分がいた。人体のどこにもない色の唇だ。艶のあるコバルトブルー。吸い込まれそう。

「どうせなら、フルメイクなさりますか?初めてのお祝いに無料のサービスとさせていただきますが」

「あ、お母さんに怒られちゃう……」

「それもそうですわね。でも、ルージュなら拭えば隠せるのではないでしょうか」

「そっか、じゃあ、買います。おいくらですか?」

メイク道具の相場がわからないが、こんなに手厚くもてなしてもらったし、九千円で足りるのか心配だった。それも杞憂であった。リップブラシと併せて三千円で済んだ。

「メイクなんて不要。みんなは可愛いです。それより勉強」なんて言っていたユカ先生を冒涜するかのようだ。しかも、真っ青。

初めての衝動買い。

退店すると、空よりも私の口元が存在感を放つ。すれ違う人がぎょっとした顔で二度見する。オンリーワンの、快感。もっと見て。

今日、私は私の意思で奔放に振舞った。ちょっと不良かも。でも、高揚感。

幼い時の夏休みの始まりと同じような気持ちだ。何でもできるし、「絶対に楽しいことがある」と信じて疑わなかったあの頃。

もう胃が苦しくないことを自覚すると、とてつもない空腹を感じた。サボタージュの続きを満喫しよう。初めて一人で駅前のカフェに行ってみようか。

快晴の下。シャツの胸ポケットに青の武器を忍ばせ、思わず駆け出した。

2021年5月25日公開

© 2021 依存神経

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