対談

柿人不知

小説

13,869文字

いつだってわかりあえないのは男と女。等しく彼女を思う「僕」と「私」の対話編。学生時代のほろ苦い思い出を描いた、失恋小説。

今日もまた雨が降る。

陰鬱な雲からは、太陽は覗かない。

僕は窓辺に座って、たった一人でコーヒーを飲んでいる。

テラスに雨が突き刺す音が、しとしとと鳴っている。

昔、付き合った女性に、「雨の日が好き」と言った女性がいた。

相当、変わってるというか、ひねくれているんじゃないかと僕は思ったが、

君はどう思うだろうか?

お洒落好きで、よく買い物に連れて行かされたっけ。

僕をおちょくるのが大好きで、わざとはぐらせたりしてちょっとそんな所が可愛かったかな。

三歳年上で、でも僕はお姉さん好みだから、丁度良かったと思っている。

精神年齢は、若干年よりも幼かった気がする。

そんな所が、僕と遊んでいて、上手くいったのかもしれない。

ただ、気になった所は男遊びが多かった所かな。

わざとメールで、

「今、男の人と心斎橋にいるんだけど、面白い所知らない?」

とか送ってきて、僕を困らせたっけ。

もっとも、僕は携帯とかあんまり触る方じゃないから、受信に気づいた時には、翌日になっていたけど。

彼女は怒っていて、「ごめん、気づかなかった」って送った時には、ずっと僕のメールを無視してたみたいだけれど。

でも僕はあの時、本当に心の底から嫉妬してたんだ。

湧き上がってくる赤黒い、憎しみと悲しみの入り混じった、炎の宴が催されるのを、じっと僕は耐えていたんだ。

そういえば前にもそんな事があった。

前の彼女が、他の男と遊びに行ったって聞いた時にも、そんな気分になった事があった。

あの時の困惑よりもさらに追い討ちをかけたように、今回の方がひどかったけど。

僕は、こんな気持ちはあんまり好きじゃなくて…。

僕を、僕を、苦しめて、羽交い絞めにして離さない。

嫉妬というものは、なんて醜くて、なんて残酷な物なんだろう!

いや、私はそうは思わない。

それはまだ君が若かったからだよ。

年を老いると、そのうち君も分かってくるだろう。

私は、彼女からメールが送られてきたのに気づいたとき、あまり何とも思わなかった。

透明で、純粋な気持ちだった。

いや、それよりも彼女と一緒にいる男の人を応援してやりたい気持ちだったよ。

私なんかといるよりも、楽しかったら、その方が彼女にとって幸せじゃないか。

彼女の幸福を祈る事の方が、高尚で、素直で、美しいと思わないか?

私は確かに、彼女と入ると楽しかったし、面白かった。

でも、それは自分の主観的な観念でしかない。

君はもっと、彼女の事を考えるべきだと私は思うよ。

私は、コーヒーを一杯飲んだ。

砂糖の甘さと苦さの調和が僕を満たした。

ふと私は、彼女とカフェで一緒に過ごした時間の事を思い出した。

彼女は買い物で少し疲れていて、私の足も痺れがきていた。

テーブルに座ると、彼女は肘をついて頬に手を当て、私の顔を少し伺っていた。

私は、メニューに見入っていた。

そんな私を、彼女は観察でもするかのように、見ていたのだ。

私は、彼女に「何にする?」って問いかけた。

彼女は私が持っているメニューを覗き込んで、「紅茶とモンブラン」って答えた。

私はあまり、甘いものが好きじゃなかったので、コーヒーだけにしておいた。

そんな私を尻目にして、彼女は満足しきっているかのように、モンブランを小さい口に滑り込ましていた。

私は、彼女といるだけで幸せだった。

彼女から「愛してる」とか「大好き」とかそんな言葉は、私にとって必要ではなかった。

ただ、彼女と一緒にいる時だけが、私にとって至福な時間であったのだ。

私の周りを蜂蜜の様な甘い空間が包み込んで、ウールの様な柔らかで、優しい空気が漂っていた。

君はひどく、人間的じゃ無いと僕は思う。

人間というものはまず、利己的なものであり、自分を基準にして考えるものなのだ。

お互いの利害が一致した時、それを人は愛とよぶのだよ。

もっと君は、感情ではなく、合理的に物事を考えるべきなんだよ。

まず、経済という観念で、物事を見るべきなんだ。

僕は彼女がモンブランを頼んだ時、ひどく失望した。

彼女がモンブラン如きで、幸せを感じるなんてね。

僕はもっと彼女が崇高な人間であって欲しいと思っていた!

でも、彼女はひどく庶民的だった。

そこら中に歩いている女性と何ら変わる事が無い。

僕にとって、彼女は特別な存在であってほしかった。

でも、それは違ったのだ。

彼女は「普通」の人間だったんだ。

あの時の絶望を君は分からないだろう?

僕は、彼女に僕の注文したコーヒーを頼んで欲しかったんだ。

それでこそ、僕の彼女じゃないか!

価値観を共にし、二人でずっと一緒にやっていけるという希望を持てるじゃないか!

あの時のコーヒーほど、まずかったものは無い。

深く、暗い、森の中を彷徨っている様な気持ちだったよ。

でもそんな時、彼女が「来週、また会おうね」って声をかけてくれて、

僕の心の迷いに、一筋の希望が芽生えたのだ。

僕と一緒にいる事を、欲してくれている。

その安心感に僕は、胸を撫で下ろしたのだ。

だって僕は、彼女とまた遊びたかったからね!

深くて、暗い森の外に出た時の昂揚を、君も感じるだろう?

光悦に浸った心の温もりを、僕はあの時感じたのだ。

まるで、彼女が天使であるかの様に、僕には思えたんだ。

君の方こそ、非人間的じゃないと思う。

まず、人間というものは、感情で動くものなんだよ。

その後に、経済が付いてくるのだ。

君は結果だけで、物事を見る傾向にあると思う。

ひどくお粗末な趣向だと私は思うよ。

大概にして、このような人間は学問的に分析をしたがるようだ。

君もその一部分なのだよ。

こういう人間は、学問の入門者に特に多い傾向にあると思う。

君は、まだまだ未熟だね。

もう少し勉強したら少しはマシになってくるだろう。

私はあの時、つまり彼女と一緒にいたとき、幸せだったし、常に彼女の事を考えていた。

どうしたら、彼女がもっと楽しめる様な時間が作れるのかと。

彼女が満足そうに、モンブランを食べている時、私の心は満たされていた。

それでいいじゃないか?何の問題があるのだろう?

彼女の事を思いやる事、それがすなわち愛なのだよ。

君はひどく、彼女に求めている。

それは、彼女が君に与えるものなのであって、君が彼女から奪うものではない。

君は、彼女に頼りすぎている部分があると思う。

もう少し自立すべきだと私は思うね。

年上の人を好きになる人というのは、甘えたがりが多いようだ。

君もそうなんだろ?

私は、君がもう少し冷静に、感情に向き合うべきだと思う。

それは、自分の中から生まれてくる感情なのではなく、彼女の感情を読み取るという事だよ。

そこからだったら絶望感など、生まれてくる筈が無いだろう。

君は、自分の感情にもっと責任を持つべきだ。

そうじゃないと、それは罪悪なものだと私は思うよ。

私は、今まで真剣に自分の感情には向き合ってきたつもりだし、

現に今だって、君の事を想って、忠告してあげているんだ。

君が、彼女を本当に愛しているならば、自分を犠牲にしてまで、

彼女を守ってあげようと、何故君は思わないのだ?

僕は、そんな犠牲の精神とかは好きじゃないんだ。

自分を捨ててまで、彼女に尽くしたいとは思わないんだ。

そりゃ、ちょっとは彼女に気遣う時はあるよ。

しかしそれは、自分にとっても最終的には上手くいくからなんだよ。

大体、犠牲の精神で、みんなが動いたらどうなると思う?

尊徳思想というものがあってね、これはかの有名な二宮尊徳の思想なんだけれど、

他者の為に動く事は、結局自分の為になるというものなんだよ。

わかるかい?

つまり、犠牲の精神なんてありえない。

それはつまり自分の利益に最終的には結びついてくるのだよ。

人は、自己中、自己中、って非難するけれども、よく考えて欲しいものだよ。

自己の身を尊重できないものは所詮は、他者の身も尊重することなんて、不可能なんだよ。

嗚呼、彼女があんなに庶民的で、常識に籠の中の鳥のように捕らわれた人間だったなんて。

僕はショックで体中がしびれたよ。

そんな気持ちは君にはわからないだろう?

君は、だいたいいつも集団の中で生活していたから、そういう思想になったんじゃないのかな。

いつも、みんなの為に尽くしていたからな。

このパシリめが。

おやおや、そんな低俗な言葉を私に投げつけないでくれ給え。

私は、確かに集団の中にいた。

そしてそこに存在したという事は君も存在していたはずだ。

論理の矛盾が見られるぞ。

君はいつも集団の中にいたけれども、

何処かで壁を作っていたんだ。

その壁は友情を分断する壁だった。

その壁は、誰もが上る事なんて出来なかった。

そんな君は、ひどく心は孤独で満ち溢れていたんじゃないのかな。

みんなは私を、全体主義者とか呼ぶけれども、私は共産主義者でもないし、ただ、人間愛を説いてるに過ぎないのだよ。

例えば、駅前にいるホームレスをみて、かわいそうだと君は思わないのかね?

君はひどく冷淡で、冷たいのだね。

たぶん君は今、こう思っているだろう。

それはホームレス自身の責任だと。

確かにそうかもしれない。

けれども、社会というのはそんなもので割り切れるものじゃないんだよ。

いいかい、その人の生まれた環境や遺伝的な物というのは、その人自身が選ぶ事が出来ないのだよ。

君だってそうだ。

君は、その人たちより恵まれた環境に生まれたんだ。

それに感謝したまえ。

私は、比較論などしたくはないけれども、これはれっきとした事実なのだから。

事実は事実として受け止めなければいけないんじゃないのかね。

僕は、確かに冷たい人間なのかもしれない。

しかし、人生はいつでも転換出来るじゃないか。

確かに、最初からハンデはあるのかもしれない。

しかし、それを逆境として乗り越える事が出来るか、出来ないかは、その人の実力だとおもうけれどね。

まぁ、僕だって助け合って生きていかなければならないと思う時もあるよ。

しかしだね、結局人生は自分の物なのだから、自分自身で作り上げていかなければならない。

それに打ち負かされるのはやっぱり敗北者としてみるのは当然じゃないか。

この世界は弱肉強食で、そんな甘っちょろい物ではない。

厳しく、しんどいものなんだよ。

それに打ち勝たなければ、精神的進歩もありえない。

僕だって、そんな負け犬みたいな人間に冷たくするほど、冷淡な人間じゃない。

これは、彼らの為に言っているんだよ。

嗚呼、どうせ僕は嫌われ者だよ。

だって真理を投げつけているからね。

いつでも真理を言う人間は、不幸になる。

これは歴史上の事実なのだけれども、

そんな苦悩も君には分からないだろう。

君の気持ちも分からない訳じゃない。

でも、私は人生はみんなのものだと思ってる。

君みたいに一人よがりな考え方はしない。

大体、命は自分ひとりだけのものじゃないし、みんなで支えあう事によって、一つの命がはぐくまれているのだよ。

君は、だから彼女と上手くいかなかったのだよ。

あの時もそうだ。

君は、彼女と映画館に行った時、彼女がジュースをこぼしてしまったのに、君は何もしてあげなかった。

私は、彼女と席を交代しようと提案したかったのに、君は、何も言わず、何も彼女に同情さえしてあげなかった。

君は、なんてひどい奴なんだろう。

まるで鬼を見ているようだよ。

それが、生きた人間のする仕業だろうか。

彼女にとっての災難が、あたかも自分にとっての幸福の様に、私には思えるけどね。

僕は、あの時どうすればいいのか分からなかったんだ。

だって恋愛には奥手だったし、それにあれは彼女のミスだったじゃないか。

自分のミスだったら、どうにか対処も出来ていたかもしれない。

でも、僕は彼女の事を想ってやれなかった。

確かに君の言う通り、僕は冷淡な人間なんだろう。

しかし、自分独りで独立できない人間が、

果たして社会に出て行けると思うかい?

僕はそうは思わない。

彼女の為にも、あの対処は間違っていなかったと断定出来るよ。

冷淡さの中に、温もりのある僕の感情が彼女には汲み取れなったらしい。

何でも物事には裏には裏があるって事を知らなければいけない。

僕だって、出来るなら誰にだって優しくしたい時もあるよ。

しかし、そんな事をしていては、自分の事など出来るはずが無い。

僕は、僕の人生を生きたいのだよ。

彼女の人生じゃなくてね!

君は、どうやらかなりの重症らしい。

彼女が、お手洗いに向かった時、彼女は独り泣いていたんだ。

そんな事も知らずによくもそんな事が言えたね。

君は、彼女がどうしようが、どうなろうが知った事ではなかったんだ。

独りよがりで、その傲慢な態度では、誰も相手をしてくれなくなるだろう。

私だって、偽善者じゃないのだから、

自分の事が大切な事ぐらいは分かるよ。

しかし、君の態度は解せないね。

私は困っている人がいる時ぐらいは助けるよ。

いいかい、みんなが君みたいに冷たくなってごらん。

この社会がどんなに歪んだものになるのか想像してみればいい。

例えば、老人に椅子を譲る事もなくなるだろうし、赤ちゃんのわがままでさえ、許せなくなる人間で満ち溢れる事が、君には分からないだろう。

私は別に、極論を言っている訳じゃない。

日常的な、ごくありふれた光景を述べているのに過ぎないのだが、君には極論に思えてくるような気がするよ。

そりゃ、確かに人の為に厳しくしないといけない時もあるかもしれない。

しかし、いつもいつも人に厳しく当たるのは、私はあまり好きじゃないね。

僕は、みんなの為に厳しく言っているんだ。

君にそんな事を言われる筋合いは無いよ。

僕だって、彼女が泣いていたことぐらい知ってるさ。

けれど、僕にどうしろっていうんだよ。

それは彼女の責任であって、僕の責任なんかじゃない。

彼女はもう、社会的に自立した人間だったんだ。

自立した人間がいないから、この社会がおかしくなったんじゃないのかな。

僕はもう、社会的に自立しているし、

社会にだって責任を持って接している。

だからこそ、冷たい目線で見られるような事もあるよ。

君だってあるだろう。

それは、君が社会に対して無力さを実感する時じゃないのかね。

優しくするだって、そんな世界が優しく包まれているんだったら、

貧困だって、戦争だって、この世の諸問題が全て解決されているだろう。

もっとも、新たな問題が、表れるのは目に見えている事だけどね。

でも、人間なんて、そんな動物なんかじゃない。

自分の欲求の為には命でもかける動物なんだよ。

僕だって、大事なものには命をかけるよ。

そのかわり、自分のものではないものには関心なんてはらわない。

命をかけるなんてまっぴらだ。

君だってそうするだろう。

結局自分の身が一番大切なんじゃないのかね。

この偽善者め。

私も、その意見には賛成だ。

でも、優しさで解決できる問題があるのなら、解決すべきだとそう思う。

新たな問題が、どんな問題であれ、

それに挑んでいく覚悟が人類には必要なんじゃないのかな。

多分、強制的にすると失敗するだろう。

マルクスのようにね。

しかし、人は、いつか死ぬのだから。

命がけでその問題に取り組む人も現れるかもしれない。

私は、命がけなんて絶対に嫌だし、

生きているからこそ人生だと思ってる。

君だってそうだ。

君だって今、生きているんだ。

その体内の中には、れっきとした人間の血筋が通っているんだ。

その温かみのある、そして父さんと母さんから受け継いだ愛情を、

君は忘れたのかい。

君は、泣いていることを知っていたのなら、ハンカチぐらい差し出してあげてもよかったんじゃないのかな。

彼女は、お手洗いで独りで咽び泣いていたんだ。

君には、もう少し気を使っていただきたいよ。

彼女が席に戻った時、君は彼女に何も言わずに、ずっと映画を眺めていた。

そして、その脇には自分の為だけに買ったジュースがあった!

だから、それの何が悪いっていうのだよ。

僕の為に買ったジュースで何が悪い。

僕のお金で買ったんだ。

彼女がジュースが欲しければ、彼女の金で買えばいい。

二人はもうお互いが稼いだお金で、自立しているんだ。

僕らはまだ、結婚した訳でもない、結納を済ませたわけでもない。

確固とした二つの生命体の別々の命なんだよ。

君は、命は自分の物だけじゃないとか言うけれど、僕はそう思わない。

結局、自分の足で自立してこそ、生物なんだ。

だから、幼児は人間じゃないと僕は思う。

まだ、人間としては一人前じゃないんだ。

彼らは、人間の前の一つの過程の姿でしかないんだよ。

彼女が、自立した人間でなかったのなら、

彼女はもう人間じゃない。

動物みたいなもんだ。

この世に受けた生命を全うしていないただの薄汚れた廃人でしかなかったのだ。

それが僕にとって、悲しい事だった。

彼女が、もっと自立した人間で、しっかりした人間であったなら、僕の心も穏やかでいれただろう。

僕は、映画に集中して観ていたかったのに、彼女のせいで、それを妨げられたんだ。

彼女のせいでひどい迷惑を被ったよ。

私は、彼女を心から愛していた。

それは、君の愛し方とは違う。

私は彼女に献身的に接していた。

彼女の為になら何でもした。

いや、それには語弊がある。

命より大切なものは無いからね。

君みたいに命なんかはかけられない。

でも、その代りに、何でも彼女にしてあげられると思ってた。

しかし、君は違った。

自己保身の道に君は迷い込んだのさ。

それは、自分を犠牲にしてまで、自分を守ると言う事だ。

私の犠牲の精神とは、かなり異なる。

私の犠牲の精神は、自分を大切にしながら相手に尽くすと言う事さ。

彼女と最初に接した時の事を覚えているかい?

君は、ひどく興奮していた。

高鳴る胸の鼓動を、抑える事が出来なかったんだ。

あの、大学の教室の奥から、ずっと彼女の事を眺めていた。

夢見るように、優しく彼女を見守っていたんだ。

あの時の想いを君は忘れたのかい?

暖かくて優しい感情が心に流れ込んでくるのを、君は感じ取っていたはずだ。

彼女の名前が知りたい。何処に住んでいるのだろうか。

そんな想いが君の中で、芽生えたんだろう。

あの時から君は変わった。

彼女から気を引こうとしたんだ。

それから筋肉を鍛えたり、テストで良い点を取ったり、全くの別人のように変わっていったんだ。

あの頃の君なら、こんな言葉を口にしなかった筈だ。

確かに、僕はあの頃彼女の気を引こうと必死だった。

彼女は、僕の全てだったからだ。

僕は、彼女を欲しいと思った。

所有したい、自分だけの物にしたいって心の中で願ってた。

でも、彼女は振り向いてくれなかった。

それでも、僕は諦めなかった。

何故なら彼女が僕にとって、かけがえの無い存在だったからだ。

彼女なしでは、生きていけなかっただろう。

それなのに彼女は、口さえ聞いてくれなかった。

あの時は、憎悪を感じたよ。彼女に対してね。

何故、僕を無視するのか。

こんなにも辛い想いで満ち溢れさせるのか分からなかった。

あの時の僕は、笑顔なんてつくれなかった。全部作り笑いだったんだ。

心の中では、憎しみや悲しみで満たされていた。

でも、初めて彼女が声をかけてくれた時、それは氷解したんだ。

希望と言う名の太陽が、僕の心の窓辺に射し込んだんだ。

あの時の事は、今でもはっきり覚えている。

「お昼、一緒に食べない?」ってただそれだけだけど、僕にとっては素晴らしい一言だった。

自分の努力が達成された。

自分の願いが叶えられかけている。

そう思うと胸が躍ったよ。

私は、あの時の彼女のじらすのが君と同じように憎かった。

でも、その憎しみは憎悪ではなくて愛憎の念が入り混じったものだった。

心の底から愛していた。

彼女が幸せになるんだったら、自分を選ばなくてもいい。

そんな想いが心の中を駆け巡った。

彼女は、私を選ぶべきではなかった。

今は、そう感じている。

君が冷淡な行動を取ったからこそ、彼女はひどく傷ついてしまったんだ。

私は、彼女と付き合うほど価値のある人間じゃない。

自分は、もっと自分に素直になるべきだった。

自分というものをあの時の私は見失っていたんだ。

彼女と二人きりでお昼を食べている時、私は幸せだった。

でも、疑問に思っていた。

この人と自分とがつりあっているのかどうかを…。

その頃は、答えなんて出なかった。

ましてや、その疑問も幸福によって吹き飛んでしまった。

それが、彼女にとっての不幸の始まりだったんだ。

君は、彼女を物にしたいだけだった。

大学内で羨望を集める彼女を、独り占めにしたいだけだったんだ!

そうさ僕は、彼女を物にしたかった。

それの何が悪いんだ。

欲望で人間は動くんだよ。

それがこの世界の全てさ。

全てはリビドーに満ちている。

君も、そして僕も。

それは動物である以上、逆らえない掟なんだ。

理性によって、抑制するなんて無理な話だよ。

だって、生きていかなくてはならないからね。

僕が生きていくためには、彼女が必要だった。

唯、それだけの話さ。

それは彼女にとって、僕が必要なのではなく、

僕にとって必要なのだ。

彼女がどうなろうと、僕の知った事ではない。

いや、こんな事を言えば、誤解されるかもしれない。

そりゃ、彼女が幸せになってくれればそれが一番嬉しいよ。

でも、それはどうなるのか時間だけが解決してくれる訳で、僕が知ろうと思ってもそれは知れる情報ではない。

今の僕にとって、彼女が必要だった訳なんだ。

そして、彼女も僕を欲してくれた。

それでつりあいは取れているじゃないか。

二人の欲望は一致したんだ。

それなのに君は、それさえ否定するのかい?

私は、欲望に縛られて生きていく事には反対だね。

守銭奴みたいで、虫唾が走るよ。

大体、理性によって生きていけない人間にろくな人間はいない。

あの時の始めての食事の時だって、君は食事の代金を割り勘にしたんだ。

最初の食事の時でさえね。

私は、あの時、彼女の分まで払おうとしたんだ。

それなのに君は、それを断って、彼女に払わせたんだ。

あの時の彼女の表情は、寂しそうだった。

あんな悲しそうな表情は見た事が無かった。

私は、君の様な人間が大嫌いだ。

いつも周りの人間を不幸にさせ、自分の利益に結び付けていく。

彼女は、そんな君を嫌っていたんだ。

君は、あの時の会話を覚えているだろうか?

「お昼、一緒に食べない?」と言われて君は、「喜んで」と、そう答えたんだ。

つまり、君はあの時、歓喜で満ち溢れていたんだ。

「喜んで頂いて光栄だわ」

そういって彼女は微笑んだ。

君は、その微笑がとても嬉しかった。

彼女に喜んでもらえると思うと、胸が苦しくなったんだ。

そうさ、あの時の僕は有頂天だった。

まるで天国にいる様な気分だったさ。

彼女と一緒に食堂に向かう時、僕は彼女にこういったんだ。

「僕は、喜んでいるのか悲しんでいるのかよく分からないよ」

彼女は、困惑してこう聞いた。

「何で、悲しんでいるの?」

僕は、戸惑いながらこう言った。

「それは理由なんて無いけど、とても胸が痛いんだ」

彼女は、僕を見透かした様に言ったんだ。

「それ、本当?」

そして、僕の胸に手を当てた。

僕は、本当に驚いてしまって、胸の鼓動が高まるのを抑える事が出来なかった。

僕は、緊張のあまり赤面してしまった。

彼女がそれに気付いたかどうかは分からない。

けれど、彼女は手を胸から離してこう言った。

「本当、その痛み、私も分かるわ」

そう言って、先に彼女は食堂へと入っていってしまった。

僕は、どうすればいいのか途方に暮れていた。

少しの間、呆然と立ち尽くしていた。

釈然としない想いが湧き上がった。

それは、自分の気持ちが彼女に汲み取られたのかもしれない。

そんな気持ちと、彼女が自分の事を察してくれているのかもしれない。

そういう気持ちが入り混じって、僕の心のキャンパスを描きなぐっていたからなんだ。

赤面していたのも、徐々に回復してきて、僕は安静を取り戻し、食堂へと向かっていきました。

私は食堂へ入ると、彼女が座った窓際の席へと向かった。

彼女の長く、しなやかな髪は太陽の光を反射させ、輝いている。

そして、朱色の服は太陽の光を受けて、一層赤くなっているように私に認識させた。

彼女は下宿していたから、自家製のサンドイッチを持参していた。

それを、テーブルの上に乗せて、彼女は私のほうを眺めていた。

私は、食堂でパンを買うと彼女の方へ向かって歩いていった。

「ごめん、待たせて」

私は彼女に、そう言った。

彼女の気を悪くしたくなかったんだ。

彼女は、別に気にしていない様子で、「別にいいわよ」とぶっきらぼうにそう言った。

そして、私は彼女の正面の椅子に腰掛けた。

そこからだと、彼女の魅力が最大限に引き出されていた。

眉毛の下のひたむきな瞳、うるんだピンクの唇は、私の心をくすぐった。

若く繊細な皮膚は、白くて滑らかで、健康的で、細くしなやかな肉体は、官能に満ちていた。

それは、あたかもビーナスの化身を見ているかのようだった。

「それ、自分で作ったの?」

僕はサンドイッチを指差して言った。

「うん。朝から起きてこれを作ったの。意外と朝から結構忙しいのよ」

彼女は、頷いて一個のサンドイッチを私に差し出した。

「これ、一個あげる。それだけじゃ足りないでしょ」

確かに、私の買ったパンは少量だった。

それは、彼女の前では、あまり食欲も出なかったからだ。

彼女と一緒に食事を取っているというその事実だけで、私の心は満たされていた。

僕の心は、満たされていなかった。

いや不信感や疑惑といった想いで一杯だった。

彼女に想いを知られたかもしれない、そして彼女が唐突に胸に手を当てたという事実は、僕の頭の中の想いを払拭させることは困難だったろう。

彼女のサンドイッチの行動に対して、僕は嬉しかったし、何よりも彼女の物を食べれるという事実が僕の胸を高鳴らせた。

「ありがとう。朝から作るなんて偉いね」

僕は、サンドイッチを受け取ってそう言った。

彼女のサンドイッチは売店で売っているサンドイッチなんかじゃなくて、崇高なものの様に僕には思えた。

それは、いくらお金を出すと言われても僕はそれを拒んだだろう。

「そうでもないわよ。だって生活費を工面しなくちゃいけないからね」

彼女は、都市から出てきていた。

大学は、その都市から少し離れていた所にあった。

彼女の家からだと、数時間は往復でかかるだろう。

それを彼女は嫌悪している様子だった。

だからバイトをしながらでも、彼女は下宿をしていた。

「いいなぁ、自立できてて」

僕はそう言って彼女のサンドイッチを頬張った。

それは、甘くて優しくて卵の豊潤な味わいが口の中に広がった。

それは、どこか母の味にもよく似ていた。

そこが、僕には不可思議だった。

私は、それが君の母の愛情を喚起させたのだと思う。

君は、家では誰とも口を利かなかった。

何処かで家族を君は求めていたんだ。

その家族を君は彼女に求めたんだ。

しかし、彼女は本当の家族ではなかった。

それが、あの時の君は受け入れる事が出来なかったんだ。

「そうでもないわよ、仕送りしてもらってるし、下宿って結構大変なのよ」

そう言って彼女は、厳しい顔つきになった。

私は、ひどく傷ついた。

彼女の笑顔が見たかったのに、怒らしてしまったのかもしれない。

そう、考えるとやりきれなかった。

でも、帰り際に「またね」って声をかけてくれて安堵のため息をついた。

希望の光が私の胸に差し込まれたんだ。

あの時の君は、優しかったし、何よりも誠実だった。

それなのに、「さよなら」の言葉も無しに彼女をふった。

「ありがとう」さえ言わずにね。

僕は、後悔している。

今は懺悔の気持ちでいっぱいだ。

せめて彼女に「ありがとう」とさえ言えていれば、どんなに素敵だったろう。

そんな気持ちを君は気付かせてくれた。

心から「ありがとう」を君に言おう。

しかし、僕にだって言い分がある。

一方的に僕だけが悪い訳じゃない。

彼女にだって非はあった。

最初のデートの時の事だ。

彼女はデートの時間に遅れたんだ。

僕は三十分も待たされた。

駅前の広場で僕は彼女をずっと待っていた。

淡い希望を持ってね。

もしかしたら彼女はこないのかもしれない。

そんな不安が頭の中をよぎった。

待っている間、絶望が時折襲ってきた。

彼女に嫌われているんじゃないかと思ったらやりきれなかった。

早く彼女に僕は、会いたかった。

でも彼女はいっこうに来なかった。

30分後、ようやく彼女は現れた。

「ごめん、待たせて」

そう言って彼女は僕に謝った。

僕は安心感で胸がはちきれそうだった。

彼女が来た事で、不安感は、何処かに飛んでいってしまった。

私は、彼女が現れた時、ほっと胸を撫で下ろした。

「いいよ、僕も来た所だし」

なんて、ありきたりな嘘もついたりして、彼女を安心させた。

何故なら、彼女は息を切らして走ってきたようだったからだ。

小さな口から彼女の魅惑的な吐息が、送り出されては、また新鮮な空気を吸入されていた。

「ごめんね、本当に。電車が事故で…」

彼女はそう言って言い訳をついた。

僕は、その言い訳を真実だと思いたかった。でも、後で私は確認したんだ。

その日に事故は一件も無かったんだ。

でも、彼女なりの気配りだと思って、あまり相手にはしなかった。

彼女と一緒に、美術館に行ける。

そう思えるだけで胸がキャンパスに赤い絵の具を塗りたくったように、鮮烈に情熱が燃え滾るのが分かった。

僕は、あの時の彼女の嘘が許せなかった。

最初のデートで嘘をつくなんてね。

彼女の言葉が信用できなくなっていった。

僕は嘘を何よりも嫌う。

僕は真実を知りたかった。

何故、彼女が遅れたのかを。

そして、嘘までついて僕に言い訳をしたのかを。

しかし、そこまでは知れなかった。

僕は、歯がゆい思いを拭い去ることが出来なかった。

私は、そこまであの嘘を気にしなかった。

嘘をつくことなんて、社会に出れば、常識になる。

君みたいな人間こそ社会で自立できないんじゃないのかな。

彼女と美術館に行った時、彼女はシャガールの絵の前で立ち止まったんだ。

彼女は絵に見入っていた。

その絵は純粋で、透明で、繊細だった。

それは彼女の心と調和して、お互いがシンクロしあっているようだった。

「この絵、好き」

彼女は呟くようにそう言った。

「そう? 僕には高尚過ぎてわからないよ」

僕は、彼女に言った。

「素朴だから、好きなのよ」

そう言って彼女はフフっと笑った。

その日、彼女に絵が描かれたお皿をプレゼントした。

彼女はとても喜んでくれて、僕も素直にその事が嬉しかった。

「そういえば、私、昔に砂浜で割れたお皿の破片を見つけた事があったの」

彼女は、眼を輝かしてそう言った。

「それで、そのお皿は昔の見たいで風流だったから、今でも取ってあるの」

彼女は遠い所を見つめるように、そう言った。

それは昔の事を懐かしんでいるように私には思えた。

僕は、お皿をプレゼントなんてしたくなかった。

お互いは欲望によって結ばれていたんだ。

結局、それは僕と言う存在を否定し皿という存在を彼女は引き受けたんだ。

嗚呼、彼女は僕を欲してくれていない。

そう考えると悲しみが泉のようにわきあがってくるんだ。

私は、彼女にそのお皿が見たいとそう言った。

それは、本心からの思いだった。

彼女は快く引き受けてくれた。

そして、初めて彼女の家に後日、窺う事になったのだ。

あの時の君は良くやっていたと思う。

我ながら感心するよ。

彼女の家にまで上がれるようなご身分にまでなるとはね!

僕なら出来なかったろう。

君だからこそ上手くいったんだ。

私は、そんなに上手くいったなんて思ってはいない。

ただ彼女と一緒にいたいという想いが、彼女に伝わったのだとそう思っている。

プレゼントだって、彼女が喜んでくれると思えばこそだった。

後日、彼女の家に行った時、彼女の玄関にお皿の破片を見つけた。

それは陶器で、黄土色をしており、江戸の町並みを描いてあった。

彼女が、それを磨いたようで、それは輝いていた。

それは破片だったけれども、強い衝撃を胸に覚えさせた。

「綺麗でしょ?」

そう言って彼女は、誇らしげに私に言った。

「ああ、とっても綺麗だよ」

私は、その陶器を手に取ると、ゆっくりと眺めた。

所々にひび割れが起きているものの、

それは、昔の風景をありありと見せてくれている。

その日は、彼女の家で、お茶を飲むだけで帰った。

それでも満足だった。

彼女の家に入れるなんてこれ以上に無いくらい嬉しかった。

僕は、人を簡単に家に入れる女なんて好きじゃないんだ。

あの時、僕は家に入るかどうか躊躇したんだ。

女の人の家に入るなんてまず人生においてなかったからね。

でも、彼女はそんな人間じゃない、そんな希望を持って、彼女の家に入ったんだ。

次のデートの時、ふと買い物をしている時に、手と手が触れ合った。

何気なく、二人とも自然に手が繋がっていた。

お互いの温もりが直接二人を、暖めあった。

私は、木漏れ日の中にいた。

新鮮な感情がせせらぎによって流れる小川のように、満ち溢れてきた。

お互いが、それはお互いを認めた瞬間だった。

それなのに、僕は彼女をふった。

「さよなら」の言葉も言わずにね。

僕は、最後の時、彼女には飽きていた。

他の女性が欲しかったんだ。

もう彼女には心の中ではうんざりしていたんだよ。

彼女は何も言わなかった。

唯、僕を憎むように見入っていた。

「もう、これで最後にしよう」

それが最後の言葉だった。

その言葉を残して、僕は颯爽と去ったのだった。

2008年6月2日公開

© 2008 柿人不知

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