ハンナは空の目の下 (七)

ハンナは空の目の下(第8話)

尾見怜

小説

9,059文字

花粉の季節がきましたね、なにもできないですね

ハンナの通っている市立中学校は都内でも評判が良かった。建物がモダンでいい感じ、とか制服がキュート、とか視覚的にわかる低次元の情報しか巷には無いのだが、ハンナがいざ編入してみると教師や生徒の質が高く、「精選された教師がサポート」という学校のサイトに極太明朝体で書いてある文句は伊達では無い、と感じられた。教師たちはおしなべて老獪だった。
ハンナの担任は鈴瀬という齢四十の中年男であった。まぎれもない男性だが、基本的にふわふわのフレアスカートを着用しヒールを履いている。本来あるべきすね毛はきれいにレーザー脱毛されており、下半身は女性の着衣そのものであるが、上半身は典型的なおじさん教師の格好で、ワイシャツにネクタイ、その上に芋臭いジャージを着用、首から上も短髪に青髭そのままである。誰もが初見ではどういう人間か判別しかねるが、本人はいたって落ち着いており、堂々としているので慣れればいい先生だということがわかった。クソガキ共も当初盛大にそのちぐはぐな恰好をからかい、大げさに反応したりスカートをめくったりしたが、彼は恰好をからかうという行為自体がセンスの幼稚な愚か者、みたいな空気を作り出すのが非常にうまく、その日本社会では常識的とはいえない恰好でも日常として溶け込んでいるのだった。
彼は自分を「ベル瀬」と呼べ、ガキ共に言った。「ベル」は「鈴」の英訳であるが、彼の着ているふんわりしたシルエットのスカートを形容していると思えなくもなく、さらに「ベル」という響きが女性的な点から、彼はやっぱりオカマなのかねー、みたいなことを勘違いするガキも居た。
ハンナは彼を「ベル瀬せんせー」と呼んでよくなついた。彼女的に「ベル瀬せんせー」の「瀬せんせー」の部分が発音時なんとも間抜けな響きで、ハンナの独特な感性の琴線に触れ、事あるごとに無意味に絡んだ。ハンナが彼をからかい半分に「ベル瀬」と呼び捨てにしたことがあったが、ベル瀬は男の力で容赦のない蹴りをハンナにかました。ヒールを履いているので当たればシャレになっていなかっただろうが、間一髪でかわしたハンナはさらにこの不可解な教師がますます好きになった。クラス内の顔面偏差値で他の俗人を圧倒していたハンナがなついたことで、ベル瀬は生徒から受け入れられ、元々恰好以外は常識的な素質を持ち合わせていた事と、餓鬼共もいいとこのぼんやお嬢が多く根は素直だったため、彼のクラス運営はうまくいっていた。
ハンナは彼についてよく考えた。なぜスカートを佩いているのか、という表層的で誰もがまず考える事柄から、彼の性癖、内面に至るまで様々な命題が彼と会話するたびに泡のごとくあらわれては消え、そのすべてに答えを見つけることができなかった。彼は自分のことを語ることすくなく、威厳と知性とミステリアスな雰囲気をもちあわせていた。ハンナにとって母以外の人間は謎の塊で、どんどん難しくなっていく勉強と同様に理解不能のものとして棚上げする癖があった。ただ、ベル瀬に関しては今までで一番特殊というか、輪をかけてわけのわからん人間であった。昭和の私小説以外の小説、英米文学を図書室に行って軽く挑戦してみたのだが、文体がことごとく合わず、脳が拒否するように感じられたが、なぜか恰好よく感じられて魅力的におもうみたいな感じに似ている、とおもった。ハンナの彼に対する想いは不可解なものに対する好奇心を経て、恋愛感情に接続するものであったかもしれない。現段階でハンナは自身の感情を整頓して言語化して認識する、と言うことができないほど幼かった。

ある朝の教室のこと。
「はあい、情報理論と現代政治のマッシュアップです、端末から余計なブラウザを消してください、消しなさいってば、消せ、消しやがれ」
おっさん丸出しの声が室内に響いた。
ベル瀬がドアを開けて入ってくる。
生徒たちは慌てて自分の席に着く。慌ててない余裕を演出しつつハンナも座った。
ベル瀬はいつも通りスカートとハイヒールを履いて、一段高いホワイトボードの前に立った。ブルーライトカットの為のサングラスをつけ、頭は角刈りなのでいよいよわけのわからぬ恰好になっている。彼と初対面の人間は大抵、なぜ彼がこのような恰好に着地したのか思考の道筋が一切わからないため戦慄する。フランシス・ベーコンの絵を初めて見た人の感情が最も近い。だがハンナをはじめとする生徒はもう慣れっこで、授業用のソフトを立ち上げたり、貧乏ゆすりしたり、前の席の生徒を蹴ったりしている。
ハンナは授業が始まってしまったけど、トイレに行っとけばよかったなぁ、でも途中で行くのは恥ずかしいなぁ、とかおもっていた。クラス内にはびこる蒔岡ハンナ頻尿疑惑を敏感に察知していた為、彼女は無駄な見栄のせいで、排尿に関して自縄自縛状態になりつつあった。そんなことを考えていると授業が始まってしまった。ベル瀬は教室内を見渡し、一発深いため息をついたあと、はじめまぁす、と言って授業を始めた。

現代政治と情報理論は不可分なものとなっています。前回の授業で話した、民主制から寡頭制への移行の話です。みんな覚えてるかな?、え、全然覚えてないって、うっそぉ、相変わらず最悪な生徒だな君らは。しかたないからちょっと復習しますけどね、ちゃんと授業聞けよカスども。まず民主制の期限は古代ギリシャのポリスだと言われています。そう、プラトンとかアリストテレスの時代ね。現時点の日本の政治制度はこれとよく似ています。ポリスでは家庭単位で議員が選ばれて、政治に携わる。あなたたちのようなこどもや、奥さん、たくさんの奴隷たちが働いたり、身の回りの世話をして男性の家長を支えてたのね。一方現代日本はどうなのかというと、皆さんの家の中でも参政権を持つ方は一人だと思います。家長さんでもお父さんでも親父殿でもビッグマムでもいいけど、たった一人ね。それはギリシャでも一緒だったの。でも違う点が一つ。今は蒔岡さんのお父さんの様に、難しい試験を何個も潜り抜けた人が公務員として参政権を持っています。いわば、行政と立法に携わる権利ね。行政権と立法権、その意味も分からないクソバカはさすがに居ないね? 古代ギリシャ政治と現代日本政治政治にかかわるのに試験を乗り越える必要がある点においては中世から近代にかけての中華圏における科挙制度がとても近いです。対してギリシャでは世襲でした。奴隷の子孫はいつまでたっても奴隷だったってことね。お金貯めて自分を買いとることもできたみたいだけど。今の日本は違います。日本の今の政治は、試験を潜り抜けてきたエリートが手綱を握ってます。元老院と内閣府に属する公務員をトップとして次に各省庁のAI、外郭団体の職員、以下が労働者階級となるのですね。今挙げた人たちのなかで、公務員以外の人に参政権はありません。理由はシンプル、頭が悪いからです。頭の悪い人には政治にかかわる権利はありませーん。

「ベル瀬せんせーはエリートじゃないのー?」ひとりお調子者が手を挙げて発言した。少し笑いが起きた。江戸川コナンみたいに無邪気な感じでわざと声を高めにしているのが腹立たしい。少々の笑いがとれたのでお調子者は自足した様子で顔を赤くしてふーんと鼻息を荒くした。

私はエリートではありません。本来エリートとは一般大衆に比して高い知能と経験をも持ち、一般大衆より大きな責任の下に行動する人間の事です。私には知能も経験も欠けています。だからエリートではありません。つまり私も参政権を持っていません。いいですか。話を戻します。ギリシャのポリス以降、人類は様々な政治形態をとってきましたが、ある時民主制国家が世界の半分以上を占めました。アメリカを代表とする工業強国が、恵まれた国土的フィジカルとプロテスタンティズムに支えられたメンタルを武器に他国を圧倒したんですね。それが顕著に表れたのが、日本をフルボッコにした太平洋戦争でした。余裕こいて寝ている蒔岡さん、太平洋戦争は何世紀の出来事だっけ?
「たぶんだけど十九世紀でーす」ハンナはだるい退廃的な感じを演出しつつ答えた。彼女の脳内は尿を我慢することのみにメモリが割かれていたのでぜんぜんだるい感じをうまく出せなかった。心中は嵐である。
違います二十世紀です。そんなことも知らないアホは廊下に立ってろ、とドラえもんの先生ばりのお仕置きをしたいところですがあとで都の教育委員会に怒られちゃうのでやめます。怖いのよあの人たち。俺こんなかっこしてるから目をつけられてるのかなぁ。いや、ちょっと待って待って待って、蒔岡さんほんとに廊下行かなくていいよ。ごめんごめん、冗談よ。座ってていいよ。だから座ってろっつうの、わからんやつだな。なんだお前。
話に戻りますね。頭の古いアメリカ人は、今でも普通選挙を採用した民主政こそ最高の政治形態と信じて疑わない人もまだ居ます。二十世紀はアメリカの軍事・経済的支配のもと、ある革命的な技術が軍事技術から生まれました。ご存知インターネットの出現です。インターネットの多様性利便性はまあ、よく知っていると思うので割愛しますが、問題はインターネットの出現がもたらした情報量の増加です。あなたたちは脳が若くて常に情報に飢えた状態ですから、我々を囲む情報量に快楽すら感じるかもしれませんが、ベル瀬みたいな中年には現状の情報量は意図的に断捨離しないと脳がもちません。ミニマリズムが流行ったことから分かる通り、若いころから無計画にいいやいいやで脳に情報をぶちこみ続けると、三十~四十歳くらいから意思決定や論理的判断に悪影響をもたらすことがここ数年の研究で分かりました。あんたらも暇さえあれば、動画とかSNSでしょう。そんなんじゃやばいよ。最も恐るべきは脳の情報オーバーロードです。情報オーバーロードとは、五感が受容する情報量が時間単位で一定量を超え続けたことによって、神経系の処理スピードが摩耗してしまった状態をさします。段階的な脳卒中ともいわれています。若いころは大丈夫です。健全な生活習慣を維持していけばね。でも年を取って情報のシャワーを浴び続ける習慣を維持したままだと、若年性アルツハイマーに似た症状が出る人が多くなります。二十一世紀にシステムエンジニアの知的短命さと教養の欠如が指摘されましたが、それが原因です。いわゆるIT系と言われる日本企業の人材不足、それは情報に対する人間の強度を過信しすぎた結果です。情報に耐えるための脳の強度、これを情報靭性と言いますが、筋肉トレーニングと同じような要領で高めることが可能です。幼少時から科学的にプログラムを組んでやっていけば、情報靭性は鍛えられるんですね。そこで最初の話に戻ります。現代国家におけるパワーエリート、公務員に求められる素質は、第一に知性です。蒔岡さんのお父様は、ベル瀬とは比べ物にならない知的エリートで、あらゆる種類の学問を収めないと通過できない、「公務員」の資格を多数持っていらっしゃいます。資格を取るには現代政治学、マクロ経済学、情報社会学、法学の論文執筆と査読のある学術雑誌への掲載が必須です。ベル瀬は教育学を修めたにすぎません。それだけにとどまらず、数学や哲学などの自然科学のサブジャンルから、あらゆる種類の学問を修め、行政のトップとなるべき知性を得ないといけません。彼らが目指しているのは蒔岡さんのお父様のようなトップオブトップの公務員であり社会システムをプログラミングする栄誉なのです。公務員の質を決めるのは知性です。そして、常に問題をみつけて答えを探し出すことを可能にする圧倒的な情報量を処理する情報靭性です。爆発的に増え続ける情報と戦うにはそれ専用の教育プログラムをこなさなければなりません。健康診断で脳が情報オーバーロード状態であると診断された人間の末路は悲惨です。行政より障碍認定され一般企業の責任ある立場に就くことができなくなります。その為、我々はその事実を、まだ中坊であるあなたたちにあらかじめ伝えておく必要があるのです。あなたたちは基本的に自由です。それは権力、すなわち国家によってあたえられています。いま自由が権力により与えられていると聞いて、むかついたひといますか。小生は自明的に自由なのだ、アナーキズムばんざい、ってひと、手をあげてください。結構いますね。ふざけてんのか。いま手をあげた人たち、あなたたちはアホです。ていうかホッブズ読めよ。だれもかれもが我が我がで気持ちいい感じに自由闊達にふるまったら無秩序になります。世界がマッドマックス2的なことになります。無秩序になったら結局みんな困ります。だから自由をあるていどコントロールするシステムが必要です。それが権力であり国家なのです。アナーキーな思想はファッションとしてはかっこいいから魅力的なのはわかるけどね。こう見えてベル瀬、ヒップホップとか聴くのよ。カニエ・ウエスト、良いよね。話を元に戻します。何回話をもどすんだ私は。なんの話だったっけ? そうか、情報だった、とにかく情報との付き合い方をあらかじめ決めておいてください。ネットに転がっている情報は九割がゴミです。そして量が莫大です。それを摂取し続ける人生を選ぶのか、科学的に情報量をコントロールし、有用な情報だけを脳に与え続け、将来的に参政権を得られるようなエリートとなるのか、今選択しなければいけません。ということです。

ハンナはいい感じに半覚醒で心地よい睡眠をとっていた為ほぼ何も聞いていなかったが、浅い眠りで靄のかかった意識の中聞こえたベル瀬の講義の中で、ひっかかる部分が二点あった。
一つはベル瀬が自分はエリートではない、と言ったこと。ハンナは彼ほど賢い人間は、義父とエリク以外にしらなかった。他の教師たちは講義のとき、用意した資料を読んだりしているけど、彼は何も持たずに、自分の頭から出た言葉だけで講義を成立させているのだった。そんな彼でさえ、エリートとは言えないなんてハンナ的にはうそでしょ、みたいなおもいであった。
そしてもう一つは義父とエリクがまぎれもなくベル瀬の言うエリートであって、自分たち大衆とは異なる感覚で生きていること。なんか価値観合わないよなー、と常々おもっていたが、それどころの騒ぎでは無く、彼らは国のシステムを任されている責任上、異常なほど優秀でなければならないのだ。正直公務員になることがこんなにしんどいことだとは知らなかった。エリクは脳が情報オーバーロードしないように気を付けられた義父のプログラムによって、着々と公務員への道を歩んでいっているのだなあ、とおもった。それにくらべてあたしは脳使わず酒飲んで寝てばっか。ははは。公務員はみんな大変だねぇ。
と夢うつつの中ハンナがそこまで考えた途端、「あれ」がまたやってきた。ハンナは完全に目を覚まし、カメのように縮こまる独特の防御態勢をとった。隣の女の子が訝しい目線を向けてきたのがわかった。汗がぶわっとふきだした。
学校では初めてのことで、ハンナは少し緊張した。
まず彼女の視界から色が消えた。
すべてはモノクロ映画の炎のように揺らめいていた。
周囲の生徒たちはおなじみののっぺらぼうに見えた。ハンナは冷や汗をかいて息が荒くなっている自分に気付いた。
だめだ。つらい。保健室に行くべきかしら……
すると教室の輪郭がさらに曖昧になり、ベル瀬とクラスメイトだけが浮き上がった。
周囲の人間たちが巨大化していく。恐るべきは、彼ら全員の頭の上に小鳥の頭が乗っかっていたこと。そしてその不気味な小鳥の首はすべて、ハンナを見つめていたことである。
いやだ、気持ち悪い!
ハンナは叫び出しそうになったが、頭を抱えてなんとかこらえた。
異変に気付いたクラスメイトも何人かいた。
ハンナはこれは現実ではない、これは現実ではない、これは現実ではない……と自分に言い聞かせた。途方もない吐き気が彼女をおそった。昨日食った焼きそばが出てしまう。
耳と目を塞ぎなんとかやりすごす。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。こわくない。こわくないぞ。
心拍数が落ち着いてくる。恐怖に鈍感になっていく自分を感じていた。

少し経って忘れていた尿意が彼女をおそった。お腹が痛くなるくらいの強烈な尿意だった。
強い生理的な現象にふっとばされたのか、今回の「あれ」は終わった。よかった。
視界に色が戻り、みんなの頭の上の小鳥は消えた。
ほらね。我慢してれば人生なんとかなる。
今回の「あれ」はほんの数十秒間だったが、ハンナは一日分の精神力を使ってしまったような気がしていた。こんなんであたしの人生大丈夫なのか……。
尿意に救われたハンナは我が人生のくだらなさに絶望した。
ハンナのつかのまの苦しみなど知るはずもなく、ベル瀬の授業は続く。

二十一世紀まで、世界は民主主義こそがメインストリームだった、と言いましたが、二〇一七年頃から民主政の弊害が目に見えて現れるようになったのです。それは民主的共和政がギリシャで生まれたときに既に認識されていました。衆愚政治、愚かな大衆による判断が政治に反映されることです。例を挙げると、二〇一〇年代の日本では衆愚政治のピークでした。嘘かと思われるかもしれませんが、アナウンサーとか俳優とか歌手とかプロレスラーとかが政治家を名乗ることができたんです。当時は普通選挙を採用しておりますから、大衆の票が一定数さえあれば、政治家になり、立法の政治判断に関わることができたんです。わらっちゃうでしょ。なにがこいつらにわかるんだか。これで政治が悪いって言われても、お前らがアホを選んだんじゃん、っておもうでしょ。当時は明らかにバカで政治や経済、軍事の知識が一般人以下なのに、大衆は知った顔とか甘々の理想論に騙されて、彼らに投票してしまうんです。まあ一部の優秀な政治家が実権を握り続けたのでなんとかできていました。官僚はキャリア制度を採用していたので、今ほどではないですが優秀でしたしね。ともかく政治家の質が下がり続ける事、この根本原因は大衆消費社会に内包される愚民化システムです。そもそも大学で政治学を学んだことも無い人間が、投票する権利なんて皆さんはあると思いますか。軍事の基本的な知識も持たない人間に立法に関わる権利があると思いますか、私は無いと思います。そもそも民主主義とは国民一人一人に高度な政治意見を持たせることを前提とするかなり過酷なシステムなのですから。真摯に各議題に対して情報収集して、自分の考え方が偏ったドグマに捉われていないか、認知的不協和のバイアスがかかっていないか、疑い、恐る恐る決断し、決める。そういった態度を取れない人間が、政治にかかわることなどあってはなりません。政治学の公務員試験は最も難しいもので、成人前に取得したある人は生まれてから資格を取得するまで太陽を見たことが無かったそうです。意味が分かりますか、ジョークだろうけどあながち間違っていないと思います。彼は二十歳になるまでほとんど家から出ずに勉強していたんですよ。公務員試験というのはそこまで過酷な努力を強いられるのです。中国の科挙に近い、といった意味が分かりましたか。それほどの努力をこなした人間でなければ、政治にかかわる権利など無いのです。私にも勿論無い。彼らは冗談交じりにこう呼ばれます、デミゴッド、半人半神、つまり半分神様ってことです。彼らは間違えません。あらゆる情報を正確に処理できるのですから。もし彼らが間違えたとしても、私たちには認識できません。あなたたちは日本が民主制と寡頭制、どちらがいいとおもいますか、考えてみてください。もちろん、寡頭制が絶対に正しいなんておもってほしくはありません。ベル瀬はみなさんに常識を疑うクセをつけてほしいな、みたいな感じですベル瀬は。かつてブライアン・イーノは、現代における一ヶ月の変化は十四世紀におけるまるまる百年に等しい、といいました。二〇一五年の時点でね。今はさらに変化が激しく、情報量が莫大です。どんな情報を優先して処理するのか。変化の激しい時代、あなたたちはどう生きたいのでしょうか。自分でよく考えて決めておいてね。今日はおしまい。次回は続いて令和維新について話します。主にそこで寝てる蒔岡さんのお父さんが進めた政治改革の詳細についてです。予習しておくように。

ハンナは尿意のために完全に目が覚めていたので、しかたなく机に伏せて寝たふりをして、ベル瀬の授業を聞いていた。同級生たちはベル瀬の授業について真剣に考えるものは少なかった。彼らには政治やら思想やらのことを考えるよりか、もっと具体的な、自分の外見のこととか、友達の性体験の進行具合とか、サッカー日本代表にいいボランチがいない、などの悩みのほうが大事だった。
一方ハンナはすこしちがった。自分が蒔岡という日本でも有数の公務員の家にたまたま住んでいるからであり、義父やエリクの非人間的な生活をみるかぎり、今の寡頭政より民主政という政治体制の方がまだましなんじゃないの、とおもったりしたからだ。しかしちょっと考えた後、シンプルにどうでもよくなった。アメリカとか今もまあまあうまくいってるみたいだし、日本もちょっと前はそうだったみたいだし。ってかどっちでもよくないか。わたしは可及的すみやかに排尿したいのよ。もう限界。
そこでハンナはベル瀬が喋りおわるやいなや、がた、とおおきな音を立てて立ち上がり教室の外へ出た。授業が終わるタイミングとほぼ同時に教室から出ていった。
同級生はみんな、おお……、みたいな顔をした。
ベル瀬もおお……、みたいな顔をした。
ハンナは純粋に尿を排泄したいだけで、この欲求以外の事象を無視しなければならないほどに追い詰められていた。膀胱内の状況的に声を出すのもきびしい、くらいまで我慢したのである。彼女は能楽師みたいなちょこちょこした歩き方でトイレに向かった。しかし周りのものの幾人かは、その行動に思想的なものを感じた。公務員の娘による、ベル瀬の授業内容に対するアナーキーな意思表示である、と勘違いしたのである。膀胱に刺激を与えないように配慮した歩き方も、なにか抽象的意匠の一つではないだろうか、とハンナを専門に研究している童貞男子同級生たちの格好の議題となった。彼らの混乱した性欲と恋愛感情は方向性を求めていた。

2021年3月2日公開

作品集『ハンナは空の目の下』第8話 (全24話)

© 2021 尾見怜

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