で、僕は豚の絵を寝室の壁に掛けたその日から一週間連続でその豚に襲われる悪夢を見たんだけど、とは言えそんなことがあっても、豚の絵を寝室の壁から移そうって気は起きなかった。ちっとも。デスティニーさんへの愛を試されているような気がしていたし、それに移したら北斗に指摘され、笑われる。それだけは嫌だった。彼に笑われるくらいなら毎晩悪夢を見続けるほうがましさ。
その一週間、僕は生気を失っていた。夢の中で毎日豚に殺されかけていたからではない。デスティニーさんに会えなかったんだ。スターバックスで別れる際「次は歌手か、黒豚を」と僕が言ったら、デスティニーさんは笑顔で頷いてくれた。それなのに、だ。僕は雨の日も風の日もデスティニーさんと出会ったアラハビーチへ行った。彼女と出会ったのは昼過ぎだったから、僕は正午頃から日没まで毎日ビーチを歩き回った。けれど、デスティニーさんは現れなかった。僕はウォーキングをして健康になっただけだった。
「気の小さい奴らだ。俺ならもっと亜男に絵を売りつけるけどな」と言って北斗はハイボールを飲んだ。
さよならも言わず沈んでいった冷たい七日目の太陽をビーチから眺めたその日の夜、僕は北斗を那覇のダイニング・バーまで連れ出していた。北斗には悪いが人間なら誰でもよかった。とにかく誰かと大酒を食らいたかったのさ。
「連絡先を訊く、という家訓が荻堂家にあればこんなことにはならなかった……それにしてもどうしたんだろう、デスティニーさん……もしかしてイサドラ・ダンカン・シンドロームで死んでしまったんじゃ――」と僕。
「きっとそうだ。そうに違いない」と北斗。
友が同じ見解を示したからというわけではないんだ。僕がデスティニーさんを故人扱いすることにしたのは、その選択肢しかなかったからさ。僕はダイニング・バーのちゃちな椅子から立ち上がる必要があった。デスティニーさんは生きているのに会えない、そう飲み込むことがこのときの僕には一番つらい、喉越しの悪いものだったんだ。
そのダイニング・バーは午前四時までの営業だから、僕らが店を出たのはその時間だったと思われる。僕は酷く酒に酔っていた。まっすぐ歩けなかった。
僕らは車を駐めた駐車場へ向かっていた。北斗は僕の首根っこを掴みながら運転代行に電話をかけていた。
で、僕と北斗は駐車場の十数メートル手前で足を止めたわけだけど、それはある人と出会ったからさ。いや、道端に落ちていたある人を見つけたと言った方が正しいかな。僕は一瞬で酔いがさめた。
「安価な接着剤は高価な接着剤を買わせるために絶対に必要だよな、亜男」と北斗が電話を切って言った。
「そうさ。その高価な接着剤のアビリティなんて関係なしにね」と僕は言った。そしてその人のそばに駆け寄った。
道端に落ちていたのはデスティニーさんのお兄さんだった。そのときのお兄さんの様子を例えると、成長というのは励まされた経験のある詩を読み返して胸糞悪くなることだと認識を新たにした人が破り捨てた詩集のよう、あるいは、無垢だった少女たちに無駄毛を処理する感覚で始末された貞操のよう、もしくは、勇ましかった者たちに遺棄された夢や正義や自尊心とかいう概念たちの成れの果てのような、そんな様子だった。要するに、無惨な姿だった。
つづく
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