駐車場に着くと、デスティニーさんは普通車の黄色いステーションワゴンの前で歩みをとめて、その車の後部座席のドアを開けた。そして彼女はコピー用紙でいうとA3サイズくらいの額縁に入っていない絵をそこから出した。で、彼女はこう言いながら僕にその絵を手渡してくれたんだ。
「タイトルは、『踊り場で踊り字を踊り食いする踊り子』です」
衝撃的な絵だった。言葉で言い表せないって言葉でしか言い表せない。
僕はその絵を心から称賛した。そして僕は十九万四千円でその絵を買った。
十九万四千という半端な金をデスティニーさんに渡したのは、手持ちの現金がそれだけしかなかったからだ。デスティニーさんはその金額で快く絵を譲ってくれた。
それから車に乗って帰るデスティニーさんを見送ったわけだけど、別れぎわ僕は、彼女とまた会う約束を取りつけることができた。今度は豚の絵を見せてもらえることになったのだ。
「子供が目をつぶって描いても、もう少し上手く描けるだろ」
北斗がデスティニーさんの絵を見てそう言ったのは、僕がデスティニーさんから絵を購入した翌日の夜のことさ。僕は納戸に眠っていた額縁に絵を入れて、一人暮らしをしているマンションの居間の壁に掛けていた。
僕はデスティニーさんの絵を悪く言うこの友に哀れみを覚えなかった。デスティニーさんの描いた絵の素晴らしさが分からないなんて可哀想な奴だな、とは思わなかったのさ。どの部屋もインテリアはママがコーディネートしたのだけれど、イタリア製のモダンなカウチやテーブルやキャビネットやランプ、スイス製のオーディオシステム、日本製の84V型テレビ、それからたくさん飾ってあるアンディ・マウス人形[注1]やその版画も、デスティニーさんの絵のセンスの高さに慄いて萎縮している様子だったんだ。僕の部屋の家具たちでさえデスティニーさんの絵に引け目を感じているのだから、北斗なんかに分かるはずない。「この絵の良さが分からない自分の感性を俺は誇りに思う」と発言した北斗に対し、「君のような人間にこの絵の良さが分かったら芸術はお仕舞いだ」と強い言葉で返したときも、僕は彼に哀れみも怒りも覚えていたわけではなかった。この絵の良さが分からない友にどのような友情を施してあげれば良いのかと、むしろそんな宿題を自分に課す気でいた、このときまでは。
僕はデスティニーさんとの出会いから例の踊り子が僕にどんな客人よりも厚遇されるようになった経緯を北斗に話した。彼は居間のカウチに横になってテレビでスポーツ・ベッティングをしながら、一人掛けソファに座っている僕の話を聞いていた。
「見れば見るほど気持ちの悪い絵だな」と北斗が言った。デスティニーさんの絵はテレビのそばに飾ってある。「この部屋、呪われるんじゃないか?」
「呪われるわけないじゃないか」と僕は言った。「むしろ部屋の気が浄化されてる。新しい空気清浄機を買わずに済んだよ」
「踊り場で踊り字に踊り食いされる踊り子ではないってことだけが唯一の救いだ。そこは評価してやる」
北斗のその見解については僕も同意見だった。そして彼はこう続けた。「絵のタッチにもよく現れているが、まともな女じゃないのは確かだ。知り合ったばかりの男に絵を売りつけるなんて」
「北斗、それは違う。僕はデスティニーさんに絵を無理やり買わされたわけじゃない。僕が無理やり買ったんだ。勘違いするな!」
「それはそうと亜男、お前なんで休学するんだ?」
北斗は話を逸らした。僕は彼のその質問に対して、彼女ができないからと答え、さらに、彼女ができたら復学する、とつけ加えた。が、まあそれは冗談さ。冗談半分、完全な。
「彼女ができたら? それは『復学しない』って意味?」と北斗。
「明日にでも休学を取り消すって意味だ!」と僕。
北斗が冷笑した。そして彼は僕にこう訊いた。「で、その自称踊り子——じゃなかった、その自称画家と次はいつ会うんだ? そいつの財布の中にまた金を捨てに行くつもりなんだろ?」
僕は腕時計を見てこう答えた。「およそ二十一時間後」
つづく
[注釈]
1.アンディ・マウスとは、アンディ・ウォーホルとミッキーマウスを合体させたキャラクター。キース・ヘリング作。
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