落としたハンカチ

応募作品

Raymond

小説

4,247文字

久しぶりに地元に帰る時、変わりすぎた自分のせいかふと危うい気分になる。

地元、それは”欠如”であり、戻りたいが完全に戻ることが出来ない場所。
なぜならそこを出てきた自分は地元にいた自分と変わってしまっているから。

合評会2019年09月参加作品

地下鉄の駅の改札から地上へと上がる長いエスカレーターがある。その駅はまるまる地下に沈んでしまったような印象を訪れた人に与える構造となっており、改札に進んで行くにはまずコンクリートで出来た大きな洞窟を思わせる階段とエスカレーターを降下していくことになるが、切符売り場を通ってからも、再度エスカレーターで30mほど降りた所にプラットフォームが待ち構えている。電車から降りて、地上に向けての上昇を続けて行くと、最後のエスカレーターを登っていくとき、青く澄んだ空が目の前に開けていた。

 

私はこの「上昇」の感覚を今でも持ち続けている。会社のビルに入って大きなエレベーターに乗り込んだ時に来るあの「上昇」の感覚。それは浮遊とは違い、自分が定められている或る1点に迷うこともなく自動的に進んでいる感覚に近い。どこまでも、どこまでも上っていくような感覚だ。

 

だから、本日から戻る故郷へと向かう電車の中で、「下降」という感覚が心にふと差し込んできたときは訝しんだ。

「下降」の意識が強くなってきたのは、2回目の乗り換えで、地下鉄から通常の鉄道に換える為に休日の混み合う階段を上っていたところだった。8月の地下鉄のプラットフォームには停滞した重苦しい暑さがあった。そこから人の濁流に気をつけつつ階段を上がり、上がってすぐ横の改札を出る。出た先の地下通路を右に折れ、次の角を左に曲がるとまた上にあがる階段が続いている。この階段を上がりきるとようやく鉄道の改札が見えて来る。

おかしな感覚だ、と私は改札の時刻表の前で立ち止まり、不格好にも笑っている自分の顔のイメージが頭に浮かんだ。俺は今一応ある程度の会社に入り、日々の金が困るような生活はしていない。日々の生活に充実すら感じている。もし自分の人生が1本の木であるのなら、俺は確実に上昇を続けている。仕事を始めた頃に比べると今では自分の裁量権の大きい仕事を頼まれる事も事実だ。

 

「どうしたの?」と後ろを歩いていた妻がこちらをのぞき込んできた。私は妻のほうへ顔を向け、何でもないと呟いて改札のなかへ入り込んだ。

妻と一緒に何度か私の故郷へ訪れたことはあった。東京の今ふたりで住んでいる所から下りの電車で2時間ほどの距離に私の実家がある。妻は元々地方の出身だが、こちらの大学に通い始めてから、私と一緒に住むまではずっと一人暮らしをしていた。同棲をするようになってから、仕事が終わって帰ると部屋にはいつも夕飯の匂いがするようになった。

私が少し考えてみたが、以前の里帰りの時には私の中に「下降」の感覚は見当たらなかった。その時は、妻との新しい生活に胸が高鳴っていた。それは何か「希望」に包まれていた生活というよりは「上昇」を続ける生活だ。

 

妻から妊娠したと告げられたのは1月前のことになる。仕事から帰った私を妻は静かに向かえてくれて、その表情は何か胸が躍るような感じではなかったが、諦念が現れたものでもなかった。ただ、なるべくしてなったと言うのが、その立ち居やいつもの微笑みから伝わってくるのだった。結婚をして1年後に妊娠というのは世間から見てもあまり驚くようなものではない。妻のその胸躍るとも諦念とも言われない表情を私は全て受け入れて笑みを返したのだった。

 

その頃からあの「上昇」の感覚は途絶えてしまったと私は感じている。停滞してしまった。私の乗っているエレベーターはそれから同じ階にとどまっている。妻と一緒に。

「気にすることない」

と、目的地の駅へと向かう下り列車をプラットフォームで二人並んで待ちながら、私は妻に声をかけた。

「僕の両親はすでに君に何度も会っているし、二人とも子供が出来ることに対して、なんとも悪く思ってないからさ」

ええ、と妻は小さく頷きながら微笑みつつも、線路の向こう側にひらけた駅前の、広場の先の入り組んだ通りほうに目をやっていた。そんな妻を眺めながら、私は「下降」の感覚が自分の芯に迫ってきていることを徐々に感じ取っていた。自分の子を孕んだ妻と実家へ帰ることが何を意味しているのかと到着した列車に乗り込みながら、自分に問いかけていた。それはなにか諦めのような感情が起因しているのではないか? これからの私の生活を完全に決めてしまうある1つの重要事項となっているのではないか? それは自分の内にあった高みへ上がっていくあの「上昇」の感覚とは違って、停滞する感覚なのだ、という思いが胸に差し込んできた。そして停滞する感覚が今は「降下」という文字に置き換えられてしまっているのか? 何事も停滞し続けることは出来ない。いつの日か必ず墜ちる。

それは、どこまでも、自分の好きなように変化をしつづけていく、そう言った「上昇」の感覚ではなく、これから考えてこなかったような自分の将来の可能性を見限り、ただその「降下」する自分を受け入れつつも、未練がましく上を眺めるだけの生活が続くということなのだろうか。

 

地元に暮らしていた小学生のころの私には茫漠とした未来が広がっていた。私はまだ小さな草の芽であったのだろう。そこからどんなふうに葉を茂らせ上へ進んでいくのかは全くの未知であった。そしてそれが今はひとつのレールに定められ、その上をゆっくりと走る滑車に乗った私は漫然と進んでいく風景を今までのように楽しんでいけるのだろうか。地元にいた頃の私には、数え切れない可能性が辺りを漂っていた。

 

列車は揺られながら鉄橋にさしかかる。窓の外の風景をぼんやりと眺めていた私に、隣に座った妻は「大丈夫?」とまた声を掛けてきた。いよいよ私が覚えている景色の中を走り抜けていく。四角い列車の窓に河川敷の芝生が映り込んだ後に、県を分かつ茶色い川が飛び込んできた。

私は大丈夫と答えて、車窓の風景に目を戻した。妻のことは愛していた。結婚して良かったと今でも思っている。しかし、それはあの「上昇」の感覚とは違ったものであったのかもしれない──。

 

「上昇」の感覚がいつから胸に残るようになっていったのかを考えたときに、過去の記憶の片隅から浮かび上がってくる答えは私が地元を離れると決意した時のことだと思う。大学に滞在している間に、親から出して貰った金でヨーロッパに1年間留学をし、そこで身につけた語学力を使って外資系の大企業に働くことが決まった時だった。自分と同じ歳の学友と比べると2倍ほどの給料を貰うことを約束されていた私は、実家を離れて一人暮らしをすることを決めた。

そして今私はその後に出会ったじきに腹を膨らましていく妻と故郷に戻っている。地元を出た時とは全く変わった自分を意識すると、郷里に戻ることがなにか危なっかしいことをしているような気持ちになる。

 

列車が止まる。車両点検だそうで、しばらくそのままでお待ちくださいとアナウンスが流れた。あと2駅で私の地元の駅だった。

「次の駅で前の車両に乗り換えよう」と停止した列車の静けさを意識しつつも、私にもたれかかっている妻に呟いた。

次の駅はハブとなっていて、4つの路線が混じり合う。しかしホームが2つしかないので、乗り換えが複雑だったことは今でも覚えている。

私と妻が乗っているこの列車は次の駅で、後ろの3両の連結を解除して、残りの車両だけが私の地元の方向へ進んでいく。残った3両は違う路線につなげられて、行ったこともない方向へ引きずられていくことになる。列車はまたゆっくりと動き出した。

プラットフォームに降りるとそこには、夏のじっとりとした空気とかすかな草のいきれが顔を撫でた。よく知った匂いだった。私と妻は今乗っていた列車の前方にすすむ。小学校の頃の記憶がふと背中を包みこむように広がってきた。

週に一度、実家から二駅離れた祖母の家の近くにあるスイミングスクール行った帰り道に、ここで電車を待っていた。あの時なぜ自分がスイミングスクールに行く事になったのかは、今でもよく分からないが、たぶんそれは私が心から望んだものではなく、母から勧められて、断る理由もないので始めただけだった。小学生の間に自分に自意識があったのかは、もう定かではない。

あの時はまだ「上昇」の感覚なんてものは感じもしなかった。私の意志に関係なく、物事は全て自動的に進んで行ったような気がする。そして、その自動的な生活が終わり、一人で東京で暮らす為に家を出たあの日、このプラットフォームで上りの列車を待ちながら私は「上昇」の感覚を感じ始めたのだ。

言ってみれば、このプラットフォームがあの感覚を感じ始めた最初の瞬間だったのだ。そしてもし、ここから今の列車に乗って地元の駅に向かうことが「下降」の始まりであるとしたら、私はとても帰ることは出来ない。

あのいつの日にか、どこかの駅で体感した最後のエスカレーターを登る時に見えた澄んだ青空を私は目指す為に、上に向かっていく必要があるのだ。

私はすでに乗り込んだ電車のシートから立ち上がった。隣に座る妻は私を見上げた。

「自販機で飲み物を買ってくる」と私は妻に告げた。

「でも、もうすぐ動き出すのだからこのまま座っていられないの?」

「大丈夫、動く前には必ず戻ってくるから心配しなくてもいいよ。そぐそこだから」

と、私は開いた扉の先に見える自動販売機を指さした。

「あと一駅だから我慢してよ」と、私が指さしたほうも見ず、妻の顔にはうっすらと不安な感情が浮かび上がってきた。

「大丈夫だから」と私は押し切り、扉の外に出た。まっすぐ目の前の自動販売機に進んでいき、100円硬貨を入れてボタンを押した。落ちてきたペットボトルを拾って振り返ると、乗り換えのために降りた後ろの車両のシートに私のハンカチが落ちているのが見えた。

あ、と思い、走ってその車両に走り込む。そしてシートに落ちていたハンカチを拾い上げたと同時に車両の扉が閉まった。乗り込んだ列車は私の地元とは違う方向に進んでいく。携帯が入った荷物は全て妻の横に置いて来ていた。

すでに動き出していたが電車の扉に走って行き、外を眺めると、列車は私の見たことのない方向へと進んで行く。車内にいる他の乗客は私に見向きもせず、各々、目を閉じたり、携帯を眺めていたりしている。どうすることも出来なくなった私にはあの「上昇」の感覚はなかったが、また「下降」の感覚もなかった。

 

列車は、私の意志とは関係なく、知らない方向へと進んでいく──。

2019年9月17日公開

© 2019 Raymond

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"落としたハンカチ"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2019-09-24 20:32

    地下鉄の駅の中で迷った時によく感じる方向感覚の喪失を読んでいて感じた。列車というモティーフをうまく使った作品だと思う。

  • 投稿者 | 2019-09-25 13:29

    上昇することも下降することもあるでしょうが、結局のところ、意志の外を走る列車こそが全てなのだと感じました。

  • 投稿者 | 2019-09-26 02:46

    「私と妻が乗っているこの列車は次の駅で、後ろの3両の連結を解除して、残りの車両だけが私の地元の方向へ進んでいく。残った3両は違う路線につなげられて、行ったこともない方向へ引きずられていくことになる。」ここにもまた横方向の上昇と下降の〈行く〉〈戻る〉があるように読めて印象的でした。

  • 投稿者 | 2019-09-26 23:31

    常にステイタスを考え続ける冷淡な男のようで、最後の間抜けな感じが人間らしさが出ていて良かったです。

  • 投稿者 | 2019-09-27 21:57

    うまいのでつづきを考えてしまいます。また上昇してほしいなあ……

  • 投稿者 | 2019-09-28 01:11

    連結とか切り離しの停車あったなぁと思い出しました。慣れてても不安になるんですよね、あれ。

  • 投稿者 | 2019-09-28 21:25

    全くもって共感もできず好きにもなれない鼻持ちならない主人公ですが、「下降」と名付けた「人生の方向、行く末を決められてしまう恐怖」は分かるような気がします。この男はもちろん無意識の意思でハンカチを拾いに行って「下降」から逃れたのですよね。それを何となく感じ取っている妻の描写が見事です。

  • 投稿者 | 2019-09-29 07:01

    こういったドライな感情は、自分自身で酷く冷淡なものであると理解したうえで、発露するものですよね。共感は出来なくとも、理解は出来ました。それと筆力が高くセンスがある。

  • 編集者 | 2019-09-30 03:10

    主人公とは全く異なる原理・運営・厳密さを持つ鉄道の定時運行が、全く何の感傷もないまま一切を無視して主人公を引きずっていく、その感覚が怖くも面白い。でも、やはり何食わぬ顔で主人公は戻って来そうな気もする…。

  • 投稿者 | 2019-09-30 10:22

    回想の割り込みが多く、途中までは読みにくかったのですが、おまぬけなオチが素敵で、途中下車小説として楽しめました。

  • 投稿者 | 2019-09-30 12:44

    上昇と下降のイメージがわかりやすく地下鉄、列車のメタファーと結びついて、それがうまく物語の軸を成していたので現在と過去が入り組んだ構成ながらすんなり入ってきました。
    ただ個人的に、語り手のイメージが語られていくから逆に読み手はイメージを膨らませる余地がなかったのかも、などと考えました。例えば
    >妻から妊娠したと告げられたのは1月前のことになる。仕事から帰った私を妻は静かに向かえてくれて、その表情は何か胸が躍るような感じではなかったが、諦念が現れたものでもなかった。ただ、なるべくしてなったと言うのが、その立ち居やいつもの微笑みから伝わってくるのだった。
    の部分は、多分短くてもシーンとして書いた方がより印象が伝わるかな、と。阿呆な若輩者の個人的な感想ですが、この文章だとどうしても目が滑ってしまうかなと感じました。

  • 編集長 | 2019-09-30 15:34

    列車という装置によって身篭った妻との帰郷、つまり「下降」を回避する巧みさ。それと語り手の冷淡さが呼応しており、作品世界を列車の中のように閉じて見せている。列車にもう一工夫あるといいかも。

  • 投稿者 | 2019-09-30 19:25

    やや過剰な語りが良かったです。語り手の世界の捉え方がよく語られていて、かっこいい話だと思いました。ただし、共感には至りませんでした。

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