群馬県大泉町のある駐車場の猫

応募作品

Juan.B

小説

4,263文字

※2019年7月度合評会応募作品。
※思い出を元にした半フィクションである。

車は妻沼の寂れた市街を過ぎ、利根川に架かる刀水橋に差し掛かった。そこに入る手前の脇には、「西部劇」っぽい雰囲気を模した大きなパチンコ店がある。20年以上前、俺の物心ついた時から存在するこのパチンコ店は、それが単なるパチンコ屋であることを知らない幼少時の自分にとってはとにかく巨大で楽し気な建物に思えていた。毎回、ここを通るたびに横目に見て、後部座席の左側から数秒それを思い出す。そして、ここ数年はそれが何となく情けなかった。大人になっても、親の運転する車の後部座席に座っているのだ。そして日本人の父親と南米出身の母親は変わらず20年間、運転席と助手席の間で非常に馬鹿馬鹿しい事で喧嘩を繰り返していた。日本語の掠れた不快な父親の罵声と、スペイン語のキンキンした母親の怒声が、俺の人生の四分の一ぐらいを占めている。今日も、ファミレスに行くかハンバーガー屋に行くかで揉めていた。それを、5歳児や10歳児がつぶらな瞳で見ているならともかく、20ウン歳の情けない混血が見ていることに、我ながらぞっとする。だが、いきなり俺の隣に気体状の「常識クン」が現れて、「それは君が自立しないことによるからだよ!」と抜かしたら、車から突き落としてやる。

常識クンを殺しながら、俺が生まれる約9か月前に行われたであろうこのクソ両親のセックスを俺は時々想像する。俺は高校時代、友人数名に親のセックスを想像できるか聞いたことがあるが、半笑いで引かれた。そうだ、君達は根本的には親から逃げられる。日本のおおよその地域に埋没出来て、とにかく美しい恋愛にしろ売春にしろ強姦にしろ新しい「門出」が出来る(しなくても良いが!)。それは悪くない。だが俺には、多分、そういった事務的逃避が出来ない。混血だから……混血ならば?一分間でそこまで思い至ったころ、刀水橋を渡り切った。この地点はまだ群馬県太田市で、橋を渡った所の正面に少なくとも六年ぐらい前までは新田義貞の故郷であることを示すボロボロの御当地看板があったが、今はない。俺はそのことを少し前に父親に話したことがあるが、返ってきたのは「お前はどうしてそう言うどうでも良い事ばかり覚えてるんだ?」。お前はどうしてそう言うどうでも良い事ばかり覚えるガキを育てたのか?

 

車はその看板前を右折の後どこかで左折し、大泉町市街に入った。かつてここは日本で最も先進かつ多様的な地域として語られ、次に日本で最も「民族的に」失敗した地域として語られ、そして日本で最もとにかくぐちゃぐちゃでめちゃくちゃな街として語られたこともある。褐色の人々がバイクや自転車に乗りすれ違っていく。バブルの頃、人の足りない工場にペルーやブラジルから日系人を呼び込もうとした人々が想像していたのは、礼儀正しく安い給料に耐えられそして日本への愛国心を忘れておらず何より肌が黄色い「き日系人」であった。だが、無論それらの条件を満たす者も少しは居たにせよ、やって来たものの多数は、日本人ではなくなったまさに「日系人」であった。何より、日本人の多くは、そこから何も学んでいない様である。

それでも、この町は特別な町である。他とは全く違う、ゆったりとした、平和な時間の流れ方をしている。日本中が選挙や何かの大事件で揺れ動いても、ここは安らかにありそうな……そこまで考えて、これも、何十年通ってきただけの自分の単なる思い入れでしかない事に気付く。車は輸入食材を数多く扱う雑貨屋の前に止まり、両親に続いて俺も降りた。道路の向かいの奥まった場所に、ブラジル国旗がそのままロゴとなったスーパーがある。かつて旧店舗の頃、俺はここで買ったガラナ飲料のペットボトルを小学二年生の図工の授業に持って行って、一時的に人気者となった。日本では見られない凸凹した形だったし、子どもの好きそうな「いい匂い」がしたから。だが俺はガラナのボトルにはなれなかった。

この日、駐車場の一角には見慣れない出店のテントが張られ、折り畳み机の上にはけばけばしい風船や菓子の類が売られていた。父親が何かを見付けてオーと声を出し、それを見ると、紐で繋がれた、白と黒の毛が混じってフサフサした猫が寛いでいる。テントの下にいる、店主らしき褐色の肌をして皺の深いおばさんの素性は明らかであった。

「この猫、日本語しゃべんですか?Españolスペイン語?」

父親の色々略された問いに、店主の女性はウンと頷いた。それでは日本語なのかスペイン語なのか分からないが、そもそも猫にそんなことは関係なさそうであった。

「これ、あなたの国ス・パイスから連れて来たの?」

「ウーン、マア」

ナシよりのアリ、とでも言うような声がした。その時、背後からシーッとまた別のような動物の声がした。雑貨屋の入り口で振り向いている母親が威嚇する声――つまり猫にあまり構うなという注意だった。両親は俺を無視して、旧知の仲である日系人の雑貨屋の中に入っていった。そしてそんなものに興味のない俺だけが、駐車場の隅に残って、テントと微妙な距離を取りつつ猫を眺めている。しゃがんで視線を落としても、猫は大して俺に構わず、足で首を掻く様子を見せた。

結局何語を理解するのかしないのか、そもそも何と言う猫種なのか、「雑種」なのか分からなかった。とにかく、猫はそんな概念を必要としないことだけは明らかだった。猫は猫である。猫は俺の目の前でグーという微かな声を出して、頭を上げ下げした。俺は店主のおばさんに気を利かせて猫について聞こうと思っていたが、猫を見ている内にそんな気分は減退していった。猫は少なくとも紐で繋がれる以上は放って置いて欲しいだろう。物理的に干渉しない代わりに、俺は眺めるだけにとどめた。

猫に混血と言う概念は有るのだろうか。猫種と言う概念は。そもそも猫に近代と言う概念はないだろうから、そんなことを考えもしないだろう。猫に国はなく政治はなく試験も学校も天皇もない。あるニホンザルの集団が外来種と混血したとして殺処分された時、俺は訳の分からない、説明のしようのない怒りを感じた。かと言えば、父親は俺を家畜に例えて「F1種なのに出来が悪い」と良く言っていた。全て、都合だった。犬や猫も、人間が可愛がったり虐めたり他の動物にぶつけたりするための都合である。全て、思い入れだった。俺も、牛や豚を平気で食っている。その内、日本人も食べて見たい物だ。

かつて混血について本格的に勉強しよう「と思っただけ」の時に学んだ、ネグリチュード「黒人」性運動に対する、ある批判の言葉を思い出した。「虎はティグリチュード「虎」性など主張しない、ただ飛び掛かる」。同じネコ科であるネコもガトチュードなど主張しないだろう。猫が何故か俺に目を合わせた。この行動にも何か意味があるのだろうか。猫に近代は無いのだから、猫は俺を意識する以上の事はしない。

動物に国境はない。犬や猫の種類、「雑種」と「尊種」(?)の違い、諸々の動物の「外来種」などと言う概念は、人間が作ったものである。セックス・受粉したい動物や植物がセックス・受粉してついでに子どもが産めたに過ぎない。そして人間も……。

フィヒテよ、ナポレオン軍を見て地団太を踏め。アルフォンス・ドーデの「最後の授業」?休講だ、くたばれ!壇上で叫ばれる反ユダヤないし愛国主義は素晴らしくて、分娩台にぶちまけられる褐色のガキは何かの恐るべき敗北なのか?俺はナショナリズムが大嫌いだ。俺の内の何割が「ネイショナル」で占められていようが、それは偶然の生得的なものであってお前らに認められるものではない。だがもちろん俺は帝国主義も藩閥も教区パリッシュも嫌いだ。役所・福祉・警察・法ほか全ては、人間動物の生殖それ以後の付け足しである。俺は「悪い混血」になりたい。猫よ、俺を見てくれ、俺は悪い混血か?その近代以前の瞳で判断してくれ。俺の存在を、頭から……。

にゃーん。猫は答えなかった。俺の中でむくむくと湧き上がっていた急性反ナショナリズム症候群は急激に減退し、すぐに「常識クン」が現れて、俺のことを駐車場の隅からニヤニヤ眺めていた。お前は何度絞め殺したら居なくなるのか。

「いつまでそんな意味のないクソ妄想やってるんだい、統計上の一日本人が」

猫がもう一度鳴いた。にゃーん。「常識クン」はすぐに消えた。俺も、猫にとっては迷惑な人間の一人でしかなかった。俺は生きているのが本当に嫌になった。俺にはアニマルセラピー等効きそうにない。時計を見ると、両親が雑貨屋に入ってから十二分ほど。振り向いてガラス越しに両親を見ると、雑貨屋の日系人と何かを話し込んでいた。自分だけの時間が流れている。視線を前に戻すと、店主は半ば疲れた表情をして、俺とは反対の奥の方に視線を落として固まっていた。そして猫は、猫のままだった。

 

沈鬱としたまま、俺は雑貨屋の中に入り、車の後部座席に戻るために父親から鍵を借りようとした。だが父親は、俺を見ると、指を差して何か引きつった半笑いの声を出し始めた。

「こいつ、使え無さそうでしょ」

「ハハア、イヤア」

カウンター越しに居る相手の、白い衛生帽子をかぶった日系人は、ポンデケージョチーズパンを袋に詰めながら曖昧に笑っている。そうだろう、そうしてくれてありがとう。俺の疲労をよそに、父親は続ける。

「お前もハーフならな、こう言う町で働けるのに、スペイン語の勉強くらいしときゃあなあ」

「良いよ俺は……」

力無い返事をするほかない。母親はブラジル製の整髪剤を既に買い、俺をつまらなさそうな目で見ている。全てを終えて、雑貨屋から車に戻る時、俺は猫をもう一度眺めた。猫も俺……の方向を見ていた。そして、道の反対の方から褐色の肌をしてピンク色の服を着た6歳ぐらいの女児が、猫に近付いていったために対面は終わった。

ガト、ガト」

猫はまんざらでもない様子だった。

 

そして発車してすぐ、父親は口を開いた。

「なんか色々混ざって変な猫だな」

俺は黙っている。そのせいか知らないが、父親は次にスペイン語で喋った。母親と話すための行為である。

ケー、フェオ、ガトなんて汚らしい猫だ

No voy a tocar触ってないでしょうね

母親は夫でなく俺に、顔を向けず言ってきた。父母と決定的な対立をするのはいつになるだろうか。父殺しのイメージは精神医学からドラマまで盛んに取り上げられるが、俺は「両親殺し」をしなければならない。そしてそれは、高校教師やワイドショーのコメンテーターどもに訳知り顔に褒められる自立ではない。猫になることである。

……だがあの猫は紐で繋がれていた。

2019年7月23日公開

© 2019 Juan.B

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リアリズム文学 私小説

"群馬県大泉町のある駐車場の猫"へのコメント 12

  • 読者 | 2019-07-23 19:28

    修正資本主義の地域猫になりたいにゃ🐱去勢はされたくないにゃ🐱

  • 投稿者 | 2019-07-26 13:28

    世の中には第一人称で私小説を書かせると猛烈に上手い作家がいるが、ここにもいた。ただ、これは独立して完結する短編小説ではなく、長い長い超大作のほんの一部に過ぎないのだろうと思う。ていうか親父さん健在だったのね。鬼籍に入ったか蒸発したものだと勝手に思ってたわごめんなさい。

  • 投稿者 | 2019-07-27 02:53

    「お前はどうしてそう言うどうでも良い事ばかり覚えてるんだ?」というセリフからは、考え続けること、ひいては作家になる道を抗えない運命のことを感じた。「だが俺はガラナのボトルにはなれなかった」孤立感と絶望感というふうな簡単な言葉で表せられるものではないが、それらがラストに収斂されて、紐で繋がれる意味を深く考えることができた。

  • 投稿者 | 2019-07-27 15:08

    こんにちは、中野です。今回初めて合評会というものに参加させていただき、この小説を読むことができてよかったです。個人的に今回読んだ中でこの小説が圧倒的だと思いました。小説から溢れる色、匂い、思考、この語り手でしか語れないこと、エネルギーの質が別物でした。僕は小説を書いているつもりでもどうしてもどこかふわふわと地に足つかないリアリティのない世界しかまだ生み出せていません。これは小説でした。技術ももちろん大切ですが、それは最低条件でしかなく、書いたものが小説になるにはそれ以上に必要な何かがあり、その何かがこの小説にはありました。架空の物語だからこそ、そこには本物の何かが必要なのだと思うのですが、僕の話にはそれが欠けています。だから僕の書く話とこの小説の間には大きな隔たりがあります。どうすればそちら側へ行けるのかと、とても悔しい思いをしながら読みました。勉強になりました、ありがとうございます。しかしどうすればいいのかわかりません。とりあえず書き続けるしかないのでしょうか。

  • 投稿者 | 2019-07-27 15:35

    ホアン

    「西部劇」っぽい雰囲気を模した大きなパチンコ店
    なぜそのパチンコ店は西部劇を模しているのか?

    混血なら、売春や強盗はできないのか?(恋愛は相互的なものだから相手によるけど)
    の2点が気になったが、
    土地の匂いが感じられるいい作品。

    だが俺はガラナのボトルにはなれなかった。
    っていうのがすごくいい。

    俺は「悪い混血」になりたい。猫よ、俺を見てくれ、俺は悪い混血か?その近代以前の瞳で判断してくれ。俺の存在を、頭から……。
    この内的な声もとてもいい。
    最後の締めの一文も良くて、長い私小説を描いてみたらいいのではないかと思った。

  • 投稿者 | 2019-07-27 23:00

    よい作品だった。
    自分の生まれ持った属性と共に、おのれの内面を掘り下げて見つめて嘔吐して諦めるのが私小説と思っているのだけど、良い私小説を読んだと思う。繋がれた猫のテーマへの絡ませ方も良い。すごく伸びていると思う。
    それにしてもここに藤城さんの「サンショウウオ」を登場させてみたい。

  • 投稿者 | 2019-07-28 15:08

    不本意でしょうが、あえて言わせてもらうと、Juan.Bさんの作品は他人の内面を覗き見るいやらしい気持ちで読ませてもらっています。くっだらない私小説を発表している身として、感情の矛先(後天性であるにせよ)を持った土壌(先天性としての)があるのを羨まし思ったりしてます。
    他の事柄に転換することでしか共感する、いやちがうなあ。うまく言えないので、心に残り余韻に浸れる良い作品でした。と笑

    • 投稿者 | 2019-07-28 15:13

      わあ、読み直してる途中でコメントボタン押しちゃった。最初のコメントは無視して以下でお願いします笑

      不本意でしょうが、あえて言わせてもらうと、Juan.Bさんの作品は他人の内面を覗き見るいやらしい気持ちで読ませてもらっており、くっだらない私小説を発表している身として、感情の矛先(後天性であるにせよ)を持った土壌(先天性としての)があるのを羨まし思ったりしてます。
      他の事柄に転換することで共感する、いやちがうなあ。うまく言えないので、心に残り余韻に浸れる良い作品でした。と笑

  • 投稿者 | 2019-07-28 16:24

    Juan.B氏と家族の会話やその距離感などが垣間見えて、とても興味深く読ませて頂きました。そして、その出自からくるアイデンティティの揺らぎと猫の重なり方も素晴らしかったです。皆さんもコメントしておられますが、幼少期からの半生を私小説になさると凄い作品ができる予感がします。紀行文も向いていると思います。

  • 投稿者 | 2019-07-28 21:23

    少し難しいと思いながら読みました。
    導いてくれそうな文章だと感じました。
    作者を殴ってやりたいを使うならこれかなと思って、そうしてみました。

  • 投稿者 | 2019-07-29 17:27

    だが俺はガラナのボトルにはなれなかった。
    ↑理解ができなかったが、みんなの人気者であり続けること、なのだろうかと思いながら読んだ。ここがすごく響きました。

  • 投稿者 | 2019-07-29 19:46

    今回の合評会の中でも、今までに私が読んだJuan.B作品の中でも、文句なしにズバ抜けている! 星5つ!!!

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