本立て犬とこたつ猫

合評会2019年01月応募作品

松尾模糊

小説

3,907文字

2019年1月合評会参加作品です。夏目漱石の『吾輩は猫である』をベースに佐川恭一氏、工藤はじめ氏そして、高橋文樹氏の作品に大変刺激を受け、執筆いたしました。佐川氏はモロゾフと共に勝手ながら登場させております、すみません!

冷気が容赦なく身体をつんざく様に襲い掛かって来る季節の朝方、聖地のように輝ける部屋の一角と言えば、そう、布団だ。田山花袋がかつて『蒲団』という近代文学史に残る名作を残しているが本作はかの小説とは全くもって関連性はないということを予め断っておこう。しかし、拙作も現代文学の脈絡の中で燦々と輝くオンライン文芸同人である「破滅派」の合評会応募作としての自覚があるのならば、一〇〇パーセント関係がないとも言い切れぬのやもしらん……いかんな。どうも話が脱線してしまった。えっと、あ、そう、布団! 布団から出たくないな、布団のまま出勤できないかな、もういっそ布団と同化できないかな……なんて考えた冬の“布団ラバー”は全国一憶人は下らないのではないだろうか。それは人間には限らない、人々がアレルギーになっても愛して止まない猫も同じである。こたつという人類の英知が産み出した、机と熱源と掛け布団を組み合わせた最強暖房家電を人間が冬の朝方の布団を愛する様に愛しているのだ。

吾輩はこたつ猫である。名前は「こたつ猫である」と今しがた言ったであろう。アルファツッタラ―に“こたつぬこ”なんて人間がいるが、まったく別人である。というか、人ではなく猫である。てか、こたつ猫である。食肉目ネコ科ネコ属であるが、ヨーロッパヤマネコ種でも、イエネコ種でもなく、コタツネコ種である。先程から試みておるように、言葉で説明すると大変難儀であるが、吾輩の姿を一目見てもらえれば分かる。百聞は一見に如かずとは、わが主人も属する人間という生き物は良く言ったものだ。見えるかな? ほら、この吾輩の首から立派な尾の手前に及ぶ部分が“こたつ”なんじゃ。こたつ布団には立派な寅柄があしらわれておるし、毛並みもフサフサのツヤツヤでモフモフである。もちろん、この中には赤外線の熱源も搭載されておりポカポカであることは言うまでもない。その昔、志賀直哉という人間もこたつを絶賛したことは有名だが、吾輩のこたつに対する愛情はその比でないことは一目瞭然だ。まあ、ここで延々とこたつへの愛情を語ることも可能だが、一応これは随筆ではなく、小説という体をとっておるのだから話を進めることにしようか。こたつから出て冷え切った台所に赴く主人の奥方の気持ちを鑑みれば、こたつへの言及を止めて物語の進行役を務めるのも大したことではないのだから。

なぜ吾輩がこの様な身体に生まれたのかと言うと、それは志賀直哉の生まれ変わりであるとも噂される、エメーリャエンコ・モロゾフという伝説の小説家による『脱糞炬燵とスカトロ猫』、通称「コタネコ伝」に詳しい。エログロな描写が散見される為、発禁処分を受けたという、その原典は存在さえ疑問視されているが、小説家であり、モロゾフの熱心な翻訳家でもある佐川恭一という人物が残した希少な日本語版によると、高齢により肛門の緩くなった炬燵をスカトロの猫が献身的に介護し、いつの間にかただならぬ関係に陥った二人の間に出来た子ども……それが吾輩の祖先である炬燵猫一世だと言われている。高齢だったスカトロ猫は出産と同時に亡くなり、脱糞炬燵も糞尿にまみれて窒息死した。炬燵猫一世は野良として、厳しい裏社会を生き抜き、やがてその子孫は吾輩のように飼い猫として生きるまで繁殖しておるというわけだ。吾輩と主人の出会いは、かれこれ一〇年ほど前に遡る。吾輩の母親の主人宅は、改築時に床暖房完備の御殿となり、こたつ猫ではないイエネコ種の猫を所望され、生まれたばかりの吾輩を段ボール箱に詰めて、青いネコ型ロボットとめがねの出来損ないがたむろするような地へ放り捨てたのである。ある冷たい雨の滴る朝に吾輩が段ボールの隅で震えておるのを、今の主人のご子息が見つけ主人の宅に持ち帰ったのだ。

「あら、子こたつ猫ですか?」
雨に濡れ、細かく身体を震わす吾輩の憐れな姿を見て、主人の家の家政婦として働く三田さんはご子息に尋ねておった。
「うん。雨に濡れて寒そうだったから。でも、お父さんは駄目だって言うだろうな……三田さん、何とかお父さんを説得してくれない?」
「かしこまりました」
ピクりとも表情を動かさないあの三田さんの顔は今でも不気味そのものである。なんでも次男がシャブ中でその保釈金を払う為に反社会的組織に借金した過去が彼女を変えてしまったのだと、後にご子息がお友達と話しておったのを聞いた。しかし、三田さんの働きぶりはとても献身的でこの家の誰もが彼女を頼りにしておる。初めは吾輩を熱心に世話してくれたご子息も今では「勇者になる!」と言って家に寄りつかず、吾輩のメシを用意してくれるのは三田さんである。とは言え、寒さと空腹に震える吾輩の命を救ってくれたのはご子息である。吾輩は今生そのことを忘れることは無い。三田さんに首ねっこをつままれた幼い吾輩は、ミャーミャーと喚き立てた。
「何なんだ? 一体」
ご子息や三田さんと違い、口元に黒い髭を蓄えたあばた顔の人間が怪訝な表情で吾輩の顔を覗き込んだ。これが吾輩と主人との邂逅、ファーストコンタクトである。吾輩はその気難しそうな顔に一瞬たじろいだが、ここで引いてはならぬという野性的勘が働きニャーとひと鳴きし、つぶらな瞳を真っ直ぐに彼の鼻頭あたりに向けた。
「ヨシヒコさんが拾ってきたようです。どうしても放っておけなかったと」
「……こたつ猫か。どうせ、すぐに飽きるんだからペットはもう飼わないと言って聞かせたのだが。もう家には本立て犬もおるし、共存は難しいのではないか」
「恐れながら、本立て犬は書斎から出ないので、棲み分けは可能ではないでしょうか」

「ふん。ヨシヒコに泣きつかれたか? 三田さんは強情だからのう……好きにせい。しかし、ワシは一切この件には関わらんぞ。本立て犬も結局ワシの部屋に住み着いてしまったんだから」

かくして、吾輩はこの家に住まわせてもらうこととなった。それは良かったのだが、吾輩は彼らの会話に度々出て来た“本立て犬”というパワーワードが気になった。吾輩が幼く、まだ足腰がおぼつかなかった頃には主人の書斎には立ち入れなかったのだが、立派な寅こたつ猫に成長した吾輩は遂にその真相を確かめる日を迎えた。小学校の教鞭をとっている主人が出かける機会を待ち、吾輩は縁側でゴロゴロしていた。主人が居間を抜けて玄関に向かうのを見届けた吾輩はゆったりと起き上がり、書斎のある二階へと続く階段をのっそのっそと上った。書斎のドアは木製でドアノブの付いた様式のものだった。この日の為に下調べしていた吾輩はドアノブまで軽々とジャンプし、右手でドアノブを回転させるように力強く引っ掻いた。ガチャという音が響き、ドアの僅かに開いた隙間に身体を押し込めた。中は、本棚に入り切れない本が所狭しと並べられていて足の踏み場もなく、猫の額ほどのスペースに机と椅子が置かれていた。吾輩は本の上に座り、書斎の奥の窓から差し込む陽に当たりながら右足で身体を掻いた。
「おい! 誰だお前は?」
吾輩は身体をこわばらせ、声の方を振り向いた。書棚の二段目の辺りから茶色いミニチュアダックスフンドの頭が飛び出ていた。
「お前こそ誰なんだ?」
吾輩は尻尾を立てて、腹の赤外線をMAXに放ち臨戦態勢になった。
「儂は本立て犬だ。一〇年以上ここで書斎の番犬を務めておる」
「あ?」
「ろう者か?」
「吾輩はこたつ猫だ。三年前からここで世話になってる。お前が本立て犬か……気になって覗きに来たんだよ」
「年上は敬うものじゃ、若きこたつ猫よ。儂の腹に挟まっておる『論語』を読め」
本立て犬は、頭から本一〇冊分ほど離れたもう一方の本立てに付いた短い尻尾を起用に振り、分厚い『論語』を床に落とした。吾輩は『論語』に歩み寄り、右手でパラパラとめくった。
「……あんた、これ全部読んだのか?」
「当たり前だ。一般教養じゃぞ。今は川端康成の『眠れる美女』を再読しておる。なかなか退廃的でよろしい」
「そうか。吾輩は紙を見ると爪を研ぎたくなるだけだがな……」
「野性的だな。その内、人間が夢中になるものに興味を持つようになるだろう。儂だって本に挟まれて、否、本を挟みながら生きておる内に自然とこうなったのじゃ」
「あんた、生まれは?」
「この家の軒先で儂を孕んだ母が車に轢かれたところを坊ちゃんが救おうとして、生き残ったのが儂だけじゃった。だから、この軒先ということになるかの」
「それは気の毒に……悪かった」
「いや、気にするな。主人も儂に良くしてくれるし、川端康成も幼い頃に両親を亡くしておるのだ」
吾輩は、それから度々書斎を尋ねるようになった。本立て犬に関して記された、モロゾフの『スチールラックとダックスフンドとエロ本』や、佐川恭一の『童Q正伝』などを吾輩は読み耽った。本立て犬は高齢で眠っている時間が多かったが、彼に聞く様々な本の知識は吾輩を大いに興奮させた。
「本立て犬、何かオススメはあるかい?」
吾輩の問いかけもむなしく、静寂が書斎を包んだ。吾輩は「本立て犬?」と本棚の上に飛び乗り、再び呼びかけた。ゴトっという音が響き、スチール製の本立てが積まれた本の上に落ちた。吾輩は、寒気を感じ背中を震わせた。本立てに鼻を近づけたが、ツンとした無機質な匂いしかしなかった。次の日、いつもは書斎で吾輩を見つけるなり首根っこを摘まんで追い出していた主人がただ吾輩の背中をさすり、書斎の小さな窓の向こうを淋しそうに見つめていた姿は前にも後にもその時だけだったことは今でも覚えておる。あれから本立て犬は居なくなった。吾輩は足腰も弱り、書斎に赴けなくなったのでその後のことは知らない。

2018年12月6日公開

© 2018 松尾模糊

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"本立て犬とこたつ猫"へのコメント 23

  • 投稿者 | 2019-01-22 18:40

    同じコメントを二度も投稿するのやめてもらえませんか?
    スパム行為として通報しておきました。

    それに映画をすべて観てもいないのに何が「テーマがあまり反映されてないように感じました。」なんですか?
    ふざけるのもいい加減にしてください。

    これ以上迷惑行為はやめてください。

  • 投稿者 | 2019-01-22 19:02

    あなたは自分がインスピレーションを起こしたものをよくも知らない人から「テーマがあまり反映されてないように感じました。」というコメントを二度も受け付けたいですか?

  • 投稿者 | 2019-01-22 19:36

    35歳とかにもなって、一体何やってるんですか?
    そういう糞みたいないい加減な人の気持ちも考えもしないコメントを書かれる身になって考えたことないんですか?

  • 投稿者 | 2019-01-23 16:41

    何わたしのコメントだけ反映させてスルーしてるんですか?

    恥ずかしくないんですか?

    本当に悲しい気持ちにさせられました。

    二度も同じコメントを書いたことだけでも謝罪してください。

  • 投稿者 | 2019-01-23 16:51

    あなたは誰かから、自分の作品を素晴らしいと賞賛されたことはありますか?
    もしあるなら、何故人の作品にはそんないい加減な感想を述べることが出来るんですか?

    わたしは人にも作品にも敬意を払うべきだと想います。
    もしほんの少しでも敬意があるなら、あんなコメントを軽々しく寄せることはできないはずです。

    わたしはたとえあなたの作品がくだらなくて何か言ってやりたい気持ちになっても何も言いません。
    それは無関心ではなく、たとえくだらなくても、それを創作した人に敬意を持っているからです。
    あなたがその作品を心から良いと信じて投稿していることを知っているからです。

    本当に作品に心から感動した人の批評は読むに値するかもしれません。
    でもその作品を理解もしていない人間の批評など、糞以下です。
    読む価値もありません。

  • 投稿者 | 2019-01-23 17:15

    あれは感想でもなんでもなく、ただの嫌がらせだと想います。

    作品の意図とは、そんな表面的な目に見えるところにはありません。

    でもあなたは表面的にしか作品を読まなかった。

    それに対して悲憤を感じています。

    ただ人を悲しませるだけのコメントをもう二度としないで戴きたい。

    インスピレーションというものも、目に見えるところにはありません。

    あなたは魂で人の作品を読んでいないのです。

    たとえ拙い作品であっても、神が宿っていると感じて投稿しました。

    偶然に生まれたものなので預言的なものだとも感じています。

    返事をどうしてもしたくないならしなくて結構です。
    でももう二度とわたしの作品にいい加減なコメントを書かないでください。

    • 投稿者 | 2019-01-23 17:33

      水羽見様
      大猫と申します。
      もしかして誤解があるのかもと思いましたのでコメントいたします。
      投稿アップの際、破滅派の一月の合評会に参加するチェックを付けていただいているかと思いますが、一月の合評会のテーマは「犬小屋みたいな部屋に本がたくさんある」というものなので、Blur Matsuoさんのコメントの「テーマ」とはそのことだと思いました。
      水羽見さんの作品を拝読して美しい作品だと感銘しましたが、合評会の「テーマ」にはそっていないように私にも思えました。
      もしも見当違いでしたら申し訳ありません。

  • 編集者 | 2019-01-23 18:19

    水羽見さま

    お返事遅れて申し訳ありません。2回コメントが反映されたというのは、単純に操作ミスです。ご指摘まで気づきませんでした。大変失礼いたしました。

    大猫さんの指摘されてる通り、僕としては「合評会のテーマ」としてのコメントでした。言葉が足りずすみません。僕の感想は『ニーチェの馬』が想起されたという点です。貶す様な意図はありませんでしたが、この様な形で伝わってしまったこと、大変申し訳なく思います。

    大猫さま
    こちらのミスにわざわざご配慮いただき、誠にありがとうございます。

    著者
  • 投稿者 | 2019-01-24 21:28

    一見他愛のない話のような印象を受けるが、母親の不在/死という主題が全編に影を落としており、最後まで興味深く読めた。「こたつから出て冷え切った台所に赴く主人の奥方」はその後一切登場せず、家事は家政婦が行っている様子である。主人の奥方は虐げられた生活に嫌気がさして出ていったのか、それとも死んだのか? こたつ猫の母親も床暖房の導入に際して語り手と一緒に捨てられたと推測されるだが消息不明。本立て犬の母親は轢死。スカトロ猫の母親は産褥死。夏目漱石は養子に出され、川端康成は両親と死別。本作がここまで不在の母に執着する理由は分からない(家父長制度に対する異議申し立てか?)が、一貫した主題はとりとめもない語りに統一感を与えている。

  • 投稿者 | 2019-01-24 21:52

    文章はユーモアを混じえているが、筋は特にユーモラスではないからなのか、ちぐはぐでぎこちない印象がしました。
    けっきょくこたつ猫のこたつはなんだったのか、何を書きたかったのかと思わされてしまいます(一応ツイッターアカウントの「こたつぬこ」も参照しました)。
    たくさん作家名が出て賑やかだが、それも全体に生きておらず、ただ並べただけという感じがぬぐえない。
    結果的に、『吾輩は猫である』ベースの語り口が浮いてしまっているのではないでしょうか。
    こたつ猫がドアを開けて主人の書斎へ忍び込むシーンが唯一ドラマチックで、物語が動き出したという予感を与えて読みごたえがあった。

  • 投稿者 | 2019-01-25 13:27

    一見、漱石などの時代の小説らしい文体で始まったかに見せかけて、良い意味でラノベの如く口語的な文体に切り替わってゆく文章を面白いなあと思いました。他方で後半になると、その文章の勢いに物語がついていけてない印象を受け、空回りしているように思いました。何か面白くなりそうな設定や勢いがあっただけに少し残念でした。とはいえ、夏目漱石から破滅派作家の方々を駆け抜ける、とても意欲的な作品だと思います。

  • 投稿者 | 2019-01-26 18:48

    面白く読みました。語り口調もだんだんと明治男らしくなって好きです。
    もったいないのはせっかく「こたつ猫」という珍種が主人公だったのに、最大の特徴である「こたつ」が活かされていないことでした。普段冷静な三田さんをぬくぬく地獄にハマって離れなくなるとか、御主人が出勤しなくなるとか。
    しかしそうなると「犬小屋」「本がたくさんある」がどこかへ行ってしまいますね。
    ダックスフンドの本立て犬を主役にしてもよかったかも。こたつで佐川さんやモロゾフが語り合ってほしいです。

  • ゲスト | 2019-01-27 14:15

    退会したユーザーのコメントは表示されません。
    ※管理者と投稿者には表示されます。

  • 編集者 | 2019-01-28 12:42

    パロディが色々生きている。破滅派から古典名作まで肩を並べて出てくるのも楽しい。長い時を経た犬と猫の交流も微笑ましい。藤城氏と俺及び一希氏の体験で言えば、書斎に犬がいると言うのはそのまんま見た光景である。ただ、こたつ猫、あるいはダックスフントと書斎の関係についてもう少し描写が欲しかった様に思う。

  • 投稿者 | 2019-01-28 20:25

    前半のおしゃべりがやや長く感じるが、
    「ピクりとも表情を動かさないあの三田さんの顔は今でも不気味そのものである。なんでも次男がシャブ中でその保釈金を払う為に反社会的組織に借金した過去が彼女を変えてしまったのだと、後にご子息がお友達と話しておったのを聞いた。」
    三田さんの人物造形が良かった。

  • 投稿者 | 2019-01-28 23:50

    こたつねこといえばもちろん高橋留美子ですね。アングレームでグランプリを獲ったこのタイミングでモチーフにするとは先見の明ありです。

  • 投稿者 | 2019-02-02 10:05

    コメントの返信が来ていることを今気付きました。
    何故、公開したその日に御返事を貰えなかったのでしょうか?

    合評会のテーマに「犬小屋みたいな部屋に本がたくさんある」という糞みたいなテーマがあることを今知りました。
    わたしは鬱症状がひどく毎日アルコール依存症で、あの詩も酔っている時に投稿したものです。
    こういった募集をかけてそれに応募するということも慣れていません。
    応募することにテーマや規定があることもまったく知りませんでした。

    破滅派は二つ目の投稿でした。
    あなたの言葉があまりに言葉足らず(不親切)で、また他の言葉もあまりにいい加減なものであったことにわたしは悲憤を抑えることができません。

    それに「ニーチェの馬」が想起されたという言葉は批評なのでしょうか?
    わたしからしたら「だからなんだ?」という感じです。
    作品の感想としてもまったくいい加減で、それを言われたほうが嫌な気持ちにさせられるだけのコメントです。

    貶す意図もないのによくあんな敬意も何もない糞コメントを人の作品に書き込めますね。
    もう一人の人間からも糞な厭味な批評と言えないコメントを貰いました。
    その人は持ち上げて最後に突き落とすという最悪な厭味な手法を取ったコメントをわざわざ書き込んでいました。

    この破滅派はそんな糞ばっかりなのでしょうか?

    本当に苦しんで生きている人は人の作品にそのようなコメントは書き込まないと想います。
    平和ボケしている人ばっかりなのでしょうか。

    わたしはあなたたちのコメントを読んで精神が壊れてお酒を飲む量も増えました。

    人の精神を壊して寿命を縮めさせたくないなら、もうあのような糞いい加減なコメントを書き込まないでください。

    本当に迷惑です。

    作品を作品としてあなたは読めていないのです。

    その人間が、どんな想いでその作品を書いたのか、あなたは何一つ想像もできないのです。

    あなたはそれでも小説家なのですか。

  • 投稿者 | 2019-02-02 10:14

    「タルコフスキーは『惑星ソラリス』くらいしか観たことがないのですが、世界観はあると思います。個人的には、タル・ベーラの『ニーチェの馬』を思い起こしました。

    テーマがあまり反映されてないように感じました。」

    これがあなたの書いたコメントです。
    なんですか?これは。
    これが批評と呼べるものですか?

    あなたはたくさんの人から真剣な感想文や批評を貰っておきながら、人の作品にはこのような糞コメントしか書けないのでしょうか。

    人の作品をなんだと想ってるんだ。

  • 投稿者 | 2019-02-02 10:48

    わたしは人の良心を信じて、こんな下らないコメントはきっと貰わないだろうと想って投稿しました。

    でも結果、心の無い人間二人からコメントを貰い、ここの人たちは良心がないということを知りました。

    あなたたちのような人間が、破滅派から人を遠ざけるのではないでしょうか。

    わたしはこれから破滅派に投稿することを躊躇しています。

  • 投稿者 | 2019-02-02 11:54

    中原中也は友人の大岡昇平から自分の詩を「玩具(おもちゃ)」だと貶されて殴りかかって殴り合いの喧嘩になったお話は御存知でしょうか?

    これも大岡が中也の苦しみを少しでもわかろうとしていたなら、こんなことにはならなかったはずです。

    詩とは、その人の苦しみが詰まっているものなのです。

    それを貶されるとは、自分の苦しみの全てを貶されるということに等しいことです。

    中也は例えまったくの他人でも同じような反応をしたと想います。

    何故、あの詩を、わたしがどんな想いで書いたのかをほんの少しも想像して貰えなかったのでしょうか?

  • 投稿者 | 2019-02-02 11:59

    あれは批評とは全く言えないものです。
    批評と一切呼べないふざけた短文コメントをよこし、わたしを深く傷つけたことについて謝罪して戴けないでしょうか。

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