かつてあったかもしれない。なかったかもしれない。歴史にはもちろん、どんな記録にも誰の記憶にも残っちゃいないずっと昔、どこかの星のとあるヨーロッパのお話です。
剣士のジークは教会からの依頼で、黒い緑の森に住んでいる『旅人の魂を喰らう魔女』を殺す為に、深い森の中を歩いていました。
司祭は「魔女が星を奪ったために神の救いが人々に届かなくなった。なんとして欲しい」と言って、神のご加護を口にしてジークを送り出しました。
しかしジークは森に入って3日目に狼に襲われて馬を喰われ、歩く時に邪魔な重い甲冑を捨てました。4日目に熊と出会って剣を失くしてしまった。ジークには短剣と少しの食べ物しか残っていませんでした。
このままでは魔女と闘えそうにもないので、街へ戻ろうとしましたがジークは森の中で道に迷ってしまいました。
何日も彷徨いつづけ何度目かの陽が落ちかけた頃、小さな雨つぶが樹々の葉を叩きはじめました。濡れなくてすむ寝床を探していたジークは古い大きな樹の下にある黒い家を見つけてしまいました。その家は街の人たちがこわがっている魔女の住む家でした。
「まいったな」ジークはつぶやきました。
ジークは少し離れた場所からしばらく魔女の家を見ていました。家の中では暖かそうな灯りが揺れていました。料理をしているのか、煙突からは白い煙が上がっていました。
少し弱気になったジークは『森を歩きまわっても凍えて狼の餌になるだけだ。どうせ死ぬなら魔女と闘おう』そう決心して魔女の家に乗り込む決心をしました。
「こんばんは。私は旅の者です。道に迷って困ってます。よかったら軒先を貸してもらえませんか?」
ジークはそう言ってドアをノックした。ドアの方へゆっくりと軽い足音が近づいてくると重い樫の木の扉が少しだけ開いた。
「旅人?」真っ黒な長い髪の女が少しだけ開けたドアの隙間からそう言った。
「はい。旅の途中です」ジークは少し緊張しながらそう言った。
「旅をしてるのに短剣しか持ってないなんて、えらく身軽なのね」女は雨よりも冷たい声で見透かしたように言った。
「途中で狼や熊に襲われて荷物をすべて失くしてしまったんです」ジークは真実を隠しながら事実を告げた。
「あなた、私が何なのか知ってるのよね。それでもココに来たの?」女は扉を手前に開きながらそう言った。女の顔には表情がなかった。無表情なのではなく悲しみがそのまま貼り付いてしまっているようだとジークは思った。
草木で染めた紺色の膝丈のワンピースの腰を太い皮紐で縛っていた。悲しそうな漆黒の瞳は、ずっと笑っていないのかもしれない。ジークは思った。
「いえ、私は通りすがりですから、何も知りません。女性おひとりで暮らしているのですか?」
「ふっ。白々しいわね。いいわよ。入りなさいな」そう言って女はジークを家の中に招き入れた。
樫の扉が軋んだ音をたてて閉じた。
家の中にはたいした家具はなかった。床に異国の厚手の絨毯が敷いてあり、2人掛けのテーブルに椅子が2脚、石造りの竃に少し大きめの鍋が掛けてあった。火のついていない暖炉の上で一匹の黒猫がジークを睨んでいた。
「猫はあなたのコトを疑っているようね」女は意地悪に口を曲げて笑った。
「酷いな。ただの旅人のジークですよ。えっと何とお呼びすれば」
「何言ってるのよ。そのまま魔女で構わないわよ」女はため息をつきながら答えた。
「えっとあなたは魔女なんですか? 私の国には魔女なんていないので驚きました。一体どんなコトができるんです?」
「もういいわよ。あなたも、ジークさんも私を殺しに来たんでしょ。教会に頼まれたんでしょ」女は叫ぶように、悲しい声を上げた。
「そうですか、隠しても無駄みたいですね。私は教会に頼まれてあなたを殺しにきました」ジークは腰の短剣を握り直して答えた。
「ジーク、辞めときなよ。そんなんじゃ彼女は殺せないよ。あんたがおとなしくしてくれたら、ちゃんと教えてやるからソコに座んなよ」ジークの足元から声がした。
咄嗟にジークが下を見ると、さっきまで暖炉の上に居た黒猫がジークを見上げていた。
「ジークさんどうするの? おとなしく食事する? それともその短剣を振り回して追い出されたい?」女が吐き捨てるように言った。
ジークは空まわりしているのが気まずくなって、おとなしくテーブルについた。
「あら、今回の人は意外と素直なのね」そう言って女は竃へ料理を取りに行った。
「えっ?」
「このまえ彼女を殺しにきた男は、暴れたから外に放り出されちゃったのさ。でも丸腰だったから生きちゃいないだろうね」黒猫が退屈そうにそう言った。
「やめなさい。もう50年も前の話よ。それに人が死ぬのは嫌いよ」魔女がそう言った。
ジークが少し驚いて女を見ていると、女は兎肉のシチューが入った皿をジークの前に置いてジークの向いに座った。
「あんた魔女なんだろ」
「そうよ」
「旅人の魂を喰らうんじゃないのか?」
「魂って美味しいの? そもそもどうやったら食べられるの? ジーク、あんた知ってるの?」魔女は自虐的な笑いを浮かべてジークに言った。
「教会や街の人がそう言っていたからそういうモノかと思っていた。違うのか?」
「違うっていったら信じるの?」
「いや、その……」
「冷める前に食べちゃいなさいよ」女はジークにシチューをすすめた。
しばらくマトモに食べていなかったジークは、おそるおそる木のスプーンでシチューをすくって口まで運んだ。暖かいシチューが体に広がった。しっかり煮込まれた兎の肉が口の中でとろけた。
「明日の朝になったら出ていってね。森の中を10日も歩きまわったんだから、そろそろ道もわかるでしょ」女がジークに投げつけた。
「待ってくれ。森に入ったのを知っていたのか?」
「魔女なのよ。知らないわけないでしょ」
「じゃ、なんで生かしておいたんだ」
「人が死ぬのも、ましてや殺すのも好きじゃないのよ。何度も言わせないでよ」女の顔からまた表情がなくなったように見えた。
「まだ名前を聞いてなかったね。聞いてもいいかなぁ」
「ずっと誰からも呼ばれてないから、もう忘れちゃったわ」
「君はずっとひとりで暮らしているの?」
「最初はみんなと一緒だったわよ。でも教会の人たちが捕まえてひとりづつ焼いたんじゃない。なんでそんな酷いことするのよ。私たちが何をしたっていうのよ」
表情は変わらなかったけど、明らかに女は取り乱していた。
「彼女を追いつめるのはもうやめてくれないか? 朝になったら森の外までおいらが案内するよ」
「追いつめるなんて、そんなつもりは……」
「いいから、食事にしましょ」女はそう言ってシチューを口に運んだ。
「教会から『魔女が奪った星をなんとかしてくれ』と言われた。なんのコトなんだ?」
話ができそうだと思ったジークは、食事が終わると女に聞いた。
「ねこ座……」女はひとこと答えた。
「なに?」
「おいらたち黒猫の墓標さ。おいらたちは死んだら夜空に送られる。その先がねこ座って星座なのさ」黒猫が答えた。
「ねこ座があると困るんじゃない?」
なぜ困るのかジークは考えたが、理由なんて思いつかなかった。
「ねこ座を返してもらうわけにはいかないだろうか?」ジークは相談するように言った。
「私、すごく長生きなの。もしかしたら死なないかもしれない。死ねないかもしれない」
「剣士からすると不死身なんてとても羨ましいことだ」
「でも私は剣士じゃない。ただの魔女よ。ひとりでずっとここで暮らして行くのよ」
なんとなくジークは彼女の言っているコトがわかり始めた。
「あのねジーク。あなたが私を殺そうと森に入った時すごく嬉しかったの。殺されたり争ったりするのはイヤだけど、50年ぶりに誰かと話ができると思うと楽しくなったの」
「そうだね、こんなにおしゃべりな君を見るのは始めてだよ」黒猫が口を挟んだ。
「……」ジークは黙ったままだった。
「そんな私でも、黒猫は側に居てくれる。でもこの子たちも100年も生きちゃいない。いままでたくさんの黒猫を看取ってきたわ」
「それで、君はねこ座を奪ったのか?」
「ねこ座は教会ができる前からあったわよ。誰からも取っちゃいないわ」
「そうさ、彼女は教会ができるずっと前からいるんだぜ。先代がそう言ってた」
「そうか」ジークは迷った。星は返して貰いたいが、彼女と話をして何も言えなくなった。それでもジークはそのままでは帰れなかった。
「あなたの奥さんや子どもたちは教会に〝保護〟されているのね」
「なんでもわかるんだね。君は」ジークは静かにつぶやいた。
「なんとなくそう感じたのよ。教会はいつだってそうしていたもの」
「そうなのか」ジークは言葉がつづかなかった。
「家族ってどんな感じなの? 大切なの?」
「大切だよ。失いたくない」
「教会よりも?」
「あ、あぁ。多分教会よりも大切なんだと思う」ジークはただテーブルを見つめた。
「そう」魔女は黙って天井を見上げた。
「ジークよ、よくぞ魔女から星を取り返してくれた。礼をいうぞ」
「お言葉、ありがとうございます」司祭の前で膝をついたジークが返事をした。
「ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」ジークは司祭に聞いた。
「よろしい。特別に質問を許す」
「あの星、魔女はねこ座と言ってましたが、どうして必要だったのですか?」下を向いたままジークは聞いた。
「そんなコトか。ジークよ夜空の星に名前があるのは知っているな。そしてそれぞれの星たちに言い伝えがあることも知っているな」
「はい。存じております」
「言い伝えの中には、教会の教えに相応しくないものも少なくなかった。それでも、その星の神々と和解して教会の教えに沿ってもらった」
「つまり、言い伝えを変えたと言うことですか?」
「なぁに、星の名前を残すコトを約束して協力していただいたのだよ」
「ならばなぜ、ねこ座もそうしなかったのでしょうか?」
「古き神々と約束はできるが、魔女などとは約束はできまい」
ジークは思わず頭を上げた。目の前には重厚で真っ白な司祭の衣装が立っていた。
「まったくそうですね。失礼させていただきます」奥歯を噛みしめてジークは教会を後にした。
「どうだった? 誉められたかい?」黒猫が皮肉な声を掛けた。
「あぁ。とても喜ばしい言葉をいただいたよ」顔の片方に力を入れてジークは答えた。
「そりゃ良かったな。家族とも一緒に暮らせるんだろ」
「もちろんそうさ。今から修道院に迎えに行くところさ」
「じゃ、おいらは行くよ。楽しく暮らしな」
「ありがとよ。オマエも気をつけて」
「おいらは大丈夫さ。それよりも新しい家族も大事にしてやってくれよ」
「そんなの、わかってるさ」
ジークがそう言うと、黒猫は『ニャー』と鳴いてスタスタと離れて行った。
あの夜、魔女はジークに言った。
「もうこんな生き方はイヤなの。寂しいのは嫌いなの。でもただ消えてなくなるのは辛いの。だから、もしあなたが約束を守るのならねこ座を手放してもいいわ」
そして魔女は、ジークの子どもにして欲しいと言った。
「養子なんて無理だ。それにきみは死ねないんだろ。目立ちすぎるよ」
「このままじゃ無理だけど、私はあなたの体に入って子種のひとつになるわ」
「えっ?」
「そして、あなたの奥さんの体に入って、人の赤ちゃんとして生まれるわ」
「そんなコトができるのか?」
「多分ね。うまく奥さんの中の卵に入れないかもしれないし、もしかしたらあなたが約束を守らないかもしれない」
「それでも信じるのか?」
「ずっとひとりぼっちよりマシよ」
「わかった。約束は必ず守るよ」
「ありがとう。じゃお願いするわ。それと……」
「それと、なに?」
「素敵な名前を付けてね。そしてたくさん名前を呼んでね」
「わかった約束しよう」
そうして魔女は子種となり、ジークの体に入っていった。
1年後、ジークの家は女の子を授かった。
ジークは女の子にクレージュ、『勇気』と名付けた。
〈了〉
退会したユーザー ゲスト | 2017-10-19 22:25
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よたか 投稿者 | 2017-10-20 08:08
コメントありがとうございます。
二者択一に思えることでも、実は他の選択があることだってあります。
そんなお話を書いてみたかったので、大和柚希さんが何かを感じていただけたのならとても嬉しく思います。
これからもよろしくお願いします。
縹 壱和 投稿者 | 2017-10-20 21:46
絵本のように暖かったです。
救いのあるラストで、「ひねくれ者なので~」とありましたが、このお題でこの話を書けるなんて、優しい人なんだろうなと思いました。面白かったです。
よたか 投稿者 | 2017-10-24 01:39
コメントありがとうございます。『純潔のマリア』みたいな作品を書きたくなって設定だけは考えていたんです。
楽しんでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございました。
斧田小夜 投稿者 | 2017-10-20 23:34
星をそういうふうに使うのかとちょっと驚きましたが大変面白かったです。途中で文体が変わったのがきになるのと、魔女が長く一人で生きている様子の描写(たとえばぼくのエリのエリのような)があるともっと魔女にリアリティが出るような気がします
よたか 投稿者 | 2017-10-24 01:42
コメントありがとうございます。本当にその部分が書き足りなくて力不足を感じております。
ちなみに『ぼくのエリ』は知らなかったのですが、映画はホラーなんですね。
時間を作って観てみます。
藤城孝輔 投稿者 | 2017-10-21 16:48
雰囲気がいい。カポーティの短篇集『カメレオンのための音楽』所収の、森の中にあるとある家にたどり着いた主人公が、飼い猫が死ぬたびに死骸を冷凍保存している独居老女と出会う作品を思い出した。オチはエロスとシュールさが入り混じっていて、童話的なカオスが感じられる。画像もポエティックな感じがしてステキだ。
ただ、リードで著者自身が述懐しているとおり、もっと字数を費やして書くべき作品だと思う。読んでいて、いろいろ言葉が不足している印象を受けた。分からなかった部分や引っかかった部分を以下に挙げる。
後半部分の司祭とジークのやり取りを読んだ後でも、「魔女が星を奪ったために神の救いが人々に届かなくなった」という冒頭の司祭の言葉の意味がよくつかめなかった。司祭はジークをダマしていたのか?
冒頭の司祭のセリフに「森の中の古い大きな樹の下に黒い家があってだな……」という前フリがほしい。なぜ実際に対面する前からジークは魔女であると分かったのかという点について説明が足りず、読み手は「魔女を怖がる街の人が『魔女は森の中の古い大きな樹の下にある黒い家に住んでいる』と噂話をしていた」と行間を想像で補わないといけない。ジークが一目見て魔女の家だと分かるためには、もっと具体的な特徴づけも必要。
「意地悪に口を曲げて笑った」「自虐的な笑いを浮かべてジークに言った」「皮肉な声を掛けた」などの形容表現は、視覚的にイメージしにくい上に説明的すぎてせっかくの作品の雰囲気を壊してしまっている気がする。手あかのついた言葉で説明してしまうのではなく、情景を描いておのずと読み手に伝わるようにできたらいいと思う。
よたか 投稿者 | 2017-10-24 01:54
さすが藤城さんです。細かいところまでチェクしていただき、本当にありがとうございます。
昔話の雰囲気をもっと大事にすべきだったと改めて感じてます。
特に、描写についてのコメント参考にさせていただきます。
すべてのモノは創造主たる神の教えのためにある。
教会がそんな独善的な考え方をしていれば、夜空の星に名前を付けただけだとしても、『星は奪われた』と吹聴するだろうと考えました。
高橋文樹 編集長 | 2017-10-25 20:54
全体的なバランス感として会話が多すぎるのと、美しい中性的な世界観を表現する地の文が少なかった。また、テーマと少し外れていたようにも思う。
よたか 投稿者 | 2017-10-25 23:15
ありがとうございます。書き直す時にみなさんのコメントを参考にさせていただきます。