弔いの日

二十四分の一の幻想集(第1話)

二十三時の少年

小説

3,490文字

私たちは毎日まいにち何かを喪って。想い出は私たちの中にあって。また鐘が鳴る。

 

今日はお弔いの日です。正午が近づくと街のみんなは無職も引きこもりも犯罪者もみな外に出て、時が訪れるのを待ちます。年に一度のこの日に、手にはそれぞれの想い出の品を携えています。街の学校はどこもお休みです。法定休日と云うわけではないし市の年間行事というわけでもありません。ただ、どの家庭も当然の務めとして参加するので、自然と休校になってしまいます。仕事を止めるわけにはいかないらしく大人たちはみな職場で働いていますが、十一時を過ぎると信号機の明かりも落ちるので車も走りはしません。街のささやかな配慮、というものです。用意はもう、前日のうちに済んでいました。学校では皆が口々に「今年は何にしよう?」なんてはしゃいでいました。ひそやかな笑顔。だからといって本当のことを言う子は一人もいません。想い出はその人のものなのだから。私の家族も家の前に立ちます。私の品物はほんの些細なものでしたから、兄の抱える段ボール箱を階下へと運び出す手伝いをしました。その間、母は何も言わずに車道の白線の前に佇んでいます。品物はこうして出揃いました。私は小さいころに気に入っていた兎のぬいぐるみを。兄は書棚を埋めていた活字の本の一山を。母は赤い背表紙のアルバムを。父はいません。今頃会社のビルの前に立って黙とうして居るのでしょうか。

悔悟の塔は街の中央にあります。役場の上から伸び上って街を見下ろすように厳めしく、立っています。その昔は煉瓦と漆喰でできたごく簡素なもので、いまよりもずっと背が低かったそうです。当時の写真は『街のあゆみ』と石彫りのプレートに題されて役場の一角に飾ってあります。街の子供たちはみな社会科見学のときにそれを目にして、助役さんからお話をうかがいます。

 

 

「みなさんのおじいちゃんやおばあちゃんが生まれるずっと前、わたしたちの国はせんそうをしていました。たくさんの人が、なくなりました。この塔は、空しゅうでなくなった街の人々のたましいにいのりをささげるため、たてられました。この写真がそうです。そうですね、いまとはずい分ちがいますよね。もっと、みさきに近い所にありました」

 

 

今は、悔悟の塔はステンレスで出来た立派な建物です。磨き上げられた円筒状の壁面は鈍色の輝きを放っています。この輝きは、この街の自慢は、私の密かな自慢でもあります。父はビルメンテナンスの会社を経営していて、塔の清掃を無償で引き受けているのです。社名の入った大きなゴンドラが蟻のように上り下りしているのを家から眺める度に、花丸を付けて貰えたような喜びを感じます。小学校の時に家族の仕事の作文を書いて、全校で表彰されたことがあります。『まちにくらす私たちのつとめなんだ、と父は答えました』。こう書いたのをよく褒められた、と覚えています。作文を書くときに、父に色々と尋ねたことも。よく覚えています。「中はどうなっているの?」それは何気ない疑問でした。「何もないよ」父は当然のように話しました。「何も?」「そう。螺旋階段が上まで続いているだけさ。上を向いてるとくらくらしてくるよ。勿論、エレベーターもあるさ。昇るのは骨だからね」私は心のどこかでこの事実を書くことをためらいました。これは知るべきではないことだ、そう思ったのかもしれません。

高い高い、がらんどうの塔。私たちの住むところは雲雀ヶ丘といって小高い造成地ですが、そこからでも見上げる程の高さです。澄み渡った春の空。北の岬の側に大きな影を落としています。

私は携帯を取り出して時間を確かめました。十一時五十七分。右手側に立つ母に目でたしなめられて、慌ててパーカーのポケットにしまいます。朝ごはんを終えて食器を片づけてから、母はほとんど口をきいていません。父を送り出すときの「いってらっしゃい」ぐらいでしょうか。いつもは喧しいほどなのに。母の中で、お弔いはもう始まっているのです。

 

 

「せん後、という言葉をみなさんは知っていますか? 今はもう、使われなくなった言葉です。あの日、****年*月*日からわたしたちのせん後は終わりました。お弔いの日の事です。あの日なにがあったか、みなさんもおべんきょうしましたね。そうだね、昔は受なんの日とも言いました。君はよく知っていたね。家の人に聞いたのかい? どこのお家の子だね。ああ、そうかそうか。そう、私たちのれきしは、受なんの日から始まったのです。大きな苦しみをみんなでのりこえた、それがわたしたちのれきしです」

 

 

鐘が鳴り始めました。奇跡の鐘、と呼ばれています。塔の上に据えられた青銅の鐘です。お腹の奥まで響く音です。正午からきっかりと十七分続きます。この日のことを忘れないためです。奇跡の鐘は、塔がまだ教会の一部だった頃、あの日の後に街に残った唯一のものなのだそうです。学校の郷土史の授業でそう習いました。あらゆる街角に据えられたスピーカーからも、割れた音で鐘の音が放送されます。家から出られないお年寄りや病気の人のために、ケーブルテレビやラジオでも流しています。隣に住む松浦さんのお家がそうです。足の悪いおばあさんの替わりに、娘の千鶴子おばさんが立っています。私は彼女たちの今年のお供えが何か気になりましたが、決してそちらは向きません。想い出はその家のものなのだから。私たちもお供えの品を道に置いて、胸の前に手を組むと、その場にひざまずきます。

鐘の音と唱和するように、かすかに地を震わす音が聞こえます。アスファルトに降ろした膝頭から忍び寄るようにして、私の心臓を掴みます。街中が、泣いているのです。

兄は、高校を出てからずっと家に籠りきりです。狭い町内のことですから、みんなが知っています。なんでかはよく知りません。ただ、いつも難しい本を読んで難しいことを考えているみたいです。父とはよく喧嘩をしています。あいつは優しすぎるんだ、と父はたまにそう愚痴を言います。

 

 

「乗りこえるためには、せおうものが多すぎました。たくさんの、たくさんのおもい出をすてなければ、とても乗りこえられないくらいきびしいものでした。このれきしをけっしてわすれないために、お弔いの日ができました」

 

 

しばらくして、火の係の人が私たちの家の前にもやってきます。頭から黒い頭巾をかけていて、目出しの穴から白い眼が覗いています。小さいころそれは恐ろしかった。ただ、私はもう知っています。彼らは町内のお年寄りで、こうして持ち回りで立派な役目を果たしているのです。正しくは、弔火番と云うそうです。これも学校で習いました。今年は池田のおじいさんの番です。

池田のおじいさんには身寄りがありません。淡い色合いの建売が整然と並んだ住宅地の中にポツンと平たい屋根の大きな倉庫のような家があります。そこが池田さんのお家です。私が産まれるずっと前から、独りぼっちでプレハブの家に住んでいる変わり者です。ジョセイキンが出るのに足並みを揃えない困った人だと、悪口を言う大人もいます。雲雀ヶ丘の家は、どこも国からの補償を受けて建てられたものです。池田さんだけは、頑なに拒み続けてきたそうです。池田のおじいさんはあの日、ご家族を全て亡くして、それからすっかりおかしくなった。そんなことを言う大人もいます。狭い町内のことですから、みんなが知っています。

私たち一家の前に、池田さんが、火の係の人が立ちました。不敬とは知りつつもちらりと目をやると、頭巾の奥の両方の眼と視線が交わります。幾重にも刻まれた皺の真ん中で、眼は赤く濡れていました。私はすぐに目を逸らして深くひざまづきました。想い出はその人のものなのだから。

 

 

「わたしたちはすべてをうしないましたが、きぼうだけはすてませんでした。あなたたちが、このまちのきぼうなんです。だからこのやく場のかねは、いつまでも鳴るのです」

 

 

私のぬいぐるみにも、火が灯りました。劫火はアルバムを、本を、ぬいぐるみをたちまちに取り込んで、家族の頬を朱に染めます。母は泣いていました。兄は、小さく嗚咽を漏らしました。私も、いつの間にか涙が顎まで伝っていました。喪失の涙です。重く響く奇跡の鐘の音と、火の係の人たちのひっそりとした足音、そして静かに燃える炎。今日は、お弔いの日なのです。こうしてみんな、ひとつだけ年を取るのです。

2016年6月27日公開

作品集『二十四分の一の幻想集』第1話 (全3話)

© 2016 二十三時の少年

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