ひたすらと佇む

二十四分の一の幻想集(第2話)

二十三時の少年

小説

4,330文字

どうもそういうわけで、今日も男は佇んでいるのです。

川が流れている。川といっても、取り立てて魚が泳いでいるわけでも鳥が飛び交っている訳でも川底の岩が光を反射して輝いているわけでもない。それはもっとずっと上流か、それかもっとずっと下流のことだろう。この話に出てくる川はコンクリートで拵えられた大がかりなただの水の流れであって更に言えば用水と銘打たれたどぶ川に過ぎない。川幅は三十米ほど。人が歩くには骨折りなぐらいの間隔を空けて幹線道路を通すための大仰な橋が幾重にも掛かり、その合間には背の低い建物が川を周囲の目から隠すようにして立ち並んでいる。どの道路橋の脇にもなだらかな階段があってそこを下ると川の両岸を形作る煉瓦敷きの遊歩道があるのだけれど、街の人々はみな自分の暮らしに忙しくて別段の用が無ければ見向きもされない。

 

その無数にある道路橋の、ある橋とある橋の間。どちらの階段を下っても丁度真ん中のあたり。遊歩道に面した焼鳥屋の地階(表通りに正面入り口があるから、どうしても一段下になってしまう)と近隣の工場で働く人たちに向けた居酒屋(話によれば、階段を下ると比較的に家賃が安い)の間にはコインランドリーがある。そこからの眺めはひどいものだ。深い堀を走る川からは時折、ごぼごぼと得体の知れない泡が湧きあがる。川面はヘドロに覆われていて日中は暗い緑色である。背の高い柵がかかっているから誤って人が落ちるなんてことはまず無いけれど、見ていてあまり気分の良いものではない。柵越しに伺う向こう岸には通りの建物にしては少し背の高いペンシルタイプのラブホテルが立ち並んでいて、その合間に何か所もある駐車場からは行き交う車がよく見える。夜の街というほど大袈裟なものではないけれど、やはり猥雑な雰囲気が漂っている。

 

そのコインランドリーの前には、男が座っている。男の顔は赤茶に焼けているけれど、それは別に彼が働き者だからなわけではない。彼は日が出てから日が暮れるまで、居酒屋のオヤジが看板を出して焼鳥屋の軒から炭と脂の匂いが漂う時間になるまでをその場所で椅子に腰かけて過ごしている。それは木製の、よく言えばアンティーク風のロッキングチェアで、彼と同じくらい日に焼けている。背もたれの部分の縦に嵌っている格子木の、五本あったうちの左から二番目が歯抜けになっているのが彼の気がかりだけれど、特に椅子を替えたり修理しようとはしない。そんな選択肢は外れた格子と一緒に、すっかり抜け落ちてしまっているのかもしれない。

 

彼の仕事はコインランドリーの店番だ、というわけでもない。なぜ彼がここに佇んでいることを許されているのか、そのわけを知っていそうな人を見つけては聞いてみるのだがどうも要領を得ない。どうやら地主の息子で安穏と暮らしている、とか。なにやら心臓を悪くしていてあまり遠出ができない、とか。じつをいうとこの古びたコインランドリーを営んでいる婆の愛人である、とか。なんと彼は別れた恋人をずっと待っているのだ、とか。おそらくは最後のエピソードは真っ赤なウソだろう。皆が皆、どこそこの誰がこう言っていたのを聞いた人がいる、程度の噂話未満の証言をするばかりだ。結局は昔から彼はここにいるのだからということで、怪訝には扱われても邪険にされることはない。

 

彼は日がな一日椅子に揺られて、足元に置いてある2Lペットボトルの水を飲み、昼にはおにぎりを食べる。目深にかぶった野球帽に、ポケットのついたシャツに、ジーンズに、履き古した運動靴。青年と呼ぶには随分と年をとってしまっているけれど老人というには若々しい、輪郭のぼやけた顔立ち。形の良い鼻はしているけれど、全体的にのっぺりとしていて印象に乏しい。緩んだ腹をしているけれど、太っているわけではない。近所に住んでいるのはもう間違いのないことで、向こう岸のホテルの影が彼の上に落ちる頃には背を丸めてどこかへと帰って行く。

 

きっと本人も、何が何やら判らないのではないだろうか。日中に人の姿は少ないけれど、回っているドラムの数だけ客は通りがかる。籠いっぱいの洗い物を抱えた隣の店屋の人間が、

「今日はいい天気ですね」

と、例えばこう声を掛けるとする。男はすっかり動転してしまって目線は虚空をさまよう。

「あーうん、そうだね。うん。今日は川もきれいだし。そうだ。雲もなくてね。うん。いい天気」

と諳んじるようにして呟く。それっきり、何を聞かれてもいないのに、

「ほんとにいい天気だよね、うん。うんうん、うん」

と誰に伝えるわけでもない応えを繰り返す。一事が万事この調子なものだから、近所の人間はみんなしてこの中年は大層アタマが弱いやつなのだと内心で馬鹿にしている。だけれども、実際はそういうわけではない。腕時計で時間をしっかりと確認して十二時ぴったりに昼食を取るし、かわいいおねえさんが洗濯物をしに来ればまなじりを下げもする。人並に考えもするし欲するところもある。ただ、彼にとって誰かに「今日はいい天気ですね」と話しかけられることは、私やあなたが往来の出合い頭に小太りのおばさんから「あなたは神を信じますか」と問いかけられるに等しい出来事であるのかもしれない。あなただって返答に困るはずだ。きっと、ただそれだけなのだろう。

 

彼の日中の食事は、コンビニ包装のおにぎりが二つと決まっている。一つは鮭のおにぎりで、もうひとつは日によって変わる。彼にとってもうひとつを何にするかはおそらく人生最大の悩みであって、それはシーチキンマヨであったりしぐれであったり梅おかかであったり煮玉子であったりする。神様が彼に与えた最後の選択の余地なのかもしれない。だから彼は貧しい人なのだ、というわけではない。雨の日になるとそれはわかる。雨粒が川を叩くぐらいの激しさになると、男は椅子に座っていることをすっかり諦めてしまう。濡れてしまって困るから。その代りに、コインランドリー側の岸にあるひなびた商店街のアーケード、そこのパチンコ屋に彼の姿がある。仕事をさぼっているスーツ姿の男や出勤前のすっぴん女なんかと肩を並べて、背を丸めてシートに腰を下ろしている。ハンドルを固く握って、顔を真っ赤にしながら玉の転がる盤面を見つめている。そばにそっと近寄ると、

「うん、そうだよね。こうなるよね。うんうん」

と勝手に何事かを得心しているのが判る。気味悪がって近くには誰も座っていない、というわけではない。よく見る顏なのはお互い様のことで、いちいち横の人間のおかしさに気を留めていたら当るものも当らなくなる。角に座っているババアなんぞは、財布から金を取り出す度に此の世と孫と嫁への呪詛をとめどなく口にしている。だから彼の奇矯さは、特に注視されるほどのことではない。彼はお金が無くなると、シャツの胸ポケットからお札を継ぎ足し継ぎ足しする。その一枚の紙幣が毎日口にするおにぎり何個分にあたるのか、おそらくはすごく大金であることぐらいにしか彼は理解していない。ぴかぴかと光る盤面の、ぐるぐる回るデジタルの数字に一喜一憂しているらしいけれど表情からは良く判らない。彼は薄笑いを浮かべたまま、歯を食いしばってウンウンと唸っている。きっと、幸せなのだろう。

 

男はどうやって生計を立てているのだろうか。家には老いた母がいて彼の帰りを待っているのか、それともただ世の中に生活を保護されているのか。そのどちらというわけでもない。彼が椅子に腰かけていると、時折訪れる人々が彼に些細な荷物を預けていく。それは仕入れの品の入った段ボールであったり、林檎や蜜柑やそういった青果の類であったりする。彼がそこから決して立ち動かないということを、もう誰も忘れてしまったくらい昔からみなが知っている。だから彼は、ごくアタマの弱い荷物番として人々が期待する役目をしっかりと果していた。とはいえ、彼が何をするわけでもない。足元に敷いてあるマットには誰かしらの預かり物が置いてあって、それが無くなってしまわないようにきちんと目を配ること。彼に望まれてることといえばただそれだけだった。勿論、荷物が肢を生やして逃げ出すはずも無いから、彼が不意に人生の意義に気づいてどこかへ行ってしまったりさえしなければそれで事は済んだ。

「頼みますよ」

の一声さえかければ、

「あ、はい。もちろんです」

と、どうもその受け答えだけはしっかりとしていた。そして案外と、彼は人の顔をしっかりと覚えていた。向こう岸で働く奴が悪戯心を出して勝手に荷物を持っていこうとしようものなら、

「いやいやいやいいや、こまります。それ、こまるんですよいやいやいや」

と俄かに立ち上がって顏を紅潮させた。彼の中に職業という概念があるのかは甚だ疑問であるけれど、どうやら言いつけを守ることの重要性、といった事柄に関してはよく躾けられているのだろう。預けた人たちは彼に僅かばかりの駄賃を渡して、男はそれを胸ポケットにしまい込んだ。だからといってお客が簡単な謝意を示すと、例えばそれが、

「ありがとうね」

という程度のものであっても、

「あーうん、そうだね、うん。今日はあんまり暑くなかったし、うん」

と唐突に壊れた機械人形になってしまう。きっと、照れているのだろう。

 

彼は愚かだけれど人の善意によって日々を生きる善良な人間だ、というわけでもない。彼が荷物を引き受けるお客の中には、随分と質の良くない人々が紛れ込んでいる。彼らは大体が崩れた格好をしていて、いくら明るく振る舞っても表情に陰りがある、そういった類の輩。その中の誰も彼もが、男に小さなカバンを預けた。

「いつもありがとうな」

とだけ伝えられると彼は返事をするでもなくその荷物を引き受ける。カバンは足元の品々とはしっかりと区別されていて、いつも膝の上に載せている。中を覗こうなんて思いつきもしないのだろう。やがて日が暮れる頃になると、誰かがそのカバンを引き取りに訪れる。預けた人間とは全くの他人だけれども、男はそのことに頓着していないようだ。彼はそういうものだと判っているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。何れにせよ、預けられたカバンは歯抜けのロッキングチェアを経由してAからBへと渡っていく。受け取り手の人間が胸ポケットに茶色い札を差し込んでいく決まり事も、彼の理解の助けとなっているのかもしれない。世の中を構成する悪意のほんのささやかな橋渡しとして、彼はきちんとその役目を果たしていた。きっと、慣れているのだろう。誰もが慣れていることだから。

 

 

どうもそういうわけで、今日も男はたたずんでいるのです。

2016年7月15日公開

作品集『二十四分の一の幻想集』第2話 (全3話)

© 2016 二十三時の少年

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