近江舞子

小説

5,090文字

奇形として差別にあう妹をもつ彼女を思う姉との物語。

翡翠色の透き通った海とごてごてとした珊瑚礁に囲まれた小さな島があった。岸辺には椰子の樹が林立し、島の中央には火山がある。本土の人間はここを水曜島と呼んだ。一年に数回、台風に襲われるほかは争い事もなく平和な島だった。

しかし、その穏やかな暮らしは悪夢と言うべき大災害で一変した。数百年の眠りについていた火山が突如として噴火したのだ。幸い田畑や森林などの被害は少なかったが、一番問題になったのは火山ガスだ。その有毒ガスを吸った妊婦から生まれた子がことごとく畸形児だった。三つ目の子、隻腕の子、双頭の子。そして、彼らは長く生きられないのが普通だった。また、忌み子とも呼ばれ差別も受けた。

悲しい事件から数年。畸形でありながらも健やかに育った女の子がいた。名前をリリという。彼女は背中の肩甲骨が成長するに連れて出っ張り、翼のように見えた。村の中には彼女を「天使の生まれ変わり」と言うものもあったが、それはごく一部で、やはりほかの畸形児と同じく差別を受けていた。彼女は貧しいながらも二つ歳の離れた姉と母と三人で仲良く暮らしていた。

 

川岸の簡素な木の家の近くで、二人の少女が追いかけっこをしている。先を行くのはベル。リリの姉だ。浅黒い肌がてらてらと光り肉の少ない体が躍動し歯をむき出しにしている。後ろから着いていくのはリリ。背中を出した上着を身につけている。一歩一歩足を踏みしめるごとに背中の翼が揺れる。姉と違って肌が白い。体も栄養素が行き届いていないようでガリガリに細く、この島にはあまりいない感じの子だ。

ベルが豚を囲った策の前まで来ると、それにもたれかかった。遅れてリリが到着する。「はあ、はあ」と、肩で息をしている。

「今度は鬼ごっこ。リリが鬼ね」

ベルはリリの方をぽんと叩くと一目散に元来た道を走っていく。

「お姉ちゃん待って」

まだ息の整わないリリは姉を引き止めるように右手を前に出す。ベルは一度振り向くが勢いを増して離れていく。

一頭の豚が取り残されたリリに近付いてきた。何か食べ物をねだりにやってきたらしい。

「まだ餌の時間じゃないよ。もう少し待ってて」と言って豚をなだめる。当然豚が人語を解するわけでもないのだが、リリの目を見るとくるりと後ろを向き、のっそり歩いていった。

 

二人の家は村で一番貧しい。家はぼろで雨漏りもする。床はなく、土の上に直に椰子の葉を敷き詰めただけだ。母親は一日中縄を編んだり、布を織ったりして働いている。父親は出稼ぎで本土のほうに行っている。帰ってくるのは一年に一度。それも数日だけ。本来なら娘二人も働かなければやっていけないのだが、リリのほうは「畸形だから」という理由で村の女衆でする仕事をさせてもらえない。だから、それはもっぱら姉のベルの役目だ。今は午前の仕事が終わりベルの少ない自由時間。この後また働きに出かける。

ベルは女ばかりでやる漁の仕事が嫌いだった。船の上には同年代の子がいない。数少ない同年代は畸形で漁をさせてもらえないか、もしくはもうこの世にいない。日中、丘の上にいてリリと遊ぶこの時間だけが楽しみだった。

 

ようやく、よたよたとした足取りでベルのほうへリリが駆け出す。ベルの姿はとうに豆粒ほどに小さくなっていた。

「よう、人外」

リリがゆっくり走っていると、川で遊んでいた集団の中の男の子に侮蔑の声をかけられた。畸形の子は悪意を持って「人外(にんがい)」と呼ばれる。リリは表面上は平静を装い無視して通り過ぎようとすると、今度は石をぶつけられた。

「人外、人外」

男の子たちが声をそろえてはやし立てる。

「おまえも働けよ」

リリは悔し涙をにじませたが、首をひねり泣き顔を見せぬように走り去った。

リリはもっと泣きたかった。自分だって好きで働いていないのではない。働いて家の助けになりたい。でも、この背中の羽根が仲間に加わるのを拒ませるのだ。

憎かった。呪われたこの体が憎い。こんなものが無ければ馬鹿にされることもないし、普通に働けるのに。

リリは差別されることに決して慣れなかったので、馬鹿にされるたびに泣いてしまう。胸が痛んでどうしようもなくなる。とうとう白い砂利の道に崩れてしまった。

その頃、ベルはリリがなかなかやってこないことに気をもんで足でリズムをとりながら、椰子の樹に寄りかかって休んでいた。駆けて来た道を見やる。すると、遠くのほうに棒切れみたいなリリが倒れるのを見止めたので、大急ぎで走り出した。

「また、いじめられたの?」

リリは顔を上げず、答えない。雫がぽたぽたと地面に落ちる。肩を震わせて泣いている。ベルは道に膝をついてリリの背中の辺りに手を回し、慰めた。

「わたしたちは同じ人間だよ。こんなことで泣かなくていいの」

「うん。うん……」

リリは喉に詰まらせながら声を絞り出す。

「さあ、帰ろう」

ベルはリリの手を取る。リリは立ち上がって歩みだす。二人は手を繋いで帰っていった。

リリを家に送っていったため、ベルは午後の漁に遅れてしまった。リーダーに咎められたが、平気な顔をしていた。ただ、リリのことが心配だった。

 

朝から煙るような白い雨がしとしとと降った。こんなとき、漁は休みだ。それでも姉妹は揃って豚の世話をしたり、母の手伝いをしたりして忙しかった。二人は父の顔をよく覚えていない。一年に一度来るお客さんのような感覚だった。だから、母と三人で一緒に過ごすのが自然で、たとえ楽しくない労働でもリリにとっては嬉しかった。

一日中働いたリリは疲れて眠ってしまった。ベルは彼女のそばに行き、麻でできた布をかける。うつぶせに寝ているため、背中の羽根がよく見える。ベルはリリのことを想った。今まで空も飛べないこの羽根のために、どれだけ苦労してきただろうと。辛さや悲しみを全部引き受けてあげたいと思った。もしくは、朝起きたらみんな夢で、背中の羽根がきれいさっぱりなくなっていればいいのにと。そうしたら、リリは毎日のように泣かないで済む。

 

その夜、すっかり陽が落ちて暗くなると父親が帰ってきた。たくさんの土産とともに。新品ではないが服があった。上着はそのままだと羽根が邪魔になってリリは着られないので、彼女のために手を加えなければならない。それは、ベルの仕事だ。さっそく裁縫道具を引っ張り出してきて取り掛かる。背中の真ん中にハサミを入れて丸く切り取り、周りを縫う。手馴れたものだ。できあがったものをリリの頭の横に置いて、ベルも眠ることにした。

ベルはふと目をさました。雨音は聞こえない。止んだようだ。家には窓が無いため、月明かりも入ってこない。真っ暗。隣で寝ているリリの顔もはっきり見えない。しかし、起きている両親の気配だけは感じ取られた。何やら子どもが入ってはいけないような深刻な雰囲気を醸し出し、声を潜めて何やら話している。ベルは目を閉じ、耳をそばだてた。それは聞いてはならない内容だった。ベルは夢だと思いたくて必死に眠ろうとしたが、動揺が大きすぎて無理だった。結局、明け方まで眠れないことになる。

父親の話はこうだった。本土で働いているときに一人の商人に出会った。その商人に自分には畸形の娘がいて背中は翼のようになっていると話したところ、その子を欲しい、一度見てみたいと言うのだ。商人が提示した金額は高く、親子三人で暮らすのには当分困らないほどだった。そして、その商人は明日来る。

母親は最初こそ拒否したが、父親の執拗な説得に根負けし、ついには了承してしまった。

ベルは冷や汗を垂らしていた。親に起きていることを気取られぬように身じろぎもしなかったので、拭うこともできない。妹が売られていくなんて。そんな事態は絶対に阻止しなければならなかった。眠れない布団の中でベルは一生懸命知恵を絞った。リリが行かなくて済む方法を考えなければ。先に起きてベルがにごった川の水で顔を洗っていると、リリが起きてやってきた。純粋な笑顔のリリを見て、何にも知らない彼女のことがかわいそうで、悔しかった。何もできずにベルは午前の仕事へ向かった。

昼になってベルが家に帰ってくると見知らぬ男が歓待を受けていた。少し腹が出ていて肉付きがよい。顎にヒゲを蓄えている。その男の裕福な身なりを見てベルはすぐに彼がリリをさらっていく商人だと気付いた。ベルが挨拶をしないので父親が注意をしたが、そっぽを向いて家を飛び出した。

「このままではリリが遠くへ行ってしまう。何とかしないと。リリのいない世界なんて」

ベルの頭の中はリリのことでいっぱいだった。リリの手を取って二人で逃げようか。いや、この狭い島では簡単に見つかってしまうだろう。何より母親が悲しむのは容易に想像がつく。リリの羽根は不幸を呼ぶ魔の羽根だと商人に吹き込もうか。いや、例え嘘でもリリを貶めるようなことは言いたくない。

ぐるぐる思考が巡る。ちっともよいアイデアが見つからない。ベルは自分の無力さ、ふがいなさに苛立ち椰子の樹に頭を打ちつけた。悔し涙をぼろぼろと流して。

ベルは午後の仕事をサボった。女衆でやる仕事はもともと好きじゃなかったが、それは初めてのことだった。代わりに森の奥にある秘密の場所に向かった。

ベルとリリが二人で少しずつ作り上げてきた基地がそこにはあった。ベルはここでリリとこっそり椰子の実のジュースを飲んだことを思い出した。家で飲むものと同じだけれど、ここで二人で飲むと違った味がする。いつもより幾分かおいしく感じるのだ。ベルは椰子の樹によじ登って実を振り落とした。落ちた実を拾い、基地においてある先を尖らせた石で削って穴を開ける。口をつけて一飲みすると、味がない。ちっともおいしくないのだ。これから先、ずっとこの味になってしまうのかと思うと、また泣けてきた。

ベルは流れゆく雲を呆然と眺めた。あの雲の見えないところへもうすぐリリは行ってしまう。自分はそれを止められない。所詮、非力な子どもなのだ。つまらない仕事をして、つまらない一人の時間を過ごす毎日になるのだ。考え事をしていると、ベルはいつの間にか眠ってしまった。目を覚ますと辺りはすっかり暗く、夜になっていた。

家に帰ると商人はいなくなっていた。少しだけほっとしたが、すぐに漁に行かなかったことを母に激しく叱られた。リーダーが既にベルの怠慢を母親の耳に入れていたのだ。散々起こられたあと、ベルがリリのほうに目をやると見たことのない貝のネックレスをしていた。

「それ、どうしたの?」

「昼間のおじさんがくれたの。お姉ちゃんにもって。はい」

リリがベルに同じような貝の環を差し出す。

「こんなもの要らない」

手に取った貝のネックレスを勢いよく床に叩きつけた。そして、リリに近付くと憎しみを持って首に掛かったネックレスを引き千切った。

「あんた何してんの!」

母親の怒声が響く。

「リリが、リリが、行っちゃうんでしょ。どうして何でもない顔をしてられるの!」

それは父と母とリリの三人に向けられた憤りの叫びだった。

「お姉ちゃん。いい人だよ。さっき話を聞いたけど、わたしが行けばお父さんとお母さんとお姉ちゃんが楽に暮らせるんだよ。それならわたしは行く」

顔を曇らせてリリは言った。

「ここで暮らすのが嫌なの?」

「違う」

「じゃあ何で?」

「お姉ちゃん達がいっぱい苦労をしないでいいように、幸せな暮らしを送れるようになってほしいから」

「そうよ。リリも納得してくれたの」

ベルは押し黙ってしまった。気まずい静寂。父親はずっと後ろめたさを表した顔をして口をきかない。

「リリとは明日でお別れよ。今夜はご馳走にしたの。食べましょう」

滅多に食卓でお目にかかれない豚の丸焼きや魚の刺身が並んでいた。ベルはちらと一瞥すると何も言わず奥に行き、そのまま横になった。

 

深夜、皆が寝静まった頃を見計らってベルは身を起こした。この時までずっと眠らずにいた。家の者を起こさぬように息を殺し、そっと足を運んで棚にある包丁を手に握った。

「リリ、ごめんね」

そうぽつりと言うと、うつぶせで寝ているリリの背中の羽根を片方持ち、ぐっと力を入れて切り取った。

「うう、ああっ!」

リリの口から獣のような咆哮が飛び出す。暴れるリリを押さえつけ、ベルはもう片方を何とか切り落とした。

ベルはリリの返り血にまみれながら、口元を引きつらせ微笑んだ。

「これでいいんだ。これで……」

2010年5月18日公開

© 2010 近江舞子

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