スリッパドラゴンプラス

才式羊宣

小説

6,651文字

ある日、僕はクラスの嫌われ者、篠田に首を絞められて家に連れていかれる。篠田は、スリッパドラゴンというセーラー服の少女にスリッパを喰わせ、豚串という和服のおばさんを転ばせた。それから駅で、降車客にカラーボールを投げつけ、消毒おじさんのアサギマダラに背負い投げされた。そして、僕は蝶を見ている。虫ピンでとめられた蝶をじっと見ていると、動いたように見えることがある。しかし、そんなことがあるはずはない。蝶は死んでいるから、ピンでとめられているのだ。死んだものは動かない。

僕は蝶を見ている。虫ピンでとめられた蝶をじっと見ていると、動いたように見えることがある。しかし、そんなことがあるはずはない。蝶は死んでいるから、ピンでとめられているのだ。死んだものは動かない。

 

中学校の授業が終わった時、篠田に話しかけられた。一度も話したことのないやつだ。

「一緒に帰ろうぜ」

篠田は、にやにや笑いながら僕に近づいてきた。周りの連中が、ひそひそと話しながら遠ざかってゆくのがわかる。つまり、こいつは嫌われ者だ。

「なんで?」

僕はめんどくさそうに答えた。こいつの仲間と思われたくない。篠田が嫌われているには理由がある。ほとんど学校に来ないし、来てもなにも言わずににたにたしてるだけだ。薄気味悪い。でも、積極的にからかったり、いじめたりするようなやつもいない。関わり合いになりたくないくらいに気味が悪いってことだ。その気持ちは僕もよくわかる。からまれた時に、へらへら笑いながらわけのわからないことを言って相手を怖がらせるという護身法があるらしいが、篠田がいじめられない理由は、まさしくそれだ。

「家が近い」

篠田はぼそっとそう言った。顔はうつむいているのでよく見えないが、にやにやした表情でいるのがなんとなくわかった。むっとする生臭い匂いがした。僕は顔を背けた。すると、クラスの連中に遠巻きにこちらを見ているのがわかった。あいつ、篠田と話ししてるぜ、とか言われていたらいやだ。

「一人で帰れば」

僕は篠田に背中を向けると歩き出した。とにかくこいつと一緒にいたくない。絶対に仲間だと思われたくない。遠巻きにしていた友達に一緒に帰ろうと声をかけようとしたが、みんな目をそらして逃げてしまった。

しかたがないので、篠田から逃げるように早足で歩き出した。うしろから追ってくる気配がする。振り向いちゃいけないような気がしたので、うしろを向かずに歩き続けた。校庭を出たところで、篠田に首をつかまれた。ぬるりと熱い手は、ひどく大きかった。うしろからつかんでいるのに、喉仏まで指が届いていた。

ぐっと指に力が込められた。

「なにすんだよ」

思わず大声が出した。手を振り払おうとしたが、指先ががっちりと食い込んではずれない。

「っ……」

指先にさらに力が込められた。喉がしまって声がでない。僕は篠田の腕をつかみ、離そうとしたが、想像以上に強い力で離すことができない。

「一緒に帰ろう」

篠田はそう言うと、両手で僕の首を絞めはじめた。喉が痛い。喉の内側に骨が当たっているみたいで痛くて息ができない。顔全体が充血してきて、破裂しそうなくらいぱんぱんに腫れ上がっているような気がした。叫ぼうとしたら、喉から細いヒーという音が出た。思い切り腕に爪をたて、引き離そうするのだけど、まったくきかない。僕は誰か近くにいないかと見回したが誰もいなかった。

「こい」

篠田はそう言うと、僕の首を絞めたまま歩き出した。僕は足を踏ん張って連れて行かれないようにしようとしたけど、だめだった。ずるずると引きずられてしまう。頭に血が溜まって、耳の奧がわんわんと鳴り出し、音がよく聞こえなくなってきた。気がつくと口が大きく開いていて、よだれがだらだらとたれていた。もしかしたら、このまま篠田に殺されるんじゃないか、そう思ったら、おそろしくて全身がガタガタと震えてきた。

「家に来るなら手を離してやる」

篠田がすっと手の力を弱めた。新鮮な空気が肺に吸い込まれるのがわかる。喉がひいひい鳴った。

「こい」

篠田は、首から手を離さずに命令した。

「わかったから手を離せよ」

僕は篠田が手を離したら逃げようと思った。このままだと、篠田の思うようにされてしまう。逃げなきゃ。こいつは、おかしい。

「逃げるからだめ。僕の家はそこ」

言われて前を見ると、僕らの前には、大きな古い洋館が建っていた。高い塀に囲まれた屋敷だ。学校の近くにこんな家があったなんて知らなかった。塀の向こうには、たくさんの木の枝が見える。篠田は、僕を屋敷の中に連れて行った。

入ったところは、植木に囲まれた芝生だった。きれいに整えられているのに、禍々しい感じがする。晴れているはずなのに、この屋敷の中は薄暗い。木が多いせいなのだろうか。僕は、篠田に引きずられて、玄関にたどりついた。金属製のドアの周りに汚れたステンドグラスがしつらえてある。篠田は無造作に片手でドアを開けた。上がり框に白いスリッパがいくつも並んでいる。

ひんやりと湿った空気を感じた。かびくさくよどんでいる。薄汚れた赤い絨毯の敷かれた廊下の両壁に、扉がずらりと並んでいる。いったいいくつ部屋があるんだ。

「スリッパを履く」

篠田は靴を脱いで上がるとスリッパに足を突っ込んだ。僕にも、そうしろというように首を引っ張った。僕はしかたなく、スニーカーの踵を無理矢理に足でこそいで靴を脱いだ。

「スリッパを履く」

篠田は同じことをつぶやいた。僕にもスリッパを履けというんだろう。僕はスリッパを履いた。

「こっち」

篠田は廊下を進むと右の三番目の扉を開けた。

八畳くらいの部屋に、淡いクリーム色のカーペットが敷き詰められている。甘い花の香りがした。扉の向かいには、本棚と勉強机があり、セーラー服の少女がこちらに背中を見せて腰掛けていた。

「あん?」

扉が開いたのに気がついた少女は、目を細めて振り返った。篠田と僕を見ると、おかっぱ頭の整った顔立ちが歪んだ。

「こいつスリッパドラゴンっていうんだ」

篠田はずかずかと部屋の中に入っていった。僕も引きずられて入る。少女のすぐうしろに立ち止まると、篠田は僕の首から手を離した。なぜか膝の力が抜けて倒れそうになった。

「バカ」

スリッパドラゴンと呼ばれた少女は、吐き捨てるようにつぶやいた。そして僕に目を向けると、

「あんたもこんなやつとつるんでると、ハンザイシャになるよ」

と言った。僕だって、つるみたいわけじゃない。違う、と言おうとして口を開いたが、ヒーというかすれた音しか出なかった。

「スリッパ貸せ」

篠田はそう言うと僕の左足を強引に持ち上げてスリッパを奪った。僕はバランスを崩して床に倒れた。

「やめろ」

少女が怯えた表情で言うと、椅子から立ち上がった。手にはボールペンを握りしめている。手を顔の前に掲げて、近づいたらこれで刺してやるというポーズをとった。

篠田はなにも言わずに、少女に突進した。少女は、ボールペンを突きだす。篠田の腕にボールペンが当たり、赤い線を描く。篠田は、まったくひるまずに、そのまま少女を床に押し倒した。少女が、甲高い悲鳴を上げた。

助けなきゃ。逃げなきゃ。僕は立ち上がろうとしたが、足にも膝にも力が入らなかった。自分の身体じゃないみたいだ。かろうじて、両手を床について立ち上がることができた。でも、少女を助けるどころか、歩くのさえままならなかった。なんで、こんなに身体が動かないんだろう。首を絞められたせいだろうか。泥に埋まっているみたいで、スローモーションでしか身体が反応してくれない。

篠田は、仰向けに床に倒れた少女の上に馬乗りになった。両膝が少女の両肩を押さえつけている。マウントポジションというやつだ。篠田は、いつもと同じにやにやした表情のまま、スリッパを少女の口に押し込もうとしていた。少女は手足をバタバタと動かし、叫んでいるがスリッパのせいでくぐもってうめき声にしかならない。小さな口にスリッパの先がひねりこまれ、ぐいぐいと押しつけられる。唇が切れて、赤く染まっていた。

なにが起こっているのかわからなかったし、なにをすればいいのかもわからなかった。ぼけっとして、篠田が少女の口にスリッパをぐいぐい押し込むのをながめていた。少女の足が動くたびに制服のスカートの奧が見える。内腿の白さがひどくなまめかしく淫靡で、僕の目は釘付けになった。僕の意識は宙に飛んで、どこにいて、なにをしているのかわからなくなった。

「スリッパドラゴンは、スリッパを喰うんだ」

篠田は、驚くほど静かな口調で言った。

「やめろ。バカ」

一瞬、スリッパが少女の口からそれて、少女の大声が響いた。僕は、はっと我に返った。

「……」

僕は篠田の肩に手をかけて、やめろ、と言おうとしたが、声がでなかった。ヒーという音がもれただけだ。

「邪魔したら殺す」

篠田は振り返りもせずにつぶやいた。ごくふつうの口調だ。かえって怖い。僕は思わず、肩に置いた手を引っ込めた。

「やめなさい」

その時、うしろから凜とした女性の声が響いた。振り返るとドアのところに中年のおばさんが立っていた。淡い色の和服を着ている。きっと篠田の母親なんだろう。

「豚串」

篠田はそう言うと少女から離れて立ち上がった。振り向いて和服の女性と向き合う。

「やめなさい」

女性は篠田をにらみつけて言った。

「こいつは豚串という女」

篠田は誰に話しているのかわからない口調でそう言うと、おばさんにスリッパを投げつけた。

おばさんは、素早くかがんでスリッパをよけると、目にもとまらぬ右ストレートを篠田の頬にクリーンヒットさせた。次の瞬間、篠田は床に倒れていた。

床に倒れていた少女は素早く立ち上がると、篠田を蹴飛ばしはじめた。おばさんも一緒に蹴飛ばす。

篠田は床に倒れたまま頭を抱えて身体を丸めた。それから、うひゃうひゃひゃひゃというおかしな声で笑い出した。子供が遊んでいる時の邪気のない楽しそうな笑い声だ。この場には似つかわしくない。この人たちはなにをしてるんだ? 僕は、遊んでいるのか、と錯覚しそうになった。

でも、マジ蹴りだ。床に倒れた篠田を二人で容赦なく蹴飛ばしている。蹴るたびに身体に爪先がめり込んで、篠田の笑いが一瞬途切れる。

こんなところにはいられない。早く逃げなきゃ。僕は足を動かそうとしたが、うまく動かない。ふらっとした。あわてて踏ん張ろうとしたが、足に力が入らなかった。そのままよろけて壁に背中を預けてやっと止まった。逃げなくちゃと思っているのに身体が動かない。必死に力を入れても、するっとどこかに抜けてしまう。まるで悪夢の中で逃げているようだ。早く走ろうとしても身体には力が入らず、のろのろとしか動いてくれないのだ。

「きゃっ」

少女が悲鳴を上げて倒れた。篠田が足首をつかんで床に引き倒したのだ。一瞬、おばさんの動きが止まった。篠田は、その隙をついておばさんの足首をつかむと、足首を引っぱって床に倒した。おばさんは、ぎゃあと低い声でうめいた。

篠田は、犬のような声でおばさんに吠えると、腹部を踏みつけた。おばさんは低い声でうめくと腹を押さえてのたうち回った。

「豚串」

篠田は相変わらずのにやにやした顔でつぶやいた。そしてくるりと僕の方を向いた。僕は逃げだそうとしたが、一歩も動くことができなかった。恐ろしさで涙がこぼれた。

「駅に行こう」

篠田はそう言うと僕の肩をつかんで引っ張った。僕は逆らうことができずに、そのまま並んで部屋を出て玄関に向かった。部屋から少女のすすり泣く声が聞こえた。

「豚串っ」

玄関で靴を履くと篠田がさきほどの部屋に向かって怒鳴った。はじめて聞いた篠田の怒鳴り声だった。壊れた機械のような甲高くて痛い声だった。

すると、さきほどのおばさんが部屋から出てきた。またバトルがはじまるかと思って緊張したが、そうではなかった。おばさんは、なにも言わずに篠田に紙袋を差し出した。大丸の紙袋だ。中に色とりどりのカラーボールがたくさん入っている。わからない。いったいどうなっているんだ。

篠田は、片手に紙袋を持ち、片手で僕の首をつかんで家を出た。僕はつかまった哀れな動物のように篠田に牽かれていった。

日は暮れかけて薄暗くなってきている。なんでこんなことになっているかわからなかった。普通に学校から帰るはずだったのに、篠田の家に連れて行かれて今度は駅だ。いったいこれからどうなるんだ。逃げなきゃと思うし、時折すれ違う人に助けを求めなきゃとも思う。それなのに、なにもできない。

駅まで行った篠田は立ち止まった。道路を挟んだ向かいに駅の改札がある。二つある改札に人はまばらだ。

「持て」

そう言って僕の手に紙袋を持たせた。いやだ、と言おうとしたが、声が出なかったので、首を振った。すると、首をつかんでいる指先に力が込められた。喉が締め付けられて、思わず咳き込んだ。でも、咳が出ない。胸がびくんびくんとして、ヒーヒーいう音が出るだけだ。痛い。苦しい。よだれと涙があふれてきた。

「持て」

もう一度言われて僕はしかたなく紙袋を持った。

やがて、電車がついたらしく、改札から人が流れ出してきた。ざわざわしてくる。すると、篠田は改札を抜ける人たちにカラーボールを投げつけだした。ボールをぶつけられた人たちから悲鳴が上がる。なにが起きたかわからず人々が逃げまどった。

数人が僕らの方を指さして、警察を呼べ、と叫んでいた。騒ぎに気がついた駅員が数名、駆け寄ってきた。篠田は、逃げるぞ、と叫んで走り出した。首をつかまれたまま僕も走り出す。

うしろから声が聞こえる。大人たちが怒鳴っている声だ。僕は仲間じゃない、と言いたいが声も出ない。篠田に牽かれて走り続けた。

街はどんどん暗くなり、篠田は僕の知らない道を走っていた。苦しい。首をつかまれたまま引っ張られるように走っているからうまく息ができない。死んでしまうんじゃないかと思うほど苦しい。頭がしびれるようにぼんやりする。僕は足をもつれさせて倒れた。痛いはずなのだけど、痛みを感じなかった。全身がひどくだるくて、目も耳も泥のようにどんよりしてなにもはっきりとわからなかった。

「お前、バカだな」

篠田の声が聞こえた。にやにやと僕を見下ろしている。僕は涙をぼろぼろ流しながら、よつんばいで篠田から離れようとした。立ち上がることができなかった。よつんばいでも、のろのろと進むのがせいいっぱいだ。視界がかすんでよく見えない。

ふいに篠田が振り向いた。僕のぼやけた視界に背の高いやせたおじさんの姿が現れた。白いコートを着ているのが、ひどく怖い。理由はわからないけど、ひどいことをされると思った。逃げなきゃ。全身から冷たい汗が噴き出した。僕は、必死にバランスをとって、よろよろと立ち上がった。

「アサギマダラだ」

篠田はそのおじさんに抱きつこうとした。でも、おじさんは篠田が抱きつく寸前にくるりと体をかわし、篠田の身体は宙に浮いた。くるりと篠田の身体が回転するのが、スローモーションで見えた。あれは、背負い投げだったかもしれない。

次の瞬間、篠田は、アスファルトの地面に倒れていた。腰に手を当てて、痛みをこらえるように転がっている。

「お友達かな?」

おじさんは僕に近づいてきた。逃げなきゃ。でも、身体がうまく動かない。その時、僕はおじさんの顔を思い出した。スーパーマーケットの鮮魚売場で見たことがある。

「この魚は、消毒してありますか?」

持参した体温計をサンマの口に差し入れながら、おじさんは尋ねるのだった。このあたりでは有名な『消毒おじさん』だ。どんなものを見ても、消毒してありますか? と尋ねる人だ。

おじさんは、篠田と同じようなにやにやした表情を崩さずに手を伸ばしてきた。その時、僕の身体が動いた。突然、スイッチが入ったように、手足が動いた。声も出るようになった。僕は悲鳴を上げて走り出した。足をもつれさせながら走った。走りながらうしろを振り返ると、おじさんがすぐうしろを追ってきていた。僕は、さらに速度をあげた。気がつくと車道に飛び出していた。あっと思う間もなく、僕は車にはねられた。

 

そして僕は病院にいる。なにもない白い部屋に寝ている。身体中が痛くて動かせない。頭は包帯でぐるぐる巻きにされていて、なにも聞こえない。声も出せない。目のところだけ穴が空いていて、周囲を見ることができる。

誰かが見舞いに持ってきたらしい蝶の標本が一つ、窓際に置いてある。

僕の母親はずっと僕の横にいて、なにかを話しかけてくるのだが、僕にはそれが聞こえない。僕はいったいどうなっているんだろう。

アサギマダラのおじさんもやってくる。なにか言うのだけど、やっぱり聞こえない。

時々、蝶が動いたように見えるのは気のせいではないかもしれない。

2010年3月11日公開

© 2010 才式羊宣

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