――百七十才のドライフラワーは何語を話すか?……
――断酒した酔いどれの朝の空を泳いでいるすがすがしさは何色に架かるか?……
――一方通行な激しい恋心の檻の格子は何本か?……
――夜ごと神経症患者をおびやかす心臓はどのような罰を受け、またどのような罪から解放されているか?……
――イポタンペタポタイぺンタ人の父親とヌタケタリアリヌアタケリヌ人の母親の長男が次男の誕生日にもらうものはなにか?……
――頭に妊娠した土下座はどのようにでんぐり返しをするか?……
いつ果てるともなく歩いているうちに知明は骸骨のように痩せて行った。失神したらそのまま眠り、目が覚めたら歩いた。
失神するのは気持ちがよかった。体が勝手に丸まるからマラリアかと思ったけれど、そのうちに丸まらなくなり、けっきょくなにがなにやらわからなかった。
《(※不明の文字)》という港町を通過したけれど、なぜだか絶対にそんなはずはないと感ぜられた。ヒューマノイドがたくさんいたけれど、とくになにもされなかった。
気がついたら、ある貯水池の前に立っている看板を何度も読み直していた。《彼はまぶたを閉じることを拒んだ。まばたき一瞬のあいだに、どのようなことが起こり得るか、知っていたために。ずっと目を開けていて、目が乾かないように、あちこちをぐるぐる見回していた。やがて舌が伸びて、おのが眼球を舐めることができるようになった。夜には開いたままの目を、こんこんと湧く涙がうるおした。そんな彼は、大地から許されなかった。ある日、大地のまぶたに閉じられて、今ではこの泉の地下に水源として眠っている。長く伸びるように発達した彼の舌は、遊泳者の足首をちょっと引っ張ることはあるけれど、溺れさせはしない。》――云々。
まだ空腹を感じていたころは、舌を食べられたら食べるし、胃を消化できたらすると思っていたが、ある時を境に体はなにも欲しがらなくなった。ひんぱんに脳髄へきらきらと電気が走り、それはひじょうな快感だった。
空が誕生以来最高の美しさに達した瞬間を知明は見た。体の節々の苦痛は紫色の花になって匂やかに揺れていた。そこここに落ちている幻視から目を逸らして歩いた。
失神するたびに妙なる最終の幸福を悟るけれども、体はまだ死ぬより眠るのだった。幸福がぐんと遠ざかる音で目が覚めた。定かではなかったけれど、毎度ひじょうに長い時間眠っているらしかった。
夢の中でも同じことを延々とくり返しているので、どれほど歩いたのだか見当もつかなかった。幻視はいよいよ現実味を帯びた。見ないように努めながらも、白谷啓弥とツボネと、それから会ったことがなくて知らない友人たちと、夜の町を歩いて行った。
「どこかに、暖炉の前で曾祖母が話すおとぎ話を、」と白谷啓弥が言う。「聞いてる童子がいたら、そしてそのおとぎ話がまことで、童子の耳もまことなら、我々のことは生涯知らないだろうな」
そう言うと白谷夫妻は一同から抜け出して消えた。追いかけたけれど、どうしようもなく追い越してしまって二度と見つからなかった。
そうこうしているうちに《根本の問題》が夜道の真ん中で友人たちに発見された。知明と友人たちは《根本の問題》をごみステーションに追い詰めた。しかし《根本の問題》は蛸の吐く墨のように幻を見せて逃げた。
幻の煙幕の中で知明たちは《根本の問題》を捕縛したが、懲らしめるほどに自身も苦痛を感じた。ふと気がつくと《根本の問題》を懲らしめている行為は、自分の腸を握りしめている行為なのだった。
煙幕の中で知明たちは歓声を上げて喜んだ。それというのも《根本の問題》よりも重大なことがわかったので。その内容は各人が自分にも内緒であった。斯くして高尚なる知明たちには、今ごろほくそ笑んでいるだろう《根本の問題》すら可愛かった。知明がふいに衝動に駆られて一同から抜け出し、独りで森へ入ると、なにもかもを思い出した。
すなわち記憶の定かではないころまでは植物であったこと。すなわち一匹のカナブンが昔々に罪を犯して、すべてはこうあること。管理人は寿退社したのだと管理人が言ったこと。
人間の意識は腑に落ちないようにできていること。同じ大地のどこかで長命孤独な緑色の少女がやぶれたティンパニーを前にバチを握りしめて突っ立っていること。
Hah?……yup! しかしミスター・スラングはなにをしゃべっているのか、地球は同級生の堕胎のカンパをしなかった罰が当たっているのだ。世界よあなたの扁桃腺は鰓呼吸のままだろう。その書物な部位は湿っている。その、とても満ち欠けな真理の案内が書かれている書物は。どれ拝見……なんと! でもそれは極大の重要さを持つというだけのことだ。こうやって……この文章にマーカーを引いてあげる。最後に人間になって終わる、と書いてあるここが消えるように、ページを折って重ねておこう。それから少し書き足しておこう。
なにを書こうかしら――臥しまろんだブリキ色の時代錯誤は、新しい歌を口ずさんで死ぬ……と、こうだ。四股を踏む初金星にいわく「二が四つ」より「三が三つ」のほうが多い……と、こうだ。数字にはいらない臓腑があるから、いよいよとなればそれを売って左団扇に暮らしてゆける……と、こうだ。
人類というオードブルは吐き気をもよおす出来だ……あの自動車道が開通し、オードブルが遂に皿を脱ぎ去れば、空は遂に飛び始め、海は泳ぎ始め、山は登り始めるであろう……星は住み始め、宇宙は解き始め、次元は仮定し始めるであろう……と、こうだ。
我々はわからないようにあやつり始めるであろう……と、こうだ。
世界よあなたの主題歌を、僕たちはどこで聞いたことがあったのかしらん? ……と、こうだ。
誰かに運ばれていた。思い返してみるに、もう少し前から、すでに意識はあったようだ。それによると、ずいぶん長いこと引きずられていた。
力持ちではないらしかった。休み休み、えらく苦労して引きずっている。それからどれくらい経ったやら、誰かもう少し力の強い人が参加して、ぐいぐい運ばれ、やがてベッドに寝かされた。
いろがみのようになっていた口の中にぬるい液体を含まされ、たらりと流れ込むと胃は七転八倒し、電気のような百足が体中にワッと湧いて激しく明滅した。
直前で引き戻すなんて残酷だ。ようやくすべての苦痛の手続きを踏み終えたのに。ここで生き延びさせられたら、いつになるかは知れないけれど、どうせいつかはふたたび訪れるその時、もう一度初めから手続きし直さねばならないというのに。
これから引き返すのにも、ちょうど同じ分量の手続きを踏まなければならないというのに。肉体の未練がふたたび口出しし始めたら、事は簡単になってゆく可能性はあるけれども。
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