ダッジバンが近寄って来て窓を開けるから、こちらも開けると、ラジオで在宅葬のための通信説法が流れているからと言われてチャンネルを合わせた。
――平時における反権力は有事の笛でたちまち権力の犬に戻る! そしてごく一握り抗い続ける生粋の狼を犬どもは圧倒的多数を以て噛み殺す! 理性という気取った感情はいつでも礼服を脱ぎ捨てる用意があり、中身は卑劣で臆病だ! これからもそうであるとは言わぬ、これまでがことごとくそうであったというだけだ‼…………
「おおい、それは違う番組だよ」と教えられてチャンネルをもう一度合わせた。
――我々は前の世から今の世へと渡って来た旅人であります。今の世で没したら、次の世へと渡ります。今の世における流転輪廻は迷妄の内部で空転するばかりです。世界は前にもあとにも延々とありますが、今の世にはくり返しませぬ。最初と最後が、または途中のどこかがつながっているという概念がありますけれども、真実は位置天文学で片づきます。すなわち前の世であった世界は、どこかの星に見つかるし、次の世も同様です。
我々は、次の世に渡った人々、すなわち今の世で亡くなった故人たちをなるたけ供養するのが好ましい。それはどうしてか。前の世における故人である我々は、前の世から供養を受けている人もいれば、受けていない人もあります。健康状態や社会的地位や人間関係の如何によって、それは知ることができます。先天的能力や主観的幸福感の差異によって知ることができます。
私たちが故人の供養をすることは、次の世における幸運や生命力を高めることとなるのです。違う信仰を抱きながらでもかまいませぬ。供養しさえすればいいのです。次の世に渡った故人にとってはなにが善で、なにがラクで、なにがありがたく、なにが迷惑にあたるか等々、わからぬままでいいのです。成仏だとか天国極楽のイメージを念ずる気持ちだけで足りるのです。
斯様の真理はいくらでも論破できますが、それは愚かな揚げ足取りです。揚げ足を取る者はじわじわと自分の自由をもせばめて行くのです。回り回って自分の足を払う揚げ足取りは、最終的にただころんで頭を打つのです。そもそもが言語的理解という狭い低劣な範疇に抑えつけたもどかしき方便を語っているのに、その内部で暴れてみてもどうにもなりませぬ。せっかく買ったジュースなのに蓋を開けるや盛大に噴きこぼれて仕舞いです。これが揚げ足取りの為し得る成果です。
我々は旅人です。この世はたった一度だけ通る通過点に過ぎぬ。旅路の途中の並木道の、一本の木の、ひとひらの落葉がこの世です。どこかの木陰では、その果てしなき歩みは、今の我々における睡眠や、永眠よりも安らかであり、またどこかの木陰では、永遠の歩みが否定され、旅路が遂に完結することさえありましょう。たとえば、今のこの世のように。しかしその木陰を、やっぱり我々は通り過ぎてゆくのです。
私はこの真実を永遠に教えて行くでしょう――何度もこの世に生まれ変わって!
あなたがたはどこまでも自由であるために、大いにわきまえていなければなりませぬ。傲慢ではなりませぬ。私なぞはこの通り、隅々まで傲慢なところはない。それだけははっきりしている。たとい諸天の神々が私を傲慢だと言おうとも、私は断じて傲慢ではない!
笑うなら笑うがよろしい。遠からず命の危機に直面し、その時になって初めて震えながら逃げ回る豚どもは私を笑うがいい!
嘘つきだとぬかすか。なにが本当かも知らないで嘘と言うか……悪党め! 誰もなにも言っていないとぬかすか。それは卑怯者しかいないからだ!
……なんだ貴様らは? 触るな! 私の番組だぞ! 私は正常だ! イカレているのは貴様らではないか! こんな地獄のような世界で平然としているのは貴様らが重病人だからだ! 私の悪面は私に非のある悪面ではない、私を利用する悪党どもが悪いのだ!
私を武器に使ったのだ! 私を盾に使ったのだ! 悪党どもは私を無視するか利用するかしかしなかった! ――手を放せ! 貴様らがしていることは阻止ではない! 予防でもない! 秩序の保存では絶対にない! ただのお門違いだ! 永遠に貴様らが貴様らを脱出できない原因だ!
貴様らは本当はそれを望んでいるんだ! ことごとくうまく行っているじゃないか! 私がこのようにいびつに成り果てたのも貴様らの作った世界が順調である証明だ! さらに劣る豚どもを褒めたたえては自分たちを慰めくさり、他者が滅ぶのを舌なめずりして待ちながら! 豚になり得ないものは片っぱしから滅ぼして! 素晴らしい成功を収めているぞ! ことごとくうまく行っているぞ! せいぜい喜ぶことだ! 豚どもめ! 豚どもめ! 豚どもめ!…………
「おおい、その番組も違うぞォ――」
見渡す限り似通った建物ばかりが続いていた。バスとダッジバンは広大な建物の群生の中に分け入り、大通り的なものを探してしばらくさまよった。しかしどこも同じような風景で、警察署も役所も見当たらず、時々同じようなスーパーやドラッグストアがあるばかりだった。
後ろから意味ありげなクラクションを鳴らされて道路の端に停めると、銀色のセダンからにこにこした赤ら顔の紳士が降りて来て、一介の民間人ですがと断りを入れ、御迷いになられている御様子だったのでと前置きした。
こちらもみんなぞろぞろ降りると、紳士はようこそと言ってお辞儀した。
「僭越ながらご説明申し上げさせていただきます。ここは言うなれば完全に平均化せられた町なので御座います。『我々は大きな問題について考えたくない。おのがささやかな生涯の内部のみに終始していたい』という最終的な結論を、考えに考え抜いて出した人々の子孫が住んでいる町なのです。本当はそういう町を造ろうと誰か少数のエリートがやり始めて、中途で投げ出したのですが、一度転がされた車輪は創始者の知らない所で転がり続けていたわけです。
それは堕落の下り坂だから転がったのではなく、かき集められて放置された指導者なき群衆が、いや群衆にあらざる人間の集合が、結果としては我知らず押し続けたのです。この集合体は、いわゆる群衆ではありません。群衆とは、諸個性を喪失し、奥部のぼやけた人格、言うなれば群れ全体で一人の朦朧たる受動的意識となり――すぐに物事を混雑させ、すぐに単純化し――拮抗を破壊し、際限なく増やしては無考えに抹消し――自己正当化し、自己を終生持たず――責任を免除され、果てしなく要求し――なににでも変わり、なににもなり得ず――いつでも支配側に回ろうと企み、自分ではなにひとつ企むことはできず――永遠に消耗し、やるせなく循環し――愛すべき庶民ではなくなり、どれだけ抵抗しようが条件がそろえばかならずそれを呈してしまうもの――云々として、その起源から今に至るまで、この先もずっとその洒落は人類にかかっております。
しかしここでは違います。あるいはもはや我々、人間ではなくなりつつあるのかもしれません。ここに至るまでの進歩の道は、さかのぼれば一本だったわけですけれど、もう一度たどり直してぴったりたどり着くのはもはや二度と無理でしょう。
ところで最初に車輪を転がした創始者は、どこかでまったく別の理想郷を遂に造ったということですが、その町の場所は今ではどうしても突き止められないそうです。ここだと言われる所が複数あり、どれでもないというのが近年の一致だそうです。消滅したのだとも言うし、巧妙に隠れているのだとも言うし、月に住んでいるのだとも言うのです。
話を戻してこの町は、歴史も同族意識も慣習も持たず、それでいてそれらを確固として堅持しているように状態し続け得ている人類史上の奇跡です。賠償宇宙人(別号贖罪未来人乃至堕先祖)もイミニアンも混じり合い、解釈も自覚もなく、いや不完全にあり過ぎ、それだからこそ完全になく、人間生命のただ純粋な、論理を越えた、不自然なほど静的で衰えない土地が完成しているのです。
ええ、創始者はもしかしたら物凄くいい手順で実験を成功したのかもしれません。じつは結果を確かめに戻って来ていて、どこかにその末裔は暮らしているのかもしれません。
癒国後、たかだか百年も経たずに陥ったあの民族発狂を治療するホスピタルです。大気圏を羽ばたき出て燃えながら墜落した金属の翼を休ませる鳥籠です。魚へ戻ろうとする金属の足を引き留める足湯です。
私が話しているということは町が話しているのです。円滑な集合体にはリーダーがいらないということも……我々の凡庸な頭脳では説明できないが、つまり大多数の劣等性と少数の優等性が拮抗するということ、拮抗というか調和ですか、それがつまりは我々が体現する解釈不能なる真理なのです。恐らくまだ途上ではありますが、それだからこそ完成しているのでしょう。
ええ、町全体で一つの巨大なキノコなのです。どうしてうまく行っているのか、うまく行っているのでわかりません。いつか遂に破滅し、衰退した時わかるでしょう。どうすればこの奇跡の空間の終焉を回避できるのか、いつまでも終焉しないので今のところはとんとわからないのです。
ただ、これを実現し続けるには集合体の規模に制約があることだけがわかっています。だからもうここには新しい町民が増えることは許されません。少なくてもいけませんからしばしば補充が起こる時もありますが、今はその時ではありません。
なにもかもがうまく行っています。睡眠中に脳が自我を整頓するように、時々我々は自分たちでも信じられないくらい明晰にやってのけます。なにをやってのけたのかは、それが失敗しなかったために、誰にもわかりません。
人類全体がここに達するには、至大の労力を費やして、何度も眠っては起きをくり返し、まだまだ競争したり、更新したり、反復したりして、何度も何度も小さな滅びを呈さねばならぬでしょう。いいえ、人類という規模では、ここへは永遠に到達できないでしょう。
かつて信仰や科学による諸々の事件が回した独楽は円滑に回り、かすかに浮遊する独楽にはもはや紐も手首のスナップも不要です。努めて維持しなければそこなわれる何物もなくなりました――」
(……おい聞けよ。この人はパアかもしれないぞ。本当はここはただの平凡な町で、)
(しっ! 馬鹿たれ。すごい話かもしれんのだぞ。それにパアだとしても聞いてやれ)
「――我々は克服さるべきものをとうとう克服し、自覚すべきものだけを自覚し、大いなる無目的な集合的欲動から遂に見放されるに至ったのでした。人間を入れ替わり立ち替わりにこき使って、地球より早く回る独楽を回して来たすべての骨折り損は、ここに至り一切が善なるものとなったのです。この独楽はもう下手に触らぬのがよい。それは別にイヤな我慢でもありません。
外部との交流も御座います。作為的な、あまりに作為的な醸造のすえ遂に自然発生と化した一つの安定したコミュニティの実在が我々の輸出です。同時代に実在するまほろばの存在それ自体が。そして侵略せられず保存されるということ自体を以て輸入としているのです。
この無防備な町に、外部の誰もちょっかいを出して来ないのは不思議なことですが、やっぱり人間は敬虔にできているということなのでしょう。ここはかつてあった町であり、いつか現れる町なのです。あらゆる聖典に登場し、色々の名で呼ばれた町なのです。じっさいには、ほとんどの人がこの町の存在を知らないということも強烈な裏づけであります。
名前を持たない我々の町は、南は湾まで続き、そこでは若く美しい者たちが裸で過ごしています。周囲を楽しませることは自分を楽しませることだからです。同じ理由から不快感をもよおさせる容姿の人は滅多に外出しません。
万人一体化、文明絶対化がどうしてこれまで失敗して来たか知っていますか? ――ええ、我々も知りません。ただ我々から見れば外部も一体で、絶対にしか見えませんが。ざわざわしているだけで。そう、こことなにも変わらないのです。ただ、ここはざわざわしていないというだけのことです。
けっきょくやろうとしてできるものではなかった状態です。そういう状態がこの町なのです。町はあなたがたを歓迎します。ええ、いつだったか、とつじょとして現れてからというもの一向動きのない《次の人類》たちを迎える準備さえ我々にはあるのです。
そんな町は侵略されないということも我々の発明であり、実証された真理なのです。御覧ください。実在しているでしょうが。まことに安定へと乗り上げた空間は世界が死守するのです。大きな意味では地球も一つのキノコなのだから」
チェンバロ奏者が口をはさんで葬儀屋について尋ねると、紳士はなにか思い出そうとするようにこめかみを指でとんとん叩いて、
「……慣習を持たずしてその恩恵を享受し得ている我々ですが、慣習そのものですか……ええ、私は口下手のくせに雄弁で、頭脳明晰ではないのに口が達者です。いらないことをしゃべるでしょう。とかく思考がスタミナ不足で脱線的です。自分で決められないし、誰の言葉も正しく聞こえる。とつぜん質問されたりするのはたいへん不得手です。しかし、――ええ、我々は、ちょうどぴったり望ましいとは言われないけれども容易に我慢のできる段階へ、水平に整列する一家です。それは果たされた途端、自然な現象になりました。五十年後には体格や顔立ちも同じになり、百年後には雌雄同体になると言われています。
時々には夢の中で百年後がまざまざと思い出されます。なに地球上の生物としてこれはとても脱力的な選択だったのです。すなわち、これまでに一度も起こったことのない現象。すなわちなんの試みでも手続きでもない現象。これほどこの地球上で起こり続けて来たことがありましたでしょうか?」
マリンバ奏者が話をさえぎり、町における死者の扱いを尋ねると、
「葬儀屋はもちろん御座いますが、この町では死者は工場地帯の向こうの森に、遺族か関係者が埋めるのが普通です。葬儀屋だって自分の時はそうしています。死者に関係者のいない場合は役人が埋めます。ええ、ちゃんと役人もいますよ。ほらここにね。私ですよ。同じことですからね。葬儀屋にしたってそうです。
ともあれ、さっさと済ませて、死者のことはお忘れなさい。じっさいに自分が亡くなったら遺族にどうして欲しいか、こればっかりはわかりませんですからね。少なくとも、わからないままなにかやられるよりは、なにもされないがよいのです。
我々の、はっきり自覚できない菌類のごとき全体思考は、生存の範囲内で止まっているのです――本当はそうではないのですが、だからこそ、生存の範囲内で止まっているんでしょうなあ……」
赤ら顔の紳士と握手して別れると、バスとダッジバンは工場地帯の向こうの森に行き、一面に捩花の咲いている日溜まりの土を掘ってカトキヨを埋葬した。
老人たちの申し出をやんわり断って、土は知明と穂野が二人で掘った。さぞたくさんの骨が出て来るだろうと予想されたけれど、ひとかけらも出て来なかった。
それからガソリンスタンドの喫茶店で一服した。とつぜん楽団がここに残ると言った。少し疲れた、やっぱり若者の死ぬことはこたえるよ。なに大丈夫、ちょっと休んで元気になったら次へ行くからとウッドベース奏者が言った。
(そりゃあ君たちが同行してくれて、色々と手伝ってくれたら楽しいし、たいそう助かるんだが。しかしこういうことは言わないに限るのだ。言ったらすべてがそちらへ流れてゆく、あまりにも重大なこれは提案なのだ。私には荷が重い……)
今はこの町はキノコを増やす必要もないそうだから、外部からの適度な刺激として、つまりお気楽な旅人としてね、気軽に観光するよ。
……だが、もしかしたら我々は、やっぱりただある一人のパラノイアに出会っただけなのかもしれないな。とオートハープ奏者が言った。
これに対してバンジョー奏者がなにか言おうとして入れ歯を飛ばしかけたので、アコーディオン奏者が自前の歯をむき出しにして笑った。
コーヒーを運んで来る賠償宇宙人の混血人や、高級車を乗りつけて来る賠償宇宙人の移民を見渡して、オートハープ奏者はふたたびうなった。嗚呼ほら、あそこを若くて美しい純血の乙女と移民の青年が裸で歩いてる。言ってた通りだ――ここは湾じゃないが。だって裸の若者は南の湾にいるという話だったものな……。
知明と穂野は、なにかしとしととした同じ感情に心を預けて黙っていたが、ふいに頭の中で短く会議して、町を出ることにした。
ちょうどそのころ、ウッドベース奏者が素晴らしいアイデアを考えついた。けれども口に出さなかった。もう物語は終わったのだ、我ら老人はむやみに参加し続けぬがよかろう……。
知明と穂野はドブレポルファボールの面々と抱擁を交わしてバスに乗り込み、名もなき町をあとにした。
見果てない道路を西に向かって進んだ。やがて現れた大きな発電所に鳴っている作動音が、たいへん音質の悪い放送のように聞こえていた。
――勇敢さの代用品が九つある場合、熱帯魚の代用品はいくつあるか?……
――幼い孤独が集結して飽和したらなにを食べ始めるか?……
――僻地に行くほど天にそびえる煙の塔のテールランプがついたままなのはなぜか?……
その町で二人は一瞬、学生服を残しておくべきだったかと後悔した。イミニアンでないことを信じてもらわれなかったらどうなるだろうと心配した。
けれども二、三の質問に答えたら相手の態度は柔和になり、以降誤解を招かぬようにと服を貸し出されたので知明と穂野は着替えた。与えられた服は少々窮屈だったけれどひじょうに清潔だった。
広場にバスを停めて降りた途端に駆けて来たその青年は、窓口課の者ですと名乗り、二人を丁重に、しかし断固として、ご案内すると申し出た。
「ここ可算銅鑼町は完全に独立した国内地方国家です。かつて、厳格に支配統合されることを自ら望んだ人々の子孫が住んでおります。統一された言語、統一された作法、統一された信仰、統一された風習、統一された典礼、統一された教育、真剣な職業、無数の監視カメラと五段階の更生施設、毎日正午に行われる予行演習(避難訓練、迎撃訓練その他)、統一されたレジスタンス、統一された暗黒街、豪奢極まる娯楽施設、終身勤労義務、個々の自由な芸術活動・布教活動の支援と作為なきルーレットに任せた不定期的な迫害(すなわち神による迫害)。同胞同士の尽きせぬ密告(すなわち神による隠蔽)云々、云々。
完成された独立というものは外交の円滑を不可欠とするために、完全自給自足でありながら交易もあり、また当地は旅人を歓迎します。旅人にはとりわけ婚礼と葬儀の援助を精力的に行っております。
まず婚礼とはすなわちバトンリレーする意識としての人類がこの先も飽くことなく走り続けるために小なるコミュニティたる家族を形成して相互監視下における倫理的な人生を開始するメリハリです。そこには大なるコミュニティとの遮断があり、よって少しの悪徳だけでたいそう浄化されるのです。たとい破綻に至ったとしても当事者の主観をより深く濃密にします。そうした個々の閉鎖的な覚醒のおかげで色褪せたバトンは塗り直されてゆくのです。
次に葬儀は残された生存者の精神すなわち世界のすべてを健常に保つために不可欠なるケジメです。典礼は神仏や鬼に采柄を握らせることが肝要であり、民間の介入は許されません。山暮らしの修行僧や、祭りの太鼓打ちや相撲取りという、尋常ならざる生活を送る人々に一切の指揮をゆだねます。我々は典礼を見失って精神の荒野を放浪する虚無人を見捨てません。すなわち都市の人間や旅人を。
また地域独立の完成は旧祖国への円満な参加を不可欠とするため、虚無人であっても同輩であり家族であり、我々自身です。旅人の典礼を可算銅鑼町は無料で支援します。
人間の生涯は労働と典礼です。旅人は流浪の生活が労働に当たり、客死が典礼に当たります。現実世界に実在する夢の住人として、想像に楽しい偶像として在り続け、あちこちで悲惨な最期を提出することでソーシャルカタルシスへ多大に貢献しているのです。あなたがたは、どこで風に吹かれていようと、本質的には可算銅鑼町の住人なのです。
代々続く世襲町長は、数千年の歴史を持っていることのみによって絶対の権力を持ちます。町長の家系に対する歴史学的真偽は問題ではありません。事実崇拝における歴史学では歯が立たない、吟遊詩人や悲劇作家や陶器画家によって常時即座に悠久の過去を獲得し得、いくらでも更新し得る系譜物語を町長の家系が持っていることを可算銅鑼町の誰もが知悉し、しか望んでいるからです。
我々町民は被支配者という構図を死守せねばならない。被支配者とは支配者が満身で負わねばならぬ義務的存在である。支配者はおのが領分を上にも下にも逸脱せず、被支配者を終生支配する運命に服従せねばならない。善政であろうが悪政であろうが、被服従・被崇拝の牢獄に甘んじて――それを可算銅鑼町の誰もが知悉し、しか望んでいます。
行政にはかならず賛成の声しか現れません。被支配者が一斉に従うことによって、支配者は如何ともしがたく統治させられるという事実を可算銅鑼町の誰もが知悉し、しか望んでいます。
もしもまたぞろあの伝染病が再発し、議会や投票なぞという症状がぶり返せば、またあの暗黒時代が始まる、近視眼的乱視にはまり込む、興奮時の前後不覚と正気時の不平不満しか残らぬ、英雄も名作も生じ得ぬ、つまり生き甲斐も死に甲斐も剥奪されるということを可算銅鑼町の誰もが心得ています。
絶対的な被支配という自由を手放してしまえば、他動的に痙攣し続ける人生が果てしなく腐りながらどこまでも持続することを可算銅鑼町の誰もが心得ています。
多数者すなわち最低支配者の、あの強欲と怠惰と無考えと野蛮と、あの矛盾と(たとえば反世論的な世論、反宗教的な宗教、そのすべてにおける無自覚)を、有無を言わさず抹殺することが、すなわち人民を多数者に貶めぬことが、いかに重要であるか。そこへ達するにはいかなる悲劇の堆積も無意味であり、奇跡的にそうなるよりほかに術はない、それを享受しているという奇跡を可算銅鑼町の誰もが心得ています。
可算銅鑼町は完全統治が成立する限界の内部において領土を時々刻々と変更し、時代に即して固定しています。完全な統治と独立に必要な条件とは、広さです。ふさわしい範囲の内部においては、どれだけ世代が移ろっても統治を継続し続け得ます。
非常事態は起こり得ません。これは人類史をふり返って明らかです。この真理の歴史学的真偽が問題でないことも歴史を研究して明らかです。
仮に非常事態が起こり、超法規的措置の必要に迫られた時には、我々は絶滅します。それを可算銅鑼町の誰もが知悉し、しか望んでいます。その時が来る可能性を表面上は恐れつつ、内心はほがらかに待ってすらいる。したがって我々の生存は至上の幸福なのです。
終幕ののち生き延びる者ももちろんいるでしょうが、我々は彼らの人生に幸あらんことを、すなわち彼らの冥福を祈ります。死を背景にしない生に生かされ続ける死人たちへ、せめてもの慰みを。あいまいなる呪いを受けた子孫たちへ、せめてもの気晴らしを……。
――さて、うら若き旅人がた。お二人に婚礼または葬儀の予定はありませんか?」
もう遅い、間に合わなかった、なんの目じるしもない土の中に埋めちまった、と知明がつぶやくと、
「そう申されましても当地はずっとここにありましたから、遅いというのは誤謬です」それから詳細を了解すると、「あなたがたに当地の出現が間に合っていたとしても、どのみちイミニアンの葬儀はできません。イミニアンは当地の統一された思想の内部のいかなる派閥においても『保存すべき悪例』の意義を脱出しないため、家族としての虚無人として心から歓迎はしましたが、葬儀だけはできませんでした」
――そうです、このような微妙な境界線の堅守こそ、人間の最も重要な職業なのです……。
それから服は町を出る際にできるだけ返却していただきたいと言って、青年は遅ればせながら馬場と名乗り、ガソリンスタンドとモーテルの位置を教えてくれると、きびきびした足取りで去って行った。
知明と穂野はその後ろ姿を見送りつつ、いつか水族館と動物園の門衛をしていた双子のおじさんを思い出した。馬場君が名もなき町の赤ら顔の紳士に似ているわけではなかったけれども、なんであろうか、たいへん懐かしかった。
モーテルで部屋を借りてバスを置くと、町を見物に出かけたところが、五十メートルも行かない所で前方を母親と歩いていた子どもがくるりとふり返り――それは溺死体のような容姿をした童女であった――両手を広げて知明のほうに全力で走って来たから、心底ぞっと恐怖しながらも膝をついて抱き止めた。
見た目に反して冷たくもないし濡れてもいず、しがみついて来る感触ははなはだ尋常であるけれど、背中に強烈な悪寒がゾクゾクと上り下りした。
強い力ではなかったけれども、いつまでも放してくれなかった。やがて母親が、これもずるずると歩いて来て、無言で引っぺがして連れて行った。ゆっくりと立ち上がった知明を穂野が抱きしめてなで回した。
いったん部屋に帰って知明の回復を待った。この時と場所に自分という人物はつまり相性が悪いんだ、と知明は、汗ばんでいながら氷のような指先を見つめてつぶやいた。穂野がずっと抱きしめてなでていた。
久しぶりの接吻は頭の中がつながっているから双方自分の匂いと味をつぶさに知った。それはたいそう余所々々しい感じだった。
夕方になってようやく出かけた二人が、その前を通りかかった瞬間に両替機が壊れて紙幣が次々と飛び出した。
延々と止まらなかった。どこかの銀行に眠り続ける謎の預金がここへ噴き出しているのではないかという印象が二人の胸裏にかかっていた。あるいはどこかで台風でも消えたのではないかと二人は頭の中でささやき合った。それともさっきの童女が、天使かお地蔵さまのたぐいだったのではなかろうかと二人は後日、明け方の夢の中で考えて、起きるのと同時に忘れた。
ともあれ拾えるだけ拾い、詰め込めるだけ詰め込んだお金でバスの内部も外部もぴかぴかに磨き、あらゆる部品を取り換えてひじょうに高価なガソリンをあふれるまで補充した。
それから二手に分かれて買い物をした。ひじょうに高価な衣服を買い、装飾品を買い、化粧品を買った。
別の場所で買い物している穂野が、以前に読んだ料理の記事を思い起こすのを胸中に眺めつつ知明は食材を買い込んで行った。知明が一瞬見ただけのお菓子を、穂野が遠方からたいそう欲しがってねだるので、それも大量に買った。
それから歯ブラシやおむつを買っている穂野の指示で、知明は香料の瓶を一つずつ手に取り、蓋を開けて嗅いで行った。
穂野はなかなか選びかねて、頭の中でうなりながらツユクサの香料、蝋梅の香料、カキツバタの香料、ヒトリシズカの香料、緞帳牡丹の香料と、候補を絞って行ったけれど、さんざん迷ったあげくジャスミンの香料を一瓶だけ買った。
郵便局の前で穂野を待っているあいだに、掲示された地図を眺めて、あちこちの見慣れないマークの示すものの意味を憶測したところでは、可算銅鑼町には無数の駐輪場があり、公共の電動自転車が置いてあるのではなかろうか。人々は高性能な電動自転車で行きたい所まで行き、近くにある駐輪場に乗り捨てる――そう憶測して見渡すと、果たせるかな電動自転車に乗っている人がたくさんいた。
統一されたノスタルジックなデザインの電動自転車だった。けれども歩いている人も多かった。見るからに歩き疲れている人もいる――あれは公共の電動自転車という憶測を否定して、そんなものはないから長く歩いて来た証拠なのか、それとも推測を裏づけて、ふだんは電動自転車を用いるために歩くのに不慣れな証拠なのか?
それともあの人はただ自転車の運転に自信がないのか、運動神経の問題のみならず、電動自転車の町で生まれ育ったことによる、なにかイヤな思い出があって? よそより事故も多かろう、それともたとえば歩行主義者で? 歩行主義者……当人はそんなつもりはないけれども、なにぶん電動自転車の町だから、そう呼ばれていて?
それともやっぱり公共の電動自転車などはないのであろうか。この件について知明は、もう十分に憶測したから、絶対に真相を知りたくないと思った。
後ろからベルを鳴らされてふり返ると、穂野が公共の電動自転車に乗って現れた。そうすると先ほどの憶測は、穂野が駐輪場の案内板を読んで電動自転車を利用したから、いまだ完全に遮断すること能わぬテレパシーで以て脳内に生じたのであろうかと知明が考えていると、穂野が頭の中で、この電動自転車は盗んで来たことにしようか、と迷い始めたから、よしてくれと答えた。
二人は郵便局に入り、故郷の家族と友人へ当地名産のひじょうに高価なコーヒー豆と蕎麦粉の郵送を依頼した。局員の女性が申し訳なさそうに、コンピューターで調べたけれどあなたたちの故郷の住所は存在しないと言うので、知明と穂野は相談し、けっきょくでたらめな宛先を書いた。渡すと女性はうなずき、そこならあるから届くと請け合った。
高級な旅館やホテルをしばらく物色したけれど、けっきょくモーテルに戻った。
その晩二人はひじょうに高価な石鹸で体中ぴかぴかに磨き合い、ひじょうに高価な睡眠薬を飲んでぐっすり眠った。夢の中で幼い知明は、見たことのない家長の気配りによって、余分な皮の切除手術を受けるために泌尿器科医院へ、乳母に連れて行ってもらっていた。
乳母は一見したところ知明の姉であるかのように若かった。帰り道、知明が痛みをこらえてとぼとぼ歩いている後ろから、知明よりも沈痛な顔をして、姉のような乳母は歩いていた。
時々知明が使い果たした気力をふたたび奮い立たせるために立ち止まると、乳母は知明の頭を乳房にもたれさせてなでた。
知明が見上げると乳母は穂野だった。一人だけ大人の穂野は、痛みをこらえる知明を無言で優しくなでていた。
翌朝、郵便局前の地図に載っていた世襲町長の御殿を見に行くと、えらく掃き清められた広やかな空間があるばかりだった。ちょうどそこへ降り立ったカラスの面差しにはなにか高貴なところがあるなと思えば、ぷっと糞をして飛び去った。
二人は西に向かって出発した。
――罠の優しさと、慈母の優しさとは、どちらがより遠くまで線路を運ぶか? また、線路をよりはきはき発音する枕木は、偶数か奇数か?……
――子午線と、県境と、轢かれて焦げた平らな蛇と、電線の影との、四本の線が交差する場所で、喉から手が出たまま死んでいる行商人は、商品を仕入れに行く途中だったのか、売りに行く途中だったのか?……
新装したバスは薄汚い道路に馴染まないようだったので、自然に汚れて来るのを待ちながらしばしば枝道へ逸れた。なにか物語の終わったような地域や、まだ始まる用意のないような地域をのんびりとめぐっては、ふたたび街道へ戻った。時おりある標識には《白樺街道》や《蝦夷松街道》と書かれてあったけれど白樺も蝦夷松も生えていなかった。
一度、見果てない原っぱの中に古い洋館がぽつんと建っているのを見て、穂野が素敵だと言うので訪ねた。素敵なので訪ねましたと言って、イヤな顔をされて帰ろうと思っていたところが、独りで住んでいるおじさんは破顔して二人を夕食に招待した。
御馳走になっているあいだ、おじさんはたいそうしゃべった。
「幼いころから、こういう家に住むのがぼくの夢でした。然るになかなか思い切ることができないでいるうち、時に経たれてこれじゃいかんと思い始めて、また時に経たれて色々と相談が決まって気づけばあんじょう段取りがついていたので、思い切って探してみるとじっさいこうした洋館は空き家が各地にたくさんありました。しかも驚くほど安いんですよ。
新しいのを建てる連中は馬鹿ですな。終身ローンなんぞ組むのは最も不可解な種類の奴隷です。過去の自分に搾取され続けるんですからな。しかも大多数がけっきょくは手放さざるを得なくなるんです。まあ、そうした人たちのおかげで空き家もごろごろあるんですけども。
しかしこの家を見つけるまでは、やっぱり相当探しました。各地にあるんですがね、住むとなると、こう不都合なね……はっきり言えば、出るんですよ。住み着いてるんですねェやっぱりこういう、古い洋館には。
それでぼくは、高名な霊媒師を一緒に連れて回りました。ここより好条件で気に入った家もいっぱいあったんですが、やれ『あそこにいる』の『ここは駄目だ』の『うじゃうじゃいる』のと言うんです。ぼくにはなにも見えないし、感じないんだけど、なにしろあっちはプロですからね。住んでみて後悔するのはイヤだし、なにか取り憑かれて患ったりするのは骨ですからな。
そうなると今度はなかなかないものでした。ぼくが気にいる所は決まってなにかいるんです。気に入らない所にはいないかもしれないが、気に入らない所は調べませんでしたから、わかりませんな。それで、とにかくとにかく、根気強く探しているとようやくこの家でね、お墨付きが得られたというわけなんです。『ここにはいない。寂しいくらいだ』って」
「でも、」と穂野が、知明の腕に触りながら、「あそこに誰か立ってませんか?」
おじさんは穂野の目線の先をふり返ると、
「ああ、お嬢さんにも見えますか。ぼくにも最初から見えるんだけど、気にしないでいいですよ。霊媒師には見えなかったんだから。いわゆる『信ずる覚悟』ですな。この世じゃァ、正気を保って生き続けるには、こういう勇気がいるんですよ……」
泊まってお行きなさいとすすめてくれたのを丁重に断り、ねんごろにお礼を言っておいとました。
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