8月29日(月)に放送されたTBSラジオ『伊集院光とらじおと』のゲストコーナーに、日本文学者のロバート・キャンベルが出演した。
『伊集院光とらじおと』(月~木・8:30~11:00)は、この春からはじまった朝のワイド番組だ。30年続いた長寿番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』の後番組ということでプレッシャーのかかる中での船出だったが、過去2回の聴取率調査ではいずれも首都圏の全時間帯首位に輝いており、20世紀最後のラジオスター・伊集院光の面目躍如といったところだろうか。
10時からはゲストコーナーが設けられており、誰もが知る超大物俳優から知る人ぞ知るマニアックな研究者まで、ジャンルにとらわれずさまざまなゲストが登場している。筆者も毎朝ほぼ欠かさず仕事のBGMにしているが、興味深い話が多く仕事に身が入らないこともたびたびあった。
ロバート・キャンベルの出演回ではペットやファッションについてまで話題が及んだが、本業である日本文学や日本文化に関する話ももちろん数多く飛び出している。ここでは、文学論的観点から特に示唆的だった部分を紹介したい。
日本人は「きっかけ」が大好き
伊集院:まずは何きっかけ? 日本文学、日本文化。何をきっかけで――
キャンベル:(食い気味に)あのね伊集院さん、日本人って「きっかけ」大好きなんだよね。「きっかけが何か」っていうことと「いつまでに何をやるか」っていうこと。この2つが凄く特徴だと思う。
伊集院:考えたこともなかった。
キャンベル:きっかけって僕ね、決定的瞬間はないのね。
テレビのクイズ番組等では幾度となく共演している2人だが、あらためて膝を突き合わせて話すのははじめてだという。そこで伊集院は、リスナーからも多く寄せられていた「ロバート・キャンベルは何がきっかけで日本文学に興味を持ったのか」という質問をゲストコーナーの冒頭からぶつけたのだった。
しかし、キャンベルの答えはそもそもの問いかけを疑問視するものだった。矢継ぎ早に次のような言葉が口をつく。
キャンベル:何千回もそれを訊かれて、その都度に、ウッッ!と詰まっちゃうんですよ。(中略)興味があるものの中から捨てなかったものが残った、それが日本文学だった。でも、そう言っても誰も納得しないんですよね。
たしかに日本人は日頃から、何かと「きっかけ」を尋ねがちだ。初対面の相手との雑談では特に顕著だろう。だが、食べ物にしろ芸術にしろ、何かを好きになった理由を明確に説明できる人間がどれほどいるだろうか? 筆者は物心がつく前からイクラが大好きだったが、今でもなぜ好きなのかは答えられない。
差別と逆差別、そして感動ポルノ
伊集院:ニューヨーク生まれの白人だっていうそのルックスがある限りは、おそらく、差別と逆差別がずっと続くじゃないですか。
キャンベル:逆差別って面白いんだよね。線が引けないんですよね。損してることと得してることって、どこで引けばいいかって。
異国で暮らした経験のある人間であれば、誰であれ例外なく文化の違いに戸惑うことがあったはずだ。その際、たとえ相手側に差別的な意図がなかったとしても、当人からすれば差別に感じてしまうことも少なくない。
つい10年ほど前まで、キャンベルは日本で道を訊ねられたことがなかったという。その時点で日本に住んで約20年が経過していたのだが、やはり外見がいかにも「ガイジン」であるためだろう。ところが近年は状況が違ってきているのだと語る。
キャンベル:10年ぐらい前から――たぶんこれが日本のゆっくりした変化だと思うけど、結構ね、道に迷ってるおばさんとか子供とか、僕に訊いてくるんですね。
その体験を「心が温かくなる」と表現するキャンベルだったが、一方で「そういうことを訊かれなかった時代も懐かしい」とも語るあたりが、異国で暮らす人間ならではの感覚なのだろう。このあとも、最近話題の感動ポルノやパラリンピックについての見解なども交えながら、差別と逆差別の話は盛り上がった。
時限つきの物語と日本文化
伊集院:おすすめの日本文学っていうか。僕ら本当に触れてないから。キャンベルさんが、「触れてない君たちに教える《これからいきなさい》《これからいくのがよさそうだ》っていう日本文学」、なんです?
キャンベル:今日最初に「きっかけは?」って訊かれたよね。それに対して、きっかけともうひとつ日本人がすごく情熱を傾けるのが、「いつまでに何がおきるか」っていうデッドラインなんですね。カウントダウンが好きなんですよ。
キャンベルは日本人の文化的特徴のひとつとして、「デッドライン」と「カウントダウン」への傾倒を指摘した。具体例として「もういくつ寝ると」と正月前には歌うこと、元日を迎えるとともに全国民が一斉に歳をとる数え年を採用していたことなどが挙げられる。農耕民族だったゆえに常に田植えや収穫の時期を意識して暮らしていたこととも深い関係があったのだろう。そうしたタイムリミットへの意識が、日本文学に大きな影響を与えたはずだと語るのだ。
キャンベル:「いつ何がおきるか」っていうネタバレをする小説が多いんですよね、日本の小説は。たとえば夏目漱石の『こころ』。読んでる途中「あ、この世にもう先生はいないのね」っていうことが「私」の語りでわかるんですよね。
それを踏まえた上でキャンベルが推薦したのは、葉室麟の『蜩ノ記』だった。
キャンベル:映画にもなったんだけど、『蜩ノ記』 っていう小説。主人公の戸田秋谷っていう武士がいるんだけど、10年後に切腹をしなきゃならない。殿様が「10年後にお前ら切腹をしろ」という遺言を残して亡くなっているんですね。その10年間のあいだのストーリー。その終わりに向かって、エンドロールに向かって歩いてるんだけど、日本の小説ってこう、リミットっていうか、時限を示す小説が多いんですよ。
続けて、その傾向は小説だけに留まらず映画やアニメやマンガにも顕著だとキャンベルは語った。きっかけを意識するのは常にデッドラインを意識していることの裏返しなのかもしれない。台本がない生放送であるにもかかわらず、コーナー冒頭の質問がめぐりめぐって繋がり収束していく様は、聴いていて実に気持ちがよかった。
ロバート・キャンベルは、最後に自身がプロデュースしたユニセックスニットの告知をして帰って行った。
コメント Facebookコメントが利用できます