vol.8

自分について(第8話)

ryoryoryoryo123

エセー

2,915文字

vol.8です

いつからだろう、俺はキャバクラ嬢やホスト、そういった夜の世界のキラキラした人たちに憧れを持つようになった。憧れとは言い過ぎかもしれない。ただ漠然とした興味を、それも強い興味を持つようになっていた。あれは大学1年生のいつだったろう、夏休みか冬休みか定かではないが、早稲田通りの古本屋で1冊の本を見つけた。飯島愛のプラトニック・セックスだ。幼少期からの教育、進学校、荒れた学生時代、水商売。綺麗な物語だった、素敵な人だと思った。その物語から俺は何を感じ取っていたのか、何が俺を惹きつけて離さなかったのか。買ってすぐ、近くの喫茶店で読み切ってしまった。彼女の過ごした世界、人生が魅力的だった。彼女自身、男、客、店、彼女がたどった人生の道筋はあの本と違ってもよかったかもしれない。どちらかというと、彼女の道筋ではなく、彼女がたどった道筋を、きらびやかな人間その人が歩んでいるということに心惹かれた。綺麗な人だった。きっと誰もが彼女を大切にしただろう。尊重しただろう。どこに行っても人が寄ってくる、人が見上げる、人が欲しがる。そんなきらびやかな人間に惹かれた。本を読んでいる時、もしかすると俺は彼女本人に自分を重ね合わせていたのかもしれない。しばしば人に見下されるという事実と、その裏で過去にモテたということから忌まわしくも得てしまった自惚れ、それも長らく人から見下されていく中で知らず知らずに肥大化していった自惚れ、その自惚れが現実でも夢うつつと自分を飲み込み、あたかも自分が人から見上げられ、尊重されてしかるべき人間だという錯覚となり、いや現実にモテて人から見上げられ続けた過去があるからあながち錯覚でもないのだが、そういった過去と現在が実際の自分の中で交錯し、時にはオロオロと、時には傲慢になるこの自分が、頭の中で育て上げた一面現実に則し、また一面偽物の理想像が彼らきらびやかな小説の主人公と重なり、あの頃の自分自身が、誰からも見上げられ、尊重されていた自分自身が、また小説の中で生き返ったような気持ちになれるのであった。その後も、キャバ嬢、ホストの本、動画を貪るように見た。あまりにかっこよく、あまりに綺麗な彼らは、そのまま自分の過去と理想が作り上げた現実半分嘘半分の自分自身だった。彼らが騒がれれば自分が騒がれている風景を想像し、彼らが大胆に振る舞えば自分が大胆に振る舞っていることを想像した。それは自分自身だった。自分自身が行動しているのと同じだった。彼らが感じているように優越感を感じ、彼らが興奮しているように興奮した。大学1年の春休みから大学2年の初め頃だろう。すでに自分が頭の中で作り上げた、もしくは過去の事実から自然作り上げられるのが当然であった理想化された自己像が、現実の自分自身を飲み込んでいた。身なりにもかなり気を使うようになっていた。鏡と人だかりを往復し始めていた。鏡よ、私はあの時の私になれていますか。確かめに行ったらいいじゃないか。誰もいない校舎のトイレから外に出る。行き交う人達の目に訴えかける。私はあの時の私ですか。私は誰からも見上げられる、誰からも尊重されるあの時の私ですか。一人、二人、俺に気付かず通り過ぎる。同年代の女子の集団がキラキラしている。若さゆえの自惚れ、若さゆえの自意識、若さゆえのそういった醜い心の底を匂わせながら、やはり若さゆえの華やかさで歩いている。声に華がある。動きに色がある。俺はこれが欲しかったのだ。一番欲しかったのだ。彼女たちからの尊重が欲しかったのだ。俺は見つめた。ただただ祈った。華は望まなければ蜜を出さない。選ばれなかった俺はその残り香、そのあまりに強い残り香と鮮やかな色の残像を無念に噛み締めた。願いは聞き入れられなかった。胸の奥、あの何ものかを飲み込んだ胸の奥と同じ場所がシクシク鳴った。それで諦めがつけばよかった。俺は過去の自分、理想化された頭の中の自分にしがみついた。しがみついたのではない、彼が俺を離さなかった。彼は俺を鏡に走らせた。鏡に問いかける。俺はあの時の俺と同じ俺じゃないのか。なれるはず、なれるはずだ。髪をいじる、前髪を特に気をつけて整える。俺は髪が少ない。髪が細い。人より余計に時間がかかる。俺の青春のかなりの時間が鏡の前で費やされた。もう一人の自分とも言えるあの日の優越感が、俺を鏡に縛り付けて無理に格闘させた。時間をかければ少しはよくなる。確かに努力が、努力と言っていいかわからないがとにかくその努力が酬われることもままあった。行き交う人が俺を見る。憧れた華が花弁を傾ける。あの日と同じだ。あの日の優越感だ。なんとも言えないこの感情。誰も俺を見下さない、見下せない。誰もが俺を尊重する。理想であるだけのはずの、過去であり現実ではないはずのあの虚像が、実際の俺に重なる。嘘が本当になる。俺はやっぱりそうだったのか、やっぱり俺はあの日の俺と同じなんだ。どれだけこれで安心するか。俺は浮かれる。どの華も花弁を差し向ける。手を差し伸べる。さあ話しましょう。さあ仲良くなりましょう。あれほど求めた、あれほど意識した彼女らの差し伸べた手。掴みたかった。つかめたらどれだけ安心できたろうか。虚像は虚像だった。嘘は本当にはならなかった。あの日の自分は頭の中だけの自分だった。どうしてだろう。俺は会話ができなかった。少ししか返事ができなかった。すぐに口ごもった。胸の底がズキズキ鳴った。話しかけられている時、二人で会話しなければいけない状況、じっと俺の目を見つめられる時、常に胸がズキズキした。あのなんとも言えない感情を飲み込んだあの場所が、胸の中で鉛が沈殿していった行き先のあの場所が。ズキズキズキズキした。鉛を見られるからか。遠い昔から沈み溜まり重なってきた、それも人知れず重なってきたこの鉛たちが暴かれるからか。暴かれればきっとまた見下されるからか。きっとあの日と同じ同じ目をされるからか。また尊重されないからか。そしてきっとまた鉛を胸に飲み込むことになるからか。同じ場所、沈んだ場所と同じ場所がズキズキした。ズキズキするこの感情、こみ上げてくるこの痛み。この痛みを耐え忍んで、いうならば無理をして手を握り返したこともあった。大学2年生の新入生歓迎の時期。俺はまた新しくサークルに入ることに決めていた。スキーサークル、料理サークル、クラブイベント団体。どれも自分を縛って離さなかった過去からの虚像を現実でそのまま演じられる、かっこいい虚像として周りの人たちを見下せる、それができるであろうサークルを選んだ。人に見下される恐怖と人を見下せることの安心の間で常に揺れていた。俺は後者が欲しかった。その頃は虚像が俺を飲み込んでいた。見下されはしないかと怯えながら、人を見下して喜んでいた。人に求められるかどうかという不安を抱えながら、実際に求められると安心した。そして手を差し伸べると決まって怖気付いた。時には恐怖を押さえつけた。無理にでも虚像で演じようとした。本来の自分でない自分を演じた。恐怖を抑えながらも綺麗な女をものにし、周りの人たちを見下したかった。

2020年11月4日公開

作品集『自分について』第8話 (全15話)

© 2020 ryoryoryoryo123

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