3年前の11月14日、俺の作品は「破滅派」に漂着した。名前が素晴らしいから引き寄せられた。今は名前に比して別に破滅してないなと思うが……。3年もどうもありがとう。
だが、なお、しかし
本題は以上である。後は蛇足である。また何か言ってるよみたいな態度で構わない。
……私はここ数年の、著しく右傾化し、まさに神話の時代へ突き進んでいるような日本社会を、今ここで改めて感じさせられた。それも空気ではなく、身に感じる圧力として。
「私には一向に訳が分からないのです、5年前にはこんなこと……」
無かった、と言おうとして、口をつぐんだ。あった。
俺が小説を書き始めたのは混血の実情を撒き散らす為だ。直接的には、知人の死、友人に対する職質を始めとする抑圧、そしてふとある日、視線を上げたその時。この瞬間に今に連なる作品を書き始めた。
ある場所では抵抗の為、ある場所では慰めの為、またある場所では問いに答える為に書いてきた物だ。表現としてそれが正しいかなど知らない。俺は五線譜を理解できなかったし、絵筆をとっても全て抽象芸術みたいになった。その点、文章は書いたまんまである。俺は、男女の喧嘩をまるで人生の全ての要素みたいに描写する小説とかそんな「ぽぴゅらー」な物はあまり書けない。破滅派という区分においても俺の作品はあんまり理解されないだろう。だが、他の日本人が知らないことを良く知っている。これははっきり書いて置く。でも、知っているからと言って問いに答えるべきだろうか?
問∞
日々、現実に俺にぶつけられる疑問は、俺の中ではこう集約される。何故……常人より様々な点で劣っている俺が様々な抑圧に疑問を抱けるのに、日々俺よりも直接的な抑圧を「理解」しているはずの「ふつーの日本人」は疑問を抱かないのだろうか?(抱「け」ない、ではなく、抱「か」ない、である。)やはり俺がおかしいのだろうか。
ある人は俺に「ハーフとして色々あるだろうが頑張れ」と言う。おお頑張るとも。頑張りすぎて天皇を殴っても応援してくれ。だが、もう一つの考えがある。なぜ混血は頑張らなければいけないのか。これは肉体・物理的なハンデとも、あるいは「うつ病の人に頑張れと言うな」と言う話でもない。混血が混血であるということで頑張らなければいけない理由を作っているのは社会である。「男が男らしく」汗水流して働くとか、「女が女らしく」しているということには、(男女論の反応はともかく)一応は対価がある。俺も別に頑張ってもいいが、いつになったら対価が支払われるのか。そして俺に意味のない頑張りを強いている連中の元請けを辿った時、そこには済ました顔をした、東京都千代田区1-1-1の御夫妻がいる。
複数人が、「なんで政治に首を突っ込むの?」「なんで天皇を『責める』の?」と俺に問う。ヘラヘラしながら何度も同じ質問を俺に繰り返す者もいる。多分、政治に積極的に言及する……「モノを言う」ハーフがとても珍しかったのだろう。二百年前の社会主義者だとか百年前のフェミニストも大体同じ光景を見たのだろう。俺がハーフだと、あるいは見かけに反して年下だと分かった瞬間舐めだす者もいる。その時、「人間の価値」は実在し目に映る尺度となっている。
だが何にせよ俺は動物園のサルではない。さて俺は少し前まで説明を試みてきた。が、ほぼ全ての場合において彼らが納得することは無いだろうと言うことにもある時点で気付いていた。何を答えても俺は「太陽を呪うキチガイ」の様にしか扱われていない。何にせよ、逆に彼らから本当にそれを支えるに値する説明を聞いた事もないが。こう言ったことに自ら疑問を抱かない(意図的に避けてすらいる)人々をここで「ふつーの日本人」と呼ぶことにしよう。(読者自身がそれに当てはまるかどうかは各自で判断すれば良い事だ。)
もっと根源的に言及すれば、俺は混血のステレオタイプに反してあまり見た目が良くないし、それに大概「ふつーの日本人」多数に対し混血一名であるから聞かれ続けるのだろう。俺は「ふつーの日本人」達が数の論理に頼りがちなのを良く知っている。そのまんま、朝鮮・韓国学校に一人で行って30人ばかりを前に「なんで『チョン』が悪いと思うの?」と言ってみな。カトリック教会のポルトガル語ミサに一人で行って筋骨隆々の50人ばかりを前に「なんで神社に行かないの?」と言ってみな。俺は最大10人ばかりだがアウェーで説明はした。お前は?
(……それでも彼らはお前に説明してくれるだろう、そしてお前は依然それを嘲笑うだろう)
従兄は、自分で自分が義侠心に満ちた人生の主人公で素晴らしく日本の理想的な王道を行く人物だと、そう句読点が付かないくらいに思い込んでいるらしく、酒が入ると意味不明な説教をかまし始めるのだった。
「ルキオーだからなーあのー言うだろーこういう場がねー大事なの! 大事! ハーフでもそれ知らないとダメ!」
「分かってるよ……」
「分かってるー!? お前も日本人の一人、それもハーフなんだから、つまり日本人であって日本人じゃねえんだからしっかりと自分を持たないとダメ!」
全然分かりたくもない。俺が俺の精神のままに生きれば、天皇とか首相とか右翼とか1ダース殺してもまだ表現し余るだろう。
ある人は、俺が「他の混血よりも恵まれている」事を揶揄した。俺はその時分気が弱かったので、それがつまり、強制送還であるとか「ダブルリミテッド」(各自検索せよ)などの直接的な問題に晒されてないことを指すのか、それとも俺が「混血の癖に傲慢で、コンビニのレジの留学生みたいに業務的ヘイコラしない」ことを指すのか、問えなかった。だが、どちらにせよ……もし答えるなら「俺もそいつもお前らが支える体制に屈させられている」ことでしかない。もし彼が日本語を喋れなくて俺が喋れるというなら、俺が代弁しようというだけのことである。俺とある混血や在日人に(テレビでお馴染みの大スターでも時給不当300円の労働者でも)上下があった所で、あるいは他の障害者だとか弱者に困難の違いがあった所で、それを高所から「比較・分析」して顔をクイクイ動かして頭が良くなった気分になっているその「ふつーの日本人」に何を言われることがあろうか。こう言うことは、しょっちゅうと言わずとも度々ある。そしてそいつらは依然「問われない」。
(追補:俺は普段、混血に関して「全ての人間は混血である」が「一部の人間が混血だと区分される」という二つの考え方を持っている。ここでは後者を完全に優先した。彼等にそれを説明しても「ははあーふうーん」以外の実感を引き出すことが出来ないからだ。これを実感させるには、自発的な個人の経験しかないのかも知れない。今は保留しておく。)
我々の根本に対して
本当に……興味深いことから馬鹿馬鹿しいこと、明らかに俺を「試している」ことまで色々な問が俺の短くガタガタな人生にあった。普通の日本人の倍は問われただろう。18の頃までもう十分だと思ってこれからは静かに生きようと思ったが、(日本にとっては残念ながら)ある出来事でそれは出来なくなった。それ以来、問いは急増した。一番簡単な部類の問いは「なぜ混血として生まれたか?」親のセックスのせいに決まってるだろバカ。チンコとマンコだよ。お前だってたまにするだろ?だが東大の入試より難しい問だってあった。貴方は職務質問に最良の答えが出来るだろうか?ほんの73年前まで人の命をポイポイ投げ出させた国が(俺の祖父はまさにこの時間を生きて知っている)、いつ貴方に命を問いだすか?
俺が性器の名前を叫び人生を楽しんでいた14歳の時に
君はこの身辺の有様に気付いて言葉もない15歳だった
俺がこの身辺の有様に気付いて卑屈に屈む17歳の時に
君は苦しみや悲しみから解放された永遠の18歳だった
俺が地団太を踏んでガキの様に喚き回った19歳の時に
君は苦しみや悲しみから解放された永遠の18歳だった
俺が警官の面白クイズに追われ君の死体に蹴躓いた時
君は返事も答えも奇跡も起さず俺を見つめる18歳だね
俺の知人は命を問われ、彼なりの最高の答えを出した。人生など途中で放り出せてしまうこと、それを実践してしまった。体の障害や借金に苦しんで逝く人、恋愛に苦しんで逝く人がいて、俺の知人はいわば「いじめ」の延長だったのだろう。だがこのいじめは「学校を卒業してしまえば」「地域社会から抜け出せば」解決する部類ではなかった。混血……自分の半身や三分の一を問われ続けることである。最後に彼が何を考えていたかは分からないが、彼は恐らく怒りを外に向ける様なことはしなかった。だが、俺は「静かに死に」たくはない。
あの時、俺は今まで自分を虐めてきた奴の気持ちが半ば、いや、三分の二は分かった。弱い、変わった、馴染まない、もっと言うと発達障害、欠損、混血、片親、エホバetcをいじめ甚振り、小さな存在をぷちっと潰して世界から消し去るのは面白いだろうな。警官が点数稼ぎするのも在特会も結局そうだ。だが俺は逆転する。少数者・弱者側が、多数派の中のか弱く保護されてる部分を攻撃するのは、多数派側の百倍も気持ちいい。お前らが楽しむなら俺も楽しむべきだ。……そうだ、カミカゼを称えるなら、俺も称えろ。俺を称えるんだ。俺は日本軍も天皇も大嫌いだが、学生を閉じ込めたゼロ戦一機で空母を撃沈しようとする、そしてその行為に勝手に涙するクソバカ日本人の心情については、何となく、そう、情緒では分かる。で、それを俺が応用して何が悪い?
綺麗事すら言われなくなった。俺はもちろん自分の命が惜しい、が、それは自分対他人であり、大体は妥協は効く。誰も「こんな問題」で死ぬべきではない。俺は誰の死も望まない。だが「ふつーの日本人」には命の天秤が可視化されていることも俺は良く知っている。靖国神社なんかそうである。天皇も、本人が喋らなくとも周囲が意味を付ける。「軍人墓地なんか他国にもあるじゃないか」なんてことではない。死ねと命令するものが未だに国の中心に温存されている。命令を強烈に意味づけるには、対象が必要となるだろう。戦時なら当然敵だろうが、平時なら……そして在日人・混血・他「都合の悪い」「お荷物」「安寧秩序公序良俗清潔清純に反する輩」達に、無言の意味が注がれる。もちろんこれから別れ戦っている「ふつーではない日本人」も大勢いる。だが、最近の情勢はとても楽観視出来るものではない。
ああ、俺も家に連れ帰られたら、縄を用意するのだ。丁度良い縄が物置にあるから……。俺はそれに首を通す時、その瞬間初めて“日本人”になるのだ……小西以上に、天皇以上に……。俺の、風に揺れる体の中に単純計算一億二千万人の、そして三万人の日本人が現れるのだ。俺は消えて、世界は平常運行、それだけで良い、もう……。そしていつか、虐げられ死んでいった人々の血が溢れて、世界を押し流すだろう。
依然、俺、あるいは他の混血始め少数者・弱者には個人一人の力やそれが僅かに結びつく細いネットワークしかない。「これから国際結婚は増えハーフも増えるでしょう」というニュースも希望を意味しない。(混血それだけで仲間と言い合えるかはともかく)俺達の人数が多いか少ないかが問題の本質では全くない。在日韓国朝鮮人は約五十万人いるが、あるいは琉球民族は(=沖縄県民と考えて)約百五十万人いるが彼らの意見など殆ど反映されない。経過として混血が増えて日本はほんの少し多文化的になるかも知れないが、それは「政府のご方針」「大御心」の許す範囲で、である。あるいはその対処としてメディアが感動的に演出したシールズだとか自称反差別の同化主義者集団が例えば在特会と向き合った所でそれは差別主義と同化主義の両輪が同じ場所にいるだけだ。「現場にいる人間」が一番偉いなら、俺含め在日人・混血自身が現場その物である。だが在日人らの誰もその様なことを誇らしげに言うことなど無かった。我々は依然戦うだろうが、しかし「戦う必要性」を生み出しているのは誰だろうか。職質を受ければ抵抗しよう、だが警察をそう振舞わせるように定めさせているのは誰だろうか。視線を上にあげて行くとは、こう言うことである。そして、もう一つ、大きく抑圧された集団がいる。青少年だ。
苦難が報われようが報われまいが
皆、青少年の時は悩んだだろう。たまには股間を弄りながら悩んだだろう。10代から20代前半にかけて、青少年の時は抑圧が一番身に染みて感じられる時だ。そして俺は青少年時代、「青少年健全育成」云々規制と、在日人・ハーフに対する抑圧と、何重もの抑圧を受けていた。だが絶妙なタイミングに生かされたと思う。歴史どころか自分の人生にIFなど考えても仕方ないが、小学校の時に受けた酷い虐めがもし中学校時代の出来事だったら、俺は自殺しただろう。高校の頃はネット右翼が真っ盛りで、政治の事について調べれば連中がどこにでも出張していたから、闘志の無かった俺は漠然と、「将来この連中に俺は殺されるのだろうな」と思っていた。
俺が見てきた光景が、中学生や高校生の頃の経験なら、ちょっとした人生のテーマになっただろう。もしかすれば尾崎豊や渡辺美里の曲の様に振舞えたかも知れない。あるいは評価について議論のある夭折の天才高校生「山田かまち」の十万分の一の真似ぐらいにはなったかも知れない。あるいは神戸のサカキバラやエヴァのシンジ君みたいにとにかく世紀末的カオス精神の残滓みたいな少年の道があったかも知れず、またその脇道に精神病棟にぶち込まれて投薬の時間前に口笛を吹いている姿があったかも知れない。70年代~80年代に相次ぎ自殺した小中学生達の文集の二歩三歩手前にいたかも知れない。……だが、何にせよ、俺が通学路を通して再会した風景はそんな思春セピア色の思い出ではなく、毎日毎日喧嘩しては異常に泣きはらし喚きまくるクソガキ小学3、4、5年生の世界でしかなかったし、その後にあったのは冴えない顔形の一混血だった。自殺も思い付かず、目の前のあらゆる者に消耗戦を挑んだ虚しい日々。そしてここに俺の“混血”としての始まりや“政治性”の根っこが埋まってしまっている。生涯、俺は幼稚な言葉しか持てないのかも知れない。
成人した今、ただ後続の、勿論俺と何の縁もゆかりもない青少年らに向けて俺が出来ることは、ただそれらの抑圧に加担しないことである。だから、俺は反表現規制に拘った。俺は少なくとも政府の定める「健全」など信じない。我々を差別してきた人間は、この社会で最も信頼され、最も公序良俗を体現してきた様な人々である。ある時は「異文化子弟がクラスにいると成績が下がる」、ある時は「町内に障害者がいると地価が下がる」……なるほどこんな社会では青少年は立派に「ふつー」になるだろう。青少年は自由であるべきだ。青少年の不自由が将来の不自由になり、青少年の自由が将来の自由になる。そして少数者・弱者の青少年にとって、その自由は何倍もの大きな価値を持つだろう。
(追補:「保守派が同じ理論で考えを広げても良いのか」と言う指摘は無意味だ。すでにそれらは教育面でご覧の通り完全に統制されて行われている。「自由」はマイナスの位置にあって、これをどうプラスにするかだ)
さべつってなーんだ?
最後の一つ手前に、蛇足の蛇足で収まりが悪いが、少数・弱的な立場の表現が直面する一例を載せておく。俺は青少年の自由への非常にささやかな援護射撃として、自作品を年齢無規制で販売している。各サイトで規制され破滅派漂着の一因となった「1988年の強姦」をゲーム化した「1988 OCT」もその一つだ。だが、この作品は呪われており(と言っても俺も呪いを試す部分があるのだが)、ゲーム化作品をDLSiteに持ち込んだ時、また一つの伝説を作った。
1988 OCTは、差別や政治に関する描写を含む。それは混血に対する差別や、(作中年代は1988年だが)現代にいたる政治が少数者・弱者に対し生み出してきた混乱、そして戦争の悲惨さを俯瞰するためだ。だが、DLSiteは、非常にユニークな観方をしてくれたようだ。
実の所、規制されるだろうなあと言うのは覚悟していた。年齢規制や、作中のある「世代を超えた」描写については、まあ規制されるだろうと考えていた。こう言ったサイトでは年々規制が悪化し、「小学生に見えるからランドセルを描写するな」「言い換えもするな」という理不尽な規制が増えているようだ。
確かに俺も世の中を試したし、また規制後の事を考えてミニコMEでの販売の手はずも整えていた。だが、文中の中ほど……「思想、特定の人物、国家、人種などの差別的な内容」と言うのは何だろうか。俺の作品の何が、何を差別しているのだろうか。勿論、DLSiteは答えない。いや、やはり答えは分かっている。俺が天皇や「大和民族」を差別しているということなのだろう。俺が意図している作中の立場が95%ほど逆転している。
「ねえ、ガイジンでも箸の使い方分るんだね」
「教育されてるんだねー」
「箸って日本だけの文化だよね、誇らしいよねー」
……その時、ロドリゲスが振り向き流暢な日本語で主婦達をドヤした。
「おい、見世物じゃねえんだ、家に帰ってパパのマラしゃぶってろババア!」
「ヒッ……」
「ば、ババ……」
「な、そ、その……」
「俺が口利けないとでも思ったのか、俺も他の日本人と同じようにオマンコって言えるぜ」
勿論この検閲官が俺の作品をどう読もうが勝手だ。(あるいは皆さんが本当の事を知りたいなら、是非とも買ってプレイしてほしい。)だがこの現象が表しているのは、反差別と言う概念……辞書的な・直接的な言葉すら、必ずしも少数・弱的立場の味方であるとは限らないと言うことだ。俺はこれ以前から、混血としてむしろ、所謂「ポリコレ」であるとか官製の「反ヘイトスピーチ」という物に疑問を呈してきた。しかしこの事件によって、ささやかではあるが俺も当事者になった。天皇が俺の作品を見る機会があるか、俺の名前を知る機会があるかはともかく、俺の言動は「天皇陛下に対する差別」と言う、「さべつ」の捻転。都心の一等地を占有して毎日多額の予算を一家族で消費する被差別者ってのは、ごくわずかな生活保護不正事例なんかよりも、それこそワイドショーからネット右翼まで喜びそうなネタだが……。我々は言葉すら取り返さなければならない。
将来
第十条 旧憲法下における天皇制は廃止される。旧天皇制下における一切の皇族はその身分及び資産を解除され、人民議会と国家調整委員会の監督による適宜な手段の元、他の人民と同様の権利を得て一般人となる。
第十一条 日本共和国人民は天皇、皇后、皇族、それらの配偶者及び家族身分、他一切の貴族的・神権的・封建的身分制度の維持・復活に繋がる法制定を認めてはならない。
第十二条 旧天皇制下における旧皇族の刑事犯罪は、温情と和解の精神のもとに、これを免訴する。
人生が一番暗かった時、俺は二十歳行かずに死ぬだろうという程の予想を立てていた。それよりは健康的に延命している。だがそれでも人より長く生きられるとは思えない。俺の不摂生からしても、そして思想からしても……。
依然、嘲笑われる。低く見られる。社会が平穏である為に、我々は今日もおサルさんであることを求められる。今世間を騒がせている技能実習生の待遇の酷さは、人間の扱いの問題と言うより経済的・「国益」的観点でしか報じられない。
多くの人々の脳内にある我々の霧のようなイメージと言えば、将来「ガイジン」が増える、コワイ、ましてや今身近にいる「ガイジン・ハーフ」どもは……。(あっ、でも米軍は別!日本をベリーファックして!して!)……こんな所だろう。だが、必ず我々に日の当たる時も来る。俺は73年前にわずか1、2年だけ「民主化」して、すぐに反動化していった日本の様子を祖父と祖母からそれぞれの立場で聞いている。もちろんそれは痛恨の歴史だが、同時に「一瞬でも日の当たる瞬間はあった」と言うことだ。その後も、1960年でも1968年でも1995年でも、何度もその瞬間があった筈だ。その時は外からもたらされ、外からの風に左右されてしまう物だった。だが今度は、我々の手で、今度こそ日本を改め、新しい世の中を作る、その希望だけは持っていよう。お前如きに何が出来る、お前のその醜い十本の指で何が出来る、という言葉に耳を貸す必要はない。まず俺はここに作品を載せ、記録しよう。近い内にもっと手を広げられるだろう。この文章を見て何か感ずる者があれば、何でもいいので俺にアクションしてくれれば嬉しい。それがこの三年間の報いになる。
言葉と行動の一致はとても難しい。思考を保ち続けることはもっと難しい。時にはぐらつきも、一歩後退もあるだろう。だが、一貫させなければならないことがある……誰も「劣って」いることはなく、あるいは「極めて、神の様に優れている」こともない、本当は我々を分つものなど無い。ただ我々は混ざって行くし、混ざっていたのだ。それが俺の抱く混血思想である。人種や国籍と言う概念が単に軽いルーツ的な記憶となり、あるいは俺が「ふつーの~」等という言葉が使わなくとも良い日が来るのを願っている。
このアジアの端の列島に、社会により“醜い”とされた少数者・弱者、諸表現が混じり行く、開放・多様・猥雑な「混血社会」を作るために。絵具を混ぜろ。彼方の言葉で歌え。青少年に“不健全”な我々のエログロ存在を見せろ。交わって、アイノコを殖やせ。簡単だ。気付けば、全ての人間は混血なのだから。
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