利他と流動性:解呪

合評会2024年03月応募作品

小林TKG

小説

4,400文字

固くこわばった手の中では、権力の笏は壊れやすい。
――――チョー=アリムの諺

そこは海風の強い場所だった。

砂浜、浜辺が広がっていた。

その先には見渡す限り青い海が広がっていた。寄せては返す波がじゃぶじゃぶと、波打ち際で白くなって音をさせていた。

私は、小屋から出した椅子に座ってビールを飲んでいた。

空は抜けるほど青く、遠くまでいくとそれが海の青と混じって境がわからなくなる。

中天には太陽が照っていた。

私はそれらを眺めながら座ってビールを飲んでいた。

 

ふと、波打ち際の砂の一部が動いた気がした。砂。波打ち際の砂。その一部が盛り上がった。そして、まず手が出てきた。手が、波打ち際の砂の中から手が出てきた。砂まみれの。ざらざらと砂のついた手。ヤドカリの様な。手。次いで、腕が出てきた。ざらざらの砂まみれの腕。手と腕はそこで海中の藻の様に少しの間その辺りを漂っていた。

それから顔が出てきた。顔が出て首が出て、両肩が出てきた。手と腕がもう一本出てきた。砂にまみれた。ざらざらした上半身が波打ち際に出てきた。そこに波が当たった。じゃぶじゃぶと。その顔はしばらく海を見ていた。それが急こちらを見た。目があった。

「すいません。引っ張ってもらえますか」

男だった。波打ち際の砂の中から出てきたのは男の人だった。知らない男の人だった。

 

すっかり全部出てくると男は、ありがとうございました。と言って海に入っていった。服のまま、ざらざらと砂のついた服のまま、じゃぶじゃぶと海に入って行ってしまった。私は、また椅子に座ってビールを飲んだり、小屋にあったバットを使って素振りをしたり、ラジカセで音楽を聞いたりした。

しばらく経ってから、男が戻って来た。男の体はびちゃびちゃで、ずぶ濡れだった。しかしそれには構わず男は私の、椅子に座っている私の所まで歩いてきて、

「あの、ありがとうございました」

と言った。

私は何の事なのかわからず、男を見上げた。

「覚えてないですか。僕、阿部祥です。ここに来るの二回目なんですけど」

二回目。いや、覚えていない。

「一回目の時も会いましたけども」

全然知らない。何言ってるんだろうこの人。

 

とりあえず男に椅子を譲った。それからビールを手渡した。私は少し離れて砂の上に直接座った。

「前に来た時もビール飲みました」

男は少しの間ビールをじっと見つめてからそう言って、それから乾杯とこちらを見て笑った。私も同じようにビールを少し上げた。

それから改めて、ここに来るのは二回目だという話をした。私にも会ったし対応してもらったという事も述べた。しかし私にはその記憶が無く、何かの間違いなのではないかと伝えた。

男は、ここはあの世の入り口なんですよね。と言った。それは、それも分かりません。私にはわかりません。

ここは景色もいいし、海も空も綺麗だし、あ、

「前に僕がここに来た時ロブスター食べました」

美味しかった。なまら美味しかった。すごく美味しかったなあ。最高でした。

男は屈託なく笑った。ここは最高ですよね。私もそれには同意した。確かに。はい。ここはそうですね。それはそう思います。

それから暫く二人して海を眺めた。暫く。何処までも続く海。波打ち際、波がじゃぶじゃぶと白く音を立てている。海の匂いがする。それらをずっと。暫く。いつまでも。

「ビールのおかわり貰ってもいいですか」

男はそう言って椅子から立ち上がった。私が行くと言っても聞かなかった。前にも一回来たことあるから知ってますから。大丈夫です。そう言って小屋に歩いて行ってしまった。

仕方なく私はビールを持ったまま海に向かった。波打ち際に立って足を洗った。砂のついた足に波が当たる。じゃぶじゃぶと。

私は暫くそのままそこに居た。ただ立っていた。先生の事を考えていた。先生の事。父と母が死んだ時にお経を読んでくれて、戒名を下さった、先生の事。御世話になっていた御寺の御住職。内科医もされていた。先生の事。

すると、

そこに、

突然、頭、後頭部に衝撃が走って、私はなすすべなくそのまま波打ち際に倒れ込んだ。

頭に割れるような痛みが生じた。体に、顔に、波が当たっている。じゃぶじゃぶと何度も当たっている。

やっとのことで顔の向きを変えて、見ると、そこに男が立っていた。さっき砂から出てきた男。砂にまみれたざらざらの見知らぬ男。ここに来たのは二回目だと言った男。ビールのおかわりを持ってくると小屋に歩いて行った男。

男は手にバットを持っていた。

「ここの管理人の役目、僕と代わってくださいよ」

男は私の事を見下ろしたまま無表情にそう言った。

ああ、そうですか。

私はそう言った。一言しゃべるだけでも、頭がずきずきと痛んだ。返る波が顔に当たって跳ねてそれが目に入った。目にも鼻にも口にも入った。顔についた砂をじゃぶじゃぶと洗った。しかし砂はついた。波が居なくなる度にざらざらとした感触があった。それをまた波がじゃぶじゃぶと洗う。その繰り返し。ずっとその繰り返し。

管理人になったつもりは無いし、役目だと思ったことも無い。

ただ毎日ここに居たらよかった。居るだけでよかった。

それが終わってしまうのか。そう思うとなんだか惜しい気がした。

惜しい気はしたが、でも、それも仕方ないと思えた。

嫌だけど、本当に嫌だけど、辛すぎるけど、本当に辛すぎるけど、ここじゃない所に行くのは辛いだろうな。恐ろしいだろうな。地獄だろうな。嫌だな。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

ああ、

嫌だなあ。

でも、仕方ないと思った。

寄せては返す波が顔に当たる。海水が目に入る。目を閉じた。

再び目を開けた時、私がバットを持って立っていた。

そして、男が波打ち際に倒れていた。

私は驚いてバットを捨てた。バットは波の中に落ちて転がり、そのうち波にのまれてしまった。

男も驚いていた。私を見ながら混乱しているみたいだった。

僕が殴ったはずなのに。どうしてだよ。なんでだよ。男はそんな事をぶつぶつと言っていた。頭から血が流れ出ていた。そこに波が繰り返し当たっている。

「戻りたくない」

男は私を見ながらそう言った。ここに来る前に居た場所には戻りたくない。もう戻りたくない。

人を殺したんだと男は言った。でもそれがバレて、もう捕まるんです。でも、その時、運よく心筋梗塞が起きて、手が震えてて。ぶるぶると。その時に思った。またここに来れるって。二回目の。心筋梗塞で。

男は昔一度、心筋梗塞で死にかけたことがあったそうだ。趣味だった釣りをしていた時にそれは起きたんだという。その時に起きた手の震えを魚が糸をひく振動と勘違いしたのだそうだ。

そしてここに来て、あなたと話をした。あなたと海を眺めながらビールを飲んでロブスターを食べた。美味しかった。あれはなまら美味しかったなあ。

死んでも、死んでからもこういう所に来るのなら。死んでも無になるわけでもなくこういう所に来るのなら、こんな所で過ごせるのなら。

もう、どうでもいい。

死んでもまだ、生きるなら。

どうでもいいじゃないか。

それが、男が人を殺した理由らしい。

「ずるいずるいずるい」

いいなあ。あなたばっかり。いいなあ。この場所。この風景。海。空。いいなあ。ビール。ロブスター。いいなあ。うまいビール。うまいロブスター。

「いいなあ」

何で、あんたばっかり。なんで。なんでだよ。

小屋に救急箱があるかもしれないから。私は男にそう言って小屋に向かった。

道中、北海道の人なのかな。あの人。そう思った。

それで、それだから、

厚岸国縫上雷川汲住初登別上湧別旭神歌内下川剣淵和寒厚床長万部馬主来散布来岸倶知安鍛高奔幌戸北兵村南幌抜海幌満力昼寧楽別狩樽真布

口から勝手に水カンのシャクシャインが出てきた。それからずっとシャクシャインを口ずさみ続けた。

小屋に向かっている間も、小屋の中を見回っている間も、救急箱も何も無くて男の元に戻る間も、

ずっと私はシャクシャインを歌い続けた。歌いながら早足踏みをしたり、ちょっとしたステップを踏んだり、くるっとターンをしたりした。背伸びをしたり縮んでみたり飛んだり跳ねたりクルクルクルクル回ったりもした。

波打ち際の男の元に戻ると、男は居なくなっており、男が着ていた衣服だけが落ちていた。その衣服にはズワイガニやらホタテ、赤海老が絡みついていた。

あと、海に投げ捨てたバットが戻ってきていた。その横で腹の膨らんだ鮭が一匹跳ねていた。それらを持って小屋に戻った。

小屋の中を探すと炊飯ジャーが出てきた。冷蔵庫の野菜室に米が入っていたので、私は米を炊いた。ラジカセに水カンのジパングをセットしてシャクシャインを流した。一曲だけを何度も流した。小屋の中から木魚とバチが出てきた。シャクシャインを聞きながら木魚を叩いた。

鮭の腹を包丁で割くとイクラが山のように出てきた。タラバガニを鍋で茹で、ホタテの身を取り出して、赤海老は殻をむいた。ビールを飲みながら悪戦苦闘しつつも鮭をさばいた。冷蔵庫のドアポケットの所に大葉、ネギ、海苔、醤油、わさびが入っていた。丼にご飯をよそい、海鮮丼を作った。

箸と海鮮丼を砂浜に置いた椅子の上に置き、シャクシャインを流したままラジカセに電池を入れて椅子の側まで運び、椅子に座って海鮮丼を食べた。

「うまい」

ビールも飲んだ。

うまい。

なまらうまい。

海鮮丼を食べ終わると椅子の脇の砂の上に座ってしばらくの間、チャイルドポーズをした。ヨガ。バーラーサナ。海に向かって。両膝を地面につけ、おでこを地面につけ、最初のシャクシャイン十回分、手を伸ばし、次にシャクシャイン十回分、手を両脇にしまって。私はただ、無心でチャイルドポーズをした。

それが終わると波打ち際で木魚を叩きながらシャクシャインを歌ったり踊ったりした。踊りなんて全然知らない。でも、とにかく体を動かした。足に波がじゃぶじゃぶあたる。でも私は、私の体はそんなの全く意に介さなかった。

気が済むと椅子に座ってまた海を眺めた。海を。波打ち際を。空を。海風が強い。中天には陽が照っている。

そうしているうちにふと思った。

名前、あの人、阿部祥って言ったよな。確か。

阿部祥。

アヴェショー。

霧の中の少女。映画観た。Huluで。アヴェショー。かつてリゾート地として賑わった山間の田舎町で事件が起こる。

一人の少女が消える。

小屋に戻ってバットを確認する。血は付いていないかどうか。血は付いていなかったが、なんとなくまた波打ち際まで持って行って波でじゃぶじゃぶと洗った。

空を見上げ、

海を見つめ、

砂浜を見た。

いつか、私もここを離れる時が来るのだろうか。

おそらく来る。

そう思うと悲しくなった。

ものすごく。

悲しくなった。

しかし、そういう気持ちで見る海、空、浜辺は、一段と、

「綺麗だなあ」

綺麗に思える。

美しさが増した様にも思える。

陽の光に照らされて、海が、きらきらと。

波が白くなって、私の足にじゃぶじゃぶと当たる。

何度も。何度も。

終わることなく。

幾度となく。

 

2024年2月13日公開

© 2024 小林TKG

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"利他と流動性:解呪"へのコメント 16

  • 投稿者 | 2024-03-19 16:35

    「主人公権」とでも呼べるようなある種の特権のやり取りを、命のやり取りに寄せて表現されている作品です。主題の取り方に大変好感を持ちます。寄せては返す波の様子が、権力の授受にまつわる諸行無常を準備している辺りもお洒落にキマッてます! ファイナルイメ―ジを詩で閉めたあたりの文学センスも最高です。

    • 投稿者 | 2024-03-25 13:25

      感想いただきましてありがとうございます。シャレオツですかねwwwありがとうございます。でも、本当はテーマがテーマでしたので、早めに書いた方がいいなと思ってただけなんですwww

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-23 17:43

    すっかりシリーズ化した『利他と流動性』。青い海と青い空。中天に輝く太陽、海風の中で味わうビールにロブスター。ほとんど天国だよねー、って思ってたら、ひょっとして本当に天国だった?それとも極楽?この海は彼岸と此岸の境目にあることだけは間違いなさそうですね。
    主人公は過去に死姦などいろいろやってますが、無私で無垢な感じがするのが不思議です。透明感のある文体のせいでしょうね。
    水カンの「シャクシャイン」、YouTubeで観てみました。木魚を叩きながら歌った理由が分かりました。

    • 投稿者 | 2024-03-25 14:12

      感想いただきましてありがとうございます。
      前回の合評会に出した話が、自分でもショックで。
      「こんなドイヒーな話を書いてしまった」
      っていうのがショックで。だもんで、いったん落ち着きたくてですね。それが無私とか無垢になってるのかもしれません。分かりませんけどもwww

      著者
  • 編集者 | 2024-03-23 23:12

    水カンが出てくるとやはり安心しますね。冒頭が定型文っぽいのと、「なまら」を多用するのが気になりましたが、ぜんぶ力技で持っていかれた気がします。地獄ような楽園のような、まさにリンボな世界観があります。

    • 投稿者 | 2024-03-25 14:14

      感想いただきましてありがとうございます。
      『LIMBO』ってインディゲームみたいな感じでてますかね。だとしたらラッキーですね。あとどうでしょうで大泉さんがなまらってたまに言ってて。北海道と言えばそれしか知らないんですよ私www

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-24 06:18

    他の作品も拝読したんですがまずシンプルに文章が好きで、あの、要はファンです。できることならパクらせてほしいんですが無理そうです。
    現実味のない、時間も季節もなさそうな場所で、ビールが美味しそうとかお腹が空いてくるとか波と砂の感触とかそういう肉体感を書けることに憧れます。
    でも何よりなんも考えず勢いで書いちゃったみたいな(気を悪くされたらすみません。いい意味です)文章のリズムとセンスが好きです。

    • 投稿者 | 2024-03-25 14:16

      感想いただきましてありがとうございます。
      よくご存じでwww
      二回目の臨死体験という事で、これはもう先出ししなくてはという感じはありました。あとはもう仰る通りです。大体勢いで書いちゃってますwww

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-25 11:40

    じゃぶじゃぶシリーズありがとうございます。
    青空なんですけど、なんかずっと曇りの気がしてました。じゃぶじゃぶシリーズは曇りの感じがしてるので。でもシャクシャインを聞いたら青空が見えてきました。水カンというトッピングで完全体の姿が……!
    TKGさんが水カンに捕らわれてないか心配でしたが、毎回上手いことされてるので、むしろ水カンへの捕らわれがさらなる飛躍に繋がってるのかなと勝手に思いました。
    TKGさんは水カンの再生数に貢献してると思います。

    • 投稿者 | 2024-03-25 14:21

      感想いただきましてありがとうございます。
      前回の合評会の時にこの二回目の臨死体験って言われた時にもう、
      「あ、私これでいいや」
      ってなってましたwww
      水カンもシャクシャインがいいなって。
      というのも前回の合評会の時シャクシャインが初めて歌えたんです。カラオケで。ずっと口が追いつかなかったんですけども、ようやく歌えたんですよwww
      だからシャクシャインになりましたwww

      著者
  • 投稿者 | 2024-03-25 14:16

    幻想的なお話ですね。自分がなぜこんなところで管理人をしているか分からないけど、それが当然のように生活している。暴力が出てくるが、それさえ日常であるように感じます。当然のように水カンも出てくる笑

    • 投稿者 | 2024-03-25 14:30

      感想いただきましてありがとうございます。
      考えてみると、私が常日頃から欲しい欲しいと思っている、泰然自若や諦観を形にして、この話にしているのかもしれません。現実には全然手に入らないんですけどねーwww

      著者
  • ゲスト | 2024-03-25 18:29

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    • 投稿者 | 2024-03-25 20:07

      感想いただきましてありがとうございます。
      なんででしょうねえwww
      私にもよくわかりませんwww
      ヨガのことは気をつけたいと思います。

      著者
  • 編集者 | 2024-03-25 18:48

    臨死体験というとじめじめとした暗い雰囲気を思い起こすが、死に接近しながらシャクシャインの歌を忘れないのがよい。これまでの作風とも相まって美しい作品だった。

    • 投稿者 | 2024-03-25 20:09

      感想いただきましてありがとうございます。
      前回の合評会の時の話が自分的に辛かったので、反動でこういう感じになったものと思われます。多分www

      著者
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