あらしが通り過ぎたあとの夏の海は、再び顔を出した太陽を照り返して目が眩むほどだった。兎追いの息子が陸を見失ってから、既に両手で数えきれないほどの昼と夜が繰り返されていた。
風向きの変わり目に気づいていたのに、大物を捕らえることにこだわって漁をやめなかったのが間違いだったのだ。狩り長の跡取りに娶られた姉が男子を産んだから、いっとう大きな魚を届けてやりたい――壺焼きの下の息子がそう言い張ったせいである。二人が乗った丸木舟を最初の大波がのみ込んだとき、壺焼きの下の息子は海に投げ出されてしまった。大方そのまま溺れ死んだのだろうが、あるいは運よく岸に打ち上げられたかもしれない。何もない海の上で太陽に炙られるばかりの自分と壺焼きの下の息子とどちらが幸運か、兎追いの息子は考えずにはいられなかった。魚を獲る銛も船を操る櫂も流され、必死で波から守った水瓶には真水が少ししか残っていなかった。
わずかな飲み水とすべての希望を失いかけたころ、兎追いの息子は白く輝く波間に小さな舟の影を認めた。彼は、はじめその舟が自分を死者の国へと導く渡し舟だと思った。波に押されて近づくにつれ、先端のとがった刳り舟に漁師とおぼしき人間が乗っているのが見えてきた。若い男である。櫂を手に立つその男は、なで肩で女ほどの背丈しかない。頬骨からあごの先にかけて生える黒々としたひげがなければ、女と見間違えただろう。長い髪は編んで後ろで束ねてあり、ほどよく筋肉のついた細い腕には見慣れない模様の刺青が彫られている。突き出た額の陰に隠れ、目の様子は窺えない。兎追いの息子は、同じ集落で育った薪割りの三番目の娘のなだらかな肩と長い黒髪を思い出した。娘の柔らかい肌をなでた感触が手のひらによみがえってきた。
「おーい、助けてくれ」と、兎追いの息子は若い男に声をかけた。
若い男は海に飛び込むと、水面に顔すら出さず魚のような速さでこちらに向かって泳いでくる。これを見た兎追いの息子は、遥か南の島に漁労の民がいるという言い伝えを集落の古老から聞いたのを思い出した。祖先たちが南から海を渡ってきて集落を拓いて以来、漁労の民を実際に目にした者はいない。漁労の民は異なる言葉を話し、八百万の神々に違う名前と謂れを与えて崇め、古い暦としきたりに従って生きている。彼らは漁で得られる魚を神が集落にもたらした恵みであると考えており、神聖なる漁場に断りもなく立ち入るよそ者を決して容赦しない。
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