復員して三月のあいだ、私は文字を書かなかった。書けなかったのではない。南方で最後に書いた文字が戦死公報の下書きであったから、指がそれを覚えているうちは何も書きたくなかったのである。
その私が鶴橋で帳簿付けを始めたのは、昭和二十一年の十二月、乾物商の網干屋の主人に「あんた、字ぃ書けるやろ」と声を掛けられたからだった。逓信省に居ったと答えると、主人は満足げに頷いた。役所の字は間違えん、というのが彼の信用の全部であった。
鶴橋の市場は、焼け残りと焼け跡の境目に、雨後の茸のように板とトタンを生やして出来ていた。省線の高架下から疎開跡の空地へ、露店は日ごとに列を変え、列が変わるたびに人の流れも変わる。朝は干鱈と昆布の匂い、昼は牛の脂の焦げる匂い、夕暮れにはメチルとも焼酎ともつかぬ酒精の匂いが低く垂れ込めて、匂いの層がそのまま商いの層であった。海峡の向こうから来た品は独特の潮の香を纏っていて、私は帳簿を付けるうち、匂いで産地の見当がつくようになった。むろん帳簿に匂いの欄はない。欄のないものは、この世に無いのと同じ扱いになる。それが帳簿というものである。
仕事は単純である。朝、市場の辻に貼り出される一枚の紙――皆はそれを換算表と呼んでいた――を写し取り、網干屋の仕入れと売りをその比率に合わせて帳簿に起こす。米一升が軍足三足に、軍足三足が石鹸五個に化ける市場では、円の値段はもう誰も信用しておらず、信用されているのはあの紙一枚だけだった。誰が書くのかは知らない。訊いたこともない。配給台帳を付けていた頃、台帳の様式を誰が定めたかなど考えもしなかったのと同じことである。様式は上から降ってくる。降ってきた様式に数字を流し込むのが、私という人間の技能であった。
異変に気づいたのは、写しを始めて二十日ほど経った霜の朝である。
換算表の「鰊」の字の、四画目の跳ねが、貝原の跳ねであった。
貝原というのは逓信省の同期で、為替貯金の係に居た男である。書き癖に妙な洒落気があって、跳ねの終わりを僅かに右へ撥ね返す。監督官に幾度も直されながら、あれだけは死ぬまで直らんやろな、と私は思っていた。字は人柄や、と貝原は言った。役所の字に人柄は要らん、と私が言うと、要らんもんが残るから字なんや、と笑った。妙な理屈だが、妙な理屈を言うときの貝原は決まって上機嫌で、私はその上機嫌に幾度となく晩飯を奢らされた。その貝原はレイテで死んだ。公報の下書きを書いたのは私である。氏名の欄に貝原の名を、私の没個性の楷書で書いた。書きながら、この様式のどの枡目にも、あの撥ね返りの入る余地はないのだと思った。要らんもんが残るから字なんや。残らなかった。残らぬように書くのが、私の技能であった。
むろん錯覚であろう。跳ねの癖など、探せば大阪中に幾人も居る。私はそう処理して、その日の分を写した。翌朝も写した。翌々朝、今度は「鯣」の偏に、やはり貝原が居た。
網干屋の主人に、あの表は誰が書くんですやろな、と一度だけ訊いたことがある。主人は鰊の箱を数える手を止めずに、知らん、と言った。知らんでええのや、と続けた。「わしらが知っとるのはな、あの紙に載った品は動く、載らん品は腐る、それだけや。産地の証文より、統制の告示より、あの紙のほうが当たる。当たる紙の出所を詮索して、外れるようになったら誰が責任取るねん」
理屈になっていない、と私は思ったが、思っただけで黙った。配給台帳の頃、台帳の数字と目の前の米俵が合わぬことは幾らでもあった。そのとき正されるのは決まって俵のほうであり、台帳ではなかった。紙が現実に合わせるのではない。現実が紙に合わせに来るのである。私はその順序を、役所で骨の髄まで仕込まれている。だから主人の理屈になっていない理屈が、私には誰の理屈よりもよく分かった。
私は写すという行為を、そのときから少し疑い始めた。写すとは、他人の手の運びを自分の手に一度通すことである。配給台帳の頃、私は幾万という他人の名を写した。名を写すたび、その名の持ち主の暮らしの何割かが、様式の枡目に流れ込んで消えた。あれは事務であったか。それとも、もっと別の――たとえば市場の古老が言うような、筆に何かを降ろす類の行いに、知らずに指を貸していたのではなかったか。
馬鹿げた考えである。私は理科の出ではないが、迷信を厭う程度の教育は受けている。それでも私は、その朝から写し方を変えた。跳ねを写さぬのである。換算表の字がどう跳ねようと、帳簿には私の、逓信省で仕込まれた没個性の楷書だけを置く。比率さえ合っていれば、網干屋の商いに障りはない。
ひと月が経った。
年の瀬の晩、私は帳簿を検算していて、十二月九日の頁で手が止まった。「鰊」の四画目が、僅かに右へ撥ね返っている。
九日といえば、写し方を変えるより後である。私は灯りを寄せ、頁を繰った。十四日の「叺」、二十一日の「鮑」。撥ね返りは、探せば探すほど見つかった。しかも日を追うごとに数を増している。私は自分の右手を灯りに翳して眺めた。指は五本、あるべき形にあるべく付いている。ただそれだけの、見慣れた手である。
元日の朝も換算表は貼り出された。休まぬのか、と誰かが笑い、休んだら困るがな、と誰かが答えた。私は懐から手帖を出して写し始め、ふと顔を上げた。辻に集まった男たちが、皆一様に、何かを写している。手帖に、経木の裏に、掌に。市場じゅうの手が、あの一枚の紙の運びを、めいめいの手に通している。
通したものが、どこへ流れ込むのかは、誰も考えていないようだった。
――昭和二十一年十二月末日附 換算表(写)
米一升 = 軍足三足
軍足三足 = 石鹸五個
石鹸五個 = 鰊十尾
鰊十尾 = 煙草「光」二函
(以下欠)
"符牒市場 第一章 配給台帳"へのコメント 0件