海のことを、私は生まれた島の言葉でパダンと呼ぶ。大阪に来て十二年、口ではもう海と言う。うみ、と言うたびに、言葉の底でパダンが一度沈んで、それから浮く。言葉は乾物と同じで、乾かして運んでも、水に戻せば匂いが戻る。私はその戻る匂いで商売をしている。
済州のチャムス――海で潜る女たちの獲った干鱈やてんぐさが、機帆船で海峡を渡って対馬へ、下関へ、そこから汽車と背中で鶴橋まで来る。統制の網の目からいえば、この道筋のどこにも合法の一寸はない。けれど市場の連中は品を見れば黙って引き取る。「順伊さんとこの干鱈は塩が違う」と網干屋の帳簿付けの復員さんまで言う。塩やない、水や、と私は思う。あの島のパダンの水や。けど口では「おおきに」と言うておく。内の言葉と外の言葉を分けて仕舞うのは、渡ってきた者なら誰でも覚える箪笥の使い方である。
私が海峡を渡ったのは十四のときで、猪飼野の紡績に姉と二人で入った。機械の音で外の言葉を覚え、寄宿舎の夜で内の言葉を守った。戦争が機械を止め、姉を疎開先の空襲が連れて行き、気がつけば私一人が、島と大阪の間に張られた見えない糸の、大阪側の結び目になっていた。島の品を欲しがる者がこちらに居り、こちらの金を待つ者が島に居る。結び目は解けない。解けない者が、運び屋になるのである。
鶴橋の市場でも、私らの店の並ぶ一角は匂いが違う。にんにくと胡麻の油、唐辛子、干した魚。日本人の客は匂いの手前で足を緩め、それでも品物の良さには勝てずに入ってくる。入ってきて、値切って、買うて、出しなに小さく何かを言う。聞こえん振りは、箪笥の使い方の続きである。私らはこの市場の内側に、もう一枚内側の市場を持っていて、その一番内側で、島の言葉だけが通る品が動く。統制の網、闇市の網、そのまた内の網。網は数えれば数えるほど増える。それを知っているのは、一番内側に立たされた者だけである。
換算表のことに気づいたのは、去年の秋の終わりだった。
あの紙には、海峡から来た品にだけ、小さな圏点が付く。米や軍足には付かない。干鱈、するめ、てんぐさ、朝鮮飴。点は品名の右肩に、埃のようにひっそりと打たれていて、市場の男たちは誰も気に留めない。私が気づいたのは、字を読む順序が皆と逆だからかもしれない。皆は品名を読んでから比率を読む。私は先に、自分の品がどう扱われているかを探す。扱われる側の読み方である。
圏点の付いた品は、比率がよく動いた。動くだけなら相場である。けれど動き方に、潮のような規則があった。上げて、上げて、三日目に落とす。落とした日に限って、圏点の品を大口で引き取る買い手が現れる。誰かが点を目印に、網を絞ったり緩めたりしている。そう読んだが、誰に言う話でもない。私らの品は、在ることになっていない品である。在ることになっていない品の右肩に点を打つ者が居るとすれば、それは私らを見ている者であって、私らが見てよい者ではない。
正月の松の取れる頃、同じ島の出の英男が消えた。
消え方を書く前に、あの子のことを書いておかねばならん。書いておかんかったら、私まで、名を知らんと言うた者らと同じことになる。
英男は去年の春に渡ってきた。十七で、背中の荷の紐擦れがまだ治らん。荷を下ろすたびに肩を回して、いてて、と笑う。人の好い顔をした子やった。
初めて店を手伝わせた日、帳面に品名を書かせようとしたら、筆を持つ手が止まった。
「ヌナ、わし、自分の名ぁが書けまへん」
島では漢字を習う暇がなかったという。私は経木の裏を裂いて、英男、と書いてやった。あの子は舌を出して、同じ形をなぞった。「男」の字の、下の払いが、いつまでも右へ流れる。何遍書き直しても流れる。それでも本人は満足して、経木を灯りに翳した。
「これで、二つ書けるようになりました」
「二つ」
「同じ字ぃで、日本の名ぁにも、島の名ぁにもなりますやろ。ヒデオと、ヨンナムと」あの子は指で二度、同じところを叩いた。「わし、名前が二つあるんが、なんや得した気ぃします。一つのうなっても、まだ一つ残っとるやろ思て」
私は笑うた。笑うてから、笑える話やないと気づいた。せやけど、その時は言わなんだ。十七の子に言うて聞かせる筋の話やない、と思うたからである。
あの子はその経木を、財布代わりの布に挟んで持ち歩いていた。消えた後、長屋を検めた者の誰も、それを見つけたとは言わなんだ。
その英男が、圏点のことなど知りもせず、点の付いた朝鮮飴を仕入れて、三日目の落ち日に売りに出た。網の絞まる日に、網の目の上に立ったのである。手入れに遭ったのなら留置場に居る。居らなかった。警察も、市場の顔役も、誰も英男の名を知らんと言った。名を知らんという言い方を、私は島の四方で聞いて育った。人が消えるとき、先に消えるのは名である。
英男のオモニは猪飼野の長屋で、息子の膳を三日据え続けた。同郷の男たちが手分けして留置場と病院と川筋を回り、四日目に誰からともなく、回るのをやめた。やめ方に申し合わせはない。島の人間は、探してよい消え方と、探してはならん消え方の区別を、皮膚で知っている。探せば探した者まで網に掛かる消え方が、この世にはある。膳は据えられたまま、話だけが仕舞われた。私はその仕舞われ方が、島で幾度も見た仕舞われ方と同じ手つきであることに、腹の底が冷えた。海峡を渡っても、渡ってきたのは私らだけではなかったのである。
オモニなら、こういうとき廚房の水を替えて祈る。ハルバンなら、黙って畑に出る。私は乾物屋である。乾物屋のやり方で調べることにした。
圏点の付いた品を、自分で一つ仕入れるのである。
選んだのは干鱈にした。手の内が一番よう分かる品やからである。仕入れて、店先の一番目立つ台に積んで、売らずに置く。網がこの点を目印に絞まるのなら、売らずに動かさぬ品は、網の側から見れば止まった魚である。止まった魚を、網はどうするか。見に来るか、突きに来るか、それとも――比率を変えに来るか。
三日待った。誰も来なかった。初日は台の前を離れず、往来の顔を一つずつ覚えた。二日目、干鱈を長く見て買わずに去った男が二人居たが、乾物屋の店先で乾物を見るのは怪しいことではない。三日目の晩、店を閉めてから、私は台の干鱈の束を数え直した。数は合っていた。合っていることが、かえって薄気味悪かった。網は魚を数えん。数えるのは、獲ると決めた後である。
四日目の朝、辻の換算表を見に行って、私は台の前に立ち尽くした帳簿付けの復員さんと肩が触れた。彼は「鰊」の字を睨んでいた。私は干鱈の行を見た。
圏点付きの干鱈、一貫目。昨日まで石鹸七個やった比率が、逆さになっていた。石鹸一個に、干鱈七貫目。
紙が、私の品だけを、突き落としに来たのである。売らんのなら値打ちを消す、とでも言うように。私は懐の手が震えるのを、外の言葉で抑えた。おおきに、よう分かりました。そして内の言葉が、箪笥の底で言うのを聞いた。
――見ゆる網は、網やない。
――昭和二十二年一月附 換算表(写・抜粋)
米一升 = 軍足三足
石鹸五個 = 鰊十尾
石鹸一個 = 干鱈七貫目
(前日附 干鱈一貫目=石鹸七個)
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