慰安旅行

ぼんねくら

小説

6,627文字

気持ちが落ち着いてからリードを再考させてください。

 

 

入るは易し、出るは難し。そんな門である。狭い門から入れとは聖書マタイ伝の言葉であるが、この白い門は広い。広いとすると、到らば地獄か。はたまた天国か。門から続く石畳は朗らかに赤茶けて、敷石の間に間に名の知れぬ青草をはびこらせている。両脇の壇には赤い花、黄な花、紫の花が勢揃い、釣鐘の弁を晴天に仰向けた。周囲に植わる立木は、時折りの風に葉をそよがせ、小道と花壇を見守っている。青葉を透かした陽光と斑の影に敷き詰められた小世界は、ミミズや蟻ん子、丸虫に尺取虫、蛾、蝶他多用の面々にとっては、はたして天国でもあろう。だが、かくものどかな楽園を抜けた先には、在りし緑を薙ぎ取り埋めた人間共が跋扈する。与えられた緑地に自足する虫々の楽園を小癪にも庭園と名指し、不遜にも構内の緑一点と区分けして、不自然なる一線を画した。冷たい土砂で均した敷地に建築し、賢しらを営む。からには小癪・不遜・不自然の責任者がいる筈だが、張本人の厚顔はいっかな知られず、正体不明である。地を画して物を建て、ひとたび営み為されると、神をも畏れぬ所業の主は神と見紛う不可視の裏に隠れてしまい、集う人の群は気に留めぬ怠惰の次第に、訓育された羊の群と成り果ててしまった。疑うことを知らぬといえど、羊だって何がきっかけで疑いを起こさぬとも知れぬ。群から離れ、迷いに落ち込むパターンが一番危険じゃ。列の外は埒の外。疑問の余地を残してはならん。

そこで用いられるのが、規律だ。始業や昼休み、終業を告げ知らせるベルだ。本来の無限を時の間に割り振ること幾千年の人の代。時間という定めですら既に納得し難いが、時に間があるだけまだましである。辛うじて我慢もできる。ところが、その間をさらに分けるという。一々に刻むという。かくして時は刻まれて時刻と相成り、群の行動に間髪を入れじと律してくるように社会は果てた。嫌だと言って服さぬ者はどうなるか。

規律を快からず憎々しく思った自分は当初、抵抗を試みたのである。脱出を計ったつもりである。始業の前あるいは昼休み、群からそっと抜け出して建築物の玄関も滑り出て、そろそろと庭園へ歩み行く。花壇に咲いたチューリップやそばだつポプラ、アカマツなどに興味あるふりをする。「アルプスの少女ハイジ」のヨーゼフおじさんのように穏やかな佇まいで花から花、花から木へと伝い歩き、庭園を緩やかに蛇行する。実は少しずつ、白い門に向かって移動しているのだ。元来た方角へさり気なく目を遣ると、大丈夫。誰もこちらを見ていない。この自分に気付いていない。今だ。と、はやる心を待てと制した自分は、花壇の端のチューリップに顔を近寄せてみる。粉吹く蕊に花を当てると匂いともつかぬ匂いに犯され、安らぐ心地に瞼を閉じた。焦ってはいけない。先を急いではならない。かといって、あきらめるわけにもいかない。開眼した自分は決心するより速やかにチューリップから身を離した。次いで白い門へと弾き飛ぶ。花弁からダイブする羽虫になったような開放感。も束の間限りで、手掛けて開かぬ門扉を開けとばかりに押せど引けども閉塞は変わらず、焦燥感が募った。横にスライドさせる型だから前後に力を入れても無駄なのであるが、当時の自分はわけも知らず、これぞ世界の意地悪さかと腹を立て真っ赤な顔で鉄柵と独り相撲を演じる様は、門外漢の眼に、牢内で謎の筋トレを行う囚人と見えたかもしれない。もしくは囲いの柵にしがみつき観覧客を威嚇する動物園の小猿に見えもしただろう。何しろ自分は必死だった。門内の域で服すべき律から、逃げ出したい。押し込められる室内から、振り分けられる部署から、あてがわれる役目からも脱したい。外に出たいというより、家に帰りたい。帰って母親の顔を見たい。

自分は泣いていた。涙の途切れ目にお母さんと口にするたび、不在の母の存在感が身に沁みて、なおいっそうしゃくり上げるのだった。にもかかわらず空は晴れ、風が渡り、鳥の囀る世界のいつも通りが、無慈悲に思われる。そして思いの鉾先が母親に転じ、哀慕の情も怨嗟に変わる頃、きまって肩に手が置かれるのである。大きな手。それは我知らぬ間に迫った追手の掌であり、こちらの頭に置かれることもあれば、背や腕を撫でさすることもある。その掌は、あの建築物に収まろうとせぬこの小人を持て余しているようだった。宥められ、その掌に手を引かれて優しく後押しされながら庭園の小道を引き返して行く。もう幾度、この茶番劇を繰り返しただろう。いつしか私は抵抗する気力を失くし、ぎこちなくも規律に服し、羊の一匹として唯々諾々と過ごすようになった。来るときと帰るとき以外は、白い門に目もくれぬようになった。

その門の内で、私達は待っている。もう十五分は経っただろうか。庭園の小道に三角座りをして皆、先程から待っているのだ。私のようにきょろつく者もいれば、空に向かってポカンと呆ける者もいる。花壇のチューリップを眺める者や地面に目を落とす者もいる。不定期に、立ち上がってすぐ座ったり、奇声を発したりする者も。はしゃいでいるのは大体男で、乱痴気騒ぎに冷めているのが女である。しかしまあ、総じて和やかな雰囲気といえよう。恐らく誰もが、平常の労役から解き放たれた今これからを共にして、浮き立っている。

何を待っているか知らない者など、いるのだろうか。出発間際のこの期に及び、そんな御仁が在るとも思えぬが、もしかすると石槍君は、我々がどこへ何をしに行くのか知らぬかもしれぬ。縦列先頭の私の左斜め後ろで、隣の人と話している。悪戯っぽく笑って鼻を啜りあげ、また笑う。規律への不服を匂わせる髪の茶色が、私を冷やりとさせる。常日頃から意中の同僚にちょっかいを出しては「ぬはは」と大笑するような人で、気心の知れた少数の者を除き男女共々に疎まれがちだが、陰湿な人物ではなく今日のような行事の行程に無頓着な明るい性格が、むしろ陰湿な人たる私には苦手なのであった。顔を合わせるだけでこちらはどぎまぎしてしまう。目と目が合わないよう気を遣って見ると、常用の肩掛け鞄とは別に携えしナップサックを、股間に据え置いている。膨らみから察して、ナップサックには水着やタオルが詰め込まれているのだろう。行く先での必要物を持って来たのだから、さすがの石槍君も成り行きを理解しているのかもしれない。だからこそいつも以上に嬉々としているのかな。

人事に対して勝手な安堵を感じたところで、左隣の須本さんから話しかけられ、面食らった(私などに声掛けてくれた彼女を好ましく思う。しかし彼女の気立ての良さを考慮して、この交流を特別視しないようにしたい)。二人が砂糖や餡について弾まぬ話を続けているうちに、漸くのことバスが門前にやって来た。仰々しい音を立てて開門されると同時に、一同はぞろぞろと腰を上げた。

 

いつになったら行くべき所に行き着くのか。直進するかと思いきや停止し、再び発進した途端に迂回する。かっ飛ばして欲しいのに、のろのろと進んだり。

いい加減にしろ、この野郎。というのが正直な思いである。そもそもステップを踏んで乗り入れた時から既に、座席シートの発する異な臭いが鼻を打ち、私は閉口したのだ。これでも出発進行の走り始めは、自分の住域を軽々しく離れ行く罪な感じや窓外を過る人家の様相を楽しむ余裕はあった。てんでにしゃべる同僚達の嬌声も耳に快い気さえした。ところが、そんな心持ちも所詮は上っ面で、バスに揺られて程なくすると、下っ腹の辺りに不穏な気配が立ち込める。いやいやこんなに立派なバスではないか、楽しもうではないか、愉快な仲間と乗り合わせているではないかと必死に自らを励まし、このバス道中を肯定できれば危惧も杞憂に終わると信じ、同僚一人一人の長所を無理矢理思い出すという難業に取り組むも、二人三人とこなすに連れて過大評価の度合いが増していくため、知らずのうちに彼彼女らの人格を軽んじているかもと気付いた時には、嘔吐への不安が不吉な塊に凝り固まって、私の下腹を苦しめていた。最前列に座る自分の目前で、運転手さんの後頭部が小刻みに揺れている。見たくない。眼を逸らせば、歩道前方に歩むおばあさんが拡大したかと思うと瞬く間に縮小して後方に遠退いた。できれば見たくなかった。乗車してからの経過時間も考えたくないし、時間の感覚自体が常態を失している。今どの辺りをバスが走行しているのかも知りたくない、背後に響く連中の凶声も聞きたくない、もはや全てに我慢がならない、身の内に発酵した物がいよいよ喉元まで上り詰め、逡巡し、出番のスタンバイをしている。あ、ぶちまける。そう思い詰めたところで、バスが停まった。助かった。やっと目的地に着いた。なんて甘い展開になるわけもなく、落胆した私は酸っぱい唾を呑み込んで、窓に寄りかかった。信号待ちの震動が、ガラスを通して側頭部に伝わってくる。なんで生まれてきたのだろう。がががと響く頭の中に、言葉はこだました。

バックミラーの中で時々こちらを確認している由香利ちゃんの顔が、せめてのもの救いだ。表情には、こちらへの関心は露ほども感じられないが、それでよろしい。肩に届かぬ程の長さの行儀良い髪が、バスの停車のたびに凛と揺れる。それも、申し分ない。普段は顔を見ることさえ躊躇われるのに、この時ばかりは酔いも手伝い、余計な自意識も薄れかけた放心状態で、あくまで鏡を通してだが目と目を合わせられる。一重瞼の眼尻が水平下方に傾いだ彼女の瞳を、垂れ目と俗称してはならない。どんな状況にあっても、どんな人といようとも、眼尻の角度揺るがせぬ由香利ちゃんは、誰よりも聡明なのだ。「たぬき」「日本人形」「カシューナッツ」といった同僚男子らの陰口は彼女の雰囲気をそれなりに捉えているから面白い気もするが、何となく腹立たしい。確かに、眼尻は下がり、おしとやかと裏腹に冷ややかで、その割に肌は浅黒い。顎も鋭い。だが、それらの特徴はあくまでも特徴であって、由香利ちゃんの細部である。こちらが目ざといから、注意しなくてもよい筈の部位まで気になった結果、言わなくても済む筈の評言が口をついて出てしまう。もっとこう、こちらが度量を広くして彼女の全体に醸し出るひととなりを受け入れなければ、正しくないのではないか。私達はおのおの努力して、由香利ちゃんのためだけに努力して、より寛大になる必要があるのではないか。言葉で飾る、その前に。とは言いながら私は、彼女の瞳を著しく好む者である。

大人の瞳は、いや大人の目玉は、たいがい黄色や赤色に濁っている。が、由香利ちゃんの瞳は蒼い。蒼く澄んでいると言って差し支えない。紺色に近い黒瞳から滲んだ蒼が、周りの白を薄く守っている。天から降った清らかな雨の一滴が点ぜられ、潤と張ったのかもしれぬ。そしてこれ以上、由香利ちゃんの瞳について不備な言葉で描出せんとする下品は、慎もうと思う。例えようもないものを例えると、嘘になる。「たぬき」という例えにしろ言い当てているのは瞳の形ぐらいで、当人の目元は隈に縁取られていないし、お腹もそんなに出ていない。何の気取りもなく、私達はこう褒め称えればいいのだ。由香利ちゃんの瞳は、例えようもなく美しい。これで充分である。比べて、私の瞳、いや目玉ときたら。その濁りようは、やはり心の陰りを反映しているのだろうか。

草をかき分け、踏みしだいて進んだ藪の中で、由香利ちゃんを発見したことがある。雨が上がったばかり、露を乗せた草々に取り巻かれ、そこだけ巣のように平坦な円の中心に彼女はいた。四つん這いの恰好で、こちらに尻を向けて。周囲の緑がしとどに濡れているのに反し、彼女の制服も、制服から生え出た肢体も、どこ吹く風の乾いた常態として独立している。こちらの足音に気付いた筈だが、振り向きもしない。前方を向く彼女の表情を確かめたくも、回り込んで覗き込む勇気はなく、突き出されたスカートの尻を前に、自分は立ち竦むのだった。しかし実は、見えない彼女の顔がまざまざと見えもするのだ。その顔は、強張りもせず、緩みもせず、中庸を保っている。ただ、きっかけさえあれば忽ち綻ばせかねないような、どこか弾むような面持ちでもある。りんご組の教室で玉口先生が奏でるピアノ曲の前奏を聞き、やがて始まる合唱に備えて、しんしんとリズムを取っているときのような。だからこそ、瞼を伏せがちに、微かに頷いて、待っているのである。自分は、由香利ちゃんの瞳を見たかった。他人の鎖された瞳を見たい場合、そういえば普段どのようにすべきだったか思い出せず、途方に暮れた。指で触って持ち上げる。息を吹きかけてみる。それとも単にじいっと見詰めてみる。いずれの方法も功を奏さなかったため、私は焦れ、素知らぬ様子で手足を草地につけている彼女を忌々しく思い始めた。そして結局は、由香利ちゃんの臀部に、顔を寄せているのである。そっと撫ぜただけで、制服のスカートはするりと剥ける。露わになったお尻は、やっぱり浅黒い。浅黒いと思った途端に青白く光りもし、色の移り変わりに絶え間ないが、決して変わらぬ色が喰い込んでいる。黄色と黒の縞柄の下着が、渓谷を細々と流れる川のように、今にも消え入りそうな筋道をお尻の溝に走らせていたのだ。それでいてピンとしたテンションだから、触れたくても決心がつかない程、禍々しい。

布団に包まれた自分に気付いた時、どんなに名残惜しかったことだろう。残念だっただろう。同時に、つんと固められた我が身の芯が寝間着の裏に当たり、どんなに気持ちよかったことだろう。その朝、私は当てもなく感謝した。以来、山林の秘境で出くわした由香利ちゃんの鬼のパンツは、ピンチのときに想いを寄せて自らを慰むよすがとなっているのである。両親が諍いを起こすときや両親が諍いをおこすとき、または両親が諍いを起こすとき。そう、両親が諍いを起こすとき。今しも私は苦境にいるが、鬼のパンツを想い浮かべられても、さすがに車内で自身を揉み擦るわけにはいかない。バスの律動を慰安の律動として感受し、己を偽るだけで精一杯である。さて。こんな私を、どう思う。目を遣ると、鏡面に反映した由香利ちゃんは、眼を背けていた。

その後バスは、さらに四つ五つの信号機を潜り抜け、とうとう約束の地に到り着いた。施設の大きさは、私達が後にして来たあの建築物の倍はあった。

 

ざぶん。とぷん。ぬるん。準備体操を終えた私達は、めいめい思い思いの勢いで水に入る。石槍君のように私もざぶんと行きたかったが、バス酔いの名残で身体に力が入らない。意気も衰えていたので仕方なく、由香利ちゃんの真似をして、ぬるんと水面に肌を滑り込ませた。冷たいようで暖かい。でもあくまで、冷たい。バスで火照った体の熱気が水中に散じて、まどろむ心地がする。塩っぱい香が鼻腔に満ち、吐き気も鎮められていくようだ。皆が周りで騒ぐから、打ち寄せた小波が、こちらの胸周りをたぷたぷとくすぐってくる。表向きにはたぷたぷ程度でも、水面下ではなかなか乱れ惑っているらしく、気を抜くとこちらの身体があらぬ方へと持っていかれそうに感じられる。少し離れた所で由香利ちゃんは、泳ぐこともなく、女友達と向かい合って微笑んでいる。まるで温泉に寛いでいるようだ。彼女を見習って、私も入浴を楽しむ気楽さに肌を任せよう。

顎まで浸ると、安らいだ。そのままネジ類になった気で回転すると、私と同じように首だけ浮かばせている者もちらほらと漂い、さながらボール水に浮かぶミニトマトに見える。ゆっくり頭を反らせ、天を仰いでみる。遥かの上に天井が緩く弧を描き、計り知れぬ数の照明器具を吊り下げている景観は、頼もしい。こちらも宏大な気持ちになってたゆとう。ぱぁんと鳴って飛沫を顔に受けた。石槍君が飛び込んだのである。最も近くにたゆとうていた笠松君が最も水害を被ったけれど、怒っている気色はない。円い目をぱちぱちさせながら、濡れ輝いた丸い顔を丸い両掌で、こしこしと拭っている。興に乗った石槍君は、またもやプールサイドから身を躍らせる。ざぁんの水音と重なって屋内に響いたリシュルーは、コーチの笛の音だ。どこからともなく現れ来ったコーチの逞しき足指が、私達の目線のプールサイドでひたと止まった。

2024年9月22日公開

© 2024 ぼんねくら

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