貸し笑み

ぼんねくら

小説

935文字

見なければよかったと悔いる時、どうしますか。

 

貸し笑み

 

ぼんねくら

 

 

ときめきを抑えきれず持て余していたが、女の笑顔に出会った途端、胸の高鳴りは速やかになりを潜めていった。破顔大笑というと、健やかな響きがある。つられて、こちらも笑い出してしまう。この女の表情は、およそ健康とは縁のない、誰に向けるでもない、行き場のない笑い顔である。破れていて、大きくはない。破れて剥けて、そのままだ。露わになった赤裸々が、一皮二皮、さらに三皮、ついで四五六、まだまだ七皮、剥がされ抜いて、曝された。笑みを湛えるなどという余裕は露ほどもない。必要もないのだろう。苦悶に近しい相貌は、絶え間なしにくすぐられ、募る涙も鼻汁も、涎さえも流れ尽き、それでも笑えとまさぐり続けられた最果てと見える。両耳まで吊り上った口角から鼻にかけての筋、八の字眉に寄せ上げられた額の線、いずれの皺も深く刻まれ、元通りの皮膚に収まろうとは思われない。ただし目尻は歪みなく、上限の月の形に細まった目元は、開け広げに強張った鼻と口の醜態を憫笑するかのごとく雅に澄ましている。下々のあられもないてんやわんやを尻目に空を翔け、雲の上の月見を楽しみ、夜明ければ大日にまみえて僥倖を楽しむ。如来の光を僥倖と有難がらず、当然我が身に受くべき祝福と心得て。大地に縛られた者共とは宙に一線を画して人心意に介さず、天に坐す日夜の神を畏れもせで、己が身の軽やかさを恥じらうなどもっての外の有頂天に昇るのみ。地に足着ければ、否応もなく人に面と向かい、放たれた視線を受け止めざるを得ない。受け入れれば、その分の皺寄せがくる。抗する圧力が瞳を揺らす。揺らぎを目元が引き締める。元締めの目尻には、皺が寄るであろう。かような作用が人をして老いさしめるならば、さような人事一般の尋常なる沙汰に当てはまらぬまなじりは、群がる男の熱いまなざしも衆人環視の冷ややかな目もするりと脱ける融通無碍なる童女さながらである反面、たとえ比類なき美を誇るとしても人との交わりを眼目に置かぬが故に成り立とう孤高の美である以上、いくら見詰められても見返さない仕儀は独り悦に入る戯れ事に相違なく、何よりこちらの黄色く濁った目に及ぼす影響の薄弱である事実に、私は寂しさを感じた。

2024年2月8日公開

© 2024 ぼんねくら

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