マジック

合評会2024年9月応募作品

浅谷童夏

小説

6,081文字

純愛小説です。制限字数を大きく超えてしまいました。努力しましたがどうやってもこれ以上削れません。減点はもちろん覚悟しています。
お題出題者なのに、大変申し訳ありません。2024年9月合評会参加作品。

アトリエの窓から白い花を眺めていると、マナがコーヒーを運んできた。
「航空券と宿の手配は大丈夫かな」と訊く。
「ええOKです。お土産楽しみにしてます」と彼女。

私は絵描きで、バンドン郊外の自宅で暮らしている。来週は久しぶりにパリでの個展のため出張だ。

日本に戻る気はない。もう60過ぎたし、このジャワ島に骨を埋めるつもりだ。籐のチェアに掛けて、庭に繁る緑を眺めながら、こうして家のアトリエでコーヒーを飲むのが至福の時だ。

贅沢しようなどとは思わない。絵描きとして不自由のない生活をしている。名前もそこそこ知られている。作品の幾つかは欧米の美術館に収蔵されている。

先日、海外で活躍する日本人アーティスト、という企画で日本の雑誌の取材を受けた。その時、アトリエの壁に飾ってある、白いワンピースの女の子の絵を目にした記者が、ぜひ写真に撮らせてくれと言った。それは私が50年近くも前に描いた絵だった。私は丁重に断った。申し訳ないのですが、これは私にとって特別な絵なので、と。

 

 

チェアに座ったままスマホを開き、メールを確認する。16号の油彩画が約2万ドルで売れた知らせが、台湾の画廊から届いていた。AIが自由自在に職業画家よりも完成度の高い作品を生み出すこの時代に、年に3、4点というペースで描いている私の絵に大金を支払ってくれるファンが世界中に存在しているのは、実に有難いことだ。

好きな仕事で生活できる幸せを噛みしめずにはいられない。かつての私は、こんな夢とは一生無縁だと思っていた。それどころか、私は、無価値の烙印を押された自分に、死ぬ以外の選択肢などないと考えていた。

 

 

齋藤義琉は伯父の友人で、彼の家に行ったこともある。

小6の自分にとって、これが他人に自慢できる唯一の話題だった。
絵を描くこと以外に能のない私に友達はいなかった。クラスで常に1人だけ浮いていた。それでも一度、自習時間、隣席のクラスメートに何気なく義琉の話題を口にしたら、たちまち自分の周りに人が寄ってきて驚いたのを覚えている。

中学生になった私は、しかし、義琉の話題を口に出すことはなかった。出せなかった。母に釘を刺されていたからだ。彼の話を出すと、義琉本人はもちろん、あちこちに大変な迷惑がかかる、というのだった。実際のところは、母自身が知り合いに義琉のことを話し、そこから話が広がり、サインがほしい、とか、ショーのチケットを格安で入手できないか、果てはぜひ彼の自宅を教えて、などという依頼が殺到し心底辟易した、というのが真相のようだった。

齋藤義琉はマジシャンで、テレビに出ている有名人だった。大掛かりな舞台装置、派手な演出。「見えます見えます、見えています」という決め台詞で沸かせるエンターテナー。

義琉の自宅に行ったことがある、ということよりも、義琉の一人娘である斎藤光と仲がいい、ということの方が私としては余程自慢だったが、こちらは絶対の秘密だった。

光と仲良くなったのは小6の時、伯父夫婦と共に家族で義琉の家に招待されたときのことだ。

義琉の自宅は住宅街の路地にある、何の変哲もない木造2階建てだった。赤ら顔の上機嫌でグラスを傾けている彼は、ぼさぼさの髪を肩まで伸ばしていて、ただの胡散臭い中年男にしか見えなかった。
「飲んでる時はやらないんだが、まあ今日は特別にひとつだけ」

リビングで彼は、私と両親、伯父夫婦に向かって言った。
「今からこのコースターに数字を書くよ」

私たちが見つめる中、彼はペンで数字を書いたコースターを裏返してテーブルの上に置いて、言った。
「じゃ、皆でじゃんけん」

皆で言われた通りにをした。勝ち残ったのは私だった。
「誕生日はいつ?」
「7月10日です」と私は義琉の問いに正直に答えた。

義琉がにやりと笑いコースターを裏返す。書いてあった数字は710だった。

私は魔法にかけられた気分のままトイレに行くため廊下に出た。そこに色白の、痩せた女の子がいた。それが光だった。私がトイレから出てくると、彼女は黙って手招きをし、私はついていった。そして彼女の部屋で花札をして遊んだ。ルールは彼女が教えてくれた。

 

 

斎藤光と私とは同級生だった。学区が違い、別の小学校に通っていたが、中学校で一緒になった。友達がいないという点で、彼女と私とはよく似ていた。

光の父親の人気はいよいよ高まり、毎日のようにテレビで顔を見るようになった。光が中1の2学期に、義琉の一家は引っ越した。都心の高級住宅街の中の豪邸だった。

当時はスマホもネットも無かったから、私たちはよく短い手紙をやり取りした。テレビの話題、学校であった出来事など、他愛もない内容だった。彼女は月に1度、休日、私に会いにわざわざ1時間かけて電車でやってきてもくれた。私が彼女の家に行くこともあったが、彼女は、今の大きすぎる家は好きではない、自分がそちらに行くと言い張った。

私たちは部屋のカセットレコーダーでビートルズを聴き、花札をした。近くの川岸にも行った。堤防の芝生に並んで座り、川面を眺めながらとりとめなく話した。
彼女は私の部屋で、よくマジックをしてくれた。カードのシャッフルの手並みは鮮やかで、完璧な技量だというのが素人目にもすぐ分かった。マジックのいくつかは父親に教わったと彼女は言った。
「父親としては最低だけど、マジシャンとしては凄い」というのが彼女の父親評だった。義琉のマジックには観客の度肝を抜く迫力があり、超能力魔術と言われていた。彼自身、TV画面の中から視聴者に向かって、皆さんが見ているのはマジックではない、自分の家系は代々超能力を継承している、と臆面もなく言っていた。
「あんなこと言ってるけど、父さんのあれは正真正銘マジック。トリックも私は全部見破ってる。怒られるから言わないけど」

光のマジックはというと、彼女が先にカードに数字を書き、後でこちらに書かせたものと一致させるというシンプルなものだった。小6の私がじゃんけんに勝ち抜き、義琉に誕生日を当てられた、それと同系統のマジックだ。

だが、光のマジックに、私は、義琉のそれとは違う、得体の知れない深さを感じた。義琉のマジックは確かに凄いが、まだマジックの範疇にある。光のマジックはそれとは全く異なるものに思えた。

ある日、私の部屋で、光がメモ帳をくれと言った。私が手渡すと、2枚を破り、そのうち1枚を私に渡し、自分の紙に、私の目の前で、私に見えないように何か鉛筆で書きつけた。その紙を伏せてテーブル上に置いた。
「好きに書いて。何書くかはもう当ててるから」
「数字でなくても?それなら今日こそ外してやる」
「いいけど、複雑すぎるのはだめよ。面倒だから」

光にそう言われた私は、渡された鉛筆でバカ、と書いた。その紙を、光が先に書いた紙の横に置いた。
「じゃあ、私のをめくって」と光が言い、私はそうした。光の筆跡で書かれた同じ2文字を目にし、唸った。やはり義琉とは違う。彼は私の誕生日を書いたコースターを自分で裏返し、私に捲らせなかった。光は、先に書いた紙を裏返してテーブルに置いてからは一切触っていない。

2回目。今度こそ光の裏をかこうと思った。光が何かを書いて伏せた。私は何も書かずに白紙を差し出し、言った。
「浮かばなかったから、空白を書いた」

光はふっと笑って言った。
「裏返して」

私が裏返した光の紙には何も書かれていなかった。え、と思わず声が出た。
「何も書かないって分かってた。だからこちらも書いているふりしただけ」

光はそう言った。
「本当にタネ、あるの?」と言うと、光は笑った。
「あるよ。でもこれは祐相手にしかできないマジック」

その言葉の意味は私にはよく理解できなかった。

私は3回目を要求した。

書きこむ光の表情に注意しながら、私は、3枚目の紙に、光が好きだ、と書いた。伏せられた光の紙をめくった。

私も祐が好き、と書かれていた。
「ありがとう」と光が俯いて言った。

 

 

彼女は、プロのマジシャンには絶対にならないと言った。父親みたいにはなりたくない、と。そして、彼女はその才能を、私以外の人間の前で披露したことは無かった。ただの一度たりとも。

 

 

私は何度も光をスケッチした。季節が変わるごとに、彼女の眩しさは増した。中2の春の堤防で、互いに、周囲に誰もいないのを確かめて、私たちは初めてのキスを交わした。それからは部屋でも時々キスをした。

その年の夏の終わりのこと。堤防に2人でいて、ふと異変を感じた。川面を眺める彼女の表情がいつになく虚ろで、心ここにあらずという様子だった。
「どうかした?」

私は彼女に訊いた。彼女は険しい表情でじっと考え込んでいた。
「悩み事でもあるの?」

重ねてそう訊くと、彼女は、はっとした表情でこちらを見た。
「何でもない」

彼女はそう言った。いつになく暗い声だった。それから我に返ったように元の調子で「気にしないで」と付け加えた。深刻な何かを彼女が抱え込んでいることを、私は感じた。
「気にしてない。まあ、色々あるよね。学校つまんないし」

私は気休めを言いながら、彼女をスケッチした。

私のアトリエに掛けられた額の中にその日の彼女がいる。硬い表情で口を引き結んでいる。雑誌記者から写真撮影の許可を求められて私が断ったのは、その絵だ。

私は会う度に彼女をスケッチした。その多くは彼女にプレゼントしたが、何枚かは今も私の手元にある。

 

 

齋藤義琉の浮気とギャンブルで、光と私が中3のとき、光の両親は離婚した。義琉は多額の借金を抱えていた。豪邸を売却した後、彼は妻子を捨て失踪した。齋藤義琉、超能力魔術で自分消し、などとマスコミから揶揄されていたが、しばらくするとテレビでも雑誌でも、彼の名前を目にしなくなった。その後の彼の行方は杳として知れなかった。

光は母親の実家である熊本に引っ越した。

引っ越し前日、電車に乗って私に会いに来た光は、待ち合わせていた駅で私に言った。
「時間ないから、最後に一つマジックをする。10年後の祐に、今ここで手紙を書く」

彼女は一枚の便箋に何か書いて折り畳み、封筒に入れて封をした。封筒の表に私の名前だけが書かれていて、宛先の住所は書かれていなかった。
「届いたら、読んで」と彼女が言った。戸惑いながら私は頷いた。

彼女はそれを駅前のポストにそのまま投函した。
「10年後、必ず届く。これが私の最後のマジック」

彼女の声は震え、目には涙が溜まっていた。彼女は私にキスをし、改札の中へと消えた。宛先の住所のない手紙が、10年後に届くことなど常識ではありえない。でも光がそう言うのなら、届くのだろう。ただ10年後ではなく、私はすぐに読みたかった。

 

 

3年後、伯母から母に連絡があり、光が亡くなったことを知った。センター試験直前だった。光の母親によれば、1年ほど前に体調を崩し、病院を受診したときにはもう腫瘍があちこちに転移し手のつけようのない状態だったという。

 

 

私は受験に失敗した。

本当は美大に行きたかったが、両親の強硬な反対にあって断念した。成績だけは良かったこともあり、深く考えることもなく地元の国立大医学部に出願した。

だが彼女の死のショックは私から全ての気力を奪った。世界が色を失い、終わった。

私は滑り止めの私大の工学部にかろうじて入学し、両親を深く落胆させた。その後、無気力な4年間を過ごし、ブラック企業に就職した。

 

 

就職してたった1年で、私は会社を辞めた。自分は落伍者だと悟った。遅かれ早かれそうなる運命だった、と。施設にいる父には知らせなかった。母は、前年、心臓発作で亡くなっていた。

鬱病で心療内科に通った。私が絵を観たり描いたりするのが好きだと言うと、描くことを勧められた。

そして私は再び絵を描き始めた。憑かれたように。絵を描くこと以外に、自分をこの世に繋ぎとめる方法が見つからなかった。

美大も出ていない私に絵の仲間はいない。一人でひたすら描いた。金がないので、勤務先の工場でもらった段ボールや合板をカンバス代わりにした。

2年かけて準備し、小さな画廊を借りて個展を開いた。予想通り、誰からも見向きもされなかった。一枚も売れない絵を黙々と描きながら、死に方を考えた。遺作の絵をドアに掛けて自殺しようか、などと思ったりした。派遣仕事でその日暮らしの生活を送り、部屋はゴミ屋敷になった。

ある日、ふと、もう失うものはないし、いっそ絵を描きに海外に出よう、と思った。中央画壇から無視され、奄美に渡った田中一村のように。そう、ジャワに行こう。そんなことを夢想しながら、家賃も払えない現実の前に足踏みしていた。

そんな私に、派遣先のスーパーの店長が、正社員になる面接を受けないか、と声をかけてくれた。本部に推薦しておいたから、と。

心が揺らいだ。とにかく絵が描きたい。しかしそれ以前に、職場のスーパーの廃棄品だけで食い繋ぐ現状を何とかしなくては。店長には何かと目をかけてもらっていた。その恩に報いたい、とも思った。このまま海外に出ても何の展望もない。ここで店長の厚意を断れば二度と浮き上がれない。生活を立て直すために正社員になる。絵は諦めろ。趣味で十分。どうせ絵で食っていくことなど無理だ。

面接を受けるかどうかの返答期限を明日に控えた日、帰宅し郵便受けを見ると、一通の封筒が見えた。宛先に私の名前があるが住所は書かれていない。私は息を吸い込んだ。差出人を確認する。光だった。

震える手で開いた手紙を、私は読んだ。
〈迷うな!GO!大丈夫!〉

力強い光の字で、そう書かれていた。

 

 

そこからは、ただ前へ。それだけだった。相変わらずのその日暮らしに不安は勿論あった。が、迷いは無かった。

光が大丈夫と書いているからには大丈夫なのだった。

渡航費は、スーパーの店長が、出世払いで、と言って貸してくれた。ジャカルタに渡って3年目。日本料理店の皿洗いからスタートし、職を幾つも転々としながら路上で絵を描いていた私の横で、ラフな格好をした1人のアメリカ人が足を止めた。私が足元に置いていた田中一村の画集を彼は手に取り、イーゼルに掛けた私の絵と見比べながら言った。
「君の絵にはイッソン・タナカへのリスペクトがあるね」
「一村をご存じですか」
「タナカ、フジタ、ヨコオは日本のアーティストの中で、私のベストスリーだよ」

自分はニューヨークの画商だと、男は教えてくれた。その出会いから、事が進み、気がつくと今の私がいる。店長からの借金は10年後、5倍の利子に、自分の作品をつけて返した。スーパーの休憩室で、彼は私を抱きしめ、涙を流してくれた。

 

 

光、これ、どう?

作品を描き上げるたびに、私は彼女にそう必ず訊く。

いいね、という彼女の声が聞こえる。白いワンピース姿で川岸に立ち、腕組みしながら、光は微笑んでいる。

2024年8月4日公開

© 2024 浅谷童夏

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