プンクトゥム!(1)-(3)

中村子子子

小説

3,512文字

口から煙を出してどんどん若返っていく祖母と、「私」の土地をめぐる物語。

 

音無しくしていろ、と祈る。

魚の内蔵にさぐりを入れ、浮袋にあたりをつけてからそこに木切れを突き刺す。空気が漏れだす音を確認すると、わたしはその特別な処置をした魚を川の水に戻してやる。もがきながら元のように泳ごうと、水を推しやる魚は痙攣のさまに似て、そのまま底に沈んでいった。底には数匹の、同じ処置をした魚たちが川床の砂をかき回してもがいている。山肌を削るかたちで流れる川の岸にいるのはわたしだけで、ほかは、夏休みの小学生たちが残していった釣竿の折れたのと、役目を終えた竿の仕事であるバケツの中の魚……鮠たちが酸欠の危機に瀕している状態であるだけだった。手が臭くなってきたところで、バケツの魚を川へ戻してやり、わたしは魚たちが水を推しのけて泳いでいくのを見とどけた。

この田舎に帰ってきたのは、実家の祖父が死んだためだ。経営していた町工場を土地ごと売ってから、祖父は人生の残りの仕事に対して酒を飲むことで代替したのか、毎日酒浸りになっていた。そしてある日の夜、母と祖母の目をかいくぐってどこかへ行方をくらまし……翌日、田圃の側溝に落ち溺死しているのを町の見廻衆に発見された。ぶざまな最期を曝した遺体を、母と祖母は泣いてむかえた。東京から実家へおもむいてその祖父の遺体と対面したわたしも、ぶざまへの侮蔑よりも悲哀と畏敬の心もちのほうが大きくなっていた。

祖父は、運動する機械から飛びでた一個の部品だった。また部品が失われたことで運動をやめた機械そのものでもあった。それがわたしの、町工場をやめた祖父に対する印象で、遺体となった祖父に対する印象だった。祖父はもがきながら死んだ。それだけだった。ぶざまにもがいて死んだけど、わたしは悲哀と畏敬を抱いている。彼の死へ。

川岸から傾斜する坂を登って、新築住宅と瓦葺き家屋の混在する集落に沿う道路にでた。手の魚の臭いに辟易しつつ、煙草に火をつける。道路には青葉をたくわえた桜の木がすっと伸び並んでいて、そのどれもからセミの機械音のような鳴き声が吹いていた。祖母はどうしているだろうか。母は葬式からしばらくたってもさまざまに慌ただしくしていた。その慌ただしくしているのは、わたしのよく知らない縁者や親せきたちに対してだったので、わたしに手伝えることはあまりなかった。家に残ったのは祖母と母と、そしてわたしの女勢ばかりであって、ゆいつの男で、わたしたちの家の血の中心であった祖父が死んだことで、他の親せき縁者のわたしたちに対するまなざしは冷え込んだものになることが予想できた。そのために母はいろいろさまざまに慌ただしくしていたのだ。血の脈をどうにか引き継ごうとがんばっていたのだ。頭のなかへ、母が血まみれになっている姿が浮かんで、勢いよく煙草をすいこむ。

そうだ。祖母はどうしているのだろうか。祖父の葬式があらかた終ってから、祖母は若がえった。若がえりつつあると云ったほうがよいかもしれない。

祖母は、体から煙と言葉を吐きだし、若がえりつつある。

火葬場から煙は途絶えていた。祖母は、さきほど引き出されたばかりの台車を見ている。熱をふくんだ台には祖父の骨がならんでいる。祖母は砂糖菓子に似た祖父の骨をただ見ているだけだった。わたしは慣れない骨あげにとまどって、うまく拾いあげられない。骨箸でつかむと、ぼろぼろ、と形がくずれていく。それを見た祖父の義弟の佐伯氏は「シゲさん、よう酒飲んだけえ骨もろいわ」とつぶやいた。アルコールで骨はもろくなるのか…という感想を持った。体をめぐるアルコールの流れは根源的な命よりも、今生に残すための骨をあらい流していく。祖母は、箸でのど仏をひろって骨壷へ入れ、かし、と音が鳴って穴におさまるのを聞きとり、ちから強く蓋を閉めた。祖母の腕や顔は、煙草の煙が染みいっているみたいに茶色で、皺のすみずみは灰色だ。蓋を閉める動作でちからを込めたときに、その皺や茶色がいっそう深く染みる。祖母はいままで何本の煙草を体に染みこませてきたのだろう。彼女はいつも煙草をすっていたし、青色のハイライトを東京のコンビニで見るたびに、祖母をおもいだす。そのせいでわたしのすう煙草はいつもハイライトで、このままうまくいけば、わたしの顔や腕は祖母のものと似たものになるかもしれない。骨箸を台において、わたしは手を、ぐ、とやって想像した。

葬式後、祖母は煙草をやめた。それまでいつも煙をまといつけていた彼女の姿は、雲のなかにいる大仏かそれに似たなにかだったのだが、その雲が晴れたとたん、わたしはより詳細に彼女の顔を見ることができるようになった。口もとや目じりの皺の谷には灰色が染みいって、皺の山には皮膚の下の血の、温かみのある色が浮いている。それをもんぺ柄がつつんでいる。「なんね」。祖母は見入るわたしに云った。「なんね」。「たばこ・・・」。「吸う気おきんわ。煙なんて吸わんほうがええちや」。「そうやね」。「あんたもやめや。煙は悪いよ」。そうかもしれない。アルコールは今生に残すものを流しさってしまうけど、煙は世界に染みいらせる。祖母はそれを嫌ったのだ。だから彼女は煙を吐きだし、そして言葉を吐き、若がえる。

わたしは祖母の家の二階に割当てられた部屋を寝室としてつかう。母が生活しているのは、その家と倉庫を挟んでむかいにある煉瓦張りの家だ。母とは食事を除いて、できるだけ会わないようにしていた。なにもできない自分の後ろめたさから逃げたいおもいがあった。母は動いている。もがきに等しい運動に触れるのが嫌だった。

夜になると、祖母の若がえりがはじまる。それが起こったのは葬式が終わり、祖母が煙草をやめたことに気づいた日の深夜だった。山から降りてくる樹木の匂いと、地面からのぼる匂いが夏の夜の大気にふくまれだし、鼻についてくる時間だ。一階の祖母の寝室から二階のわたしの部屋、床板を通して、うめき声が聞こえてくる。うめき声は、うわごとに転じる。わたしは床板へ染みあがってくるうわごとを、暗室にいる写真技師のていで見まもる。うわごとはめいかくな形をもって板に染みいっていく。彼女の体に込められた言葉がわたしのいる二階まで立ちのぼってきているのだ。

 

くらやみの中に、声音の振動として床板に染みいってつたわる祖母の言葉には、めいかくな形があってそれはわたしの視覚に姿をあらわす。

 

「上海」

「A」

「B」

「C」

「D」

「Ⅹ」

「工場」

「焼け跡」

「骨」

 

一九四三年、日本軍戦艦が、駐留していたイギリス軍戦艦ウェーク号とペトレル号をそれぞれ撃沈、拿捕すると、上海の都市のありさまは一変した。ウェーク号、ペトレル号を退けると、日本軍は上海に侵入し、それまでの中国・上海の関係図は更新されることになった。上海租界のイギリス人、フランス人。アメリカ人と日本人の趨勢は転変する。その中にちいさな祖母は、わたしの曽祖父にあたる人物といたのだ。祖母は上海の、都市の中におさない眼を埋めこませ、それを写しやる。

都市の趨勢は言語の趨勢だ。国際都市・上海の経済規模がどのくらいかはわからないけど、さまざまな由来を持った資本が流通するのと同じく、さまざまな由来を持った言語も流通していた。英語、フランス語、ロシア語、そして日本語。日本軍の進駐によって、この言語の流通量における日本語の比率は増すことになった。それは欧米諸国の言語を進駐軍が統制したからだ。祖母の、おさない眼の記憶。日本上海進駐軍の中枢は、対立国である連合諸国の国籍を持った上海居住者、主に租界に住んでいた外国人に赤色の腕章を付けさせた。

「A」…アメリカ人、

「B」…イギリス人、

「C」…フランス人、

「D」…オランダ人、

「X」…ギリシャ人。

祖母はその赤色腕章を付けた外国人の減少を見ている。

上海市郊外に建設された収容所にアルファベットの腕章を付けた外国人が軍用トラックで運ばれていく

それぞれのアルファベットが市中から消えていく。

祖母は言葉の真空地帯に立っていた。

 

 

「あ」。

 

 

ちいさな祖母はさまざな足や手が汚していった上海市中でひとり、そうつぶやいた。

 

祖母の記憶はまた場面を変える。工場から黒い煙があがっている。標準服を着た男性が祖母に箱を手渡す。祖母は箱を開ける。その中には骨が入っている。砂糖菓子のような骨で、祖母はそれが曽祖父のものだと知っている。彼女は蓋にちからを込めて箱を閉めた。

 

2014年8月29日公開

© 2014 中村子子子

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