マゾ・カニバリズム小説「被虐の扉」

一志

小説

4,538文字

 とある骨董品店で、唱えた願いが叶うという鏡を手に入れた男子高校生、相沢誠也。
 さっそく意中の子、柴崎桜と付き合えるようお願いをするのだが、その鏡にはとんでもない副作用があった。
 記憶をなくし、目が覚めると、相沢は柴崎に食べられて……。
 ──というマゾ・カニバリズム小説です。

一、

煉瓦造りの建物がある。青々しい蔦に壁面が侵食されていて、ホラー映画にでてきそうな外観をしている。部活動の帰り道に、とある男子高校生がその建物に立ち寄った。

 

高校生の名前は相沢誠也あいざわせいや。バスケ部に所属していて、流行りのセンターパートの髪型に絞られた肉体を持ち、二枚目の顔立ちに三枚目にもなれるユーモアセンスを兼ね備えている。それゆえに、女子だけでなく男子からも人気のある人物だ。

 

建物は骨董品店だった。普段なら立ち寄るはずもない建物に、なぜだかわからないが、感情の赴くままに相沢は足を踏み入れた。

 

願望を唱えれば、その願望を叶えてくれる鏡がある。店に入るなり店主にそう声をかけられ、相沢はすんなり鏡を購入した。夢のような効果のわりに、値段はたったの千円だったからだ。

 

自宅に帰った相沢は、さっそくその鏡を覗きこみ、眉間に皺のできた仏頂面に向かって願いを唱えてみた。

 

俺は柴崎桜しばさきさくらと交際する。

 

半信半疑。いや、七割以上は信じてなどいない。信じてはいないが、たとえ鏡が偽物であっても、現状を変えるための勇気が欲しかった。翌日、柴崎に告白をするつもりにもなっている。

 

とはいえ、相沢の鏡に対する信頼とは裏腹に、鏡の効果は本物である。だから告白も成功し、相沢は柴崎と交際を始めることになる。

 

なるのだが、この鏡には恐ろしい副作用がある。それは、内に秘めた潜在的な欲望を炙りだし、増幅させ、成就という形で破滅へと追いやってしまうことだ。

 

相沢誠也。この人物は、好きな異性の肉体の一部になりたいという一風変わった性的倒錯の持ち主だった。

 

二、

目が覚めると俺は暗闇のなかにいた。神経を逆撫でるような冷気。自分の意思に反し、動かない手足。カシャカシャと煩く擦れる金属音。

 

おそらく俺は、鎖のような物で拘束されている。その上全裸のようだ。恥ずかしさもあるが、それよりも恐ろしさのほうが感情の大部分を占めている。

 

無駄に動くことをやめ、静かに目をつむる。心拍音に同期するかのように、体が小刻みに震えてくる。

 

……タンタン……タンタン……タンタン……タンタン……。

 

足音が遠くから近づいてくる。脳みその奥の奥を素手で触られているかのような、冷たくて滑り気のある音だ。

 

足音がだんだんと大きくなる。鼓動の高鳴りと共に、全身が激しい悪寒に包み込まれる。寒い日の朝に薄着で外を歩いているような感覚に近い。

 

……キィィィ……バタン。

 

誰かがこの部屋にやってきたみたいだ。ガサゴソと音をたて、なにやら騒がしく動いている。カチッと叩いたような音がした。

 

照明が点灯し、視界に光が戻る。戻ったはいいが、かなり眩しい。我慢できずに俺はまばたきをした。

 

急に不安に襲われる。おそらく、俺の近くに誰かがいる。半身を少し捻り、確認する。見慣れた制服のブレザーが視界に入る。

 

小さいながらも魅力的な胸部。そこから視線を上へとずらす。焦点の定まらない虚な瞳が俺をとらえた。

 

柴崎桜だ。柴崎桜が立っている。制服の上に白衣をはおっていて、まるでこれから手術を始める外科医のような出立ちだ。

 

桜は俺の好きな異性で、昨日から交際を始めることになった。クラスメイトでもあり、率先して学級委員を勤めるような器量のある女の子だ。裸を見られていることに気づき、恥ずかしさがこみあげてくる。

 

「よく寝てたみたいだね」

 

口角を丁寧にゆっくりとあげ、桜が俺に笑いかけてくる。その笑顔は、日本昔話にでてくる不気味な老婆のようだ。そんな桜の顔を眺めていると、俺は曖昧ながらも少しだけ記憶を取り戻した。

 

昨日のことだ。募る気持ちを抑えきれず、俺は桜に思いきって気持ちを告げた。交際する約束をかわし、俺たちは喫茶店によった。

 

趣味の話。部活の話。恋の話で盛りあがった。けれどもその後の記憶までは取り戻せない。

 

「あの。これ。なに」

 

桜のことをあまり見ないように気をつけながら俺は訊ねた。

 

「私のこと。好きなんでしょ。ならいいよね」

 

なぜだかはわからない。けれど、殺される。と、俺は思った。そのような邪悪な雰囲気が桜から放たれている。

 

「いや。たぶん、だめ」
「だめじゃない。私と君は。これから、ひとつになるのに」

 

掠れた俺の声を遮るように首をふり、桜はそう囁いた。

 

言葉の響きはとても甘美だ。けれど桜の瞳の奥には、得体のしれない狂気が宿っている。

 

「ひとつになるって。もしかして、エッチなことかな」

 

ひとつになるという意味が、性行為を表してないことぐらい俺にもわかる。わかるのだけれど、もしかしたらという期待もある。

 

そのうえ、俺は女の子とそういうことをしたことがないし、実際にそうなってしまったときの不安も大きい。

 

「違うよ。そんな安っぽい愛情表現なんかと一緒にしないでよ」

 

白衣のポケットに右手を突っ込み、出すと同時に桜は右腕を振りあげた。電気の明かりがキラリと反射する。

 

桜の手にはナイフが握られている。ステーキを切り分けるときに使うようなスラっとしたナイフだ。やっぱり殺される。そう思い、俺はみがまえた。

 

「やめろよ。やめろって。どうするつもりだよ」
「食べるの」

 

俺の耳元へと顔を近づけ、桜がそう囁く。気持ちのいい、生暖かい吐息が耳にかかる。気持よさと反比例するかのように、体の方は硬直している。

 

「冗談だろ。それと、ここはどこだよ」

 

俺はあらためて室内を見まわしてみた。部屋にはなにもなく、あるのは俺が乗せられている台だけだ。

 

台はおそらく金属製で、俺の体よりもひと回りぐらい大きい。少し左右に動けば落ちてしまいそうだ。けれど、そうならないように手足が鎖で固定されている。

 

「もういいよね。食べるよ」

 

ナイフが俺の腹部にあてがわれる。接触した面を震源として、ツーンとした嫌な寒気が体中を駆けめぐる。

 

「やめてくれ。桜が犯罪者になっちゃう。俺、嫌だよ」
「大丈夫だよ。私も。君のことが大好きだから」

 

……キリキリ……キリキリ……キリキリ……キリキリ……。

 

嫌な音が脳みそのなかで反響する。腹部にあてがわれたナイフが、ゆっくりとひかれていく。桜に躊躇いはない。熱感をおびた痛みがジンワリと体の末端にまで広がっていき、切り裂かれた割れ目から血液が流れでる。

 

俺はそれを直視してしまった。ぬあ、ああ、ぐあ、と、声にならない呻き声をあげてしまう。

 

唇を歪めるようにして微笑み、桜が傷口をひらく。俺の内部が丸見えになる。蛙の解剖実験をしたときのような血生臭さが鼻をつく。美味しそう、と涎を垂らしながら呟き、桜が俺のお腹に手を押しつける。

 

そして、体内に手が挿しこまれた。

 

さすがにその瞬間は直視できなかった。焼かれるような痛みが全身を貫く。声にならない声をあげながら、必死に首をふることしかできない。桜が改心してくれることをひたすら願う。

 

……モソモソ……モソモソ……モソモソ……モソモソ……。

 

嫌な感触が俺のお腹のなかで蠢く。

 

……モソモソ……モソモソ……キュッ……グイッ。

 

「腸かな。これ。腸だよね」

 

もしかしたら、全身が地獄の業火に燃えているのではないか。そう感じるほどの痛みで気が遠くなってくる。

 

「もう。だめかもしれない」

 

俺は自分の命を諦め、目をとじた。だんだんと、痛みから解放されていく。

 

……キリキリ……キリキリ…………。
クチャクチャ……クチャクチャ……。
……ゴクン。

 

桜が俺を食べている。その音だけが、脳内に反響している。

 

……キリキリ……キリキリ…………。
クチャクチャ……クチャクチャ……。
……ゴクン。

 

気がつくと、俺は宙に浮いていた。

 

天井に背中を張りつけるようにして、俺は俺の食べられているところを俯瞰している。

 

怖くて、目をとじる。けれども、光が否が応にも差しこんでくる。桜の行動が、とじた瞼の裏側からでも視認できてしまう。

 

俺を貪り続ける桜の顔は、まるで怪物みたいだ。俺の好きだった可愛い八重歯も、今はドラキュラみたいに鋭く尖っている。

 

「やめろよ。やめてくれって」

 

遠くから俺は呼びかけた。これ以上、この光景を見続けてしまえば、俺は変な恍惚で頭がおかしくなってしまいそうだ。

 

桜が食事の手をとめ、天井にいる俺を見あげる。不気味に光る、朱色の瞳が俺をとらえる。怖くなって、俺は目をそらした。

 

……ウッ……ウッ……ウッウゥ……

 

気味の悪い呻き声が室内に響きわたる。まるで、下水道のなかで悪魔が嘔吐しているかのようだ。

 

「どうして。どうしてだよ」

 

桜の背中にむかって、俺は叫んだ。

 

「君。告白するとき、なんて言った。私の八重歯が可愛いって。……言ったよね」

 

「気を悪くしたらごめん。女の子の褒め方とか。ぶっちゃけ、よくわかんなかったから」

 

「ううん。嬉しい。私、男の子に好きだって言われたの初めてだから」

 

桜が俺を見つめてくる。こうして見ると、やっぱり桜は可愛い女の子だ。

 

「なら……。やめてくれよ」

「ごめんね。告白されてから私。自制が効かなくなっちゃって。私も好き。君が。

 

だからもう。安っぽい愛情表現なんかじゃ満足できそうにないから。生きたまま食べさせてもらう。本当にごめん」

 

うっとりと蕩けるように瞳を潤わせ、桜がウインクをする。やっぱり、俺は桜のことが好きなんだ。変な恍惚の高まりとともに、桜への感情が胸いっぱいに広がってくる。

 

「安っぽくていい。本当に俺のことが好きなら、これから上手くやっていけるんじゃないかな。だから殺さないでくれ」

 

桜が改心するよう願いを込め、俺は言った。

 

「……だめ。食べる。それに一口食べてから、脳が君を求めて止まらないの。それに、こうなることを、実は君も望んでたんだと思うよ」

 

脳みそ全体を浄化するような、澄み切った綺麗な声でポツリポツリと呟き、桜が俺の身体にむしゃぶりつく。

 

感覚が鈍くなる。視覚。聴覚。嗅覚が消失する。不思議と心地よさがこみあげてきている。全身の毛穴から快楽物質が迸っているのかもしれない。

 

エンドルフィンというやつだろうか。思考力が低下する。自分の存在が認識できない。そしておそらく、俺はこの世から消え去った。

2022年6月11日公開

© 2022 一志

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