マコとケイシーの海物語

破滅派第17号原稿募集「小説の速度」応募作品

Juan.B

小説

9,920文字

雄大な海の如き歴史の前に、二人の愛は素早く溶けて行った……。

~1~

 

「マコ、明日、湘南行かないか」

スマートフォンからは、静かで涼しい男の声がした。そしてそれは全ての状況を無視した声だった。

「今日、お父さんたちが会議するんだよ」

「知ってるよ。でも、海、見たくないかい?」

「見たい」

マコは部屋の隅の棚に飾られた地球儀に目をやった。丁度いい具合の日本地図や首都圏の地図など部屋には貼っていなかった。日本は海に囲まれている。そしてマコも、自分が何に囲まれているのかを考え始め、胸が苦しくなった。

「俺は海の王子だからね。明日、全部決めよう。何があっても、愛してるよ、マコ」

「ケイシー」

電話を切ると、通話していた相手の名前が一瞬表示され、無数の通知記録の中に消えていった。大室啓史。下の名前はタカシと読むのだが、マコはあだ名でケイシーと呼んでいた。

「湘南、か」

鏡を見ると、日焼けなどそうそうしたことのない、白い肌が映っている。後ろで纏めた髪が海風に揺れるのを想像した。ふと、振り向くと、部屋の前に、清楚な女官が控えている。彼女はSPでもあった。電話の内容を聞かれていたとしても、マコにはどうでも良かった。

「定子。私は明日、大学へ行く。私はいなくなる。いなくなるから、あなたはこの写真が手に入る」

マコは、引き出しから弟の写真を取り出し、定子にチラつかせた。定子の目の色が変っていくのを、マコは見逃さなかった。

「お互い、難儀しますね。定子……」

「はい、内親王殿下……」

 

 

~2~

 

「答えは決まってる」

「陛下……」

大広間の机を囲んだ、老若男女が、一人の男に注目していた。マコの父親は、周囲を見ず斜め上を眺めながら、一人で確認する様に唸る言葉を続けている。マコはこの場に呼ばれていなかった。

「大室は、それで……」

「何のコメントも出しておりません」

あちこちでがやがやと、声が上がった。マコの祖父がひと際大声を上げた。

「マコを学習院ではなく外の変な大学に送ったからだぞ、腐魅仁フミヒト

「娘は関係ない、彼氏の方で勝手に大スキャンダルになってるんだ、父さん。おい、あの対処はどうする! 法律を何とか捻じ曲げればいいだろ」

「ですが、差別に繋がる可能性も……」

「差別もクソもあるか、相手は人間では……」

その時、一人の老婆が顔をしかめたのを全員が何となく察知し、語気を強めていた男も黙り込んだ。その後、しばらく誰も口を開かなかった。いや、開いても何も言いようがなかった。答えは決まっている。ようやく、モーニングを着て恭しい態度をした役人のような男が、まとめようとした。

「とにかく、明日の拡大〝繁栄〟会議で、全て決着を付ける他ないと思われます」

「何? 外の、降下した連中も呼ぶのか」

「与党が、離脱者の復帰も検討している以上、この議題については……」

延々と役人の弁明じみた声が響く中、その場でただ一人の子供である少年は、机の下で携帯ゲーム機を弄り回していた。先ほど父親が語気を強めていたことにも、何にも関心が湧かなかった。少年は頭の中で個体値の計算に忙しかった。父親の唸るような声もよそに、少年はゲーム機のバッテリーが減りかかっていることに気づくと、口の隅でピイと鳴らす。すかさずあの女官定子が近寄り、外付けバッテリーを差し出した。その光景に誰も口を挟まなかった。女官の、何やら熱気を帯びた目がずっと少年を見据えているが、少年は意に介さず、心の中でひたすら考え続ける。厳選を繰り返さなければならない。どんな生まれでどんな地位にあろうが、乱数はどうにもならない。かつて白河法皇は、自分の意にならぬ存在として「鴨川の水、山法師、さいの目」を上げたが、まさにその賽の目に今悩まされ続けている。悩むことがあるのは面白い。そして姉や父が何に悩もうが知った事ではない。自分は何も悩むことがない存在だった。人間は他の存在に「悩む」事で世界を認識するのだとすれば、自分にはまさに「世界」が無かった。世界を知りたくて、ライトノベルを書いてみたこともあるが、良い内容にならなかった。そして今はただ、ゲームの中のモンスターの卵を厳選し続けている……。

 

 

~3~

 

午後五時半。閉場も近い靖国神社の大鳥居の下で、定子は深く礼をした。明日の会議の〝成功〟を祈りに来たのだ。明日の午前中には皇宮警察のSPとして、爆発物への対処実習も行われる。そんな中で限られた僅かな時間を縫ってでも、定子は靖国に満ちる御霊の中で考えたい問題があった。鳥居をくぐり、大村益次郎像にも目礼をする。定子は皇室を守る使命に打ち震えていた。だがその中でも特に守りたい存在があるのだ。高まる鼓動の中で、第二鳥居の横断歩道に差し掛かると、近くの交差点にいる街宣右翼から流れる何かの音が耳に届いた。定子は、横断した後に門の下に立ち、何か不気味な夕焼けを窺いながら、その音に暫し耳を傾けた。

 

かみ うまれたまへり

このくにを やすくになすと

あはれ そこよしや

かみ ここに うまれたまへり

 

定子は息を思い切り吸い、門の柱に手をかけた。菊の門が頭上に輝いている。御霊が自分と共にあると、定子は一人で納得した。そして、マコから貰った写真を胸から取り出し、それを手に本殿に向かった。胸と股間が、何もせずともじんじんと熱く、響いている。この国を守られた人々の精神と合一していく様子が、定子の頭の中で何度も繰り返された。崇高な歴史は教科書や知識として学ぶものではない。信愛で学ぶものなのだ。それがやまとごころであった。

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2022年4月29日公開

© 2022 Juan.B

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