「水男」
電車は闇の中を疾走する。
武雄は満員電車に乗っている。
武雄はまた終電に乗っている。
車内は我儘な人間たちで満ちている。
武雄は出入り口ドア近くに立っている。
電車の出入り口は外界への鬼門だ。
人の出入りに合わせて押されたり引かれたりするし、
酔客たちによる吐瀉物の放置場所でもある。
武雄はいきなり腕を掴まれた。
氷のような冷たさが、その手から伝わってくる。
同時に女性の声がした。
「この人、痴漢です!!!」
どうやら武雄が痴漢だと思われているらしい。
もちろん武雄は痴漢などしていない。
「なんだ、おまえ!」
「痴漢か?」
歪んだ正義感の持ち主たちがここぞとばかりに騒ぐ。
それは全員男だ。
電車は闇の中を疾走する。
武雄は危険な終電に乗っている。
「僕は何もしていないっすよ」
武雄は落ち着いている。
「ざけんな、お前、痴漢オヤジ!」
そう言うお前だって立派にオヤジじゃねえか?
「ふてぇ野郎だ!」
何だ、お前は江戸っ子か?
江戸っ子野郎が武雄の襟首を掴む。
火事と喧嘩は江戸の華か?
「うわ!」
武雄の襟首を掴んだ男が声をあげる。
「水にな…」
男はそう言うと全身が透明になって液体化した。
バッシャーーーーーン!!!
電車は水浸しだ。
「うわぁあああっ!」
痴漢だと言っていた女性も水になった。
電車の中の人々は次々に液体化していく。
疾走する電車の脇からは大量の水が噴き出している。
「ははは」
武雄は笑っている。
人だけでなく電車も液体化していく。
ブショーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
電車の形をした水の塊が一瞬のうちに線路上に消えた。
線路上には武雄だけが立っている。
「ったく、家まで歩かなきゃならないのか…」
武雄は闇の中を歩いていく。
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