ネズミ算

阿蘇武能

小説

958文字

ふとしたときに姿を現し、増え、やがて去るネズミ

ネズミが増えて困ったものだ。

ここのところ、職場にも出先でも、あまつさえ家の中でも隅っこの方でごそごそとしている。これでは気が散ってとてもじゃないが仕事に、いや生活に手がつかない。

最初は何気ないところから始まった。職場のゴミ捨て場にゴミを捨てに行った時のことだ。大きめのビニール袋を二つ抱えた私の視界の端にそう大きくない、黒い影がちらついた。最初は見間違いかとも思ったが、どうもがさごそとビニール袋が音を立てている。まさか会社のゴミ捨て場に生き物を捨てる不届き者はいるまい。不審に感じてその音のする方を凝視していると、不意にその音が止んだ。いや、かさ……かさ……とかすかに音はする。意を決して音の出所を覗く決心をした私は大股でそのビニール袋の方へ近づいた。

と、またしても黒い影がビニール袋から飛び出してきた。ある程度予想はしていたものの不意を突かれた私は一瞬固まり、目でその塊を追うことしか出来なかった。それは一匹の薄汚れたネズミだった。ネズミはそのままどこかの物陰へ入り込んでしまってもう戻ってこなかった。私は初めてネズミを見た物珍しさで多少興奮しながらゴミ捨てを終え、持ち場へ戻っていった。

だが物珍しかったのも最初のうちだけだ。次第に数を増すネズミたちの姿に、私は薄気味悪いものを感じながらも傍観していた。

ネズミはますますその数を増していき、私たちの生活の傍らにはいつもネズミがいた。不思議とネズミは疫病の類をもたらさなかった。これだけネズミが増えて不衛生だろうと思っていたがそうでもない。ネズミの死骸があふれかえるでもない。どこへ消えていくのか知らないが、平気なものである。生きたネズミだけが着々と私たちのまわりを覆っていった。

 

あの頃のことを考えるといつでも不思議な感慨に襲われる。あのネズミはどこから来てどこへ行ってしまったのだろう。気が付くとネズミはいなくなってしまっていた。私たちはそれまでと変わらない生活を同じように続けている。ただネズミだけがいない。今思えばあの毛むくじゃらの小動物が懐かしく思われる。そんなことを思いながら、私は寝床に入り、照明を落として瞼を閉じた。

 

まどろみながら眠りへと落ち込んでゆくとき、かさり、とどこかでビニールとなにかの擦れ合う音がしたような気がした。

2021年10月1日公開

© 2021 阿蘇武能

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